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ソチはそちらでSHはこちらで(意味不明)

ソチ冬期オリンピックが始まり、例によってTVを点けっぱなしで何かしらLIVEで放送される競技をBGM代わりにしています。
開会式突端からフランスのゴーモンTVのロゴのような5個の菊紋飾りが、あっ1つ開かない―――4輪になっちゃったよー、そのあとのプーチンの苦虫をかみつぶしたような顔と言ったら。

先日、といってももうかなり日数がたちますが、Amazon UKからSHERLOCKシーズン3のBlu-rayが届きました。
最初はとにかくざっと鑑賞―――何と言っても話の展開が知りたい
翌日からサブタイトルを出して一時停止しながら1回目に聞き取れなかったところを確認しつつじっくり鑑賞。
熱心なシャロ・ファンの方々のサイトにプレビューはお任せするとしていくつか気がついたことを。トリビアというほどもないけれど、私なりにおもしろいと思った個所を紹介します。

どうしても内容に触れるところがあるのでネタバレが嫌いな方はご注意ください。

第1話 The Empty Hearse  hearse:霊柩車、つまり死体はなかったということで。執拗にSHの死を疑うアンダーソンが作ったグループ名なんでしょうか。のっけから妄想爆裂でいかにあの墜落を偽装したか、いろいろ見せてくれます。
地下鉄を使った爆破テロ、2人が歌っていた"Remember remember the fifth of November, Gunpowder, treason and plot." 1605年にイギリスで起こったガイ・フォークスの陰謀事件を歌った歌。火薬庫に火をつけて国会議事堂を爆破しようとした、でも未遂に終わりましたけどね。イギリス人にとってガイ・フォークス・ナイトのお祭りはハロウィーンよりもなじみがあるみたいです。
ドラマ冒頭にジョンが221Bの前で出会う子供がガイの人形を引き回して"a penny to the guy!"と呼びかけているシーンあり。ここで、爆破テロと火あぶりが連想されるんですね。そういえば"V フォー・ヴェンデッタ"はまさにこのガイ・フォークスが下敷きでしたわね。

第2話 Clair de Lune:クロード・ドビュッシーの"ベルガマスク組曲"の第3番「月の光」言わずとしれた名曲。余談ながら美しいピアノ曲で(下手ながら)弾きつつうっとりなってしまいます。ディズニーがこの曲に月の光が漏れくる夜の森にひっそりと鷺が水辺を歩き、飛んでいくアニメーション短編を作っています。それは絶品。

第3話 His Last Vow モリ―とマイクロフトはSHにとってスーパーエゴ的役割を果たすところが散見されますね。それに対してモリアーティはタナトスか。
中盤、SHの危機的状況に際して瞬時に脳内に現れるモリ―とマイクロフト。的確な状況判断と冷静な対処を促す最高のコンビかと。SHの逃げ込んダンジョンにいたのはタナトスたるモリアティー。one more pushで楽になると誘いますが。
モリアティが歌っていたのはマザー・グースの"It's raining, it's pouring..."(雨降り)ですが、メロディーはそのまんま、PPMの"It's raining"
PPMのフォーク・ソングって今の人にはオールディかもしれないけれど、わたしにはお気に入り。この"It's raining "もすごく好きでした。歌詞の続きは"He went to bed and he bumped his head and couldn't get up in the morning"とベッドで寝たお爺さんが頭を打って朝になっても起きてこれなかった……というなんだか意味深なものです。確かにモリアティーは"SH is dying.."って物騒なこと歌ってましたけどね。

さて、終盤にSHの処遇を決める政府内のとある会合で、SHに対する処罰(?)が寛容すぎるのはマイクロフトの兄弟に対する温情からかと聞かれてマイクロフトが漏らした答え、"I am not given to outbursts of brotherly compassion. You know what happened to the other one."(湧き上がるような兄弟愛など持ち合わせていません、もう一人がどうなったかご存知でしょう)……って、もしやこれは長兄のシェリンフォードのこと? 聖典には書かれていないけれど"SH ガス燈に浮かぶその生涯"などの年代注釈書には1845年生まれの長男(次男のマイクロフトは1847年、SHはその7年後)がいたと書かれています。
シーズン4に何か言及があるかも。楽しみです。
ジョンのことをthis danger-obsessed man(危険志向のやつ)といい放ち
メアリー:"I'll keep him in trouble."(彼にはいつも何か事件を絶やさないようにするから)
SH: "That's my girl."(それでこそぼくが見込んだ女性だ) この会話、好きだなあー
たった4分の国外追放が終わり(マイクロフトからの電話に答えて、どっちにするのかはっきりしろと言った挙句)戻ってきたジェット。
ジョン: "...If he is, he'd better wrap up warm. There's an east wind coming."(もし本当に彼がいるのなら……しっかり着込んで暖かくするがいいさ、東の風が吹いてくるんだ)戻ってきたSHが彼にとって(彼を滅ぼす)東風になるという意味で。

シーズン2からのクリフハンガーほどではありませんが……でも含蓄のあるいい終わり方だったと思います。それにつけてもまた2年も(?)待つのは……つらいですなあ。

引用した台詞、確認していないので違っているかも。違っていたらスミマセン!

10時59分発列車の暗殺者 3

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories "The 10:59 Assassin"
承前



その2分後に大きな黒い蒸気機関車が列車を引いて重々しい音を立てながら構内に入ってきた。ミルトン・フレイザーはまっすぐ機関車の踏み板のところへ行って機関士と2,3言葉を交わすとプラットフォームの少し離れたところに立っていたホームズとわたしに手を振って万事良好と合図をした。
わたしたちはすぐさま列車に乗り込んだ。ホームズはまっすぐ3両目の2番目の個室へ行った。そこにはただひとり深夜の乗客がいた。年配の紳士でそばには一目で一般開業医のものとわかる往診鞄があった。
「おくつろぎのところお邪魔して申し訳ありませんが、」ホームズは声をかけて、事のあらましを話してから尋ねた。「昨夜もこの列車に乗っていらっしゃいましたか?」
「はい、居りましたとも」年配の男は答えた。「毎晩この列車を使っておりますよ。わたしはニューベリーで開業している医者で、自宅はロンドンにあります」
「昨夜もこの個室にいらっしゃったのですね?」
年配の医者は笑った。「ほっほ、人は習慣の動物というところでしょうか。毎晩同じ個室に乗りますわ」
「では昨夜この駅から乗ったと思われる若い人のことを覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんですとも。実のところその人はそこに掛けていたんですよ。わたしの向かいの窓際の席にね。感じのいい青年でしたよ」
「おおいによろしいです。では、駅を出て少し行くと列車はダーケル踏切でしばし停車します。そのときいつもと違うことに何かお気づきになられませんでしたか?」
「毎晩そこにとまりますが。ああ、そういえばありましたな。いつものように汽車が警笛を鳴らしました。下り列車が十分近づいて汽笛で応答するのを確かめるためですが、その時外に小さな光が見えたのを覚えています。でも全体が窓ガラスに反射しましたね」
「それを見た若い人の様子はどうでした?」
「わたしと同じようにわけがわからないといった様子でした。この辺りはよく知っているけれどその光がなんだか見当がつかないと言っていました」
「ありがとうございました、先生」ホームズは素早く列車から降りた。
「ワトソン、ぼくたちに残された時間は発車まであと3分、だがそれだけあれば十分だ」

フレイザー氏はプラットフォーム上でわたしたちを待っていた。
「お済みになられましたか?」
「最後に一つお聞きしたい、フレイザーさん。この列車は昨夜と同じ車両で同じ順に連結してありますか?」
「はい、そうそうは変わりません」
「では列車の向こう側を調べるために線路に出なくてはなりません」
「いや、それはどうですか、ホームズさん。下り列車が近づいています。危険すぎます」
「手早く済ませます」
それ以上の押し問答をせずにホームズはまた列車に乗ると個室を横切って線路側のドアを開けると下りの線路へと飛び降りた。まさにその時汽笛の音が聞こえた。
フレイザーが声を上げた。「大変だ、ワトソン先生、あれは下り列車が橋を渡っているとこです」
わたしは30秒ほど待った。しかし近づく汽車の轟音を耳にしてそれ以上待てなかった。わたしは大声で叫んだ。
「ホームズ! 頼む、早く戻るんだ!!」
その最後の言葉は雷鳴のようなとどろきを上げながら構内に滑り込み10時59分発列車の隣に高々とブレーキ音を立てて止まった機関車の音にかき消されてしまった。

10

その時わたしの頭に去来していたことは今も定かでない。その身の毛もよだつ一瞬、わたしの目にはホームズがついに戻らなかった空の個室が見えた。わたしは言い知れぬ不安の雲の中を漂っていた。
やがてホームズの頭が列車とプラットフォームの間からのぞいた。進入してくる列車を避けるために停車中の列車の下に潜り込んだのだった。
「ホームズ! 大丈夫か!?」
「この通りぴんぴんしてるよ、ワトソン」ホームズはプラットフォームによじ登った。
「特筆すべきは、やっと殺人犯の名を上げられるということだ」
ホームズはまだ震えのおさまらない駅長に向き直った。
「フレイザーさん、もう列車を出しても結構ですがいくつか条件があります。見たところこのストーヴィー駅には連結を外す施設はなさそうですね」
「確かに。ここには引き込み線がないので」
「ではお邪魔でもこの列車にロンドンまで一緒に乗っていって、到着後にあのお医者の紳士が乗っている客車を押収してパディントン駅に留め置くようにお願いしたい」
「なんとホームズさん! 先生が容疑者なので?」
「いやそうではありません、フレイザーさん。あえて言えばあの車両が容疑者なのです」

狼狽しつつも駅長は感心するほど沈着にホームズの言葉に従って、家族への伝言を残すと10時59分発列車―――それは一夜限りではあるが11時25分発列車となっていたのだが―――に乗り込んだ。そして列車はロンドンに向かって駅を出て行った。

「さてと、ホームズ。改めて言うまでもないと思うが、」とわたしは声をかけた。「いったいなにがどうなってるのかさっぱりわからん」
「まあ無理もなかろう、ワトソン。とにかく頭をひねるような事件だったからね」
「だが、いかにして客車車両が殺人事件の容疑者になれるのか、そこのところを説明してもらえるんだろうね」
「ホース・イン・カラーズ亭へもどったらすべてを説明しよう。だが、まずベス・ミラーをあのひどい拘置所から釈放させて自分の家で眠れるようにしてやらなければならない」

宿の心地よいバーに再び戻った時には夜中もかなりすぎていた。わたしはあの急ごしらえの留置所でホームズがベリー巡査に自分の推理を披露したところに同席はしなかったが、ホームズの説が巡査を納得させたことは明らかだった。とういうのも、ベス・ミラーは直ちに釈放されて今わたしたちと同じテーブルについているからであった。バーの大きなテーブルの前ではサミュエル・カーペンターがよかったよかったと何度も言いながら手持ちの特上のエールをわたしたちにふるまっている。
「それで、ホームズさん、一体誰だったんです? だれが殺したんです?」と、カーペンターは待ちきれない様子で尋ねた。
「それだがね、みんなが考えるほど簡単に答えられる質問じゃないんだよ」ホームズは言った。「端的に言ってしまえば、殺人犯はヘンリー・ウィークスだ」
「つまり自殺ってことか?」わたしは訊いた。
「それがね、ワトソン、なんと言葉を尽くそうがヘンリー・ウィークスが引き金を引いたときはジャック・カーペンターを殺そうという意図のもとだったのは間違いない」
テーブルを囲むカーペンター、ベス・ミラー、そしてわたしの全員がまったく同じわけがわからないといった顔付でホームズが説明を始めるのをまってまじまじと彼を見つめた。

「ヘンリー・ウィークスはジャックを殺そうとあの場所へ行った。列車があそこで一時停止するのを彼は知っていた。そこで窓越しにジャックを撃つつもりだった。ヘンリーにとってすべてが好都合に進んでいた。ジャックはストーヴィー側に座っていたので小径にいたヘンリーからはよく見えたことだろう。さて、ここからはわたしの推測なのだが、ウィークスは狙いをつけて引き金を引き絞ろうとしたまさにその時、汽車が汽笛を鳴らした。おそらく、音に驚いた馬が後ろ足で立ち上って銃尻を蹴ったのだ。前足の傷はその時についた。そして銃が発射した」
「そうか!」わたしは思わず言った。「車内の医者が言っていたあの光だな」
  「その通りさ。音の方は列車の汽笛に紛れてしまったんだろう。蹴られた結果、銃口が下がって狙いも低くなった。弾丸は客車の車輪に当たったんだ。ぼくはその時金属についた傷を今夜あれほど熱心に探していたんだ。弾丸は跳ね返ってヘンリー・ウィークスを直撃したというわけだ」
「だから客車の車輪が殺人犯だったんだな」わたしは納得がいった。
「さっきも言ったように、列車や弾や馬にも従犯として責任を転嫁することはできるかもしれない、すべてがヘンリーの死の原因になっているのだからね。だが実のところ、ヘンリー・ウィークスはまがうことなき詩的正義によって(悪行にふさわしい報いを受けて)うかつにも自分自身の殺人を犯すことになってしまったということだ」

11

翌朝ホームズとわたしは始発のロンドン行に乗った。ストーヴィー駅を出るとウィークスが孤独な死をむかえた現場を通りかかった。
「ホームズ、どうして真相に気がついたんだね?」わたしは訊いた。
「思うに、ワトソン、人の善良さがぼくを真相に導いたんだろう。推理したんじゃない。サミュエル・カーペンター、息子のジャック、ベス・ミラー、みんな善良な人だ。彼らに対するぼくの直観が正しければ殺人の容疑者とはなりえない人々だ。それにウィークスの頭の傷の具合はきみも気づいた通り自殺にしては浅すぎたが、近距離から直撃を受けただけの深さはあった。これらのことがひとつになって弾丸は跳ね返ったのかもしれないという疑いをぼくに持たせたのだ。そして列車を直接調べて確認ができたのさ」
「きみは傷についてまったく正確に把握していたな。あの哀れな男は即死したんじゃない、おそらく寒さの中で血を流しながら死をむかえるまでしばらく横たわっていたんだろう」
「そうだな、」ホームズは言った。「多分その暗澹としたわずかな時間は彼に自分のやり方が間違っていたと思い返すだけの猶予を与えたのかもしれないな」



これでBBCオーデイオブック、Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories 4エピソード終了です。スクリプトの書き起こしはこちらです。曖昧なところがまだ残っていますのでお気づきの点がありましたらお知らせください。

10時59分発列車の暗殺者 2

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories "The 10:59 Assassin"
承前

