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13号列車の謎 1

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories 第2話 「13号列車の謎」の冒頭の部分です。
第1話はワトソンの語りが多くの部分を占めましたが、今回はよりホームズの捜査と推理を全面に出した作りになっています。

13号列車の謎

ある10月の朝、暗雲から絶え間なく落ちる雨でベイカー街221Bはすっかり降りこめられていた。わが友シャーロック・ホームズもまた鬱々とした気分でいるのが見て取れた。このところ何週間か事件の依頼がなかったからだ。すくなくとも彼のいう「まともな」事件にはお目にかかっていなかった。ここ二日間も家の中をパイプをふかしながら不機嫌に歩き回っているのだった。外の通りを馬車が速度を落としながら近づいてくる音が聞こえたのはホームズとわたしの双方にとって救いだった。わたしたちは期待を込めて窓辺ににじり寄った。ハンソム馬車が(屋根付き一頭立て二人乗り馬車)が家のドアに横付けに止まった。やがて身なりのいい大柄な中年紳士が降りしきる雨の中に降り立ち、御者に料金を払うと呼び鈴を鳴らした。

ホームズは笑いを浮かべている。
「さて、あの金持ちのアメリカ人がパディントン駅から大慌てでここに駆つけるほど悩んでいるのはどんな問題なのだろうね、ワトソン? 」
「アメリカ人だって?」ホームズのおなじみの人をじらせるゲームに、いつものようにこらえきれずに引き込まれてわたしは聞き返した。
「間違いないね。それにかなり厄介な性格だと見た」
「どうしてそれがわかったかぼくに言いたいんだろう、ホームズ?」
「国籍については、気が動転していて馬車代をポケットを膨らませていたポンド銀貨に思い当るまでアメリカのドルで払おうとしていた事実から推理した。同じく、パディントンからという点はいちばん簡単だ。辻馬車の御者はヘンリー・ブラウン、きみがあの男を見分けられなかったのには驚きだが、あいつはいつもパディントンの馬車乗り場に詰めているだろう? いつものことだが、こういった観察が陳腐である点はきみに謝らないといけないね、ワトソン。だが、きみが聞いたからさ」

そうこうするうちに階段を上がる足音が聞こえた。ハドソン夫人が訪問者をわれわれの部屋に案内してきた。
わたしは友人ホームズが新しい難問が現れるのを期待して機嫌がよくなっているのに気づいて内心うれしかった。そしてそれがどうか彼の抑圧されたエネルギーを振り向ける価値のある依頼であってくれと心の中で祈ったのだった。

ドアが開くや、明るいクリーム色のスーツを着た大柄な訪問者が室内ににずかずかと入ってきた。舞台に登場するとすぐに強烈なイメージを観客に焼き付けてやるぞと意気込んでいる役者のようだ。
「ホームズさんですな!」アメリカなまりの大声が響いて、突出された両手がわたしの右手をぐいと握った。「ベネディクト・マスターソンと申します。お目にかかれて光栄ですわい」
「こちらこそ。でもわたしはドクター・ジョン・ワトソンです」わたしは応じた。「こちらが、ミスター・シャーロック・ホームズ」
先ほどと変わらぬ大声でわたしに詫びを言い気取ったしぐさで会釈をすると男は友人の方に向き直った。
「あー、そうかそうか。いや、わかりました。間違った、これはとんだ間違いでしたわい」
どうやら最初に友人の方をシャーロック・ホームズだと思いこみ、これは予想違いだと感じたのだなという印象を受けた。
「ホームズさん、どうかわたしのために謎に満ちた厄介な仕事を引き受けていただきたい」
「お座りなさい、マスターソンさん。そしてすべてを話してください」ホームズは言った。
クリーム色の巨体がアームチェアに収まり、勧められるままにタバコに手を出した。不安げに立て続けにタバコを吹かしながらこのアメリカ人はわたしたちに語った。

「わたしは金を扱っております。方々、金こそ、わが人生です。父はネバダ州に小さな金鉱を持っておりまして、そのおかげでわたしどもの暮らし向きは楽でした。わたしの代になって慎重な取引を重ねてこの資産をもとに財をなしたわけです。ロンドンには先週参りました。こちらのイングランド銀行から金の準備高を引き上げるためにかなりの額の金の延べ棒の注文を頂きましてね。金塊はブリストル港へ荷揚げして、昨日チャーターした特別列車でロンドンの銀行へ向けて運びました。わたしは書類仕事があるので少し前からロンドンに滞在しておりまして、それはもう半端な量じゃありませんでした。それで今朝パディントン駅へ委託品を受け取りに行ったところ、確かに列車は到着していましたが、金は……ありませんでした」
「なるほど」と、ホームズ。「盗まれたと」
「間違いなく」
「いくらになります?」
「400万から500万ポンドというところでしょうか、ミスター・ホームズ」
「大変な損害だ。金に保険はかけてありますか?」
「もちろん。ですが、保険会社ってやつは、ご存じのとおりやつらは疑い深い。それに金が消えた状況というのが、控えめに言ってもかなり不思議なもんで……」
「よろしければ、そこのところをもっと詳しく、ミスター・マスターソン」友人は言った。

「そうですな……」長くなったタバコの灰を灰皿の縁ではじいて落としながらマスターソンは言葉を継いだ。「総裁に特別仕立ての夜行列車をお願いしました。だが決して目立たないようにと強く念を押しましたよ。武装したり護衛をつけたりして特別に警備されている列車だと見えるようなことは一切なしにしてほしいと言いました。すると用意されたのは一週間に一度ブリストルからロンドンに無人で回送される貸切の旅客列車でした。鉄道員たちは冗談でその列車を『悪運臨時列車』(Bad Luck Special)と呼んでましたな。いやなに、今までに何か悪いことが起きたっていうんじゃなくて、その列車はいつも13両の空の客車をつないでいたからなんですがね。今回もそうでした。金は鉄製の容器におさめるようにしかと言いわたしました。それぞれの箱にはそれぞれ違った個別の鍵をつけるんです。ごぞんじのように金とは重いもんですから、容器ごと持ち運べるだけしか入れられません。列車が走っている間に容器ごと動かされる可能性をつぶすために、容器は列車の開いたドアよりは小さく、しかしスライド窓が全開になっていても窓からは大きくて出し入れできないように、間違いなく取り計らいました。金塊を運ぶ車両はロンドンに到着するまで開けられないように外側から施錠できる作りに替えました……」

以下続く

さらに延々とマスターソンの話が続き、ホームズが質問をはさみ、結局この事件を引き受けるということになります。
ホームズとワトソンはパディントンからブリストルへ赴き駅の責任者から話を聞くととんぼ返りをしてこんどはパディントン駅に留め置かれている鉄道員から証言をとります。そして実際に13号車を検分すると……もう謎は解けたようです。
このように展開するのですが、駅員、機関士、火夫、護衛とさまざまな人が登場してそれぞれ違った言葉づかいと話し方をするので(中には極端なイギリス発音の人物も混じるので)正確な解析にてこずっています。最終的にはまたネイティヴに聞いてもらわないといけないかもしれませんがまあ、わかる範囲でまずは第一稿を載せていこうと思っています。

不可解なる変装 番外編

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories の第一話「不可解なる変装」1-3の校正をしました。ネイティヴの方に聞いてもらって不明な個所を一語ずつ掘り起しました。前の記事を訂正加筆してあります。よろしければご覧ください。
個人的におもしろかったのは、言葉が明瞭に文節できず仕方なしに前後の流れで書いていた訳があまり大きなはずれがなかったことです。喜んでいいのかどうか疑問ですが、大きな誤訳がなかったので安心しました。
3の付記にも書きましたがやはり飲んでいたのはブランデーでよかったようです。どうやら勇み足で空回りしてしまったようです。お騒がせしてしまったかなと反省。まだまだ修行が……。

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13号列車の謎

The Rediscovered Railway Mysteries and Other Storiesの第2話「13号列車の謎」(仮題)をいま聞いていますが、これがまた細かいところがなかなか聞き取れません(単にこちらの耳の問題なのですがw)
そこであらかじめ大粗筋だけご紹介しておきたいとと思います。

