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Death in Modena

Pavarotti_f

ルチアーノ・パヴァロッティ氏が亡くなった……
青天の霹靂、寝耳に水のニュースに思わず嘘でしょう!と叫んでしまった。
しかし、うち消すことはできなかった。享年71才。膵臓ガンの手術後、モデナの自宅で療養中だったそうだ。
思えば、昨年トリノ冬季オリンピックの開会式で思いがけなくも聞かせてもらった、あのかくも有名になってしまったプッチーニのオペラ「トゥーランドット」のアリア、Nessun Dorma (誰も寝てはならない)、あれが絶唱だったのかと。
公式に引退を宣言してから最初にして最後の実声だった。
"King of High C"といわれた、あの高音の伸びと広がりを出せる人はもうでてくることはないだろう。
四回のサッカーW杯で、プラシド・ドミンゴとホセ・カレーラスと共に三大テノールの共演を実現させて、中でも一番輝いていた。
最後の三大テノール世界ツアーの際、日本公演でのプラチナ席の高額さでも話題を振りまいたものだ。

世界のオペラ界から巨星が一つ墜ちた。私たちは黙して目を閉じ、心の中に朗々と流れる彼の歌声に耳をすまそうではないか。

Andy Williams Best Collection

Andy_willams Sony CDクラブに入会してこれで何年になるか忘れたけれど、ほぼ設立当時からの会員です。買ったり買わなかったり、気に入った物が無いときには何カ月もご無沙汰になるのですが、いつも室内に音楽を流しておくタイプでi-podも外出の時しか使いません。それで何となくまだ手持ちCDをサーキュレートしてかけています。
今聞こえているのが表記のAndy Williamsのベストコレクション。
カタログを見ていて懐かしくなって矢も盾もたまらず購入した物です。「ムーン・リヴァー」「酒とバラの日々」「モア」「カナダの夕陽」etc.
いや、懐かしいというか、こんなにクリアに聞こえるんだ。。。
かなり昔のことになりますが、NHKで日曜日にアンディ・ウィリアムズ・ショーを放映していて、子供心にアメリカ文化のスマートさ、このショーの売りだったファミリー指向などにあてられて、まさにいいなあと雰囲気に憧れるという状態でした。
英語もわからずに歌詞カードをカタカナで書いて覚えたムーン・リヴァー、おそらく最初に覚えた英語の歌の一つだったような。ティファニーの主題曲だと知ったのはずっと後に鳴ってからでした。
アンディのクリスマスソング・ベストのCDも復刻版を見つけて買いましたが、これもクリスマスシーズンにはいつもわが家の定番でかかっています。これはお薦め中のお薦め。特に「クリスマスの12日間」「オー・ホーリー・ナイト」なども心震わせて聞いたものです。
まさにオールド・ミュージックなのだけど、今出来の音楽も良いけど、これも捨てられない。古くてなにが悪いと開き直りができるようになりました(笑
一つ不満を言えばそれこそ最初にこんな素敵な歌があるのかと、必死で歌詞を覚えたうちの一曲、「Try to Remember」(追憶の九月)が入ってないのが残念!!

歌にまつわる遍歴 その2

昼休み、教養キャンパスを入るとすぐ左手の片隅、前に桜の木が茂る新徳館という古いクラブボックスから男声合唱が聞こえてくる。
「きのくにぞ はやみなとにつきたり、きのくにぞ はやみなとにつきたり──」
あ、やってるやってる、メンネルだ……

明けましておめでとうございます。
新年に相応しい話題と思いましたが、ずっと以前からいつかは書こうと思っていた「歌にまつわる遍歴、その2」を書くことに決めました。

以前に書いた「木枯らし」と同じく、大学時代の男性合唱にまつわる懐旧の思いです。
重複するかも知れませんが、当時の状況について少し説明を加えておきましょう。

わたしの属していた合唱団は混声、しかし内部で男声だけがメンネル・コールを作って独自に練習していました。これは男声の人数が圧倒的に多かったことも原因の一つですが、男声の方に特に合唱に対する情熱を強く持つ、いわゆるこだわりの団員が多いことがメンネルが自然発生的に練習を始めた原因なのでしょう。

さて、わたしが入部した頃にはもうメンネルは何年もの歴史を持っており、定期演奏会にも1ステージを努めておりました。
当然わたしたち、女声部員もメンネルの練習を耳にすることはありましたが、練習に参加はできません。考えてみればメンネルは男声の聖域だったのかも知れません。
時折耳にする歌の中に、大変気を引かれる歌がいくつかありました。
今ならば、すぐに検索して曲名も歌詞も、時には楽譜そのものも、苦もなく探せるのでしょうが、当時はただ、耳にした歌詞、メロディを手がかりに何かの折りにその歌の「正体」を知るという状態でした。