5

ストーヴィーの駅長、ミルトン・フレイザーは見るからに規律と正確さを信条としていることがうかがえるようなきっちりした身なりをしていた。制服の帽子は半ば禿げた小さな丸い頭の上に隙なく収まり、上等の銀の懐中時計がチョッキの胸ポケットから覗いている。イギリスの鉄道に関する知識では右に出る者のいないホームズはあっという間にこの駅長の信頼を勝ち得てしまった。
「フレイザーさん、ひとつお尋ねしたいのですが、昨夜遅くにロンドン行の列車がありましたね?」
「10時59分発ですな」
「定刻でしたか?」
「はい、いつもと変わらず定刻でした。あの時刻には他の列車はほとんどありませんので」
「ストーヴィーから誰か乗車したか覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんですとも。ジャック・カーペンターという若者です」
「一人だけ?」
「はい。父親が見送りに来ていました。わたしは汽車が出発するのを確認しました」
「そのあとに列車から誰か下りたということはあり得ますか?」
「駅構内ではありません、絶対。そんなことがあれば必ずわたしが見たはずです」
「駅構内では、というと?」
「ええ、といいますのも、踏切のところで列車に近づけるかもしれないからです」
「あの踏切ですか?」
「はい。10時59分発はいつもダーケル踏切で数分間停車します。安全上の予防策です。ソーニー橋の補修が終わるまでは二本の列車が同時にわたると安全上問題があると思われます。それで10時59分発は11時4分着の列車が橋を渡りきるまで停車して待っているのです」
「それは毎晩のことですか?」
「最後に止まらなかったのがいつだったかはっきり覚えているくらいですよ」
「フレイザーさんこれが最後ですが、カーペンターさんが乗ったのはどの車両だったか覚えていますか?」
「3両目の2番目の個室です、間違いありません」
「ありがとう、フレイザーさん。あなたの話はあなたが思っていらっしゃるよりもずっと役に立ちましたよ」

「こうなると考えなければならないことがある」ホース・イン・カラーズ亭に戻って暖炉に燃える火を見つめながらわたしはホームズに言った。「ジャック・カーペンターが停車中の汽車からヘンリー・ウィークスを撃ったのかもしれない」
「確かにその可能性も考えなければならないが、それはどうもありそうもない。どうしてカーペンターは狙っている相手が都合よく踏切のところで待っていると知ることができただろう? それに列車が停車することに何か重要性があるのだろうか? そこが肝心なところだという気がし始めているんだ。だが、実を言うとまだ、どんなふうに肝心なのかわからない」
「じゃあ、食事でもして一晩ゆっくり考えるとしようじゃないか」わたしはしめくくった。

しかしその瞬間にわたしたちの心地よい夕べのひと時は手荒く中断させられた。一人の若い女性が髪を振り乱して叫びながらバーに駆け込んできたのだ。
「カーペンターさん! カーペンターさん!!」
歳のいった宿の主人が厨房から走ってきた。
「どうしたんだ、サラ?」
「べス・ミラーよ。あいつらが連れて行った」
「誰が連れて行ったって?」
「警察よ。あのべリーが逮捕したの。凶器を見つけたんだって」
「何事です?」ホームズが大声を上げた。「べス・ミラーとは?」
「息子のジャックの婚約者です。結婚式は来月に決まっていたんです。正直ないい娘です、それこそ虫一匹も殺せないような優しい子ですよ。今からあの厚かましい巡査のところへ行ってきます!」
ホームズはカーペンターの行く手を遮ると肩に手をかけて男の興奮した目をしっかり見据えながら言った。
「カーペンターさん、わたしの助けがほしいならわたしの言うことを信じなさい。短慮を起こしては目的を遂げる妨げになります。ワトソン博士とわたしがすぐに警察署に行って状況を見てきます。わたしたちから様子を聞くまでは何もしないでいただきたいのです」

6

カーペンターから早まった行動は起こさないという確約をとるとわたしたちはストーヴィー村から離れた警察署へと向かった。署は隣村との中間にあった。重厚な石造りでかつては醸造所だったらしいが、今となっては中世の陰鬱な気配が漂う建物だった。わたしたちはべリー巡査から冷ややかな歓迎を受けたと言っても大げさではなかった。巡査はこの場を仕切っているのはおれだという気分をありありと見せていた。

「はあ、そうですな。確かにここに若い女を拘束しておりますな。殺人の疑いです」
「それでは聞かせてもらいたいのだが、」とホームズは言った。「なぜ彼女はこの犯罪をおこなったと思われているのだろうか?」
「ああ、まだ詳細ははっきりせんのですが、ほんのちっとでも想像力と知性のある人間なら、女がウィークス氏をナイチンゲール小径へ誘い出して……そうですないわゆる"色仕掛け"で何か理由をつけて待ち伏せして、馬をつないでいるところへ弾をお見舞いしたんだということくらいわかりそうなもんです」
「それでは、その知性のある人間はジャック・カーペンターも加担していると考えているのかね?」
「その通りですな。その知性を使って考えれば、事実関係からジャック・カーペンターは明らかに従犯であり、それゆえ有罪です」
「ありがとう、巡査。ところでわたしの鈍い頭の中でまだ納得のいかない点があるのだがそれをはっきりさせるために留置中の娘と会せてもらえないだろうか?」
「申し訳ありませんが、それは許可できません」
「ああ、ではスコットランド・ヤードにいる友人のウェールズの警視からその旨の指示書が来るのを待った方がいいのかね?」
巡査はくちびるをなめると机の上の書類を調べるふりをした。「そうですな、おっしゃるように警視がご友人だというなら、まあ5分くらいなら構わんでしょう」

わたしたちは昔の醸造所の名残をとどめる錆びた鉄の設備が壁や天井にボルトで留めつけたままになっている広い部屋に通された。大きな天窓が一つ、つっかい棒で開いているだけで他には窓はない。20歳そこそこの美しい黒髪の女性が木のテーブルの前に座っていた。入っていくと初めは疑うような目を向けたが、巡査がわたしたちだけを残して出ていくとすぐにわたしたちに信頼を寄せた。それほど必死だったのだろう。



「ミラーさん、許された時間は少ししかありません」ホームズは言った。「だから知っていることをすべて話してもらわなければなりませんよ」
「はい。努力します。あの……わたしはとても愚かなことをしてしまったかもしれません」
「愚かなとは?」
「死体を一番初めに見つけたのはわたしじゃないかと思うんです」
「おや、それは……そこまでは考えませんでした」ホームズは言った。
「わたしはジャックがロンドンへ行くのを見送るつもりでした。ところが農場で牛のお産があって間に合いそうもなかったのです。列車はいつもダーケル踏切で止まるのでナイチンゲール小径を近道して行けば列車にむかって手を振ることくらいはできるかもしれないと思いました。でも着いたときには汽車はもうそこにはいなくて橋を渡っていました。線路から小石がぱらぱら落ちてきたので見ると柵に馬がつないであって脇の道に何かが横たわっていました。近づいてみると誰だかわかりました。ヘンリー・ウィークスが、血まみれでした。そばには銃が落ちていました」
「それであなたは銃を拾い上げた?」わたしは訊いた。
「……はい」
「どうしてそんなことを? どうしてまっすぐ警察に行かなかったんです?」
「だって……銃に見覚えがあったからです。どこかへ隠さなきゃならなかったのです。あれはジャックの銃だったんです!」
わたしは驚きを隠せなかった。「ジャックの銃だって!?」
「ジャック・カーペンターがウィークスを殺したのかもしれないと思ったからあなたは銃を拾った」ホームズは言った。
「はい……それだけが怖かったんです」
「ジャックはもう汽車に乗っていたのに?」
「ウィークスがどれくらいあそこに倒れていたのかわからなかったんです。あんな寂しい場所なのでもしかしたら何時間も前からかもしれない、だからジャックがその日の夜に出かけるなんてどう見てもいいことじゃないでしょう。ホームズさん、本当に何も確かなことはわからなかったんです。でもジャックとウィークス一家との確執はみんなが知ってることです、だからきっとジャックが疑われると思ったんです」
「それでジャックの銃はどうしたんですか?」ホームズは訊いた。
「ショールに包んで肩にかけて家へ持って帰りました。でも、間が悪かったんです。途中でベリー巡査とすれ違いました。きっとあとになってわたしが何か変な物を運んでいたのに首をひねったんでしょう。今日になってうちを探しに来ました、そしてその場でわたしは逮捕されてしまいました」
「だがね、ホームズ」ついわたしは言った。「もし殺人に使われた銃が死体のそばに落ちていたのなら、少なくてもジャックの無実は証明されたんじゃないかね?」
「残念ながらそういうわけにはいかないんだ、ワトソン。ぼくたちは殺人はジャックが汽車に乗っている間に起ったと仮定していた。もしそれよりずっと前に起きたのだとすれば、残念だがジャックもここにいるミラーさんもまだ第一の容疑者だという疑いを晴らすことができないんだ」
「でも、でも、神様に誓ってわたしはヘンリー・ウィークスを殺していません!」
「あなたがやったとは思っていませんよ、ミラーさん。でも警察にそれを納得させなければならないんです。希望をお捨てにならないように」



しかし、ストーヴィーのホース・イン・カラーズ亭へ歩いて戻る道すがら、ホームズはどこか強い確信が持てていない様子だった。
「ワトソン、この期に及んでまだぼくには直観しか手がかりがない。ジャック・カーペンターがウィークスを殺したとは思えないし、あの若い娘がやったとはなおさら思えない。しかし勘や直観は証拠になりえない。バーがまだ開いているうちに急いで宿に戻ろう。心地よい場所で考えれば何かよい考えが湧くかもしれない」
戻ったときには宿はもう看板だったが主人のカーペンターは急いでわたしたちにウィスキーのボトルとパンやチーズを用意してくれた。炉の火はまだ赤々と燃えていたのでホームズが主人にいくつか追加の質問をしている間、わたしは炉の前に座ってくつろいだひとときを楽しんだ。やがてホームズも火のそばの席に戻ってきた。

「ワトソン、事件の容疑者として誰の名があげられるだろうか?」
「そうだな、ジャック・カーペンターとベス・ミラーのほかは……」わたしは声を落とした。「ジャックの父親、ここの主人の可能性もある」
「そのとおりだ。ジャックを駅で見送っているのだから、殺人を犯すためにはジャックも父親もその前にいくらか時間が必要だったはずだ。しかしどれくら前にだろう? いまじっくりと彼と話して来たんだが、彼とジャックは昼中ここにいてベスは農場でずっと働いていたことを証言してくれる人はたくさんいるという、ぼくはそれを信じるよ。ただ、いくらそうでも警察が立件してかれらのうちのだれかを、または全員を起訴したら陪審員が有罪を宣告することは大いにあり得る。全員に犯行に及ぶだけの時間はあっただろうという単なる推測に基づいてね。ワトソン、ぼくらはまだ安心はできないんだ」
「きみが言いたいことはよくわかるよ」
「捜査は暗礁に乗り上げてしまったよ」
わたしはウィスキーのボトルを傾けてグラスを再び満たした。ホームズはひとしきりパイプをふかした。と、突然ホームズが声を上げた。
「ワトソン、鍵はあの列車にある。間違いない。今何時だ?―――11時20分前か。行こう、列車が出る前に間に合うかもしれない!」

わたしたちを乗せてストーヴィーのぬかるんだ古道を飛ばしたのは年季の入った二輪馬車だった。おかげで駅に着いたときわたしたちは泥はねを受け少なからず揺れに閉口していた。しかし10時59分発列車の到着にはゆとりを持って間に合った。運よく駅長のミルトン・フレイザー氏が今夜も当直だった。フレーザーはホームズに明らかに敬意を払っていたが、それでもホームズの要求を聞くと即座に首を横に振った。
「いいえ。10時59分発ロンドン行の発車を遅れさせることなど絶対にできません」
「フレイザーくん、これは軽々しい気持ちでお願いしていることではない。もしわたしが重要な捜査を終えられなければひとりの無実の若い娘さんがその婚約者と同じように今夜拘置所で過ごすことになる。ほんの10分でいいんだ」
「ホームズさん、わたしの評判など世間の標準からすれば微々たるものかもしれませんが、わたしにとってはとても大切なものです。10分も列車を遅らすのは長すぎます」
「あなたの名を汚すことはないとわたしが保証すると言えばどうです?」
「ほんとうに保証していただけますか?」
長い沈思黙考ののちにフレイザーは言った。「よろしい、ホームズさん。おっしゃる通りにしましょう」

以下続く

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories関連記事

10時59分発列車の暗殺者 1

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories の最後の一篇、"The 10:59 Assassin"の試訳です。
取り掛かって長らく放置状態でしたが、最近聞き直して早々に仕上げました。
4編の中では一番起伏がありホームズも快刀乱麻というわけにはいかず、自分の直観を信じながら証拠を求める様は短いながらも物語に陰影を与え楽しめる物語になっています。
例によって数か所曖昧なところがありますが、また解決し次第訂正していきたいと思います。英文は最終回に付記します。

10時59分発列車の暗殺者



わが友にして相棒であるシャーロック・ホームズの手がけた数々の事件捜査をわたしは長年にわたって記録する特権を担っているのだが、それは彼の生涯にわたる仕事のほんの一部にすぎないことは今となってはよく知られた事実である。他の多くの事件は時の流れの模糊とした井戸の中にうずもれて行ってしまう。
しかし、いかなることも全く痕跡や記憶を残さずに消えていくということはない。ときおり古い物語が頭をもたげて手を伸ばしてくる。ストーヴィーの殺人事件もそうだった。

ある朝ベイカー街のわたしたちの下宿にホームズ宛の一通の手紙が届いた。ケント州のストーヴィーにあるパブ、”ホース・イン・カラーズ(千種馬亭)”の主人サミュエル・カーペンターからだった。
今を去る数年前、かの地の悪党アーサー・ウィークスが脅迫、誘拐、恐喝、さらに被害者に重傷を負わせた罪に問われた際に、カーペンターは目撃者として法廷に立った。ホームズは足跡の証拠をつかんで警察に協力した折にこの愛想のいいパブの主人と知り合いになった。事件の解決後はこの静かなストーヴィーの村を訪れることももうなかろうと思っていたのだが、届いた手紙は明らかに切羽詰った調子でホームズの来訪を請っていた。

『拝啓 ホームズ様、四年前にお別れする際に、もし万が一あなた様の御力が必要になるようなことがあればすぐに手紙をよこすようにとおっしゃってくださいましたね。まことに残念ながら、その日が来てしまいました。周囲に恐ろしいことが次々と起こり、まったく途方にくれています。あなた様が逮捕にご尽力されたあの極悪人のアーサー・ウィークスが数か月前に獄死しました。それからというもの、息子のヘンリー・ウィークスに私どもの生活がめちゃくちゃにされています。飼い犬のキャッチャーが撃たれて死んでいるのが野原で見つかりました。死んだ狐がうちの貯水タンクに放り込まれたのも二度になります。脅迫状が届き始めて、お前の旅籠に火をつけてやるとかそのうちに女房に逃げられしまうぞとか脅し文句が匿名で書かれています。そのうえヘンリーはいけしゃあしゃあとうちの旅籠のバーに飲みに来るのです。先週のことでした。息子のジャックが腹に据えかねて大勢の客の前でヘンリーに面と向かって、お前のやり方は度を過ごしている、ただでは済まないと思えと言い放ったのです。そんなことをしなければよかったのに。その二日後にウィークスが頭を撃ち抜かれた姿で発見されました。今ジャックは殺人犯として逮捕されています。ホームズさん、何かお力になっていただけることはありませんか? お願いです、どうぞすぐにおいでください』

ホームズがこのパブの主人に好意を持っているのを知っていたので、数日の間差し迫った用事がないかとわたしに尋ねたときも驚きはしなかった。これがいつもの彼のやり方なのだ。ないと答えると、すぐに小旅行用のカバンに支度するようにとわたしに告げた。こうして一時間もしないうちにわたしたちはケント行の列車に乗っていた。