10月のとある日、雨は降りしきりベイカー街221Bはすっかり降りこめられている。ホームズもこのところまともな事件がなくて鬱陶しい気分に沈んでいる。
そこへ現れたのがアメリカ人紳士、マスターソン。金のディーラーでかなりの金塊をブリストルからロンドンへ列車で輸送した。使ったのは鉄道員たちから悪運臨時列車とあだ名をつけられている13両仕立ての回送夜行列車である。しかし列車がパディントン駅に到着したときに金塊の入ったコンテナすべては消え失せていたのである。
この列車には運転手、機関士、護衛の3人しか乗っていなかった。マスターソンが注意を引くような特別仕立て列車にすることに反対したからである。列車は深夜に金塊を輸送した。ひとつの途中駅で水補給のために停車したが、それも数分である。しかも金塊は6つの箱に分けて入れられており、箱のサイズは列車のドアからは入るが窓からは出せない大きさになっている。まったくもって不可思議な事件であり保険会社は窃盗の状況に疑問を持っているという。
マスターソンはKYな人物である。来るや否や、ホームズとワトソンを取り違えて一方的に話したり、事件のあらましを語る中で駄じゃれを飛ばしてはホームズたちの無言の顰蹙を買う。
さて、事件を引き受けたホームズとワトソンは関係者の聞き取りを行う。機関士と運転手は持ち場を離れていない。機関士は、停車駅はまったくの暗闇で給水場以外は何も見えなかったと証言。
金塊と同じ車両、13号車に乗っていた護衛は疲れ切っていた。夜勤でサンドイッチと紅茶の夕食をもって乗車。食事が終わって猛烈な睡魔に襲われた。うとうとしてはっと気がつくともう金塊の入ったコンテナが消えていたという雲をつかむような話をくりかえすだけである。
車両を調べたホームズは隅に女性用の髪留めに使う赤い布の輪があるのに気がつく。マスターソンは別居中の妻の関与を疑う。
すべてを検分したホームズは関係する乗車していた3人、刑事、警官、マスターソンを一堂に呼び集めワトソンとともにこの不可思議な金塊消失事件の謎解きをして真犯人を名指しする。そのカギとなったのは……。そのトリックとは……。

ストーリー自体は取り立てて目新しいものともいえませんが、カンバーバッチが3人の鉄道員の声色を使い分けるところ、アメリカなまり丸出しの横柄なマスターソン氏、マスターソンに眉を顰めていやがうえにも平静、冷淡にふるまうホームズの様子を実にリアルに声だけで演じているのが着目に値すると思います。話し方一つで視覚的なイメージが湧いてくるのですから不思議ですね。

ベネディクト・カンバーバッチ、この通り声色を自由に扱うのが得意らしく、最近では何か言ってくれというMCの誘いに有名どころのアラン・リックマンの声で「この私にいったい何を言えというのかね?」などと答えて万座を沸かしていました。そのついでにドクターのデヴィッド・テナントの真似とか(こちらはアクセントの癖がよくわからないと言いながら)、さらには目の前にいるMCの口真似をして大いに盛り上がっていました。芸達者でサービス精神も旺盛な人ですね。いっそのことホームズ正典のオーディオブック化コンプリに取り掛かってくれないかな、などと妄想は広がります。

この第2話細かい部分を詰めて順次全訳を載せようと思っています。しばしお待ちくださいませ。


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不可解なる変装 改訂版3

承前

「きみは言ったな、抜き差しならない事情で絶対にこの家から出られないと」と、カートライト。
「そうだ、もう3日目だ」
「昨夜はその限りではなかったということだな?」
「いや、昨夜もここにいた。つぶれた面目のことを悩んでベッドで悶々としていた」
「昨日きみはぼくの友情を盾にとって説得した。きみの話を真に受けてジャーナリストであるよりも友人としてこのことは公にしないでおこうと思っていたのに。きみに一杯食わされたとわかっていたら……」
「カートライト、ぼくを信じてくれ。きみをだましてなんかいない。月曜の午後からこの家を一歩も出ていないんだ」
「じゃ何か、きみには双子の兄弟でもいるというのか?」
「まさか!」
「では説明したまえ。昨夜午前零時5分過ぎ、マルベリー駅のレストランの外にいた男は誰だったんだ?」
「他人の空似じゃないのか?」
「似ているなんてものじゃない。きみそのものだ。頼む、本当のことを言ってくれ、ワトソン」

彼の疑いは決しておさまっていなかった。
昨夜の悶々とすごした時間のほうが夢の中の出来事で、実はその間に自分は夢遊病のようにさまよっていたのではないかという気さえし始めた。たしかにそういうことは起こりうるのだ。暑さとここ数日の疲れでわたしはひどく朦朧となった、その混乱の中で、わたしはこの可能性を完全に否定はできなかった。

「いったいどうなっているんだ」カートライトは続けた。「昨夜駅の構内を歩いていると、もう閉まったレストランの外壁の前できみが茶色のフェルト帽の男と話しているのが見えた。近づいてきみと目が合った。ところがきみはまるでぼくのことを知らないやつを見るような目で見た。きっと大事な話をしているんだろうと思ったさ。だが、考えれば考えるほど、それが長年の親友に対してとる態度かと思えだした」

突然わたしの頭にかかっていた霧が晴れてすべてがはっきり見えた。すぐさま今はカートライトの追求をかわさないといけないと悟った。
「よく教えてくれた、ありがとう。礼を言う。これは極めて重大だ。だがニコラス、お願いだ。どうかお引き取り願いたい」
「帰れだって?」
「頼む。状況は深刻できわめて危険なんだ」
「ぼくを厄介払いしようとしているだけじゃないのか? ワトソン?」
「その通りだ。そうしようとしているんだ。カートライト。だがこれには確かなわけがある。どうかぼくを信じてくれ。いずれすべてを独占特約記事としてきみに明らかにしよう」
カートライトは長い溜息をついた。
「よかろう、ジョン。上出来だ」
それでも玄関での別れ際にカートライトはわたしの肩を友情を込めて軽くたたいた。

ドアを閉めるとわたしは壁にもたれかかって考えをまとめようとした。
ホームズからは何があっても再び邪魔をしてはならないと強く言い渡されていたものの、この状況は危機的だ。もしトバイアス・オーガンがわたしに顔かたちも声も似た男を使ったのだとしたら、おまけにそいつは長年の友人のカートライトまでがだまされるほど似ているのだ、ホームズもだまされてしまうかもしれない。その結果、彼らがどれほどの力を得て有利になることか。

ホームズに直接話せないとしてもそれに類したほかの方法をとれるはずだ。警告のメモを書いて地下室のドアの下から差し入れようと思い立ち二階の部屋に駆け上がった。まさにその時だった。通りで叫び声が上がった。わたしは思わず窓辺に駆け寄った。ベイカー街を100ヤードほど南に下ったところで3人の男がもみ合っていた。2人ががりで1人の男を無理やり馬車に押し込もうとしている。カートライトだった!