「紀の国」は最初に心引かれた歌でした。
何しろ最初から高音の凛としたテナーソロで始まります。ちょうど歌詞の中に出てくる水夫が船の舳先で名乗りを上げるようなものです。
まずはそのテナーの朗々とした響きうっとりと鳴ってしまったのですが、実は心引かれたのにはもう一つ訳があるのです。
その歌は小耳に挟む程度にしか聞く機会が無かったので、歌詞の意味がはっきりしなかったのです。しかし、そのどの部分を取っても、懐かしく、雄々しく、凛々しく、優しい、歌詞とメロディでした。
ですから、今にして思えば、敢えて文字の歌詞を調べようとするよりも、歌詞から想像というか、妄想に近い程にいろいろと、ああだろうか、こうだろうかそれほど深くも考えずに雰囲気を楽しんでいたところもあるようです。

きのくにぞ はや みなとに つきたり
ふねのおじ かたみに よびかけ
うっとりと ひとみつかれて ちちに てをひかれし ここち
いぬの さきひく くるまも あれば うみのべ こうじのみ ひかりて
そのえだの たわわなるした かいくぐり かいくぐりてゆく

紀の国、舟というと紀伊国屋文左衛門とか連想が働いて、紀の国に白帆を揚げた舟が着くところと、紀の国から蜜柑舟が江戸に着くところの重なったイメージがまず湧きます。

同じくメンネルで「市場所見」という別の歌があり、「あれは紀の国、蜜柑船……」という歌詞も耳にしていたので、またまた連想が広がりました)

ふねのおじ……小父、伯父、叔父。 あとに父が出てくるのでもしかしたら肉親の叔父、伯父かも知ないし、水夫、水主と呼ばれる舟を操る男達のことかもしれません。

うっとりと、眸疲れて、眸憑かれて、人見疲れて?
「わたし」は子供でその昔、父に手を引かれて歩んだ時を思い出しているのでしょうか。
めまぐるしく動き回る人々、車、犬も啼き、喧噪がわき起こります。子供の目は見慣れない活気に満ちた人々の姿に、ぼうっとなって熱に浮かされたように夢見心地に感じていたのかも知れません。
すると、人見疲れて、でもいいようにも思えてきます。

海の辺、ここは分かっても、「こうじのみ」、少し考えれば紀の国なのですから当然蜜柑を表す「柑子の実」だと連想できるはずでした。決定的には旧かな文字で歌詞を読めば「かうじのみ」であるので、「小路」とはまちがえようもないのですが。
ところが、こんな経験はありませんか? 
バスや車で海の方に向かう……もうすぐ海が見える、弾けそうな子供の目を最初に捉えたのは、家々の間の細い坂になった小路からちらりと見えた海!
わたしの原体験では海はそういう形で常に現れて来たので、この歌も最初の印象が「小路のみ、光りて」になってしまったのです。まばゆい海と対照的に暗く影になった家々。まさに小路からのぞく海だけが光っているのです。
ところが、歌詞の最後「ゆずり葉」という言葉があるために、「その枝」が現れても唐突に感じていません。何度も聞くことで全体の言葉が前後を無視して混然としたイメージを作っているので、「その」と指示代名詞がついていても「柑子」よりも「小路」の印象が拭えないのです。

歌の中盤です。
「きのくにぞ あらぶるうみのくにぞ   ながちちのうまれしところぞ」
ちちゆいて きょうのひもおもう  おさなごの あこをいだきて
そがちいさきものの ゆめにもかよえ そがちいさきものの ゆめにもかよえ
あらぶるうみのくには  あらぶるうみのくには  わがためには ちちのくに 
ながためには おお ちちのくに

ふうむ、どうも「わたし」は大人で子供時代の回想を交えているらしい。そが小さき者というのは「幼子の吾子」のことだから「ながちち」とは「汝の父」すなわち自分の事なのだなあ、と感じ始めます。
自分の父が亡くなった今になって父の心がわかるような気がする──いま幼児の自分の子を抱いて故郷の紀の国に戻ってきたところだ。