ストーヴィー村に到着後わたしたちはホース・イン・カラーズ亭に宿を取った。落ち着くとすぐに宿の亭主はわたしたちとともにバーのテーブルの前に座った。大きな暖炉の火が冷気と闘い寒さを組み伏せていた。
「さて、カーペンターさん、お力になるためには、まずわたしの質問に正直に正確に答えていただきたい」ホームズは言った。
「そのつもりです、ホームズさん」
「息子さんのジャックはこのバーでヘンリー・ウィークスを脅したのですね」
「はい、そのとおりです」
「その二日後にウィークスの死体が発見された」
「頭に一発食らって死にました。村から少し出たところでナイチンゲール小径とロンドン行の列車の線路が交差する場所です。近くには彼の馬がつながれていました」
「そして警察はジャックを逮捕しに来た。いつですか」
「その夜です。でもジャックはここにはいませんでした、当たり前です」
「いなかったとは?」
「ホームズさん、ジャックがヘンリーを殺せたはずがありません。ウィークスが殺されたときにはジャックはもうロンドン行の列車に乗っていたんです。あいつは結婚式に着る礼服を買いに行ったんです。10時59分発の列車に間に合うようにわたしがストーヴィー駅まで送りました。わたしからジャックの姿が見えなかったのはほんの一瞬で、ジャックは列車に乗るとわたしは列車が出発するのを手をふって見送りました。ところが警察はそんな説明はいっこうに聞く耳を持たず翌日ジャックがロンドンから戻るとすぐに逮捕して、ジャックは今メイドストンの拘置所に厳重に監禁されています」
「わかりましたカーペンターさん、あなたのおっしゃることは間違いなく真実だと思います。しかしわたしの勘ではこれはかなり入り組んだ事件になりそうな気がします。だから心してください、どうか短慮は慎んでください。我慢が肝心です」ホームズは言った。

カーペンターがほかの客の応対に戻るとわたしは声を落としてホームズに言った。「確かに、あのおやじさんが言ったことが本当なら警察は事件にするはずがない。ジャックほどしっかりしたアリバイがなくてウィークスを殺してやりたいと思っている敵は百人だっているだろう」
「おそらくな」ホームズは言った。「だがね、息子を助けたいと思う一心の父親の証言は法廷ではそれほど説得力をもたない可能性がある。特に警察が先入観でこれと決めてかかっているときにはね。ワトソン、事件に関する事実は明らかになる前にむしろずっと曖昧になるという気がしてならない。さあ、午後を無駄にしないでヘンリー・ウィークスの不運な最期についての詳細を調べるとしよう」

わたしたちを犯行現場に案内したのはベリー巡査という現地の警官だった。頭の硬い現実主義者で、そのでっぷり出た腹を収めるために制服は多分に大きめに作り直されているのだろう。ベリーの態度から、犯人はもう半分絞首台にかけられているも同然なのだから今さら犯行現場へ諮問探偵などを案内するよりもっとましなやることがあるはずだと思っているのがありありと見て取れた。



わたしたちはストーヴィー村から徒歩で現場に到着した。ロンドン行の本線とナイチンゲール小径が交差している踏切から30ヤード(約28m)ほど離れたところだった。
「ダーケル踏切、死体はここで見つかりました」ぶっきらぼうにベリー巡査は説明した。
「フェンスから6フィート(1.8m)、被害者の馬はまだつないだまんまで。死因は弾一発、ちょうどここに」べリーはぼってりした指を眉間の中央に当てた。
「凶器は?」
「銃ですな」巡査は横柄な調子で言った。
「わかっている」ホームズの口調は明らかに苛ついていた。「弾丸で人が殺されたのなら考えられる凶器は火器だ。わたしが知りたいのは凶器が発見されたのか、まだならその銃弾を発射するタイプの銃をだれか持っていたかどうか、そういうことだ」と一息に言った。
「銃は、見つかっとりませんな」
「銃弾については?」
「知ってる限りではまだあいつの頭ン中の短いトンネルの奥に収まってるはずで」
「馬は?」
「ああ、馬が犯人ということはないでしょうや」巡査は薄笑いを浮かべた。
「ベリー巡査、」ホームズは恐ろしいほどに忍耐強かった。「きみはこの捜査でわたしに協力できるのか、それとも他の案内人をよこすようにロンドン警視庁の知り合いに申し出るほうがきみにとっては都合がいいのか?」
ベリーは急にしゅんとなったように見えた。
「ほんの冗談です、ホームズさん。はあ、馬のところにも死体のところにもお連れしますです」

わたしたちは最初に馬を調べた。村の厩舎に警察の馬といっしょに繋がれていた。大きな茶色のスタリオン種の馬でおびえたような眼をしている。若いころには立派な馬だったのだろうが長年にわたって酷使されたせいか今は見る影もない。ホームズは馬をじっくり観察した。馬は落ち着きがなくびくついていてホームズが頭部を調べるために面掛を取ろうとすると嫌がって手を振り払おうとした。わたしは友人が厩舎の仕切りの中で馬の周囲を歩き回るのをハラハラしながら見守っていた。恐れに駆られた馬が体と壁との間にホームズを挟んでしまわないかと案じたのだ。やがて馬の正面まで一回りしてホームズは言った。
「ここに傷がある。鋭い傷だ、見えるか?」
右の前足の蹴爪の関節の少し上に細いけれど明らかに最近できたはっきりした損傷があった。ホームズはまたベリーに向き直った。「この傷は最初からついていたのか?」
「そうでしょうね」
「結構。では、死体の傷の調査にかかれるだろうから死体安置所へ案内してくれたまえ。ときに巡査、きみはどの程度告発された男を知っているんだね?」
「よおっく知っとります」
「彼に気心の知れた友人や知り合いがいるか知っているかね?」
「さあ、よくは知りませんね。あいつはいつも親父のパブにいたんで。二人とも特に親しい……つまり……」
ベリー巡査は不意にことばを途切らせた。しかしすぐさまはっとして動きを取り戻すとやけに事務的になった。目に怪しい光を浮かべて口早に言った。
「ホームズさん。ほら、あそこが死体安置所です。教会のすぐ後ろです。できることならご案内したいんですがやらなければならないことを急に思い出しまして」
そう言い捨てると身軽にほとんど走らんばかりにベリーは村に向かって姿を消した。



「変だな」わたしはホームズに言った。「あれはいったい何だと思う?」
「どうやらあの男の頭に要らぬ考えを吹き込んでしまったようだ。ことがややこしくしならないといいが」ホームズは言った。

死体の検視がロンドンに依頼されていたが、警察の検視官はようやくその朝に到着したことがわかった。もしかするとホームズとわたしが乗った同じ汽車でやってきたのかもしれない。
検視官はヤードリー教授といい、彼とはパディントンのセント・メアリー病院の関係でまったくの知らぬ仲ではなかったのでわたしが検視の手伝いをすると申し出ると彼には何の異もなかった。ヤードリー教授は実直な開業医だった。死因は明らかであるように見えるにもかかわらず解剖を始める前に丁寧に死体の外観を調べた。
頭部の傷は、ほとんど星形といえるくらいのきれいな穴で乾いた血が詰まっている。頭の後部に穴はないので弾丸は貫通していないのは明らかだった。
「現場に凶器がなかったことと合わせて考えても自殺の線は問題外だと思われませんか?」ホームズは言った。「しかし皮膚に火傷もないし、至近距離から撃ったにしては傷口が小さすぎるから、この弾はある程度の距離から発射されたと言えるでしょう」
弾丸は前頭部を貫き側頭葉の深部に達していた。しかしホームズが指摘したように頭蓋骨の穴は小さく、至近距離から被弾した時に見られる大きな骨の損傷はなかった。
「自殺は問題外でしょう」ヤードリー教授も同様の意見だった。

「つまるところ、やはり間違いなく殺人犯を探すことになるんだね」ストーヴィー村へ戻りながらわたしはホームズに考えを言った。
「ああ。誰かがヘンリー・ウィークスを殺したのは確かだ、ワトソン。だが実を言うと今の時点ではそれがだれだかぼくにはまったく見当がつかないんだ」
「じゃあジャック・カーペンターについて考え違いをしていたと思ってるのかい?」
「そうじゃないことを祈りたいね、ワトソン。恐ろしい悲劇かもしれない。だがね、殺人にはいつも哀れな人間が絡んでいるんだとぼくは思うね」
風が冷たいので宿の暖炉の赤々と燃える薪の前でビールを一杯ひっかけたかった。それで次の寄港地はホース・イン・カラーズ亭であってくれと願ったのだが、ホームズはまっすぐストーヴィー駅へ向かった。なんでも大切な面談をしなければならないと言うのだ。わたしは最後の光が空から消えていくにつれてますますつのる寒さにじっと耐えるしかなかった。

以下続く
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トリニティ牧師館の盗難事件 3

承前

「スターキー?」
「いや、スターキーじゃない」
「あいつらのどちらか?」わたしは親指で教区役員の方を指した。
「違う、ワトソン」
「じゃいったい誰だ?」
「ワトソン、きみはあの靴を観察しても何も読み取れることはなかっただろう」
「ああ、まったくなかったね。さらの新品だ。まったく注目すべき点がないことを除けばただサイズがでかいだけだ」
「ところがさに非ずさ、きみ、ペンキがついていないという点が注目すべき点なんだよ」
「何だって?」
「つまり、ワトソン、確かに靴底に白いペンキはついている。だがペンキにまみれた手でどうやったら跡も残さずに靴紐をほどいて靴を脱ぐことができたか教えてもらいたいものだ」
「わかるものか」わたしは言った。「だが、単なる偶然でまったく関係のないだれかがたまたま靴底にペンキのついた靴を茂みに捨てたとは考えられないか?」
「偶然などありえない」ホームズはきっぱり言った。「この靴は間違いなく犯人があそこに置いていったものだ。だが彼がわたしたちに思い込ませようとした意図通りには行かなかったがね」
「犯人が誰かわかっているといいたいようだな」
「ワトソン、犯人はキングスレー牧師本人だよ」
「そんなことがあり得るか、ホームズ? 草原を逃げてから牧師館に戻って遅れずにサムと教会の前で落ち合う時間だけのがあったはずがない。自分を追いかけて野原を走るなんてどうやったらできるんだ?」
「うん、ワトソン、今夜主教に牧師館で会うことになっているのはきみも知っているね。じゃあまず飯を済ませてしまうとしよう。その時に全部説明するよ」

事件の捜査の中間報告を牧師館ですると主教に約束していた。もちろん前回に会ってからまだ時間もそれほど経っていないので主教とてたいした進展を期待してはいないであろうと思われた。ところがキングズレー師のゆったりくつろげる客間に落ち着いてシェリー酒のグラスを傾けるやいなや、ホームズは芝居がかった物言いで高らかにこう宣言した。
「方々、お喜びください。ワトソン先生とわたしは事件を解決しました」
先にホームズと交わした会話の後でさえわたしは事件の真相について他の人々と同じようにまったく五里霧中であったのだが、それをわざわざ披露する必要もないのでわたしはシェリーを静かにすすっていた。
ホームズが宿屋から持ち込んだ袋を開いて、中からわたしたちが川の側で見つけた白く汚れたブーツを取り出すと主教は目を丸くした。懐疑心が顔中に広がっていた。キングズレーも同じく疑問をもったような薄笑いを浮かべ眉を吊り上げた。
「ホームズさん、どうぞ教えてください。あなたのお考えではこれは何なのですか?」と、キングスレー。
「ワトソン先生とわたしはこれをハーディング小路のイバラの茂みで見つけました。大きなブーツは、すなわちわたしたちが探すべきは大きな男だと示唆していました。しかし足跡は彼の歩幅が短いことを示していました。この矛盾点を理解するきっかけをくれたのはジョリー・ブルドッグ亭の亭主です。彼が自分の足のサイズよりも大きな靴を買うのはふつうより多くの靴下を履くためでした。一方わたしたちが追っている犯人は中にもう一足靴を入れられるように大きな靴を買ったのです。そして実際の自分よりもはるかに大きな男の足跡を残したのです。そうではありませんか、キングズレーさん?」

若い牧師は、たとえ何かやましいことがあったとしてもあっぱれなほどに冷静だった。いささかも動揺を見せずに気取った驚きの表情を浮かべただけだった。
「わたくしが犯人だとおっしゃるのですか、ホームズさん?」
「ホームズくん、」主教が重々しく言った。「わたしの知る限りでは、キングズレーくんと聖堂守りはあの突発事件が起きたに日に、実際に犯人を苦心して追いかけたのだと思うが。いったいその告発の証拠は何だね?」
「主教様、」ホームズの声は自信に満ちていた。「キングズレー師はハッチントン聖杯を売却して得た資金を横領したいと思った、そして捜査を欺くために状況証拠をでっち上げようとしたのです。広つばの帽子の幻の男を作り上げただけでなく実際にその帽子をかぶり、コートの襟を立てて数か所に出現して歩き回りマナーズ夫妻の目につくようにした。事件当日は、サム・マナーズを昼食に帰してから牧師館へ戻り例の変装でマナーズくんが食事をしているコテージの窓の外に姿を見せて教会の庭に入った。すぐさま牧師館へ取って返して変装を脱ぎ捨てた、そしてマナーズの奥さんがドアをノックするのを待ち構えたのだ。奥さんにサムに地下室のドアの前で落ち合うように伝えさせた」
「それから、どうしたっていうんです?」キングズレー牧師は怒りのために居丈高に詰め寄った。「わたしはこのブーツを履き、教会の鍵を開けて、地下へ下り、金を盗み、教会から逃げ出して、踏み越し台を飛び越えて草地を1マイルも走り、すぐに1マイル走って戻ってブーツを脱いでサムが来るのを待って、それからまた草地を追跡で走ったとでも? これをすべて2分間の間にやってのけるとはなんと器用な!運動選手でも20分ではできないでしょうに!」
「確かにその通りだ。友人のワトソン先生が明らかにしたように問題はまさに人が草地を走って自分の後を追うことができるだろうか、という点にあった」
「してその答えは?」主教が聞いた。
「キングズレーさん、きみがどの時点で金を盗んだか知る者はないだろう。鍵を保管しているのだからきみは好きな時に盗むことができた。もしかすると金は初めから地下の金庫には入れられなかったのかもしれない。いま話している事件当日にはきみは無駄に時間をつかう必要はなかった。ただマナーズくんが食事をしている間に地下のドアのところまで行って白ペンキの缶を蹴飛ばすだけの時間があればよかったのだ」
「もちろんあらかじめマナーズくんにはその場所の壁を塗る仕事を課しておいた。間違いなくその場所にひっくり返すペンキ缶を置いておくためだけにね。ここが肝心なところだが、こんな手のかかることをしたのもすべてきみが草地を横切る足跡をつけておいたからだ、前の夜の間にね」