わたしは階段を駆け下りて通りに走り出た。御者はすでに馬に鞭をくれ馬車は走りだしていた。わたしは必死で後を追った、こみ上げる怒りが追跡の足に力を加えた。
優に半マイルほど走ったがついに馬車は速度を増し走り去り、わたしは喘ぎながらセント・ヴィンセント教会の前で足を止めた。息を切らして舗道にすわりこんだ。今こそホームズの助けが必要だった。こんな衝撃的な事件が起こった事態では約束を破ることなど些細なことだ。すぐに彼のもとへ行こうと思った。

その時、追跡に頭がいっぱいで家のドアを開けっ放しにしてきたことに気がついた。新たな不安が心をよぎった。この拉致は間違いなくオーガンのしわざだ、そして開けっ放しのドアという好機を見逃すようなやつではない。
わたしはできる限り急いでベイカー街へ駆け戻った。しかし、ドアはもはや開いていなかった。その日は蒸し暑く無風状態だった、よもや隙間風でドアが閉まることなどありえない。

恐ろしい考えが浮かんだ。何者かがもう中に入り込んでいる。そして……。すべてのことが一瞬にしてあるべき場所にばたばたっと当てはまった。カートライトの拉致はわたしを家からおびき出すための罠だった。外へ出た間にわたしに変装した何者かが侵入する。ホームズは気がつくまい。ついには安全な地下室のドアを開けて、そしてわたしだと信じて疑わない者に恰好の標的を進呈することになる……。

家を出る時に鍵を持ってきていなかった。だが家の裏のテラス側から入る方法がある。隣人である年配の人好きのするヘーベン夫人はノックを聞きつけて家の裏へ抜けるのを快く許してくれた。そこから壁をよじ登り、わたしたちの地下室の外につながる荒れた裏庭に降り立った。地下室の前半分はホームズが間に合わせの射撃室として使っている。内部には灯りはない。わたしはきわめてゆっくり扉を開けた。ホームズの実験の音は止んでいるようだった。前の部屋へ通じるドアまでの距離はたった6,7歩だ。しかしあまりの暗さに眼は効かず、むき出しの床板は足を下ろすたびに大きなきしむ音をたてるようだった。

わたしは一歩ずつ試すように体重をかけて進んだ。太り気味のパントマイム役者のように、そろそろと宙に浮かぶような具合で歩いた。一歩、二歩、三歩……突然背後で動きがあった。何者かの手が後ろからわたしの口をふさぎ、腕ががっちりのどに回された。プロの手慣れた動きだった。わたしは動くことも息をすることもできなかった。
耳朶に熱い息とともに声が届いた。
「ドクター、声を挙げないで。手を緩めたらこっちを向いて私の顔を見るんだ。音をたてるな。わかったらわたしの手を軽くたたいて」
首の回りの腕に手を伸ばし言われたとおりに軽くたたいた。腕が緩みわたしはできる限り静かに大きく息をついた。振り向くとそこにいたのは……。
「レストレイド!?」
「シーッ、ドクター。こんなところで会おうとはね。というか、予想はしてたがまさか先生まで裏から来るとは思っていなかったから」
警部は謎めかした言い方をして笑いを浮かべた。
「説明してくれないか? いったいどういうことなんだ?」わたしは口を開いた。
「今はだめだ、ドクター。だが来てくれてうれしい。もう一組耳があった方が好都合だ。 ドアに耳をつけて物音に注意して」

わたしたちが張り込みに入ってからほんのわずかで、射撃場への前方のドアが開く音がした。どうやら二人の人間が入ってきたらしい。ドアがバタンと閉まった。低いだみ声が言った。

「ふん、これがそれなんだな?」
「そう、ここで彼は仕事をしている」二人目の声は何となく聞き覚えのある声だった。
「そのうち戻ってくるんじゃないか?」
「いいや、30分くらいは戻ってこないと思うが」
その瞬間にわたしはあることに気づき衝撃を受けた。二番目の声は私自身の声だったのだ! 
わたしはレストレイドのほうを振り返った。彼は人差し指を唇にあてて、黙って聞き続けるように指示した。

「……それで何をしようとしているんだ?」部屋の中でしゃがれ声が尋ねる。
「マクシマムを殺した弾がきみの銃から発射された弾であることを照合するんだ」と、わたしの声が言う。
「警察はきみが彼を殺したことを知っている。だがホームズに頼んで陪審員が納得するような証拠を見つける必要があったのさ」
しゃがれ声の男は間違いなくトバイアス・オーガンだ。ふたりが動き回る音がして騒々しく話声が聞こえた。
「片付けたのはジンマーマンが最初じゃない、それに今まで捕まったこともない」
「彼から取ったのはやっと4ポンド10シリングだったそうじゃないか」
「いくらとったかなんてどうでもいい。金のために殺したんじゃない。あいつはおれを嫌な目で見たからだ。ひどい目で見たからひどい頭痛をお返ししてやったのさ。目と目の間のど真ん中に弾を撃ち込んでやった……さて、まだ問題が残っている」

突然けたたましい物のぶつかる音がした。まるで壁の一部が崩れたように聞こえた。

「行こう、ドクター!」
レストレイドは荒々しくドアを押し開けると地下室に飛び込んだ。そこではオーガンがホームズの実験装置を部屋中に蹴散らかしていた。
驚いたことに、オーガンは攻撃されていた。攻撃しているのは―――わたしだった!
完全にわたしそっくりの人物は右フックを繰り出し、次に左フック、そして最後に側頭部にブロウを炸裂させた。オーガンは意識を失ってばったり床に倒れた。レストレイドはすかさず後ろ手に手錠をかた。警笛を吹いてオーガンの身柄の確保を進めた。
わたしはもう一人の自分をよく見るために後じさりした。わたしに瓜二つの人物は顔に手をかけると眉の上をぐいと引いた。顔全体が伸びてはがれるまで力を込めた。はがれたマスクの下から現れたのは炯々と眼を光らせるシャーロック・ホームズの顔だった!
次の瞬間、レストレイドの部下の警官たちが地下室のドアからなだれ込んできた。トバイアス・オーガンは連行された。

昼間の暑さはようやく収まって心地よい夕方になった。ハドソン夫人は家に戻りホームズとわたしにすばらしい夕食を作ってくれた。 わたしたちはブランデーを手にすわり、ホームズは開け放った窓のそばでパイプをくゆらしている。緩やかな風がカーテンを揺らし、居間はさわやかさを取り戻した。

「きみが賢明にも推理したように、」ホームズは説明をしながらいった。「変装の目的は、いずれはここでオーガンから言い訳めいた自白を引き出すためのものだった」
「だが、きみの弾道の実験は有罪判決を引き出すのに十分じゃなかったのか?」
「あれは所詮、空想上の科学でしかない」ホームズは言った。「だが、いつの日か必ずやもっと精緻なものになるだろう。ぼくが二週間でできたことよりもずっと多くの研究が行われなければならないだろうがね。だが、オーガンはこの実験が自分にとって危険だと思ったらぶち壊そうとするだろうという点で、レストレイドと意見が一致した」
「すべてが作り事だったというならきみはここで何をしていたんだ?」
「申し訳ないのだが、きみを多少だますことになったのだよ。ぼくはずっとここにいたわけじゃない。古い鉄道の時計とドラム缶の表面に取り付けた装置でいかにも機械的な作業が行われているような音が聞こえるように仕組んだんだ。」
「ああ、確かにまんまと引っかかったよ」わたしは言った。
「だが、その間ずっとぼくをここにくぎ付けにしておく必要が本当にあったのか?」
「残念ながら必要だったのだ、友よ。 もしオーガンがスパイを放っていて、ワトソンが二人いることを知ったらこの計略は失敗しただろう。さらに、オーガンにきみとぼくが仲違いをしたと信じさせる必要があった。そうすれば『善良な』ワトソンが市井に出て、ぼくに不利なちょっとしたことを他人に漏らすのも納得できるというものだ。ところが運悪くきみの友人のカートライトにマルベリー駅でオーガンの一味と話しているところを見られてしまった。あやうく秘密がばれるところだった。だから彼をどこか安全なところへ保護する必要ができた。レストレイドの部下が志願して彼を誘拐して一時的にとても待遇のいい監禁状態にしてくれた」
「彼が拉致されたのはきみが望んだからなのか?」
「そうだ。きみが追って来て家から閉め出される結果になり、裏から入ってくるとはまったく計算していなかったがね。でも結果的にはそのほうがよかった。彼を起訴するのにもう一人きみという目撃者が増えたのだから」
「有罪判決が出ると思うか?」
「ああ、もちろんだ、ワトソン。今日の告白は明明白白だった。トバイアス・オーガンは間違いなく絞首刑だ」