ところが、またまた大きな疑問が残りました。
「わがためには父の国」はいいとして、「汝がためには、おお、父の国」の件です。
最大の疑問はどうして「汝がためにも」になっていないんだろう、ということでした。
こうやって文字にしてしまうと、その当時感じた不思議な感覚を再現することは難しいのですが、とにかく、大まかな舞台背景は解るのに肝心の感情が最高潮になっていく箇所に疑問が残るのですから、何とも消化不良感は免れません。
文字を読めば一目瞭然なのですが、「わがためには父の国、汝がためには祖父(おおちち)の国 」なのです。ところが耳で聞いていると、「おお」が間投詞に聞こえてしまったので、自分に取っても父なる国、おまえに取っても父なる国だ、というように勝手に解釈してしまったわけでした。

最後の部分です。
そがひとのみはかかざる  ゆずりばのみどりのくにぞと
きのくにぞあらぶるうみのくにぞ きのくにぞ

「そがひとのみはかかざる」この件、実は聞き逃していた箇所でした。最高潮に達する「父の国」と次の「ゆずりばのみどりのくに」の瑞々しいイメージの谷間にあって、ふと気を抜いて聞き逃していた箇所でした
それで深くも考えず「そが人の見果てぬ夢」というふうな勝手な思いこみをしていたようです。父に対する懐旧の情と、いまだ若くして夢の実現を果たせぬうちに世を去った父への思いが込められているとの思いこみでした。
そして、一枚新しい葉が出ると古い葉が落ちるという「ゆずり葉」──お正月の鏡飾りにもホンダワラとともにゆずり葉が柚の下にありますが──父から子へ、子から孫へと続く血脈を思い、自分も永々と続く血脈の一部を作る者である、確かな自信と、父と同じ年代になった今となって持つことのできる父への共感と同情、そして抱いている我が子への限りない愛。
この歌詞が、津村信夫の詩集「父のゐる庭」から取られていることも知らず、ただ、耳にしたどこか懐かしい民謡を思わせるメロディと、上に書いたような不可思議なイメージをどこまでも膨らませてくれる歌詞に魅せられ、またそれが、望んでも足を踏み入れることのできない男性合唱の世界であったこと、それらの憧憬があいまって、後になって文字で「父のゐる庭」を読み、今までの疑問が氷解したあとになっても、この歌を聴き、また心の中で歌うときに、不思議にもさまざまな重層した思いがこみ上げてくるのです。
ゆずり葉と正月には欠かせない蜜柑の二つのイメージから、私の中ではこの歌はまことにお正月に相応しい歌という位置をしめているのです。

以下に、漢字交じりで歌詞を載せておきます

Ⅳ  紀の国

「紀の国ぞはや 湊につきたり」 
舟のおじかたみに呼びかけ
うっとりと眸疲れ父に手をひかれし心地
犬の先曳く車もあれば  海の辺 柑子の実光りて
その枝のたわわなる下かいくぐりかいくぐりてゆく

「紀の国ぞあらぶる海の国ぞ  汝が父の生れし処ぞ」
父逝いて今日の日も想う  幼児の吾児を抱きて
そが小さき者の夢にも通え

あらぶる海の国は  わがためには父の国
汝がためには祖父の国  そが人の御墓かざる
ゆずり葉のみどりの国ぞと

紀の国ぞあらぶる海の国ぞ  
紀の国ぞ

うたにまつわる遍歴 その1

学生時代に合唱をやっていました。
K大学の音楽研究会Heimatという合唱団です。
混声で団員数はそれほど多くなく50名弱。歌う曲毎に新しく目を開かれる心地で4年間ひたすら歌を歌い続けました。
さて、ハイマートは混声合唱団でしたが、男声だけ特にMannerchor(ちなみにこのaはaウムラウトです)として混声とは別の練習日をもうけて活動していました。
もちろん女声禁制というわけではなく、練習中にクラブボックスに行ったりすると冷やかすも見学するも自由でした。

そうやって聞いた男声合唱には、それはそれは記憶に残る名曲がたくさんありました。男声には混声にはない魅力がまたあったのです!)自分たちには絶対に中へ入って歌えないという制約が却って魅力的に響いたのでしょうね。
記憶に残っているものに、多田武彦作曲の草野心平の詩による「富士山」や「蛙」の歌。北原白秋詩の「柳河風物詩」、清水脩作曲・堀口大學詩の「月光とピエロ」、高村光太郎「智恵子抄」、津村信夫「父のいる庭」、他にもコダーイやバルトークとか。
メロディの潔さと歌詞、そこはかとない郷愁にめろめろになって、女声でしたがこっそりとテナーパートを歌っては一人楽しんだものでした。
富士山「作品第肆」 川面に春の光はまぶしくあふれ・・・・・・、というあれですが、これなどは今でも春の河原脇の道を通るときは知らず知らずのうちに口ずさんしまうほどです。