「同じ時に底に白いペンキをつけたブーツを茂みに押し込んでおいたに違いない。ただし愚かにも靴ひもにペンキをつけておかなかったのは手抜かりだった」
この時点で、すべての抗う力が抜けて行ったように牧師は椅子に崩れ落ちた。容赦なくホームズが企みを暴くにつれてその場にいたわたしたちは、いよいよ彼が衝撃的な結論に近づいているのを感じた。
「キングズレーさん、前の夜ブーツの底に白ペンキをたっぷり付けてきみの手はペンキにまみれた。草地を横切る道に沿ってハーディング小路まで白い足跡をつけた。そのあと広つばの帽子を踏み越し台のそばに落とすとハーディング小路の脇の茂みにブーツを隠した。かくして『足跡』は翌朝みごとに人目をたぶらかすために準備万端整った。あえて言うならきみはうっかり先に見られないようにマナーズくんを遠ざけておくことだけに注意していたのだ、語弊があるかもしれないが、きみのその『小手先わざ』から」
「だが、しばし待ちたまえ」主教が言った。「もしキングズレーくんが前の晩に帽子を落としたとしたら事件当日にどうしてその帽子をかぶっていられたのだ?」
「ああ、実に単純なことです」ホームズは答えた。「帽子はふたつあったのです。それに、決定的に鍵の問題もありましたしね」
「ホームズ、それは何のことだ?」わたしは思わずたずねた。「鍵が話に上ったことなど覚えていないぞ」
「まさに鍵に関する言及がなかったのは注目に値した。なぜか? 地下室に入るには鍵が必要だった、そしてキングズレーさんはどうして侵入者が鍵を手に入れられたのかというきわどい疑問を持ち出さないのが得策だと考えたからだよ」
キングズレーの蒼白な顔と力の抜けた姿から彼が完敗を認めたことは明らかだった。主教はもうこれ以上の説明を必要としなかった。 「キングズレー、金はどうした? 使ってしまったのか?」
若い牧師は苦々しげだった。
「おれはギャンブラーなんだよ、主教さん。ほんとのところ、ずっとひどい借りがあったんだ。おれは教会の金をすこしずつ使い始めた。いつか大勝したら返そうと思ってたんだ……ところが、金は水みたいに手からこぼれていった。もうほとんど残ってない」
「では致し方ない、警察に任せねばならん」主教は言った。「それに、ハッチントンに新しい牧師を探さなければならない。キングズレー、おまえは監獄という名のずっと暗い教区の管理司祭を長年務めることになるような気がする」



典型的なホームズの「お出かけモノ」です。ベイカー街B221で鬱々としているホームズもそれなりに魅力的ですが、こうしてロンドンを後に地方に来ると心も軽く楽しげです。諧謔的な言動も好調です。
1に書きましたように今回は全文を聞き取りテキスト化してみました。その分時間がかかりましたがいい経験になりました。興味のある方はこちらでご覧ください。

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トリニティ牧師館の盗難事件 2

承前

牧師館を出ると午後ののどかな陽光と鳥のさえずりがわたしたちを迎えてくれた。わたしたちはキングズレー牧師の案内で教会の敷地を巡り始めた。
わたしはすぐさま頭の中にハッチントン村と周辺の地図を描き始めた。軍隊にいたときから習慣的でこれが今の生活の中でも役に立っている。
頭の中に広い農地を思い描くことができた。さしわたしおよそ2マイルの大きな長方形の農地だ。ハッチントン村と教会はほぼ反対の角に位置している。このかなりの広さの土地の四方を公道が取り囲んでいる。
キングズレー師はわたしたちを率いて教会の横から墓地へと続く草むした小道をたどった。
「ここがあの日の朝サム・マナーズが塗っていた教会の壁です。2,3時間働いて12時になったのでいつも通り昼食のためにコテージに帰しました。わたしは本を取りに牧師館へ戻りました。20分ほどたったころ裏口にノックが聞こえました。気も動転したマナーズ夫人が広縁の帽子をかぶった男が教会の敷地へ入っていくのを夫ともども見たというのです。すぐさま戻ってサムに地下室へ入るドアのところでわたしと落ち合うように伝えろと夫人に言いました。そしてまっすぐここへ駆けつけるとあたりはひどい有様でした」
キングズレーは道のすぐ横の地下室のドアへと続く四段ある石段を指差した。階段の横の壁は塗りさしのままだ。
「おそらく犯人はこんなところにペンキの缶があるとは思わずにこの地下室のドアから出てきて、大急ぎで逃げる際に蹴飛ばしていったのでしょう」
まだ乾いていない白い粉のようなペンキが一番下の板石の表面を汚して広がっていた。
「直後にサムが来ました」キングズレーは続けた。「人影はありませんでした。でもすぐにどちらへ行ったか分かりました。みなさんこちらへ来ていただけますか?」
牧師はわたしたちを連れて教会の敷地の境になっている木の柵まで草地を少し進んだ。柵には踏み越し段が設置してあり、その向こうは踏み分け道が草地の中に続いていた。
「これが犯人の逃げた道です」牧師は言った。
踏み越し段の向こうには雑草や丈の高い草の中を見え隠れにでこぼこの踏み分け道が牧草地を横切って遠くへ続いていた。
細い道のところどころに白い点が不連続についているのが見えた。
「推測するに―――白くついているのは逃げた男の足跡ですね」ホームズは言った。
「まさにその通りです。明らかにこの草地を横切ってハーディング小路へと逃げたのでしょう、ホームズさん」
わが友ホームズはうなずいた。踏み越段のところで足を止めた。「ここに白い手形が二つついている、こちらが右手、そして左手だ。男はよほどあわてていたと見える」
ホームズは身軽に踏み越し段を越えて少し草地の道を進んだ。屈みこんで犯人の残した白い跡を綿密に調べて一握りの草を引き抜くとわたしたちのところへ戻ってきた。
「キングズレーさん、ありがとう。ここで必要と思われるものはすべて見ました。他に何か役に立つと思われることはありますか?」
「もちろんです」牧師は意気込んで言った。「家へ戻りましょう」

ホームズはマナーズ夫婦もいっしょに牧師館に来るように求めた。しばらくてキングズレーの家の台所で、マナーズ夫人はみんなにお茶を淹をいれおわり、ホームズはといえば石の床の上をゆっくりと行ったり来たりしていた。
わたしは台所のテーブルにキングズレーとサムと同席していた。赤ら顔をした40代前半のサムにホームズは話しかけている。
「さてマナーズくん、事件の日に帽子をかぶった男を見たのはきみだけだったんだね?」
「はあ、そう思います、だんな。窓のそばに座って昼飯を食ってたんですがね。やつは大丈夫かどうか窺うように何度か道をあちこち見て、まっすぐ教会の敷地へ入ってきたんでさ。すぐに女房に裏口から牧師さんに知らせにいくように言いました」
「きみはコテージで奥さんが戻るまで待っていたんだね」
「そうでさあ」
「時間にしてどれくらい?」
「2分はかからなかったね」
「牧師さんはすぐに教会で落ち合いたいと言ってると聞いて大急ぎで駆けつけましたや」
「そしてキングズレーさんがきみを待っているのが見えた?」
「はあ、そうです。地下室のドアが大きく開きっぱなしであたり中真っ白で」
「ふむ、地下室のドアはきみが昼食を食べに行く前から鍵がかけてあったんだね?」
「はい、ホームズさん。いつも鍵はかかってます」
「そのときペンキの跡が点々とついているのに気がついた」
「そのとおりでさあ。それですぐ跡をたどって追いかけたんで」
「犯人からそう離れてはいなかっただろう?」
「だったと思います、でもあいつは風みたいに足の速いやつだった。あっしらが草地を横切るのに……ふう、4ハロン(1ハロン=約201m)以上あったけど5分もかからんかったでしょう。それなのに全然追いつけなかった。だけど向こう側で決定的なもんを見つけたんでさあ」
「これです」キングズレーが口を挟んだ。「サムが言っているのはこれのことです」
引き出しから白い縁のある黒ベルベットの帽子を取り出した。安物で闘牛の絵にあるピカドールがかぶっている帽子に形が似ていないともいえない。ホームズは帽子を手に取りあちこちひっくり返して見た。
「あっしが見つけたんでさ」マナーズが言った。「盗人に追いつこうと牧師さんの前を走っとったんです。踏み越段を越えたところで道端の草の中にこれがあるのを見つけたんで。逃げる途中で頭から落としたんでしょうや」
「ふむ、まだこれがどんな役に立つかわからないので、よろしければわたしが保管したいと思いますが」
「ええ、どうぞどうぞ」牧師は言った。
「ではここで別れてわたしたちは先へ行くとします。草地の中の道を行きます。犯人の逃げた道をたどってみたいので」

かくてわたしたちは一行と別れて教会を背にして広い草地を横切ってハーディング小路に向かって歩き始めた。
盗難事件からもう一週間あまりになるが草地にははっきりと白い足跡が残っていた。もう一つの踏み越し台で小道は終わっていた。その向こうには木陰になった細いハーディング小路が続いている。
ハッチントン村へ戻るには草地の周囲をぐるりと回る道をどちらに進んでもよかった。そこでわたしたちは、東に進んで教会のそばを通る道でなく西へ行く方を選んだ。足を進めながらホームズは繰り返しあちらこちらに目を向けた。野原や道端、石壁の継ぎ目や茂みや木々に眼を配った。
「何かに気づいたら教えてくれたまえよ、ワトソン」
そうするとわたしは答えた。しかし昼下がりの野原は明るく何事もなく静まり返り、木々では太陽の光を楽しむ鳥たちがたのしげにさえずっているだけだった。

やがて瀬音を立てる小川の橋にさしかかるとホームズは途中で足を止めた。
「あそこに何かある。ほら、見えるか?」と土手を指差した。サンザシの枝が流れの上にかぶさるように張り出している。
「あの茂みの中になにか、見間違いでなければなにか二つある」
わたしたちは小さな橋の欄干によじ登って土手に降りた。サンザシは重く低く垂れこめ、近寄っても奥を見透かすのに一苦労だった。
ホームズは落ちていた腕の太さほどの木の枝で茂みを払いながら進んだ。小さな勝ち誇った声があがり何かが見つかったのだと知れた。ホームズは手を伸ばすと大きな革のブーツをつかんで引き出した。
「ワトソン、どう思う? これはわれわれが探している犯人のブーツじゃないのかね?」
「やけにでかいな。これを履くのはかなりの大男だろう」とわたしは答えた。「底に白いペンキがついている。教会の草地の白い足跡に合うか確めるか?」
「まさにそれだろうよ、ワトソン。だがどうしてここに靴を捨てていく気になったんだろう?」
「おそらく、」わたしは推測した。「犯人はまだ跡を追われていると思っていて、この靴を履いたまま捕まったら犯人であることが見え見えになると思ったからじゃないのかな」
「靴を履いていないのも同じくらい怪しげだぞ」と、ホームズ。
「予備の靴を用意して持っていたのかもしれない。ワトソン、明明白白だ。犯人は地元の人間だよ。面が割れるのを恐れていなければどうしてあんなに手の込んだ変装をしなけりゃならない? さあ、ジョリー・ブルドック亭へ戻ろう。つまるところあそこには地元の人間が集まってくるのだから」

案の定わたしたちが戻ると先ほど会った教区役員のジョン・ハンプトンとマシュー・ウィンズロウは同じ席に戻っていた。そもそも席を離れることなくずっとそこにいたのかもしれない。テーブルに就くとやおらホームズは茂みで見つけたブーツを自分の横の床に置いた。二人は興味津々の面持ちで靴を見た。主人のスターキーが注文取りにやってくるなり聞いた。
「旦那がたの靴かい?」
「いやわたしたちのじゃない。ハーディング小路の茂みで見つけたんだ」とホームズ。
「へんな物をすてるやつもいるもんだ。おれにはどこも悪くみえねえがね」
「ほとんど履いていない」ホームズは答えてすぐに尋ねた。
「このブーツはきみの足に合うかね、スターキー?」近くのテーブルを見やりながら付け加えた。「それとも、そちらの方のどちらか?」
「おれには合いませんや、旦那」スターキーはたちどころに答えた。思ったより愛想がいい。
「たしかにおれの靴はバカでかく見えるけどね……でもおれの足はそれほどでかくないんで。ただ豆ができて痛むんでね」
「大きい靴が足の豆の痛みを和らげるって?」わたしの経験からすると痛む豆に悩む人はまったく逆のことを言うからだ。
「いや、そうじゃなくって。痛みを抑えるために3足厚いソックスを履かなきゃならんのですよ。だからいつも足のサイズより大きい靴にするんでさあ」こういうと、皮肉っぽくつけ加えた。「どっちにしても気に留めてくれてありがとうさんよ」
隣のテーブルのハンプトン氏が尋ねた。「ひとつお聞きしてもいいかな?そのブーツがどうして気になられるのかな?」
「いま行っている調査で、このブーツは……いわば科学的な重要性があるんですよ」ホームズは答えた。
そして二人が疑わしげな面持ちで向こうを向くとわたしに小声で言った。
「思った通りだ。ワトソン、犯人がわかったよ」

3へ続く

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トリニティ牧師館の盗難事件 1

BBC制作のオーディオブック "Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories"の第三話、"The Trinity Vicagage Larceny"の全訳です。今回は原文もすべて起こしました。最後に付記したいと思います。

トリニティ牧師館の盗難事件

ある晴れた春の日の午前のことだった。シャーロック・ホームズとわたしは紫衣を着たふくよかな男性の訪問を受けた。開いていたデイリークロニクルからふと目を挙げるとドアのところに彼の姿が見えたというわけだ。
紫衣の紳士はケントの主教だった。ホームズの以前からの知り合いだったがこの部屋を訪れる他の人々の御多分に漏れず心中穏やかならぬ深刻な問題を抱えてきたように見受けられた。
コーヒーとタバコを勧められてやや落ち着きを取り戻すと主教は促されるまでもなく心に秘めた話を始めた。
「方々、わたくしの抱えている問題というのは不運な若い牧師のことです。才能もあり将来が期待されていて教区でも人望のある若者なのですが、図らずもいま大変な苦境に陥っています」
「興味深いお話ですな」ホームズは言った。
「覚えておられるかもしれないが、」と主教は続けた。「ハッチントンのケント・ヴィレッジにあるトリニティ教会は昨年特筆すべき発見でニュースになりました」
「覚えておりますとも」わたしは言った。「地下納骨堂で非常に価値のある銀製の杯がみつかったんでしたね」
「そのとおり、ワトソンくん。素晴らしい中世の遺物でハッチントンの聖杯と呼ばれています。重さはおおよそ22ポンドで、ハッチントン教会の修復を進める費用をかなり補えると考えてわたしも認めたうえで大英博物館に売却しました。教会の建設の開始を一時延ばしていたキングズレー牧師は売却して得た資金を教会地下の金庫に保管しておいたのですが、それが昨日盗まれてしまったのです。ホームズくん、考えてもみたまえ。もしこれが新聞に漏れたらどんな大騒ぎになろうか、もちろんキングズレーとハッチントン教区の汚名となるだろう。教会の名を守るためにはいったいどうすべきか誰にもわらない。いかなる手を尽くしても金を取り戻し犯人をつかまえなければならないのです。わたしの言う意味がお分かりですかな、どれほど費用が掛かってもですよ、ホームズくん」
「さしあたり今のところ料金についてはご心配にならないように」ホームズは言った。
「そもそも、窃盗事件にかかわりがありそうな人について何か手がかりはあるのですか?」
「よくわからないが、事件の直後にキングズレーは犯人の正体を暴こうとして牧草地を追跡したのだが、結局大したことはわからなかったようだ」牧師は言った。
「そのお若い方に直接お会いした方がよさそうですね。できるだけ早く。ワトソン、何日かぼくといっしょにハッチントンへ行く都合がつけられるかい?」
「お二人とも、恩に着ますよ。来られるときにはトリニティ教会の僧坊に泊まられたらいい。それとも……もし宿屋がお望みならジョリー・ブルドッグ(愉快なブルドッグ)亭というところもあるが」
「ああ、ジョリー・ブルドッグですか。まさにわたしにうってつけに聞こえますね」ホームズは言った。