「さて、きみのことだが、友よ。きみには迷惑をかけたね。その見返りと言ってはなんだが、きみをオペラに招待しよう」
「今夜?」
「ああ、今夜だ。ギルバート・アンド・サリバンの『ミカド』だ」
「……だが、ホームズ、ぼくの記憶がでは、きみはギルバート&サリバンはあまり好きじゃないんじゃないか?」
「確かに、ワトソン。だがきみは好きだろう? それに、白状しなければならないんだが、ぼくはあの『死刑執行大臣』に弱いんだよ」

fin

注)the Lord High Executioner; ミカドに出てくる死刑執行大臣、その歌に "Behold the Lord High Executioner" がある

これで第1話完結です。実はこの部分、かなり疑問が多い個所がいくつかあります。言語の聞き取りに関する個所ももちろんですが、内容的に疑がわしいところを一つ指摘しておきます。
オーガンが逮捕されて大団円を迎えた221Bの2階の居間で、ホームズとワトソンが夕食後に談話する個所です。二人が手にしているのがbrandy (ブランデー)と聞こえましたが、確か聖典ではホームズがブランデーを飲んだ記述がないような……。ブランデーは気付け薬として用いたことはあります。ホームズはウィスキーのソーダ割りは嗜むようで、さらにワインにも目がないとか。そこで件の個所ですがbrownyと聞こえなくもないのです。そうならば、デザートのブラウニーまたはイギリス口語としてウィスキーのこととも解釈できます。個人の独断と偏見でウィスキーとしておきました。あなたなら二人に何を飲んでほしいですか(or 食べてほしいですか?)

付記 2月22日記
機会があってネイティヴの方に確めたところやはりこれはブランデーでいいとのことでした。
ホームズとワトソンは正典には書かれていなかった新しい飲み物を試していたようです。常に新規なものに目がないホームズのことですからそういうこともありなのでしょう―――

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不可解なる変装 改訂版2

承前

わたしはしばしの間新聞を手に持ったままカートライトから視線をそらせた。
「いったい誰がこれを書いたんだ?ホームズはこのことを知ってるのか?」
「ここには本当のことが書いてあるのか? ホームズが地下室にいるのは別の下宿を探すまできみを避けているからか?」
「これって今日のガゼット紙か?」
「そうだ、ワトソン。きみは何も知らないように見えるが」
「ぼくがいま話しているきみはジャーナリストとしてのカートライトか、それとも友人のカートライトか?」
「ああ……そうだな、残念だが友人として話している、ジョン」
「ぼくも残念だと言おう、これはまったくのくそったれな話だ。だがこれ以上話をしたかったらオフレコで頼む」
「いいだろう、ではオフレコで」
「これに関してぼくはまったく何も知らない。ホームズが絡んでいるのかどうかも知らない。彼はいま重要な極秘の仕事にかかっている。これはおそらくその件と関わりがあるのだろう。残念ながらぼくに言えるのはこれだけだ」
「ひとつだけわからないことがある」カートライトは言った。「ガゼットはきみたち二人に話を聞かないでどうしてこの記事を入手したんだろう? とにかくきみがいいというまでぼくはこの件については何も書かないことにする。だが、その時は独占記事にしてもらえたら……」
「いいだろう、独占記事はきみのものだ。ありがとう、ニコラス」わたしは言った。

玄関で見送るとドアを閉ざした。彼が帰ってくれてほっとしている自分に気がついた。実はさらに特異な状況下ですぐまた会うことになるとは夢にも思わなかったのだ。
しかしホームズとこの件について対決しなければならない、それは必至だ。わたしは地下室のドアをノックした。
「ホームズ!」しばしの沈黙。
「ホームズ! 話がある」
「いまはだめだ、ワトソン」
「ホームズ、緊急に話をしたい。新聞に出ていることだ。」
中で物音がしてドアが開いた。
「……新聞だって? どうやって新聞を手に入れた?」
「カートライトが来た。記事を読んで―――」
「あれだな」ホームズが途中で遮った。「あの記事だな。あえて言うなら、説明さえ聞けばきみもよかったと思うだろう。30分ほど時間をくれたまえ」

しばらくして、われわれは居間で向かい合った形で座っていた。さらに夕暮に近く、相変わらず暑苦しかった。
「あの新聞記事は、遺憾ながら必要なものだった」ホームズは言った。「あまりきみを困惑させることにならなければよかったのだが、ワトソン。この仕事が終わったらすべて正常な状態に戻るから」
「なぜだ? 記事にはぼくたちが喧嘩別れしたと書いてある」
「そのことだが、きみに頼みがある。きみも知っているようにぼくはこの仕事を秘密にしておこうと努力しているが、どれくらい隠しきれるか確信が持てなくなってきた。警察もこの件に関わっていて実験のことも知っている。だが下っ端の警官はもとより、上級職員にまで、あの冷酷な悪党と手を組んでいる者がいないと誰が言えよう。あの記事を出すことでオーガンはきみがもうロンドンにいないと思うかもしれないし、ともかくきみはもうぼくと同じところに住んでいないと思うだろう」
「すると……きみはぼくを守るためにこの記事をガゼットに載せたのか?」
「その通りだ、ワトソン。まさにぼくの目的はそれだった」
「ただ……まず先にぼくに相談してくれていたら!」
「ワトソン、きみはまったく知らないで終わるはずだったんだ。カートライトが来なければ新聞記事を見ることもなかっただろう。彼が来てきみが目にしてしまったのは不運だった」
「あの記事を見たから彼は来たんじゃないか」
「そうだ、そこはぼくの計算違いだった。さて、もう遅い。あすまた仕事がある。きみからもうひとつ保証を取り付けたい」
「何だ、ホームズ?」
「いかなる事情があっても二度と実験を妨害しないでほしい。きわめて繊細かつ影響を受けやすい性質のものだから一瞬の乱れがあってもこれまでのすべてが台無しになってしまうかもしれない。いいか、いかなる事情があってもだぞ!」

その夜、むっとする熱気のなかでわたしは遅くまで寝つけなかった。夜具を押しやって、地に落ちた自分の評判について嘆いた。少なくともこれが世間の見方なのだ、いや、すくなくともロンドン・ガゼット紙を読んでいる世間の信じるところなのだ。―――ホームズとワトソンはコンビを解消した。しかしワトソン氏からのコメントはない。口うるさい探偵が述べた上品な言葉での相手への賛辞だけだ。
苦々しい思いが安らかな眠りをさまたげその結果悪夢を誘った。
しかし、これらすべてを重ね合わせてもまだ何か腑に落ちないことがあった。何かきわめて重要なことがまだ明らかにされていないのだ。

翌朝早く目覚めた。しかし疲れはとれていなかった。窓には近寄らずに起きてからできることを始めた。通りは静かだった。ゆっくり着替えを済ませて何か食べるものを探しにキッチンへ下りた。轟音を響かすホームズの実験は地下でもう始まっていた。彼が寝るのさえ厭っているのかと疑問だった。ドアのベルが鳴ったのはポットで紅茶を淹れているときだった。ベルは間をおかず鳴った。ホームズには聞こえていないと思った。キッチンからはドアの外が見えなかったが、数歩玄関ホールへ進むと横の窓からまたもやニコラス・カートライトの姿が見えた。わたしはすぐさまドアのところにいくと招き入れた。
「カートライト?」
「ワトソン、いったい何が起きているんだ?」
「何だって?」
「ここでは何のゲームをやっているんだと聞いているんだ」
「カートライト、きみの言っていることがわからない。とにかくあがれ」
間違いなく彼が頭から湯気の出るほど怒っていることは明らかだった。だが、何がそうさせたのかまったくわからなかった。部屋に入ってもカートライトは座らないかった。腕を後ろに組み、相手に非難を浴びせようという待ちかまえていた。

以下次回へ続く。

お断りですが、2,3個所確信の持てない部分を意図的に抜いてあります。つながりが悪いところはそういうところだとご了承ください。また聞き直すとわかってくるかもしれませんので、逐次訂正していきます。前回の分も多少訂正しています。
まあ、だからどうってことはないのですが、やっぱり正確なものになるように努めたいと思っています。