しかし、悲しいかな、時の流れと共にあれほどよく膾炙していたはずの歌が、ぽろりぽろりと記憶から脱落していく、サビ部分しか覚えていないというお定まりの経過をたどって行きました。

ところが先日の夜のこと、仕事を終わってひとけのない夜道を急ぎ足で帰るとき、どういう回り合わせでどのような偶然性が働いたものでしょうか、不意に歌の一節が頭に浮かんだのです。

「目路遠き 地の果て、 陸(くが)の末駆け、 いづちへと急ぐや 木がらし、木がらし」

これだけの一節。
浮かんだと同時に消えそうになるイメージをなんとか逃すまいと必死で口に出して、メロディを付けて歌ってみる──うん、だんだんおぼろげな歌詞とメロディが形をとって昔の姿に近くなってくる。
何度か繰り返すうちに、その前半部も思い出してきました。

「野山さびし 師走、  風 蕭条、 木の葉散り 草枯れ 冷たき雨降る」

これで完全です。
ユニゾンで野山さびし・・・・・・から始まって、木がらし木がらしで終わる。同じ歌詞とメロディの変奏でフーガのように各パートが互いに追いかけるように繰り返しながら消えていきます。
疾走していく秋の風、飛来する氷雨。暗い空に時折遠山が不思議に明るく映じる。短いながら印象的な曲です。

不思議な体験です。
一体何年、歌うどころかその曲自体を思い出しもしなかったのに、たった一言の「目路」という、あまり日常的でない言葉から封印を解かれて、再生して音楽を奏で出すとは!

しかし思い出した後がまたジレンマでした。
曲名、作曲者、作詩者名が思い出せないのです。
確かに男声合唱曲には違いないのですが、思い出した歌詞でググってみてもヒットなし。
もしやと思って昔の楽譜を(何と青焼きコピーまで!)ひっくり返してみましたが見つかりません。
そうなると今度は四六時中この歌が頭に鳴り響き続けます。しかもちゃんと男声合唱で。気になって、曲名を突き止めるまで落ち着きません。

多分、堀口大學、萩原朔太郎その辺りの作詩、多分多田武彦の作曲とあたりをつけて、検索方法を変えてみたところ、あった、見つけた! 
慶応ワグネル・ソサエティ(こちらも有名な男声合唱団)のデータベースに、多田武彦作曲、堀口大學作詩「人間の歌」──「縫ひつける」「涙の塩」「浜の足跡」「また一つ」「木がらし」「年の別れ」6曲の記載がありました。
不思議はまだ続きます。これらのタイトルを見た途端に「海と母とを縫いつける・・・・・・かたきと祖先を縫いつける」とか「いく年は女であるか、さかり(離ち)ゆく影がさびしい、女なら嘆きもしよう、いく年は音にさえたてず」などのフレーズが次から次へと口をついて出て来るのです。

音と言葉が分かちがたく組み合わさった「歌」のもつ人の記憶の中の生命の長さに驚かされます。
本当に心酔して歌い続けて来た歌を覚えているのには何の不思議もありませんが、ここに書いた歌の数々は、全くの忘却の彼方に押しやられていたものばかりでした。その存在さえ忘れていたのですから。

言葉が音を呼び覚まし、音がそれに続く言葉の封印を解いていく。
こういう感動をあと何度くらい感じることができるのでしょうか。
秋日好天。

White Christmas のご褒美

Polar_magic

疑問といえないくらいの小さな疑問がふと心に湧くことがあります。
是が非でも解決しなければならないというほど切実でもなく、心をよぎっただけで時間の経過と共に消えていくものが多い中で、忘れ去られたような顔をしながら心の隅に身を潜めていて、思いもかけない折りに何かのきっかけで意識の表面に浮上してくるものがあります。
そして大抵そういうときには、疑問とその答えが共に手を携えて一気に浮上してくることが多いのです。すると疑問のままに未解決で心に潜めていた年月の圧縮された思い出までが一時に開放されて、その喜びの感覚に、わたしはたじろぎ圧倒されてしまいます。