翌朝私たちはハッチントンへと向かった。腰を落ちつけた先は居心地はよさそうだがいささかくたびれた旅籠、つまりジョリー・ブルドッグ亭だった。
宿の主人、スターキーはぶっきらぼうな男でホームズより数インチばかり背が高く、天井の梁に頭をぶつけないように器用に屈んで避けながらごついブーツをはいてどすどす歩き回って客の世話を焼いていた。
スターキーはむっつりとわたしたちにパンと少し硬い冷たくなった肉の遅い軽食を出した。そして誰もかれも午後の二時半過ぎに昼食を食べたいというんなら昼食と夕食の間に摂る食事に名前をつけなきゃならんと文句を言った。
「残り物」ホームズはいたずらっぽくスターキーが聞き耳を立てられるくらいの声で言った「……それがぴったりの名前だろうね」
パブの主人はいまいましげなうなり声を漏らして離れて行った。わたしはホームズの方に身をかがめ小声で言った。
「あれがいい例だよ、いかに頭まで回る力が少ないやつほどうぬぼれが強いかってね(原文:自分のサイズの靴よりも自分を大きく見せる=うぬぼれる)」
「むしろここに来た様子から見るに彼のブーツは足より大きすぎるのではないかな」ホームズは穏やかに言った。
近くのテーブルにいる二人の紳士がわたしたちの話を聞いて笑っているのに気がついた。
「スターキーのことはあんまり気にしなさんな」一人が愛想よく話しかけてきた。「たくさんの客の相手で疲れとるんだよ」
紳士はジョン・ハンプトン、連れはマシュー・ウィンズロウと名のった。わたしたちはハッチントンヘ来た目的を明らかにしなかったけれども、彼らにはわたしたちが来ることがわかっていたようだった。やがてこの二人は教区役員会のメンバーであることがわかった。二人は盗難事件については詳細を知らされていたが、急いでまだ世間には知られていないと請け合った。
「ぜひとも首尾よく解決して盗人をつかまえてくだされ。わしらはあの若い牧師さんが気に入っておる。あのことがあってから大層悩んでおられるようだ」

キングズレー牧師の住まいはハッチントン小路からわきにそれる短い石畳の小道をたどったところにあった。教会は牧師館から少し奥で、西側にはほどほどの大きさの墓地が広がり反対の東側からはハッチントン小路に直接出られる道がある。一群れの果樹が陰を落としているあたりにチェリー・コテイジがあった。後にそれは聖堂守りの夫婦の住まいであること明らかになった。

キングスリー牧師は30代前半で背は低いが整った顔だちの男だった。僧服は非の打ちどころなく端正に整っていた。昨今の苦境で明らかに痛手を受けているようだが、落ち着いた様子で言葉も歯切れよく、落ち着きのある内装を施した客間にわたしたちを迎え入れてせいいっぱい歓迎してくれた。敷き詰めた深みのある色合いの厚いカーペットや刺繍のクッションは彼が繊細な好みを持っていることを物語っていた。
「お二人をお迎えできて心強く思います。主教様があなたがたについていろいろなことをお話くださいました。複雑に入り組んだ難事件を次々解決されたことなどです。ただ問題があります。ご存じとは思いますが、わたしたちは盗賊が逃げたのを目撃したのに正体を暴けませんでした。しかしながら、あなたのご高察をいただければそれに啓発されてわたしにとっては曖昧模糊としたいくつかの点に解決の光がさすかもしれません―――もちろんわたしが適切な問題点をお示しできればですが」
「そうなればわたしもうれしいことです、キングズレーさん」ホームズは言った。
「まず手始めに、最近この瀟洒な部屋で会合がありましたね。見たところ3人の方を除けば4人目はあなただったようだ。肘掛のない椅子は別の部屋に片付けられたのですね」
「こ、これは……どうしてそれがお分かりになりましたか?」
「ああ、簡単なことです。窓の側のカーペットの上に4脚分の椅子の跡がついています。ゆえに4人集まったと考えました。だが室内にはそれに合う脚の椅子がない」
「おっしゃる通りです。まったく言い当てていらっしゃる」キングズレーはぱっと顔をほころばせて言った。「毎週行っている教区の役員会が昨日あったところです。昨日聖杯を売却した金が盗まれたことを初めて役員のみなさんのお耳に入れたのです。犯人が捕まるまで役員の間だけに内密にしておいてもらいたいのですが……」牧師はここで言葉を切った。
「キングズレーさん、続けて」ホームズは促した。
「ところが、役員の方々は2週間前に聖杯の売却金を教会の地下の金庫に納めておくとわたしがご報告した時にいらっしゃったのと同じお3人だったのです。この事実を知っているのはその方々とわたしだけだったのですから、みなさんが真正直な方であるかもはや確信が持てなくなりました。本当に憂うべき不運なことです」
「すべて現金だったのですね?」
「はい、ホームズさん」
「現金にしておけば教会の補修工事に地元の人を日決めで雇って支払いができるからです。毎日だれかが壁塗りを仕上げるたびに銀行へ走っていって賃金を引き出してくる時間はとてもありませんから」
「現金は厳重に保管されていたのですね?」
「はい。地下納骨堂には金庫があって教会のささやかな宝物も保管しています」
「地下室自体にも施錠していますね」
「ええ。入れるのは教会内部からと庭に続く扉のところからですが、どちらの扉も夜には施錠します……ホームズさん、どうかこの苦境を救ってください。もし金が取り戻せないとなると信徒の方々に会せる顔がありません」 
  「ではお邪魔でももう一度事件のすべてをワトソン先生とわたしに話してください」
「はい、わかりました」

「……2週間前の月曜日、午前11時頃この窓から外を眺めると男の姿が見えました、……ええ、確かに男だと思いました。墓地の屋根付き門付近に立って教会の敷地を覗いていました。このときにはひどくツバの広い帽子をかぶっていること以外に特に注意はしませんでした。帽子を目深にかぶり、しかも襟を立てていたので人相のほどは見て取れませんでした。申し上げたように身のこなし方から女ではなかったのは確かです。男がハッチントン小路の方へ取って返して村に向かうまで優に10分、わたしは男を見ていました。同じ日の午後、二階の窓からまたその男を見たのです。こんどは遠くの小路の側で木の下に立って、またなんというかこちらの教会と敷地を伺っているように見えました。念入りに正体を隠すような様子に自然とわたしの警戒心が頭をもたげました。この男を二度目撃したあと、その夜わたしは、ワトソンさんあなたが今座っておられる椅子にかけていたとき、まさに晴天の霹靂のごとく、はっとある考えに思い当りました。なぜもっと早く気づかなかったのか不思議に思われるでしょう。この不審者は地下金庫に入れてある現金を狙っているのではあるまいか。この不安な予感がひらめいてわたしは聖堂番のサムとメイのマナーズ夫婦に話をしました。二人はご覧になった屋根付き門のそばのチェリー・コテイジに住んでいます。裏口からこの家へ来る近道があってわたしに用があるときには彼らはいつもそこを使っています。わたしが彼らに言ったのは、皆さんもそう思われるでしょうが、これは何か問題になると思ったからです。もしも二人がこの不審な人物、いや誰といわず知らない者が教会の敷地内にいるのを見かけたらすぐに知らせるように頼みました。どうやらこの帽子の男はわたしの動向を探り始めているように思われた節がありました。というのもまずメイが、次いで夫のサムが実際にその男を見たことがあると言ったからからです。いよいよ現金が狙われるのが差し迫っているという危機感を持ちました。わたしはこの脅威が去るまでは牧師館や教会の敷地から離れまいと心に決めました。そしてマナーズ夫婦にもし不審者をまた見かけたら近道を使ってわたしの住まいにすぐに知らせに来るように、しかしどんなことがあっても近づかないようにしかと申しました。そして、いよいよ事件当日です。その日サム・マナーズは教会の壁を白く塗っていました」
キングズレーの話がここまで来たときにホームズは立ち上がった。
「キングズレーさん、わたしたちも教会の土地回りを知っておいた方がよさそうなので続きは外で話してもらえますか?」

2へ続く

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13号列車の謎 改訂版

BBCのオーディオブック、シャーロック・ホームズ/再発見された鉄道の話、その他の第二話「13号列車の謎」の改訂版です。
不明な点をネイティヴに聞いて加筆訂正しました。以前の投稿へ上書きしようかとも思いましたが、3部に分けてあったりして作業が邪魔くさいのでここに一括して載せることにしました。ご興味がある方はご覧ください。

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13号車列車の謎

ある10月の朝、暗い雲から雨は絶え間なく降りしきり、ベイカー街221Bはすっかり降り込められていた。わが友シャーロック・ホームズもまた鬱々とした気分でいるのが見て取れた。このところ何週間か事件の依頼がなかったからだ。すくなくとも彼のいう「まともな」事件にお目にかかっていなかった。ここ二日間も家の中をパイプをふかしながら不機嫌に歩き回っているのだった。外の通りを馬車が速度を落としながら近づいてくる音が聞こえたのはホームズとわたしの双方にとって救いだった。わたしたちは期待を込めて窓辺ににじり寄った。ハンソム馬車が(屋根付き一頭立て二人乗り馬車)が家のドアの前に横付けに止まった。やがて身なりのいい大柄な中年紳士が土砂降りの中に降り立ち、御者に料金を払うと呼び鈴を鳴らした。

ホームズは笑いを浮かべている。
「さて、あの金持ちのアメリカ人がパディントン駅から大慌てでここに駆つけるほど悩んでいるのはどんな問題なのだろうね、ワトソン? 」
「アメリカ人だって?」ホームズのおなじみの人をじらせるゲームに、いつものようにこらえきれずに引き込まれてわたしは聞き返した。
「間違いないね。それにかなり厄介な性格だと見た」
「どうしてそれがわかったかぼくに言いたいんだろう、ホームズ?」
「国籍については、狼狽していて馬車代をポケットに入れたポンド銀貨で払うことに思いつくまでアメリカのドルで払おうとしていた事実から推理した。同じく、パディントンからという点はきわめて簡単なことだ。辻馬車の御者はヘンリー・ブラウン、きみがあの男を見分けられなかったのには驚きだが、あいつはいつもパディントンの馬車乗り場に詰めているだろう? いつものことだが、こういった月並みな観察についてはきみに謝らないといけないね、ワトソン。だが、きみが聞いたからさ」

そうこうするうちに階段を上がる足音が聞こえた。ハドソン夫人が訪問者をわれわれの部屋に案内してきた。
わたしは新しい難問が現れるのを期待して友人の機嫌がよくなっているのに気がつき内心うれしかった。そしてどうか彼の抑圧されたエネルギーを振り向ける価値のある依頼であってくれと心の中で祈った。
ドアが開くや、明るいクリーム色のスーツを着た大柄な訪問者が室内ににずかずかと入ってきた。舞台に登場するとすぐに強烈なイメージを観客に焼き付けてやるぞと意気込んでいる役者のようだ。
「ホームズさんですな!」アメリカなまりの大声が響いて、突出された両手がわたしの右手をぐいと握った。「ベネディクト・マスターソンと申します。お目にかかれて光栄ですわい」
「こちらこそ。でもわたしは医師のジョン・ワトソンです」わたしは応じた。「こちらが、シャーロック・ホームズ氏」
先ほどと変わらぬ大声でわたしに詫びを言い気取ったしぐさで会釈をすると男は友人の方に向き直った。
「あー、そうかそうか。いや、わかりました。間違った、これはとんだ間違いでしたわい」
どうやら最初に友人のわたしの方をシャーロック・ホームズだと思いこみ、予想とは違ったと感じたのだなという印象を受けた。
「ホームズさん、どうかわたしのために謎に満ちた厄介な仕事を引き受けていただきたい」
「お座りなさい、マスターソンさん。そしてすべてを話してください」ホームズは言った。
クリーム色の巨体がアームチェアに収まり、勧められるままにタバコに手を出した。不安げに立て続けにタバコを吹かしながらこのアメリカ人はわたしたちに顛末を語った。

「わたしは金を扱っております。方々、金こそ、わが人生です。父はネバダ州に小さな金鉱を持っておりまして、そのおかげでわたしどもの暮らし向きは楽でした。わたしの代になって慎重な取引を重ねてこの資産をもとに財をなしたわけです。ロンドンには先週参りました。お国のイングランド銀行から金の準備高を引き上げるためにかなりの額の金の延べ棒の注文を頂きましてね。金塊はブリストル港へ荷揚げして、昨日チャーターした特別列車でロンドンの銀行へ向けて運びました。わたしは書類仕事があるので少し前からロンドンに滞在しておりまして、それはもう半端な量じゃありませんでした。それで今朝パディントン駅へ委託品を受け取りに行ったところ、確かに列車は到着していましたが、金は……ありませんでした」
「なるほど」と、ホームズ。「盗まれたと」
「間違いなく」
「いくらになります?」
「400万から500万ポンドというところでしょうか、ホームズさん」
「大変な損害だ。金に保険はかけてありますか?」
「もちろん。ですが、保険会社ってやつは、ご存じのとおりやつらは疑い深い。それに金が消えた状況というのが、控えめに言ってもかなり不思議なもんで……」
「よろしければ、そこのところをもっと詳しく、マスターソンさん」友人は言った。

「そうですな……」長くなったタバコの灰を灰皿の縁ではじいて落としながらマスターソンは言葉を継いだ。
「総裁に特別仕立ての夜行列車をお願いしました。だが決して目立たないようにと強く念を押しましたよ。武装したり護衛をつけたりして特別に警備されている列車だと見えるようなことは一切なしにしてほしいと言いました。すると用意されたのは一週間に一度ブリストルからロンドンに無人で回送される貸切の旅客列車でした。鉄道員たちは冗談でその列車を悪運臨時列車(Bad Luck Special)と呼んでましたんな。なに、今までに何か悪いことが起きたっていうんじゃなくて、いつも13両の空の客車をつないでいたからなんですがね。今回もそうでした。金は鉄製の箱におさめるようにしかと言いつけました。それぞれの箱には違った個別の鍵をつけるんです。ごぞんじのように金とは重いものですから、箱ごと持ち運べるだけしか容れられません。列車が走っている間に外の箱ごと動かされる可能性をつぶすために、容器は列車の開いたドアよりは小さく、しかし窓からはスライド窓が全開になっていても大きくて出し入れできないように、間違いなく取り計らいました。金塊を運ぶ車両はロンドンに到着するまで開けられないように外側から施錠できるように替えました」

「機関士と機関助手を別にして、そのとき列車は無人だったのですか?」
「いや、ホームズさん。鉄道の慣習で、うちの列車には護衛が一人付くことになっとります。わたしもこの慣習には喜んで従っとりました。委託貨物には運送中にずっと見張りがつくということで、このために委託の荷はすべての鉄製容器に入れて最後尾の列車に積むことにしました。つまり13号車ということです。これで護衛は積み荷から目を離さずにいられるというわけです。この仕事に雇われのはジョン・ライアンズという経験のある信用できる鉄道会社の職員です」
ここで不思議なことにマスターソンは言い淀んでふっと笑った。
「あー、彼はフランスの鉄道で働いたことがあるか聞きたいもんですな。ほら、護衛のライアン(guard Lyons)って……リヨン駅(Gare de Lyon)と音がそっくりじゃありませんか」
ホームズは礼を失しないように笑ってうなずいた。
「すみませんな、方々。どうか大目に見てください。洒落の魅力には勝てないんですわ。さ、続けましょう。列車は予定通りに今朝3時にブリストルを出発しました。それがパディントンへ着くまでに6つの鉄製の金塊の箱が消えちまったんです。ホームズさん、これはまったく考えられない窃盗だ。列車は水補給のために一度だけ数分間停車しただけです。この時間じゃ金塊の箱を一つだって下せやしません。100ポンドはおろか、たったひとつだって150ポンドの重さはあるんですよ」
「それで護衛は?」ホームズは訊いた。
「ライアンズの申し立てでは、行程のどこかで眠り込んでしまって目が覚めたら金塊が消えていたというんです。彼と機関手、機関助手をパディントンに留め置いていますが、全員が強く身の潔白を訴えています」