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不可解なる変装 改訂版1

先日、といっても年をこえてしまいましたが、昨年末にBBCのオーディオ・ドラマ、カンバーバッチが朗読したシャーロック・ホームズ 見出された鉄道ミステリの第一話、部分的に聞き取りをして書き起こしました。
不十分な点が多かったので、改訂版を載せます。開始から13分までの第一部です。聞き取りができずまだ文字化していない部分が実は3か所ほどありますが笑って見逃してやってください。聞き違いをしている箇所もあると思いますので見つけた方はどうぞお知らせください。お願いします。
では―――



現在の住まいの階上にわたしの書き物机がある。引き出しには鍵のかかったシダー杉材の小箱が入っている。
小さいころに祖父からもらったもので、いわばわたしの「秘密の箱」とでもいうべきものだ。少年の頃は子供っぽい宝物、例えばパチンコだとか蜜蝋の塊, カニの殻などが入っていたのだが、このところは何年も忘備録入れになっている。
雑然とした物入れになっているのを認めるにやぶさかではないが、そこにはわが生涯の友にしてコンサルタント探偵であるシャーロック・ホームズのまだ公にされていないたくさんの事件に関する覚書がある。
それらは、いろいろな理由がからちゃんとした事件の顛末を書き起こしていなかったのだが、近ごろ多少手隙の時間ができたので再び箱を開けてみた。黄ばんだノートに記された冒険の中には、事件当時からかなりの時間が経っているので、そろそろ公にしてもよかろうと思われるものもあって、古いものから時代順に書き起こすことにした。
それはいくつかの理由があってわたしは書き記すのをためらったものである。事件そのものに興味をそそられる要素が少なかったわけではない、むしろその逆だったのだが、それはわたしにとって個人的に苦々しい経験を思い出させるものだったから今まで日の目を見なかったものだといえよう。

それはある7月の水曜日の夕方のことだった。熱気が地面を覆う暑い日も終わりに近く、わたしはベーカー街の居間で開いた窓辺にすわり、涼しい風がそよとでも吹くのを期待して外の空気をすっていた。膝に広げた新聞は、警察が殺人事件の容疑者の悪名高いトバイアス・オーガンを釈放したと報じていた。数日前に金貸業のマックス・ジンマーマンがモードル通りの小さな自室で頭を銃で撃ち抜かれて見つかった事件の容疑者として逮捕されていたものだ。警察はオーガンの仕業に違いないと見たものの殺人罪に問える十分な証拠がなかったのでやむなく釈放したのだ。
奇妙なことだが、わたしはこのオーガンと面識があった。以前に、わたしの記憶では、背中の下部のかなり危ない場所に傷を負ってやってきた患者だった。彼は金属製の支柱の上に倒れたと言い張ったがわたしは刺された傷ではないかと疑った。はたして診察の結果疑いに間違ないことがわかった。何があっても他言はするなという意をこめた無言の脅迫を受けた。それは忘れようもなく恐ろしい恫喝だったので、診療所から彼が出て行ったときには大いにほっとしたものだった。
わたしはオーガンの事件について、明らかに何か見解を持っているに違いないホームズと話がしたいと思ったけれど夕食に現れた時のホームズは妙に苛ついていてろくに話もしたがらなかった。このような兆候から彼が何か難問に頭脳を働かせている途中であることがうかがわれた。だが、だからといってわたしは黙って食事をするつもりはなかった。

「外は息がつまりそうに暑い天気だね、ホームズ」薄切りビーフにコショウを振りながらわたしは言った。
「確かに、ワトソン。中でもひどく暑い」それだけ言うとポテトを切るのに手が離せないという様子だった。少ししてわたしはまた声をかけた。
「姿が見えなかったがどこかへ仕事で出かけていたのかね」
「その通りだ、仕事だ」 またもや話が途切れた。ナイフとフォークの音だけがする。
「どこか近場かね?」
「とても近いところだよ、ワトソン。きみにもどこかわかるだけの知恵があると思うのだが」
「いや、ぼくは別に詮索したいわけじゃ……」
「地下室だよ。一日中この家の地下室にこもっていたんだ。どうやら詮索はしたくないという気持ちと知りたいという抑えきれない好奇心が葛藤しているようだから、なぜぼくがそこにいたか教えてあげよう」ホームズはにっこりして声を潜めた。「きみを信頼していうんだが、他人には一言も言わないならね」
「もちろんだ、言うものか」
「それに了解してほしいのだが、もし一旦聞いたらこの仕事が終わるまできみはこの家を出ることはかなわない」
「なんだって?」
わたしはナイフとフォークをほとんど落とさんばかりに下に置いた。
「一歩も外へ出るなと?」
「まさにそういうことだ。おそらくきみは、そう――たぶん数日になるだろうが、ここに足止めをくうくらいならぼくの仕事の秘密など知らないほうがいいというかもしれないが」
救いようがないほど好奇心が膨らんで、わたしはこの暑さの中ドアを締め切る不快さや、ここに缶詰になる退屈さや、あろうことか恋人と会う約束があることことさえ頭に浮かばなかった。

「受けて立とう。きみの要求に従うとしよう、ホームズ」
ホームズはテーブルの前から立ち上がった。食事は食べさしのままだ。暖炉にタバコ入れをとりにいってパイプに詰めて火をつけると肘掛け椅子に深々と身を沈めた。

「トバイアス・オーガンの事件をずっと気にしていたんだろう、ワトソン?」
「そうだ。気になっていた。だが、どうしてわかった?」
「きみは二度も新聞のそのページを開きっぱなしにしておいたからね」
「妻と幼い子供たちがいる自称ビジネスマン、貸金業のジンマーマンが軍用ライフルで殺された。警察にはトバイアス・オーガンが犯人だと断ずるいくつもの理由があった、そのひとつがオーガンはライフルを所有していたことだ。もちろん彼は自分の銃が凶器になったことは否定したがね」
「予想されたことだ」わたしは言った。
「考えてみてほしい」短い沈黙。
「科学的にかなりの確実性で弾丸とそれを発射した銃を結び付けることができるとしたらどうかね?」
「それは素晴らしいことだ。だが、そんなものはなかろう」
「だが、ワトソン、こういわせてもらおう、そのような科学は将来的には可能なのだ。それがまさに今ぼくが地下室で奮闘している問題なのだ。地下室に実験のための射撃場まがいの場所を作った。進捗状態は見込みがある。予想通りに進めば必ずトバイアス・オーガンを絞首台へ送ることができるだろう。だが、オーガンは根っからの極悪人だ。多くの殺人を犯している。そんな男がもしこの実験のことをうすうす気づいたら、きわめて危険なことになるかもしれない」
「ホームズ、きみに危険が及ぶかも知れないけれど、どうしてこのぼくまで危険なことになるんだ?」
「さっきも言ったようにオーガンは残忍なやつだ、彼の手は敵対する相手の身近な者を誘拐して、しばしば最悪の事態が起こる。もうきみは知りすぎた。きみを危険に放り込むほどの覚悟はぼくにはない。だからきみはこの家でじっとしていてもらいたい。誰か来ても応じてはいけない。窓からも離れろ。知人の客もだめだ。この事件が解決するまできみはここでいわば囚われの身となり暮らすのだ」
「ああ、かえって好都合かもしれない」わたしは言った。「書かなきゃいけない医学の論文もある、缶詰になれば勉強に専念する気にもなるだろう」
「すばらしい、ワトソン。きみの払う犠牲は決して無駄にはならない」
「犠牲だなどとこれっぽっちも思わないさ」
その夜わたしは次週の予約をすべてキャンセルして、これからの数日間が充実したものになると期待しつつ床についた。

翌朝、わたしは満ち足りた気分で起き出したが、家には人気がなかった。ホームズはすでに地下の射撃場へ行っているのだと思った。大家のハドソン夫人は早朝に家を出てしまったようだ、というのも冷めたくなった朝食というプレゼントが残っていたからだ。
まだ気温は暖かい程度で蒸し暑くなっていなかった。暖炉の上の時計はゆっくりと時を刻んだ。わたしは専門書を読みながら学生時代以来久しく感じていなかった勉学の静かな恍惚感に浸った。