やけに仰々しい始まり方ですが、先日久しぶりにこういうを体験しました。
事の起こりはCDの整理からでした。
CDの中に一度しか聞いていなかった"ポーラー・エクスプレス"のサントラが目に留まりました。
この際季節外れとは言いますまい、懐かしくなって再生しました。
前半分はOST、ジョシュ・グローバンの甘い声やトム・ハンクスのコミカルな声、子供の素朴な声が流れます。
後半は往年のクリスマス・ソング・ナンバー。そして聞こえてきたビング・クロスビーの"ホワイト・クリスマス"。刻々と「その時」が近づいてきました。

I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten
and children listen to hear sleigh bells in the snow

I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
and may all your Christmases be white

中学生の時クロスビーならぬアンディ・ウィリアムズの歌で覚えました。とても易しくポピュラーな歌詞なので一度覚えてからは口に浮かんで来るままに歌い続けてきました。
ただ、一箇所、最初に書いた「小さな疑問」が浮かんだことを除いては。

それは第一連の最後の2行。

Where the treetops glisten and children listen to hear sleigh bells in the snow

今までに自分がおくってきたクリスマスをしみじみと思い出しているところです。
「木々の梢がきらきら光り、子供達は橇の鈴の音に耳を澄ます・・・・・・」そう解釈していましたし、まさにその通りなのですが、ほんの小さな、ほとんど意識もしないような疑問が昔からありました。

中学校で習う動詞 listen は自動詞、だから listen to の形で使うんですよ、そう習いましたね。
たとえば、I listened to CDs yesterday. なんてね。

だからこの歌詞を最初に聴いて読んだときに何の抵抗もなく listen toの形でインプットされてしまったのです。でもその後に hear という動詞が続いているのに、当時は気が付かなかったんですね。
とにかく初めに抵抗なく覚えてしまったので、ああ、子供が耳をすましているんだなあと無反省的に素直に思い込んでいました。

その後何回この歌を歌ったかわかりませんが、自然に口に出てくる歌詞が、この部分を歌うたびにいつも、何か釈然としない思いが小さな疑問詞を残していくのです。それと意識しないほどに小さな疑問詞を。

そして、先日ポーラー・エクスプレスを聴いていて、まさに晴天の霹靂、疑問と答えが一度に押し寄せて来ました。ひらめいたとか思いついたなどいう生やさしい程度の言葉では収まりきれないほどの感激!
そうか、そうだったんだという充足感は周囲に充ち満ちました、もしこの感激が目に見えるならば、きっとわたしの周囲がばらいろに光っていたのではないかと思うほどでした。

あの子供達は 雪の中を走っているかもしれない橇の鈴音を聴こうと耳をすませていたのです。

こういうわけです。
hear は「聞こえてくる」という意味です。聞こうと意識しなくても音が耳に届いてくる「聞こえる」です。だから鳥のさえずりがきこえるのはこちらを使います。
一方 listen は「聞こえるはずの音を注意して聞こうと耳をすませる」意味。だから音楽や先生の話を聞くときにはこちらを使うのです。

Children listen to hear sleigh bells in the snow.
この情景、子供たちはもしかしたら雪の中を彼方で走っているかもしれない橇の鈴の音を、耳をすませたら聞こえるかも知れない鈴の音を、聞こえるかなあと耳をそばだてているのです。
その橇は何か素晴らしい物を携えて来るかもしれない、たとえ自分たちのところを目指しているのでなくても、そこにははじけるような期待と憧れが詰まっています。

この短い一節から、12月という雪の季節、クリスマス前の遠い橇の鈴の音。まだ暖房にはマントルピースに薪、香ばしい焼き栗、白い息を吐きながら表をやってくる客人、一枚一枚違った手書きのクリスマス・カードの束、そういったローテクの時代のクリスマスを彷彿とさせる心象風景が浮かんできます。
子供達は鈴の音にうきうきと心を躍らせます。橇が通っているのを知っていて音を聞こうとするのではなく、もしかしたら走っているかも知れない、想像が本当になるかも知れない、そう思いながら、一面の白い世界に繋がる窓辺で、きっとかわいらしく首を傾げて遠くの鈴の音を聞こうと耳をすませているのでしょう。

こうしてわたしの小さな疑問は圧倒的な感動を伴って一気に解決されたのでした。
多分真剣に考えればこの答えはずっとずっと以前に明らかになっていたのでしょうが疑問は忘れられて眠っていました。
その期間があまりに長かったために、歌声に触発されて一気に氷解するプロセスが反動的に大きかったのでしょう。