「他の容疑者を考えてみたい。あなたの会社でだれかこれで利益を得る立場にある者を思いつきますか?」
マスターソンは口元を引き締め、戸惑っているように見えた。
「ここだけの話しにしていただきたいのだが、別居中の妻ローラは今でもかなりの会社の株を保有しています。持ち分はもっとたくさんにならないといけないと思っているようです。ああ……この件に関してはいささかつらいものがあります。しかし、ローラのことはよくわかっています。あれが盗んだとは絶対に思えません」
「ありがとう、マスターソンさん。確かにこの件お引き受けしましょう」ホームズは簡潔に言った。「よろしければブリストルに電報を打ってドクター・ワトソンとわたしがあちらに向かう旨お知らせ願えませんか?」
「わかりました、いたします……ということは今日あちらへ行かれるということですか?」
「その通り。パディントン駅でひとつ調べ事を済ませたらすぐに」
「おお、それはありがたいことです。この悪運号の一件を任せられる人はあんたを置いては他にはありませんや。だってほら完璧な鍵のホームズ氏―――sheer lock homesっていうんだから!はっは!」
ホームズは今度は笑わなかった。
「マスターソンさん、わたしは何かを偶然に任せるということは決してしません。忍耐と理性がわたしの使う道具です」
「お許しを、ホームズさん。さっきも言ったようにどうしても駄じゃれの魅力に逆らえないんで」
「進展があればすべて連絡しましょう」とホームズ。

30分もしないでわたしたちはパディントン駅へついた。しかしブリストル行の列車に乗る前にホームズは件の『悪運号』がちゃんと保全されているか確めることを望んだ。列車は引き込み線に移されていた。それに警察の担当者がたまたまスタンリー・ホプキンス警部だったことに安堵を覚えた。彼は若いがなかなか野心にあふれた刑事でホームズとわたしは以前にいくつも一緒に事件の解決にあたったことがある。マスターソンからわたしたちがこの事件調査にかかわることを聞いて、ホプキンスはわたしたちがロンドンに戻るまでこの列車に誰の手も触れないように監視していることを了承してくれた。

ブリストルに到着した時もまだ雨が降っていた。わたしたちは駅の主任のジョージ・ウィリスにあった。50代の愛想のいい男でこの職を一生の仕事としていることに満足している好印象を受けた。しかも仕事についてはすべてに通暁している。ウィリスは昨晩も勤務についていたので直接われわれを金塊を運搬した列車が出た貨物用プラットホームまで連れて行ってくれた。彼は捜査のために力添えの労は惜しまなかったものの、ひどく疲れているように見えた。
「方々、お見苦しい姿をしていますがお許しください」ウィリスは言った。「昨夜は夜勤で臨時列車を送り出したあと上がろうとしたときにロンドンから窃盗の報せが届いたもので、それ以来寝ていないんです」
「長くはお引きとめしませんよ、ウィリスさん」ホームズは言った。「金塊の箱が積まれたときにここにいたということですね」
「おりました。わたしが自分で指図しました。まさにこの場所から警備車両への積み込みを見ていました。そのあと残りの車両を引きこむように合図をだしました」
「警備車両は荷積みが終わるまではほかの車両と連結しなかったんですね」
「その通りです。残りの車両は側線に入れてあり出発の直前に連結したんです」
「本線に引き入れたのは?」
「機関士のトミー・マリアットと機関助手のパット・マクレンシー」
「熟練者ですか?」
「ホームズさん、自分の手足とまではいかないものの、ここ10年ばかりずっと一緒に仕事をしてきた気心の知れたやつらです。どちらもまっとうな男たちです」

「結構。もう少し我慢してお付き合いしてもらいましょう。金そのものについてもう少し。荷積みに直接かかわったのは何人ですか?」
「ひとつの箱を積むのに4人必要でした。2人が中に入り2人が外から。あのくそ重たい箱、こりゃ失礼、ひとつが100ポンド以上もあるくせにあのひどく狭いドアから無理に積み込むんですからそれはもうなんとも大変な仕事で」
「完全に終えるまでにどれくらいかかりましたか?」
「仕事にかかったのが12時半ころで、終わったのが2時15分前だから……おおよそ80分くらいというところでしょうか」
「では荷積みがおわってから出発までに遅れはありましたか?」
「いいえ、ありませんとも。サイレンを鳴らして残りの列車をバックさせて引き込み、護衛のライアンズが乗車して、そのあと金塊の乗った車両は指定通り外から施錠しました」

「ウィリスくん、よければ最後の質問を。列車は途中で一度止まったと聞いているが―――」
「そのとおりです。水補給のためにしばらくスィンドンへ止まるように最初から予定されていました」
「それ以上長く止まっていたということも、ほかの場所で止まったということもないのですね?」
「いいえ、ありません」
「1分以上の遅れが出たら信号手が気づくはずです。そこはもう確めました」
ホームズはしばし考え込んでいるようだった。これらすべての情報を考え併せたのちに口を開いた。
「ウィリスくん、詳しい話をありがとう。きみの記憶には曖昧な点は無いようだ。では、われわれはこれで失礼しよう。ドクター・ワトソンとわたしは次の汽車でロンドンへ戻ることにする。きみは家へ帰ってぐっすり眠りたまえ」

パディントンに到着するとホプキンス警部が待っていた。ホームズは直ちに昨夜悪運号を動かしていたわずか3人の鉄道員、機関士のマリアット、機関助手のマクレンシー、護衛のライアンズへの聴取ができるように求めた。
パディントン駅のプラットフォームのはずれにある陰気な鉄道員詰所の暗い事務所だった。3人は陰鬱な面持ちで粗末な木製の椅子に座っていた。どうやらこの気の滅入る場所にもう数時間も軟禁されているようだった。ホームズとわたしがライアンズに名のるものの、彼はようやくうなずくほどの元気しかなかった。しかし彼は何とか言葉を発した。マフラーでなかば覆われた口から出る言葉はくぐもっていた。
「ホームズさん、話からあたしのことを盗人だと思ってらっしゃるんでしょう……でも、違うんです。あたしは盗人じゃありません。あたしのしたことは職務不履行でさあ。だから、そのことで罰を受けてもしかたがないんでしょう」
「ライアンズくん、きみに保証したいのだが、わたしがここに来たのは真実を明らかにするためだ、わたしはまちがいなく真実を明らかにするつもりだ。もしきみが言うようにまったく身に覚えがないなら、法による罰などなにもおそれることはない。さあ、どのように任務を遂行できなかったかわたしに話してみたまえ」
「あたしは積み荷から目をはなすつもりはありませんでした。ところが眠り込んでしまったんで。いつもはこんなことはないのに、今度に限って……」
「目が覚めると金塊が消えていたというわけだね」
「まさに悪夢でさあ。すぐにコックを引いて列車を止めるべきでしたが、頭がちっとぼうっとしていて……」
「どれくらい寝ていたと思う?」
「思いますに、おぼえているのはスウィンドンの少し手前のホワイト・ホース谷を抜けているところで、目が覚めるとラムジー水塔から10マイルほど過ぎたところでした」
ホームズは機関助士のマクレンシーのほうを向いた。服が真っ黒だ。
「水補給のための止まった時に何かおかしいと気がついたことはなかったかね?」
「いんや、だんな。真っ暗闇でボイラーから出る光のほかは灯りもねえ。汽車から20フィートも離れりゃ何にも見えなかったよ」
ホームズはふたたびライアンズ話しかけた。
「昨夜の出来事を話してもらいたい」
「ええ……昨夜は午前1時からの夜勤だったので12時ころに鉄道員食堂でブラウン・エールをいっぱいひっかけて乗車中に食べるサンドイッチと缶入りのお茶を買ったんで」
「お茶とサンドイッチだけ?」
「はあ…、あ、それにシードケーキを一つ。こんな細かいこといいんですか」
「細かすぎて困るというようなことは絶対ないから。話を続けてくれたまえ」
「で、1時半ころにあたしは真っ暗な貨物用プラットフォームに行きました。ちょうど金塊の荷積みが終わってほかの車両が引き込まれてくるとこでした。スーツを着た紳士から最後の指示を受けました。機関士と機関助手、ここにいるトミーとタップとあたしにまっすぐにロンドンに向うように、一か所で短時間止まることになっているがどんな事情があっても3分以上はかからないように。万一緊急事態が起こっても列車を離れないこと。ここであたしは金塊と同じ車両に乗って外から鍵をかけられました。その時ちょうど午前2時でした。そして出発しました。出てから30分くらい経ったときサンドイッチを食べてお茶を少し飲みました。晴れた夜であたしは窓の側にすわり星を見てました。すべて順調に進んでいきました。そして……うたたねをしたに違いありません。ああ……そのあとはもうご存知でしょう」
「ありがとう、ライアンズくん」そう言ってホームズは若いホプキンス警部に向き直ると眼に新たな鋭い光を宿して言った。
「ホプキンスくん、よければこれから列車を検分しよう」

わたしたちは線路に沿って機関車庫へ向かった。蒸気機関車を検分してから13両の客車をひとつずつ調べて行った。金塊が積まれて警備がついた13号車にたどり着くまでわたしは注意して車両の数を数えて行った。
「これで確認できた」ホームズはホプキンス警部に言った。「列車のドアは運行中は外側から鍵がかけられていた」
「その通りです、ホームズさん。連結部のドアを抜けて列車の中を移動することはできたんですよね?」
「確かに。他の車両はどうだね?」
「 調べました。外側のドアはこれも鍵がかかっていました。でも犯人たちが容器を隣の車両に移すことは可能だったでしょうか?金塊の入った箱は大きくて連結部のドアを抜けらません。すべてが注意深く計算されていたんです」
「箱を開けられなかったのは本当に確かなのかね? もしかして金塊がひとつずつ箱から抜き取られた可能性はないのだろうか?」わたしは思いきって口をはさんだ。
「開けられなかったのは確かです。もとの鍵がなければね。それぞれの箱に違う鍵がついてましたから」ホプキンスが答えた。
「それに、ワトソン」とホームズも口を添えた。「もし開けられて金塊だけがなくなっているなら箱はここに残っているはずだ。そういえばホプキンス、列車は今朝ドアが初めて開けられて事件が発覚した状態のまままになっているんだろうね。わたしの指示通り何ひとつ手を触れていないだろうね?」
「申し上げたように何も触っていません」
ホームズは列車の内装に特に鋭い視線を走らせると、やおら床に屈みこみ何かを拾い上げた。
「茶色の紙だ。おそらくライアンズのサンドイッチの包み紙だ」
「はあそうですね」
「これがお茶の容器だね」
「そうです」
「興味深い……」
「そのお茶はさらに容器に入っていたのかな?」
「ええっ?」
「ますます興味深い。非常な緊張にさらされた男は丹念にあたりをこぎれいにしたとみえる」
「何をおっしゃってるのかさっぱりわかりません、ホームズさん」
「気にするな。ホプキンス、これはなんだと思う?」
ホームズは隅から輪になった紅い布を拾い上げた。絹でフリルがよっている。
「さあ、なんでしょう、ホームズさん。まったく見当もつきませんが、何かご婦人のワードローブにあるような小さな装飾品に見えます」
「髪留め……じゃないのか? どうしてこんなところに紛れ込んだんだ?」わたしは言った。
「ドクター、わたしにもわからないよ。ただ、理論的には誰かがほかの車両にこっそり隠れていた可能性あるということだ」
ホームズはその布きれを鼻に近づけた。
「香水の匂いがする。だがかすかだ。長い間身につけられたことがなかったようだ」
「それが犯人の持ち物だということがあるかな?」わたしはおずおずと尋ねた。
「可能性はあるね。ただそれでは犯人が多すぎることになるがね」
ホームズは屈んで布を元の場所にもどして言った。
「そろそろ結論に近づいたようだ、ワトソン」

「ホプキンス、もう一度ライアンズたち3人と話をしたい。必ず他にもう1人警官を同席させてくれたまえ。このささやかな聞き取りにベネディクト・マスターソン氏を招くのを忘れないように。この調査の費用を払ってくれているのだからね」
マスターソンがやって来たのは時計が9時近くを指すころだった。わたしたちはガス灯のうらびれた黄色い光の下に膝を突き合わせて座った。雨はやむことなく屋根や窓をたたき、全員―――3人の疲れはてた鉄道員、ベネディクト・マスターソン、ホプキンス警部補、若手の警官、ホームズそしてわたしが一堂に会した。言葉を発する者もいなかったが空気は期待に満ちていた。

マスターソンが口を切った。
「これはまさに謎にみちた事件だったに違いない、ホームズさん。だが捜査をすすめて何か手がかりをつかんだんですな? さすがに名声に恥じないだけのお方だ。そちらの警部補が何か赤い絹のアクセサリ―とやら言っておられたが」
「そうです」ホームズはポケットから実物を取り出した。
「この香水の香りのする布は、だれかが金塊を積んだ車両に隠れていたことを明確に示しています」
「なるほど」とマスターソン。
「さらに隠れていたのはおそらく女性だということも明らかです」
これを聞いてマスターソンはぶるっと身震いしたように見えた。
「女だとおっしゃいましたか……ああ、なんてこった」
「よろしければこの件はあとでまた考えることにしましょう」ホームズは先に進んだ。「ライアンズくん、さてきみのサンドイッチまで話をもどそう」
「またサンドイッチのことですか?」
「その通り、昨夜きみが列車内で冷めた紅茶とシードケーキといっしょに食べたサンドイッチだ。眠るちょっと前に食べたと言ったね」
「はあ」
「きみはサンドイッチとケーキを食べて、うとうとした。再び目がさめたときには金はなくなっていた」
「……はい。そのとおりです」
「あたまがはっきりして金がなくなっていることがわかったときまるで悪夢だと感じた」
「はい、ホームズさん」
「きみは動転した」
「確かにそうだと思います」 「ひどく動転していたので列車の床を掃除することはできなかっただろうね」
「え? 何と?」
「ひどく動揺した状態でその時きみは床の掃き掃除をしなかっただろうと思うのだが」
「いいえ、しやしませんとも。失礼を承知で申し上げますが、それはあたしの仕事ではありません」
「当然だ。するべきだとも思わない。だが、そうすると非常に説明が困難なことが出てくる。わたしが昼間に警備車両を調べたとき床の上にたったひとつのパンくずも見つけられなかったのはなぜなのか。ここにいる誰か教えてくれ。サンドイッチとシードケーキを、どうやってパンくずひとつ、ああそうそう、種一つも落とさずに食べることができるのだろうね」
「間違いございません、あたしが食べたものに偽りはありません。何を持って行ったか、何を食べたか正確に覚えています!」
「ライアンズくん、きみの言葉を疑ってはいないよ」
「ではどうして?」
「要するにこういうことだ。きみはサンドイッチを食べたとき13号車に乗ってなかったということは明らかなのだ」