しかし正午になるまえに部屋は暑くなった。ひとつのことに集中ができなくなり、渇きがじりじりとわたしを苛んだ。階下のハドソン夫人の部屋へ行ったが相変わらず無人だった。そこで地下へ行き昼食はどうすることになっているのかホームズに尋ねようと思った。
地下室のドアは閉じていた。ノブを回そうとすると鍵がかかっていた。と、中から銃が発射されるような轟音と、ベアリングが鉄の容器の中で転がるような金属同士がこすれあう凄まじい音が聞こえた。

「ホームズ! そこにいるのか?!」
「ワトソン、ここで何をしている? いま捜査中だ!」
「そうか、ぼくはただ昼食はどうするか知りたくて」
「自分で何かみつくろうんだ」ホームズは叫び返した。「ハドソンさんにはここから離れるようにいった。無辜の人命を危険な目に合わせるわけにはいかない。それにワトソン、地下室に近づくな。ぼくらの部屋かキッチンにいるんだ。お利口さんにしているんだ」
「よかろう、ホームズ。それとはべつに―――」
「何だ?」
「新聞が読みたいんだが」
「残念だが新聞は抜きだ。仕事が完成するまでここを出る機会もない。さあ、続きをやらせてくれ!」

わたしはばたばたとキッチンに戻り、パンとチーズを見つけると二階へ上がった。部屋はひどく暑くなっていたが、窓の側に座ってはいけないと言われていたのでグレイの解剖学書の綴目の上にパンくずをこぼしながら読み読み食べた。少しずつ心が落ち着きをなくしているのに気がついた。
昼食後、自分を叱咤してもう少し勉学に励んだが午後3時になる前にアームチェアに座ったまま寝入ってしまった。

ベイカー街を行き来する夕方の車の音を耳にして目を覚ました。自由に往来する喧騒の音にいくばくかの羨望を感じた。彼らには戻るべき家族があり、小さな手と楽しい家族が集まる夕餉が待っている。それに比べてわたしの部屋は殺風景で寒々としていた。ホームズは地下室から出てこないしハドソン夫人は夕食になっても姿を現さなかった。その後の夜をどう過ごしたかわたしは思い出せない。ロンドンの石畳は日中に吸収した熱気を今度は空気中に放出していた。かつてわたしが知っていた外界は徐々に静まりだして、ついにわたしは空腹と滅入った気分を抱えてベッドに入った。

翌朝、間に合わせの朝食をしたためたあと仕事にかかった。執筆中の論文の論考にすっかり乗って書いているうちにまたもや部屋がオーブンと化したように息詰まるくらい暑くなってきた。前日のような難民状態はごめんだったので、ホームズの厳しい禁止もよそにわたしは窓に近づいた。ただほんの少し新鮮な空気がほしかったのだ。
窓の覆いを挙げたときベイカー街をやってくる馬車が見えた。それは窓の真下で止まった。降り立った乗客はニコラス・カートライトだった。大学時代からの友人で今はタイムズ紙の記者をしている男だ。数か月会ってなかった。どうも予告なしに訪れてきたらしい。訪問者には応じないというホームズとの約束が頭にあったのでわたしは気もそぞろになった。
呼び鈴が鳴った。最初に浮かんだのはこのままじっとしていてカートライトがあきらめて行ってしまうのを待とうかという考えだった。しかし、間をおかずまたもや呼び鈴がなり、今は開いている窓からカートライトが呼ぶ声が聞こえた。
「ワトソン!」
声に込められた不安な調子は何か不都合なことが起きていると示していた。カートライトは親友だった。わたしの助けを必要としているかもしれないというのに居留守を使えるはずもない。わたしは階段を駆け下りると玄関のドアを開けた。

「ワトソン、会えて安心した」その言い方に何か妙なものを感じた。カートライトは声を潜めていたが、ホームズのにわか仕立ての射撃場に近いのでわたしは囁いた。
「ニコラス、ちょっと変わった事情があるんだ。できるだけ静かに二階へ来てくれたまえ、できる限り説明するから」 家の奥から発せられた突然の物音が静寂を破った。実験に没頭していてホームズがわたしの客に気づかずにいてほしい願った。
二階の居間のドアを閉めるや、カートライトが声をかけた。
「ワトソン、心配していたんだ。ここへきてもきみはいないんじゃないかと思ってた」
「心配だって?」
「そうだよ、ガゼットに載ったきみとホームズについての記事だ、気がつかなかったのか?」
「カートライト、いったい何の話だ? このところ新聞を読んでいないので見当もつかない」
「ほら、これだ」カートライトは件のページを開いて新聞を放った。その見出しが目に入った。
”シャーロック・ホームズとドクター・ワトソンが決別"
「―――卓越したコンサルタント探偵シャーロック・ホームズ氏と友人の医者、ドクター・ワトソンは数年間にわたる良好かつ成功したコンビを組んでいたが、その仕事上のコンビを解消し、同時に個人的な友情も終わりを告げたと思われる。ホームズ氏の語ったところによると、氏は ワトソン医師への敬意を持ち続け、彼の類まれな名誉と専門の手腕にも言及したものの、どうにも解決のつかない事情が二人の決別を早めたということである。ドクター・ワトソンからは何のコメントもない」

2へ続く。

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories 関連記事です


不可解な変装 Sherlock Holmes その2

前回の続きです。

ホームズに新聞記事の真相を説明されたワトソンだったが、いまひとつ釈然としない。なぜホームズは前もって説明してくれなかったのか。しかしホームズは言う、実験は今大事な局面にさしかかったところだ。微妙なことが影響するから、いかなることがあっても実験の邪魔をしてくれるな、と。
ワトソンは、それでも何かきわめて重大なことが隠されているとい印象をぬぐいきれないでいる。

翌日早く起きたもののワトソンは疲れていた。通りは静かだった。ゆっくり服を着てキッチンに食べ物を探しに行った。地下からはすでにくぐもった銃声が聞こえてくる。いったいホームズはいつ寝ているんだろうと疑問に思う。

お茶を淹れているところにドアの呼び鈴が鳴った。誰なんだ?キッチンからは見えなかった。ロビーへ向かうと横の窓から昨日来たカートライトだとわかる。すぐにドアを開けた。
「カートライト?」
カートライトの声は固くよそよそしい。
「いったいどういうことだ、ワトソン? いったい何の悪ふざけが進行しているんだ?」
何のことか全くわからなかった。しかしカートライトが憤慨していることはわかった。カートライトはすわりもせず腕を後ろに組んでまさにこれから非難の声を浴びせようと身構えているようだ。
「きみは言ったな、わけがあって絶対にこの家から出られないと」
「そうだ、もう3日目だ」
「昨夜はその限りではなかったということだな」
「いやここにいた。信用がなくなったと悩んでベッドで悶々としていた」
「きみの話を真に受けてこのことは公にしないでおこうと思っていたのに、きみに一杯食わされたとわかっていたならば……」
「カートライト、ぼくを信じてくれ。きみをだましてなんかいない。月曜の午後からこの家を一歩も出ていない」
「じゃ何か、きみには双子の兄弟でもいるというのか?」
「まさか!」
「では説明したまえ。昨夜午前零時5分過ぎ、マルベリー駅のレストランの外にいた男は誰だったんだ?」
「他人の空似じゃないのか?」
「似ているなんてものじゃない。きみそのものだ。頼む、本当のことを言ってくれ、ワトソン」
昨夜は暑かった、それまでの疲れも重なって夢遊病のように知らずに外へ出た可能性もないとはいえない、しかしそんなことを言える雰囲気ではなかった。