「お言葉を返すようですが、ホームズさん、乗っておりました。誓います!」
「ああ、確かにきみは車両には乗っていた。だがサンドイッチの包み紙が見つかった車両に乗っていたのではない。きみがささやかな夕食をとった車両、つまり金塊を積んだ車両はロンドンへ到着しなかったのだ」
「ホームズさん、いやこれは……わけがわからん」マスターソンが口を開いた。
すかさずホームズがそれを遮った。
「いや、マスターソンさん、それどころか明明白白です。金塊を積んだ車両は水補給で停車した時に連結を切り離されて側線へ引き込まれて積み荷は夜陰に紛れて降ろされたのです。昨夜は月も出ておらずまったくの闇夜だった。ここにいるマクレンシーくんも先ほど証言したように鉄道員たちも水塔のポンプのところからは列車の後部で何が起こっているか全然見えなかった」
「ですが、ホームズさん、悪運号は13両編成です、だれでも知ってますよ。今日の昼間に列車を調べたときに間違いなく13両あるとホームズさん自身が確認したじゃありませんか」ホプキンス警部補が言った。
「ああ、もちろん今は13両ある、警部補。ブリストル駅を出てから気がついたのだが、駅長のウィリスが彼の関わった金塊の積み込みと出発の進行を最初から最後まで詳しく話してくれたが、出発前に車両の数を確認したとはついぞや言わなかったのだ。つまり数えなかったのだ。数える必要があると思わなかったのだ。悪運号はいつも13両編成だからだ。窃盗の共犯者がブリストル駅にいて容器を積んだ警備車両に残りの車両が連結される前に1両増結した。その車両は座席を取り外して金塊輸送車両とまったく瓜二つにしてあった。つまり昨夜の悪運号は13両ではなく14両だったのだ。水補給のために列車が止まると同時にその車両は切り離された」
ホームズはライアンズの方を向いて続けた。「そしてあやうく中の護衛もろとも切り離そうとしたわけだ。きみはとても幸運な男だ、ライアンズくん」
「あたしが幸運だなんて……そんな気にはなれません」とライアンズ。
「きみがまだ生きているということが幸運のあかしだ。運がよかったから眠り込んだんだ。想像して見たまえ。もし寝てなかったら。列車が止まる、犯人たちが最後尾の車両の連結を外す。中にいるきみごとだ。見つかったとたんにきみは彼らにとって大きな危険になる。そのあと彼らが何をすることになったか改めて言うまでもなかろう。だが実際に起きたことは、わたしが想像するに、車両を外したときに誰かが中で寝ているきみに気がついたのだ。そこで彼らはこの絶好の機会を利用して寝ているきみと紅茶の容器、サンドイッチの紙を隣の車両に移したのだ。途中で目が覚めなかったことを神に感謝するんだな」
マスターソンは驚愕の表情を浮かべた。
「ホームズさん、すばらしい!さすが大したものです! だが、幾分やりきれない気持ちもします。明かにうちの会社の中に裏切り者がいるということですわな」
「そこで先ほどの列車内で見つかった赤いシルクの髪留めに話を戻したいのですが、今回の事件にとって大変興味をそそられる装飾品であることは疑いもない」ホームズは言った。「女性の存在を示すものともいえよう」
「だが、そこが不思議なところだ」わたしは口を挟んだ。「どうやってその女性は列車に乗ったのだ? そこで何をしようとしたのだろう?」
「ところが、思うにその答えは単純なものだろう」ホームズが言った。

この時点でマスターソンははっと胸を突かれたような悲痛な面持ちになった。
「あいつのことを考えておられるのか?」
「ええ」ホームズは淡々と答えた。
「別居中の妻のローラのことを……。ああ、くそっ。あのバカな女が!」
「いや、待ってください。マスターソンさん、奥さんがこの件にはまったく無関係だとあなたが一番よくご存じでしょう。列車にはここにいる機関手、火夫、護衛の3人しか乗っていなかった。しかもこの3人は窃盗事件には何ら与していない」
3人の鉄道員たちは突然身の潔白を保証された幸運に驚きお互いの顔を見合った。
「窃盗犯たちはどこかで金塊をもって潜んでいるのを特定できるでしょう。ここでわれわれの中に座っている雇い主からね。そうじゃありませんか? マスターソンさん?」
マスターソンは怒り狂って吠えたてた。
「まったくばかげている! どの口でそんなことを言うんです! いったい何の証拠があってそんなたわごとを!」
「実は最初から疑念があったのです。盗まれたことが発覚した直後、ほかにもたくさんするべきことがあったはずなのにどうしてああも早くわたしのところに来られたのか理解できなかったのです。今ならわかる。あなたは保険会社にできる限りの手を尽くして金塊を取り戻そうとしたことを実証したがっていたのだ。そのわけは、もちろん保険金と金塊を共に手にできたら一挙に富が増えることになるからだ。だが、あなたの共犯者がライアンズくんにしようとしていたこと、彼が仕事中に眠り込むというあっぱれな根性を持っていなかったら、どうなっていたか想像するにも耐えられない。あなたは窃盗の罪だけでなく殺人の罪にまで問われる覚悟が必要だったのだ」
「想像にすぎん! ホームズさん、ここは法廷じゃない。あんたは他にいる犯人をさがすべきなんだ。そうだ、あの赤い絹のヘアリングはどうなったんだ?」
「ああ、あれ。あれについてはかなり手の込んだことをしましたね、マスターソンさん。奥さんの名をちらりと出して、次に奥さんの関与はありえないと請け合った。あなたが奥さんを疑っているとは思えなかった。だがあなたは手がかりでわたしを惑わせようとした。あの遺留品の意味は? もしあれが赤いヘアリング(a red hair ring)でなければ? あれは好んで言葉の駄じゃれを飛ばす人間にとって偽装工作(レッド・ヘリング red herring)を暗に指す言い方ではなかったのかね? もしこの企みがうまくいったらどんなにあなたはこの秘密のジョークにほくそ笑んだことでしょうね。どうやら悪ふざけが自分に返ってきたようですな、マスターソンさん。この駄じゃれこそただ一つあなたが堪えて言わないでおくべきものだったのです」

しかし悪人が悪行の報いを受けるという正義が完全になされたかということになるとこれは別問題だった。
量刑を減刑されることを期待してマスターソンは共犯者の名前を白状し警察は金塊を押収した。そしてマスターソンは数年の禁固刑を課されたが、刑期を終えたらまた裕福な暮らしを送ることは明らかだった。

「ぼくにはわからんね」数日後の宵にわたしはホームズに向かって言った。「どうしてそんなに上機嫌そうにしているんだね、ホームズ」
「それはだね、ワトソン、人は生来自分に向いていることをうまくやり遂げたときほど満足を感じることはないからだよ。それはそうと、そこにある煙草入れをとってくれないか? われわれもうまい煙草の一服で楽しんでもいいんじゃないかな?」 

fin.

13号列車の謎 3

承前

パディントンに到着するとホプキンス警部補が待っていた。
ホームズは直ちに昨夜悪運号を動かしていたわずかに3人の鉄道員―――機関士のマリアット、火夫のマクレンシー、護衛のライアンズへの聴取ができるように求めた。
パディントン駅のプラットフォームのはずれにある陰気な鉄道員詰所内の暗い事務所だった。3人は陰鬱な面持ちで粗末な木製の椅子に座っていた。どうやらこの気の滅入る場所にもう数時間も軟禁されているようだった。ホームズとわたしがライアンズに名のるものの、彼はようやくうなずくほどの元気しかなかった。しかし彼は何とか言葉を発した。口はマフラーで半ば覆われて言葉はくぐもっていた。

「ホームズさん、話を聞かれてあたしのことを盗人だと思ってらっしゃるんでしょう……でも、違うんです。あたしは盗人じゃありません。あたしのしたことは職務不履行だけでさあ。だから、そのことでどんな罰を受けてもしかたがないんです」
「ライアンズくん、きみに保証したいのだが、わたしがここに来たのは真実を明らかにするためだ、わたしはまちがいなく真実を明らかにするつもりだ。もしきみが言うようにまったく身に覚えがないなら、法による罰などなにもおそれることはない。さあ、どのように任務を遂行できなかったかわたしに話してみたまえ」
「あたしは積み荷から目をはなすつもりはありませんでした。ところが眠り込んでしまったんで。いつもはこんなことはないのに、今度に限って……」
「目が覚めると金塊が消えていたというわけだね」
「まさに悪夢でさあ。すぐにコックを引いて列車を止めるべきでしたが、頭がちっとぼうっとしていて……」
「どれくらい寝ていたと思う?」
「思いますに、おぼえているのはスウィンドンの少し手前のホワイト・ホース谷を抜けているところで、目が覚めるとラムジー水塔から10マイルほど過ぎたところでした」

ホームズは機関助士のマクレンシーのほうを向いた。服が真っ黒の火夫である。
「水補給のための止まった時に何かおかしいと気がついたことはなかったかね?」
「いんや、だんな。真っ暗闇でボイラーから出る光のほかは灯りもねえ。汽車から20フィートも離れりゃ何にも見えなかったよ」
ホームズはふたたびライアンズ話しかけた。
「昨夜の出来事を話してもらいたい」
「ええ……昨夜は午前1時からの夜勤だったので12時ころに鉄道員食堂でブラウン・エールをいっぱいひっかけてから乗車中に食べるサンドイッチと缶入りのお茶を買い求めました」
「お茶とサンドイッチだけ?」
「はあ…、あ、それにシードケーキを一つ。こんな細かいことお話してもいいんでしょうか?」
「細かすぎて困るというようなことは絶対ないから。話を続けてくれたまえ」と、ホームズ。

「で、1時半ころにあたしは真っ暗な貨物用プラットフォームに行きました。ちょうど金塊の荷積みが終わってほかの車両が引き込まれてくるとこでした。スーツを着た紳士から最後の指示を受けました。そのあと機関士と火夫、ここにいるトミーとパットから予定を聞きました。まっすぐにロンドンに向う、一か所で短時間止まるがどんな事情があっても3分以上はかからないそして、万一緊急事態が起こっても列車を決して離れないと。その時点であたしは金塊の乗った車両に外から鍵をかけられて、ちょうど午前2時、そして出発です。出てから30分くらい経ったときサンドイッチを食べてお茶を少し飲みました。晴れた夜であたしは窓の側にすわり星を見ていました。すべて順調に進んでいきました。そして……うたたねをしたに違いありません。ああ……そのあとはもうご存知でしょう」
「ありがとう、ライアンズくん」そう言ってホームズは若いホプキンス警部補に向き直ると眼に新たな鋭い光を宿して言った。
「ホプキンスくん、よければこれから列車を検分しよう」

わたしたちは線路に沿って機関車庫へ向かった。蒸気機関車を検分してから13両の客車をひとつずつ調べて行った。金塊が積まれて警備の男が乗った13号車にたどり着くまでわたしは注意して車両を数えて行った。
「これで確認できた」ホームズはホプキンズ警部補に言った。「この列車のドアは運行中は外側から鍵がかけられていた」
「その通りです、ホームズさん。でも連結部のドアを抜けて列車の中を移動することはできはずです」
「確かに。他の車両はどうだね?」
「調べました。外側のドアは鍵がかかっていました。でも犯人たちが箱を隣の車両に移すことは可能だったでしょうか?金塊の入った箱は大きくて連結部のドアを抜けらません。すべてが注意深く計算されていたんようですね」
「箱が開けられなかったのは本当に確かなのかね? もしかして金塊がひとつずつ箱から抜き取られた可能性はないのだろうか?」わたしは思いきって口をはさんだ。
「開けられていないのは確かです。当の鍵がなければ開けられないんですから。それぞれの箱に違う錠がついてましたしね」ホプキンスが答えた。
「それに、ワトソン」とホームズが後を続けた。
「もし箱がこの場で開けられて金塊がなくなっているなら箱はここに残っているはずだ。そういえばホプキンス、列車は今朝ドアが初めて開けられて事件が発覚した状態のまままになっているんだろうね。わたしが言ったように何ひとつ手を触れていないだろうね?」
「申し上げたように何も触っていません」

ホームズは列車の内装に特に鋭い視線を走らせると、やおら床に屈みこみ何かを拾い上げた。
「茶色の紙だ。おそらくライアンズのサンドイッチの包み紙だ」
「はあそうですね」ホプキンスは答えた。
「これがお茶の容器だね」
「そうです」
「興味深い……」
「このお茶はもうひとつ入れ物に入っていたのか?」
「ええっ?」
「ますます興味深い。極度の緊張にさらされた男は丹念にあたりをきれいにしたとみえる」
「何をおっしゃってるのかさっぱりわかりません、ホームズさん」
「気にするな。ホプキンス、これはなんだと思う?」
ホームズは隅から輪になった紅い布を拾い上げた。絹でフリルがよっている。
「さあ、なんでしょう、ホームズさん。まったく見当がつきませんが、何かご婦人のワードローブにあるような小さな装飾品に見えます」
「髪留め……じゃないのか? どうしてこんなところに紛れ込んだんだ?」わたしは言った。
「ドクター、わたしにもわからないよ。ただ、理論的には誰かがほかの車両にこっそり隠れていた可能性あるということだ」
ホームズはその布きれを鼻に近づけた。
「香水の匂いがする。だがかすかだ。長い間身につけられたことがなかったようだ」
「それが犯人の持ち物だということがあるかな?」わたしはおずおずと尋ねた。
「可能性はあるね。ただそれでは犯人が多すぎることになるがね」
ホームズは屈んで布を元の場所にもどして言った。
「そろそろ結論に近づいたようだ、ワトソン」

「ホプキンス、もう一度ライアンズたち3人と話をしたい。必ず他にもう1人警官を同席させてくれたまえ。このささやかな聞き取りにベネディクト・マスターソン氏を招くのを忘れないように。この調査の費用を払ってくれているのは彼だからね」
マスターソンがやって来たのは時計が9時近くを指すころだった。わたしたちはガス灯のうらびれた黄色い光の下に膝を突き合わせて座った。雨はやむことなく屋根や窓をたたき、全員―――3人の疲れはてた鉄道員、ベネディクト・マスターソン、ホプキンス警部補、若手の警官、ホームズそしてわたしが一堂に会した。言葉を発する者もいなかったが空気は期待に満ちていた。
マスターソンが口を切った。

「さて、まさにこれは謎にみちた事件だったに違いない、ホームズさん。だが捜査をすすめて何か手がかりをつかんだんですな? さすがに名声に恥じないだけのお方だ。そちらの警部補が何か赤い絹のアクセサリ―とやら言っておられたが」
「そうです」ホームズはポケットから実物を取り出した。
「この香水の香りのする布は、だれかが金塊を積んだ車両に隠れていたことを明確に示しています」
「ふうむ」と、マスターソン。
「さらに隠れていた人物はおそらく女性だということも明らかです」
これを聞いてマスターソンはぶるっと身震いしたように見えた。
「女だとおっしゃいましたか……ああ、なんてこった」
「よろしければこの件はあとでまた考えることにしましょう」ホームズは先に進んだ。

「ライアンズくん、さてきみのサンドイッチまで話をもどそう」
「またサンドイッチのことですか?」
「その通り、昨夜きみが列車内で冷めた紅茶とシードケーキといっしょに食べたサンドイッチだ。眠るちょっと前に食べたと言ったね」
「はあ」
「きみはサンドイッチとケーキを食べて、うとうとした。再び目がさめたときには金はなくなっていた」
「……はい。そのとおりです」
「頭がはっきりして金がなくなっていることがわかったとき、まるで悪夢だと感じた」
「はい、ホームズさん」
「きみはひどく動転した」
「確かにそうだと思います」
「あまりに動転していたので列車の床を掃除することはできなかっただろうね」
「え? 何と?」
「ひどく動揺した状態でその時きみは床の掃き掃除をしなかっただろうと思うのだが」
「いいえ、しやしませんとも。失礼を承知で申し上げますが、それはあたしの仕事ではありません」
「当然だ。するべきだとも思わない。だが、そうすると非常に説明が困難なことが出てくる。わたしが昼間に警備車両を調べたとき床の上にたったひとつのパンくずも見つけられなかったのはなぜなのか。ここにいる誰か教えてくれ。サンドイッチとシードケーキを、どうやってパンくずひとつ、ああそう、シードの一つも落とさずに食べることができるのだろうね」
「間違いございません、あたしが食べたものに偽りはありません。何を持って行ったか、何を食べたか正確に覚えています!」
「ライアンズくん、きみの言葉を疑ってはいないよ」
「ではどうして?」
「要するにこういうことだ。きみはサンドイッチを食べたとき13号車に乗ってなかったということは明らかなのだ」
「お言葉を返すようですが、ホームズさん、乗っておりました。誓います」
「ああ、確かにきみは車両には乗っていた。だがサンドイッチの包み紙が見つかった車両に乗っていたのではない。きみがささやかな夕食をとった車両、つまり金塊を積んだ車両はロンドンへ到着しなかったのだ」