「いったいどうなっているんだ。昨夜駅のコンコースを歩いていると閉店後のレストランの外の壁のところできみが茶色のフェルト帽の男と話しているのが見えた。近づいてきみと目が合った。ところがきみはまるでぼくのことを知らないやつを見るような目で見た。きっと大事な話をしているんだろうと思ったさ。だが、考えれば考えるほど、それが長年の親友に対する態度かと思えだした」
突然ワトソンの頭にかかっていた霧が晴れて情勢がはっきりした。カートライトをこの場から帰らせないといけないと思った。
「教えてくれてありがとう。ことは極めて重大だ。だが、ニコラス、お願いだ。お引き取り願いたい」
「帰れだって?」
「そうだ、状況は深刻できわめて危険だ」
「厄介払いしようというのか、ワトソン?」
「その通りだ。そうしようとしているんだ。だがこれにはわけがある。どうかぼくを信じてくれ。いずれすべてを独占特約記事としてきみに明らかにしよう」
カートライトは長い溜息をついた。
「よかろう、ジョン。上出来だ。」
別れ際にカートライトはワトソンの肩を友情を込めて軽くたたく。

ドアを閉めたワトソンはドアにもたれかかって考えをまとめようとした。
ホームズからは何があっても再び実験を中断させるてはならないと言い渡されていた。だが、状況は危機的だ。もしトバイアス・オーガンがワトソンに外見も声も似た男を雇ったのだとしたら、おまけにそいつは長年の友人のカートライトまでがだまされほど似ているのだ、ホームズもだまされてしまうかもしれない。その結果、彼らがどれほど有利になることか。

もしホームズに直接話せないならメモを書いて地下室のドアの下から入れて警告しようとワトソンは思う。
大急ぎで部屋に戻ったとき、通りで叫び声が上がるのを聞く。ワトソンは思わず窓辺に駆け寄る。
ベイカー街を100ヤードほど南に下ったところで3人の男がもみ合っていた。2人ががりで1人の男を無理やり馬車に押し込もうとしている。カートライトだった!

ワトソンは階段を駆け下りると通りに走り出た。御者はすでに馬に鞭をくれ馬車は走りだしていた。ワトソンは必死で後を追った、怒りが追跡に力を与えた。優に半マイルほど走ったがついに馬車は速度を増し、ワトソンは喘ぎながらセント・ヴィンセント教会の前で足を止めた。息を切らして舗道にすわりこんだ。ホームズの助けが必要だった。この状況では約束を破ることなど些細なことだった。すぐに彼のところへ行こうと思った。
その時、追跡に頭がいっぱいで家の正面のドアを開けっ放しで出てきたことに気がついた。新たな不安が心をよぎった。この拉致はオーガンのしわざだ、開いたドアを見逃すようなやつではない。それに思い当ったワトソンは今度はできる限り急いで家へ戻った。しかし、ドアはもはや開いていなかった。
恐ろしい考えが浮かんだ。何者かがもう中に入り込んでいる。そして……。すべてのことが一瞬にしてあるべき場所に当てはまった。カートライトの拉致はワトソンを家からおびき出すための罠だった。馬車を追ってワトソンが外へ出た間にワトソンに変装した何者かが侵入する。ホームズは気がつくまい。ついには地下室のドアを開けてしまうだろう。そしてワトソンだと疑わない者に恰好の標的を進呈することになる……。


最後の締めはどうなるのでしょうか。直情的な行動をとってしまったワトソンではありますが、ホームズの危機を悟って命がけで敵を阻止しようと試みることになります。では、次回は第一話最終回となります。

不可解な変装; Sherlock Holmes

逐語訳をすると大口をたたいたけれど、まとまった時間が取れません。
それで、どんなお話なのかだけでも大雑把に書いておきたいと思います。

枕は先日のワトソンの「秘密の箱」についての述懐。あの後から実際の話が始まります。
とある7月の夕暮れ、日中の暑さが冷めやらぬロンドンの街。ワトソンはベイカー街221Bの居間で窓から風でも入らないかと涼を求めている。
新聞にトバイアス・オーガン(たぶん訳本ならトビアスになるかも)が殺人容疑で逮捕されたが証拠不十分で釈放されたという記事が載っていたのがずっと気になっている。実はオーガンとは面識がある。以前に治療をしたものの脅迫まがいの脅しをうけて恐ろしい思いをした。その件についてホームズと話したいのだが、どうやらホームズは何か考え事をしているようで取りつく島がない。
夕食の時に天気のことなど持ち出して声をかけるがそっけない。外出していたと思われたホームズは、実は一日中地下室にこもっていたという。ワトソンがそのわけを尋ねると、もし理由を聞くならその仕事が終わるまではワトソンも家を一歩も出るなと言われる。好奇心に駆られたワトソンはあとのことも考えずホームズの申し出を受ける。二三日くらい缶詰になっていても読まなければならない論文もあるし、などと自分で理由づけをする。

すると逆にホームズのほうからオーガンのことを気にかけていただろうと図星をさされる。新聞のそのページを開きっぱなしにしていたからだ。今回のホームズの仕事はどうやらオーガンの件に関係があるらしい。オーガンの銃が凶器になったことを明らかにする実験を地下室でやっているという。地下室を一時的に射撃室にして銃を撃っているらしい。よって地下室に近づくなと言われる。オーガンは冷酷無比な殺人者であるから、そのような実験をやっていることを知ったら必ず妨害をするだろう、ホームズの関係者であるワトソンやハドソンさんに危害を加えるかもしれない、だから家を出るな、窓のそばにも寄るなということだ。
翌日眼を覚ますともうホームズの姿は地下室へ消えていた。ハドソン夫人もいない。ワトソンは論文や本を読んで久しぶりに学究の徒として楽しむ、しかし昼になり気温が高くなってくると居間の居心地が悪くなってきた、しかも昼食をどうするかあてがない。そこで地下室へ行ってみる。すると鍵のかかったドアの向こうから銃声と弾丸が金属に当たって立てる凄まじい音がした。これが実験だった。離れていろというホームズの言葉に従ってありあわせの昼食を済ませて、暑さをこらえながらまた読書に戻ったが、集中できない。そのうちに寝入ってしまった。目が覚めるともう夕刻で外では街のざわめきが聞こえる、自由に行き来できる人々に羨望を覚えながらすきっ腹を抱えてワトソンはベッドに入った。

翌日もまたじりじりと気温が上がった。我慢できなくなったワトソンはほんの少しだけと窓のサッシを挙げる。おりしも下に馬車が止まり、大学時代の友人で現在新聞記者をしているカートライトが下りるのが見えた。予告なしの訪問だ。しまったと思う、ホームズからは窓の側にも寄るな、だれか来てもドアを開けるなと固く言い渡されている。
居留守をつかってやり過ごそうかとも思うが、カートライトが「ワトソン!」と呼ぶ声に緊急の切羽詰った様子に思わず階下に行きドアを開ける。カートライトはワトソンのことを心配して駆けつけたのだ。というのも、その日のガゼット紙にホームズとワトソンが仕事での同僚関係と、同時に友人関係も解消したという記事が載っていたからだ。ワトソンにとっては寝耳に水だった。
事情を知りたがるカートライトに、二人は喧嘩別れしたわけではない、これは今やっているホームズの仕事に関係したことだ、すべてが終わったら独占記事を書かせてやるとオフレコで告げて引き取らせる。
ホームズに詰問するために地下室に行く。声をかけるが今はダメだと返事だけ聞こえる。新聞だ!と大声でいうとわずかにドアを開けて「新聞だって? どうやって新聞を読んだ?」と懐疑的である。カートライトのことを話すと、ホームズはしぶしぶ自分が記事にしたことを白状した。オーガンが万一ワトソンに危害を加えることを恐れ、予防措置としてワトソンとはもう関係がないと宣伝したのだという。説明に一応納得はしたもののワトソンは一言先に自分に言ってくれなかったことを不満に思い、しかもこの件で自分の社会的な評判が落ちたであろうことを思い心穏やかではない。