「ホームズさん、いやこれは……わけがわからん」マスターソンが口を開いた。
すかさずホームズがそれを遮った。
「いや、マスターソンさん、それどころか明明白白です。金塊を積んだ車両は水補給で停車した時に待ちかまえていた者によって連結を切り離されて側線へ引き込まれた。積み荷はそこで夜陰に紛れて降ろされたのです。昨夜は月も出ておらずまったくの闇夜だった。ここにいるマグレンシーくんも先ほど証言したように鉄道員たちも水塔のポンプのところからは列車の後部で何が起こっているか全然見えなかった」
「ですが、ホームズさん、悪運号は13両編成です、だれでも知ってます。今日の昼間に列車を調べたときに間違いなく13両あるとホームズさん自身が確認したじゃありませんか」ホプキンス警部補が言った。
「ああ、もちろん今は13両ある、警部補。ブリストル駅を出てから気がついたのだが、駅長のウィリスは彼の関わった金塊の積み込みと出発の進行を最初から最後まで詳しく話してくれたが、出発前に車両の数を確認したとはついぞや言わなかったのだ。つまり数えなかったのだ。数える必要があるとも思わなかったのだ。悪運号はいつも13両編成だからだ。窃盗の共犯者がブリストル駅にいて箱を積んだ警備車両に他の車両が連結される前に1両増やした。その車両は座席を取り外して実際に金塊輸送車両とまったく瓜二つにしてあった。つまり、昨夜の悪運号は13両ではなく14両だったのだ。水補給のために列車が止まると同時にその車両は切り離された」ホームズはライアンズの方を向いて続けた。
「そしてあやうく中の護衛もろとも切り離そうとしたわけだ」

「きみはとても幸運な男だ、ライアンズくん」
「あたしがとても幸運だなんて、そんな気にはなれません」とライアンズ。
「きみがまだ生きているということが幸運のあかしだ。運がよかったから眠り込んだんだ。想像して見たまえ。もし寝てなかったら。列車が止まる、犯人たちが最後尾の車両の連結を外す。中にいるきみごとだ。見つかったとたんにきみは彼らにとって大きな危険になる。そのあと彼らが何をしたか改めて言うまでもなかろう。だが実際に起きたことは、わたしが想像するに、車両を外したときに誰かがきみが中で寝ているのに気がついたのだ。そこで彼らはこの絶好の機会を利用して寝ているきみと紅茶の容器、サンドイッチの紙を隣の車両に移したのだ。途中で目が覚めなかったことを神に感謝するんだな」

マスターソンは驚愕の表情を浮かべた。
「ホームズさん、すばらしい!さすが大したものです! だが、幾分やりきれない気持ちもします。明かにうちの会社の中に裏切り者がいるということですわな」
「そこで先ほどの列車内で見つかった赤いシルクの髪留めに話を戻したいのですが、今回の事件にとって大変興味をそそられる装飾品であることは疑いもない」ホームズは言った。「女性の存在を示すものともいえよう」
「だが、そこがふしぎなところだ」わたしは口を挟んだ。「どうやってその女性は列車に乗ったのだ?そこで何をしようとしたのだろう?」
「ところが、思うにその答えは単純なものだろう」ホームズが言った。

この時点でマスターソンははっと胸を突かれたような悲痛な面持ちになった。
「あなたのお考えは……?」
「ええ」ホームズは淡々と答えた。
「あいつのことを、別居中の妻のローラのことを考えておられるんですな……。ああ、くそっ。あのバカな女が!」
「いや、待ってください。マスターソンさん、奥さんがこの件にはまったく無関係だとあなたが一番よくご存じでしょう。列車にはここにいる機関手、火夫、護衛の3人しか乗っていなかった。しかもこの3人は窃盗事件には何ら与していない」
3人の鉄道員たちは突然身の潔白を保証された幸運に驚きお互いの顔を見合った。
「窃盗犯に関しては、金塊をもって潜んでいる場所を特定できるでしょう。ここでわれわれの中に座っている雇い主からね。そうじゃありませんか? マスターソンさん?」

マスターソンは驚き怒り狂って吠えたてた。
「まったくばかげている! どの口でそんなことを言うんです! いったい何の証拠があってそんなたわごとを!」
「実は最初から疑念があったのです。盗まれたことが発覚した直後、ほかにもたくさんするべきことがあったはずなのにどうしてああも早くわたしのところに来られたのか理解できなかったのです。今ならわかる。あなたは保険会社にできる限りの手を尽くして金塊を取り戻そうとしたことを実証したがっていたのだ。そのわけは、もちろん保険金と金塊を共に手にできたら一挙に富が増えることになるからだ。だが、あなたの共犯者がライアンズくんにしようとしていたこと、彼が仕事中に眠り込むというあっぱれな根性を持っていなかったら、どうなっていたか想像するにも耐えられない。あなたは窃盗の罪だけでなく殺人の罪にまで問われる覚悟が必要だったのだ」
「すべて想像にすぎん! ホームズさん、ここは法廷じゃない。あんたは他にいる犯人をさがすべきなんだ。そうだ、あの赤い絹のヘアリングはどうなったんだ?」
「ああ、あれ。あれについてはかなり手の込んだことをしましたね、マスターソンさん。奥さんの名をちらりと出して、次に奥さんの関与はありえないと請け合った。あなたが奥さんを疑っているとは思えなかった。だがあなたは手がかりでわたしを惑わせようとした。あの遺留品は何だったのか? もしあれが赤いヘアリング(a red hair ring)でなければ。あれは好んで言葉の駄じゃれを飛ばす人間にとって偽装工作(レッド・ヘリング a red herring)だとにおわせる言い方だったのではないでしょうか?実におかしいことだ。あの冗談がなければ知らん顔を決めていられたのに。どうやら悪ふざけが自分に返ってきたようですな、マスターソンさん。この駄じゃれこそただ一つあなたが堪えて言わないでおくべきものだったのに」

しかし悪人が悪行の報いを受けるという正義が完全になされたかということになるとこれはおおいに議論の余地があったと言えよう。
量刑を減刑されることを期待してマスターソンは共犯者の名前を白状し警察は金塊を押収した。そしてマスターソンは数年の禁固刑を課されたが、刑期を終えたらまた裕福な暮らしを送ることは明らかだった。

「ぼくにはわからんね」数日後の宵にわたしはホームズに向かって言った。「どうしてそんなに上機嫌そうなんだね、ホームズ?」
「それはだね、ワトソン、人は生来自分に向いていることをうまくやり遂げたときほど満足を感じることはないからだ。……それはそうと、そこにある煙草入れをとってくれないか? われわれもうまい煙草の一服を楽しんでもいいんじゃないかな?」



13号列車の謎、残りを一気に載せました。例によって聞き取れないところは省くなり前後様子を見ながら続けてあります。そのうちに改訂版を上梓しますので、その時までこれでご勘弁ください。ドラマ仕立てなので長台詞になると合いの手が入っても誰の発言かわかりにくくなります。そのあたり少し補なってあります。
また、ホプキンスとホームズの会話が交錯するところがちょっと区別しにくい(声からも内容からも)間違っている可能性大です。警備員のライアンズの台詞もごにょごにょと……。それどころか登場人物の名前すら怪しい(笑)
大穴のあいた小風呂式といったところですが前の投稿からあまり日が空くのもどうかと思ったのでお目にかけることにしました。

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13号列車の謎 2

承前

「機関士と火夫を別にして、そのとき列車は無人だったのですか?」
「いや、ホームズさん。これは鉄道の慣習で、うちの列車には護衛が一人付くことになっとります。わたしもこの慣習には喜んで従っとりました。委託貨物には運送中にずっと見張りがつくということで、このために委託の荷はすべての鉄製容器に入れて最後尾の列車に積むことにしました。つまり13号車ですわな。これで護衛は積み荷から目を離さずにいられるというわけです。この仕事のために雇われたのがジョン・ライアンズという経験のある信用できる鉄道会社の職員です」
ここで不思議なことにマスターソンは言い淀んでふっと笑った。
「あー、彼はフランスの鉄道で働いたことがあるか聞きたいもんですな。ほら、護衛のライアン(guard Lyons)って……リヨン駅(Gare de Lyon)と音がそっくりじゃありませんか」
ホームズは礼を失しないように笑ってうなずいた。
「すみませんな、方々。どうか大目に見てください。洒落の魅力には勝てないんですわ。さ、続けましょう。列車は予定通りに今朝3時にブリストルを出発しました。それがパディントンへ着くまでに6つの鉄製の金塊の箱が消えちまったんです。ホームズさん、これはまったく考えられない窃盗だ。列車は水補給のために一度だけ数分間停車しただけです。この時間じゃ金塊の箱を一つだって下せやしません。あの何百ポンドもするやっかいな代物です。たったひとつだって150ポンドの重さはあるのに」
「それで護衛は?」ホームズは訊いた。
「ライアンズの申し立てでは、行程のどこかで眠り込んでしまって目が覚めたら金塊が消えていたというんです。彼と機関手、火夫をパディントンに留め置いていますが、全員が強く身の潔白を訴えています」

「他の容疑者を考えてみたい。あなたの会社でだれかこれで利益を得る立場にある者を思いつきますか?」
マスターソンは口元を引き締め、戸惑っているように見えた。
「ここだけの話しにしていただきたいのだが、別居中の妻ローラは今でもかなりの会社の株を保有しとります。持ち分はもっとたくさんにならないといけない思っているようです。ああ……この件に関してはいささかつらいものがあります。しかし、ローラのことはよくわかっています。あれが盗みを働くとは絶対に思えません」

「ありがとう、マスターソンさん。確かにこの件お引き受けしましょう」ホームズは簡潔に言った。「よろしければブリストルに電報を打ってドクター・ワトソンとわたしがあちらに向かう旨お知らせ願えませんか?」
「わかりました、いたします……ということは今日あちらへ行かれるということですか?」
「その通り。パディントン駅でひとつ調べ事を済ませたらすぐに」
「おお、それはありがたいことです。この悪運号の一件を任せられる人はあんたを置いては他にはありませんや。だってほら完璧な鍵のホームズ氏―――sheer lock holmesっていうんだから!はっは!」
ホームズは今度は笑わなかった。
「マスターソンさん、わたしは物事を偶然に任せるということは決してしません。合理的推理と理性がわたしの使う道具です」
「お許しを、ホームズさん。さっきも言ったようにどうしても駄じゃれの魅力に逆らえないんで」
「進展があればすべてご連絡しましょう」とホームズは打ち切った。

30分もかからずにわたしたちはパディントン駅へついた。しかしブリストル行の列車に乗る前にホームズは件の『悪運号』がちゃんと保全されているか確めることを優先した。列車は引き込み線に移されていた。
   警察の担当者がたまたまスタンリー・ホプキンス警部補だったことで一つ安堵を覚えた。彼は若いがなかなか野心にあふれた刑事でホームズとわたしは以前にいくつも一緒に事件の解決にあたったことがあった。マスターソンからわたしたちがこの事件の調査にかかわることを聞いて、ホプキンスはわたしたちがロンドンに戻るまでこの列車に誰も手を触れないように見張っていることを了承してくれた。

ブリストルに到着した時もまだ雨が降っていた。駅の主任のジョージ・ウィリスは50代の愛想のいい男で、この職を一生の仕事としていることに満足しているという好印象を受けた。しかも仕事についてはすべてに通暁している。
ウィリスは昨晩も勤務についていたので直接にわたしたちを金塊を運搬した列車が出た貨物用プラットホームまで連れて行ってくれた。彼は捜査のために力添えの労は惜しまなかったものの、ひどく疲れているように見えた。
「方々、お見苦しい姿をしていますがお許しください」ウィリスは言った。「昨夜は夜勤で臨時列車を送り出したあと上がろうとしたときにロンドンから窃盗の報せが届いたもので、それ以来寝ていないんです」
「長くはお引きとめしませんよ、ウィリスさん」ホームズは言った。「金塊の箱が積まれたときにここにいたということですね」
「おりました。わたしが自分で指図しました。まさにこの場所から警備車両への積み込みを見ていました。そのあと残りの車両を引きこむように合図をだしました」
「警備車両は荷の積み込みが終わるまでは他の車両と連結してなかったんですね?」
「その通りです。残りの車両は側線で待機させていて出発の直前に連結したんです」
「本線に引き入れたのは?」
「機関士のトミー・マリアットと火夫のパット・マクレンシー」
「熟練者ですか?」
「ホームズさん、自分の手足とまではいかないけれどここ10年はずっといっしょに仕事をしてきて何もかも知り合った仲です。どちらもまっとうな男たちです」
「結構。もう少し我慢してお付き合いしてもらいましょう。金そのものについてもう少し。荷積みに直接かかわったのは何人ですか?」
「あれは……ひとつの箱を積むのに4人必要でした。二人が中に乗り、二人が外から。あのくそ重たい箱、こりゃ失礼、ひとつが100ポンド以上もあるもんであのくそ狭いドアから無理に入れるんですから、それはもうなんともいまいましい仕事でした」
「積み込みを完全に終えるまでにどれくらいかかりましたか?」
「仕事にかかったのが12時半ころで、終わったのが2時15分前だから……おおよそ80分くらいでしょうか」
「では荷積みがおわってから出発までに遅れはありましたか?」
「いいえ、ありませんとも。サイレンを鳴らして残りの列車をバックさせて引き込み、護衛のライアンズが乗車。そのあと金塊の乗った車両は指定通り外から施錠しました」

「ウィリスくん、よければ最後の質問を。列車は途中で一度止まったと聞いているが―――」
「そのとおりです。最初から水補給のために短時間スィンドンへ停車するように予定されていました」
「それ以上長く止まっていたということも、ほかの場所で止まったということもないのですね?」
「いいえ、ありません。もし一分以上も遅れが出るなら信号手が気づくはずです、そこはもう確めました」

ホームズはしばし考え込んでいるようだった。これらすべての情報を考え併せたのちに口を開いた。
「ウィリスくん、詳しい話をありがとう。きみの記憶には曖昧な点は無いようだ。では、われわれはこれで失礼しよう。ドクター・ワトソンとわたしは次の汽車でロンドンへ戻ることにする。きみは家へ帰ってぐっすり眠りたまえ」


時間が空いてしまいましたが、バッド・ラック・スペシャルこと13号悪運列車の続きです。列車を使ったミステリはホームズ正典でもおなじみです。新しくはクリスティも幾度も列車内で起こるありえない事件を書いています。列車という密室、しかも限られた時間の中で行われる一見すると不可能ともいえる犯罪は、行う方も、その不可能さを切り崩して謎解きをしていく方も描写は実にエキサイティングです。
スティームパンクではないのですが、この擬古的なホームズものへのオマージュをこめたパスティーシュの雰囲気にちょっとうっとりとなってしまいます。
では続きはまた近日中に。

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