ざっとこれで半分くらいでしょうか。
では続きはまた明日にでも。

SHERLOCK HOLMES ; オーディオブック

Shrediscoveredmysteries

Sherock Holmes "The rediscovered railway mysteries and other stories"
ジョン・テイラーがコナン・ドイルの正典になぞらえて書いたパスティーシュ、新作のホームズ・ノベルです。
BBCが出したオーディオ・ブックでベネディクト・カンバーバッチが朗読、多数の登場人物を語り分けています。
とても面白い、ホームズものとして見るとやや推理の醍醐味に欠けるという評もありますが、聞き流すにはこれくらいがちょうどいい?
聞き流すというのは、まさにその通りでスクリプトがないので聞くしかないのです。繰り返して聞くうちに大体のところはわかってくるのですが、きちんと文章に起こそうとすると意外に細かいところが聞き取れない。。。
仕方がないとあきらめるか、これを機にブリティッシュ耳をしっかり作るか、(もちろん希望的観測なれど)。
ともかく少しずつ書き起こしていくことにしました。聞き取れないところは適当に抜かして前後の平仄を合わせることにしてお茶を濁しておきます。

第一話 謎の変装

現在の住まいの二階にわたしの書き物机がある。引き出しには鍵のかかったシダー杉材の小箱が入っている。小さいころに祖父からもらったもので、いわばわたしの「秘密の箱」とでもいうべきものだ。少年の頃は子供っぽい宝物、例えばパチンコだとか蜜蝋の塊、カニの殻などをいれていたものだが、このところは何年も忘備録入れになっている。雑然とした物入れになっているのを認めるにやぶさかではないが、そこにはわが生涯の友にしてコンサルタント探偵であるシャーロック・ホームズのまだ公にされていないたくさんの事件に関する覚書がある。それらはいろいろな理由があって、わたしがちゃんとした事件の顛末を書き起こしていないのだが、近ごろ多少の時間ができたので再び箱を開けてみた。黄ばんだノートに記された冒険の中には、事件当時からかなりの時間が経っているので、そろそろ公にしてもよかろうと思われるものもあって、時代順に書き起こすことにした。それはいくつかの理由から書き記すのをやめたものである。事件に興味を引くような要素が少なかったわけではない、むしろその逆なのだが、そのほとんどはわたしが個人的につらい思いをしたことによるものである。

とまあ、こんな感じで始まります。ここまでで1分30秒くらい。先はまだ長いです。

みんなでお茶を

Mother

気になることがあるとしばらくそれにこだわって考え続けるのに、解決がつかないといつしか忘れてしまうって、これいつものことですね。
でも完全に忘れてしまったのではなく、意識下では事あれば表面に現れようとスタンバイしているようです。スリープ状態。だからちょっとした刺激でアクティブ状態にさっと戻ってきて同じ状態からリジュームする、誰も思い当ることがあるでしょう。

写真は二日ほど前に届いた"SHERLOCKシーズン2"の一場面のキャプチャです。
少し説明をば。
普段からよく映画を見ますが基本、言語は英語日本語字幕で見ます。耳から入る英語と字幕の間に大きな差がないときにはほとんど意識せずに視聴しています。(というか、それほど気にしないで見てますというべきか)
まれに英語字幕を出して日本語字幕の意味を補完したりもします。その映画が気に入ったときと、それと字幕と話されているセリフとの意味がそぐわないときや文脈上意味がよくつながらないときに実際に話されていることを確認するためにです。

このシーンですがNHKで放映されたときマイクロフトとシャーロックの吹き替えがこうだったのです。(言葉は完全に正確ではないかも)
M: 「母親がわりだったんだよ」
S: 「子供時代からいろいろあったんだ」

最初に見たときから違和感があってどうも腑に落ちませんでした。ひとつにはマイクロフトの原語と字幕の時制が合わない、それを満足させる説明がない、つまり自分の中ではどうにも納得できなかったからです。

BBCのDVDによれば実際のセリフはこうです。(キャプチャでは字幕が保存されないのでアナログにカメラで撮ってみました)

Telop1

M: I'll be mother.  (わたしが母親になろう)
間違いなく助動詞willがあります。過去のことを語るのにwillを用いることは(知っている限りは)あり得ません。ぐっと譲っても言えるのは現在の習性「~そういうものだ」くらいしかないし。
どう考えてもマイクロフトはこれから先のことを言っているはずです。
しかも mother の前に冠詞がないことも気になる一因でした。

さらにシーズン1の1話でマイクロフト、シャーロック兄弟の母は健在でクリスマスには家族が集まる、マイクロフトに至ってはシャーロックがいつも不機嫌だからmammy(幼児語、日本でいえばママくらいかな)が悲しむといっていますから、母親が早くに亡くなって「母親代わり」だった、という解釈は矛盾します。
かといって二人の母親が母親らしいことを何もしない女性で、年長のマイクロフトが家事を取り仕切っていたという新解釈も不自然です。このようなわけでこの部分は、奥歯に物が挟まったようにずっとずっと気になっていたところでした。

Telop7

こちらはメリル・ストリープの"The Iron Lady"突然にすべてが明らかになりました。
開始後1時間12分ころ、フォークランド紛争で出兵するか否か決断を迫られるサッチャー首相のもとへアメリカ国務長官が訪れて出兵を見合わせるように説得する場面で、きっぱりと断ったサッチャーがそばのテーブルにあるティーポットに手を伸ばしこう言います。

"Now, shall I be mother?"  (じゃあ、おかあさんになりましょうか?)
字幕には、「母親役を務めますわ」と。

これで明らかです。お茶を注ぐという動作と"mother"の組み合わせ、どうして気がつかなかったのか。もっと早く気づくべきでした。
おままごとをするときにお父さん役、お母さん役というのがありますよね。あれなんです、つまりイギリスの一般家庭ではティーを注ぐのはお母さんなんです。だからお茶を注ぐときには、私がお母さんをやります、みたいな言い方をするのだということだったのです。
それを「母親代わり」の吹き替えに無意識に引きずられて、それに見合う解釈ができないことで散々頭を悩ましていたというわけでした。

するとその後の展開もよどみなく流れます。
Telop5

マイクロフトの言葉につづくシャーロックの"And there is a whole childhood in a nutshell."も直訳すれば、「ここに子供時代のすべてを端的に表すものがある」―――「子供のころからすべてこの調子だ」となり、すべからく自分が采配を振りたがるマイクロフトのやり方を揶揄する皮肉な物言となるのです。

改めて届いたばかりのBDでその箇所を確認すると、マイクロフトの"mother"から一連の字幕は次のようになっていました。
M: 「わたしが注ぐ」
S: 「子供の頃から仕切り屋だ」
はい、おめでとうございます、一件落着でした。

セリフついでにもう一つ。BBC版の英語字幕を出してみていたときに気がついたことですが、まずはその部分を。
Telop6

M: Don't be alarmed. It's to do with sex.
S: Sex doesn't alarm me.
M: How would you know?

アイリーン・アドラーの説明をしているマイクロフトとシャーロックのやり取り。思わずうなったのが最後のマイクロフトのwouldの使い方。
NHK吹き替えでは「どうしてわかる?」、BD版では「知らないくせに」でした。
これはNHKに分があるように思えます。
マイクロフトは女性(男性も)に関しては晩生のシャーロックをからかい気味に「セックスと聞いても(経験がないからといって)警報が鳴ったように身構えなくてもいい」と言い、すぐさまシャーロックが「セックスが絡んでも全く平気の平左だ」とやり返す。それに対してさらにwouldで「どのようにして恐れるに足らずということがわかるのかね、知りたいと思っても知る機会もなかったの(し、ないだろう)に」と婉曲仮定法を半分だけつかって、シャーロックには現実的にできないことだと、ソフトでかつ「明確に」疑問の形で(ここがまた憎い)投げかけています。にこやかな余裕のある表情だけにマイクロフトのほうがシャーロックよりも一枚も二枚も上手だと知らしめるところだと思います。それだけに意地になって早期解決を確約するシャーロックの青さがまたかわいいのですが。

わたしがゲイティス演じるマイクロフトに惚れたのも、このwould があったからと言っても言い過ぎではないかも。
それにしてもわたしが惚れる人ってどうしていつも……なんなんだろう?
おっと口が滑ってしまったw
今は、かなり長い間意識下でじんわり温めてきた"mother"が自分なりに納得できてうれしい限りです、これこそほんとの"mother complex"だったのかもしれませんね。


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