宗教的変節はよく一瞬にしてなされると誤解されるが、実は転向にいたる過程は長い時間をかけて徐々に徐々に心の中に橋頭堡を築いて行くのだと教わったのを覚えています。意識しない状態での転向の機が熟したとき、まさにそのときに外から何らかの働きかけが行われると、碎啄同時という状態で宗教的転向が行われたように見えるのだと。

大げさかも知れませんが、小さな疑問が一度に氷解するのは案外この碎啄が同じくして起きる状態なのかもしれません。意識の下で疑問は障りとなって固まりつづける、それに対する答えを求めて意識のほんの一部は常に休まずに考え続けている。そして解答を導き出し続ける。
そして、何かがきっかけになってそれらが一度に浮上して意識を支配する。心は長い時間をかけて疑問を抱きそして解き明かしたプロセスを記憶しているから、圧倒されるほどの喜び、感動という形でご褒美をくれるのかも知れませんね。

Maroon5

maroon5.jpg最近こればかり聞いています。
Maroon5のアルバム"Songs about Jane"。
これいいからきいてごらん、と貰ったときには、PopでもR&Bでもないロックでもない、折衷的というのではなく、なんだか懐かしい感じ。かなりメロディアスで聞きやすい、そんな印象でした。
ところが車の中で繰り返し聞くたびに、いいじゃんこれ! つくづくそう思うようになりました。
第1曲の"Harder to breathe"2の"This Love"4の"She will be loved"(ノエビア化粧品のCMに)、8の"Sunday Morning"(TOYOTAヴィッツのCM、ほら、ぶたさんのでてくるあれ)などが耳に心地よくて、何か70年代後半の音楽を思わせる懐かしさがあります。
ヴォーカルのアダム・レヴィンが中性っぽい声で特に高音部が上手。
ラップの言葉に対するアンチテーゼのような音楽にどうしても慣れない私にはとてもぴったりくる、お気に入りの一枚です。
これから秋になって、一人でゆっくり朝のコーヒーを楽しむときに聞いていたい、そんな一枚のCD。
Maroon5の公式サイトもなかなかおしゃれです。

エレーヌ・グリモー

エレーヌ・グリモー,TheCDClubのジャケット写真.jpg

きっかけは昨夜のNHK総合「英語でしゃべらナイト」
ジョージ・ルーカスとヘイデン・クリステンセンのインタビューがあるときいて、この番組は大抵ER見た後にチャネル切り替えを忘れて見逃してしまうのですが、今回はしっかり視聴しました。

「しゃべらナイト」はパッくんことパトリックがMCを努める英語教育番組なのだが、毎回来日する映画関係者を始め、話題の人への英語学習途上者のインタビューがかなり面白い。
ルーカスに「フォースは現代社会に当てはめれば他のどの様な言葉で置き換えられるか?」なんて禅問答みたいな質問をしていた。なんだかうまくはぐらかされていたけれどw

お目当てはルーカスだったのだけれど、もう一人のゲスト、動物写真家の岩合光昭繋がりで、ピアニストのエレーヌ・グリモーの談話が紹介された。
フランス人、天才少女ともてはやされたが賞賛の声と内なるパトスが咬み合わなくて、コンサート活動もうまくいかず教師との軋轢や人間関係に悩み自閉症的な行動を取ったとか。
自分で語るに、リストカットもしたし、転んで片膝をすりむくともう片膝も自分で傷つけてしまった>バランスを取るためにだって。
さらりと話していたけれど、苦しかったんだろうな、好きなピアノを弾くことが更に苦しみを増していくなんてね。
でも転機が訪れたのが1匹の狼との遭遇だったんだって。アメリカに転居した折り、隣人が飼っていた狼との邂逅が自然に目を開かせた。
狼に魅せられて生物学を学び狼を飼う資格を得て、ついにニューヨーク北部に数匹の狼のいる保護センターを開設して、現在はさまざまな問題を抱えた子どもたちがこの施設を訪れ、狼と交流の時を持っている
という。ピアノと狼が自分の天職なのだって。

番組中にグリモーのコンサート風景がちらりと入った。
以前の妖精といわれた細身長身、透けるようなブロンドの長髪のイメージから脱却。肩までのショートヘアにマニッシュなスーツ姿。
シューマンのピアコン1番の入りを聞いて、胸がずきんとした。"ベサメムーチョ"とあだ名されるテーマの丁寧な入り、高音へ飛ぶときのあるかなしかの溜め。もうここまで聞いてぞっこん全部聞きたくなってしまった。

実は持っていたんです、CD。
○ニーのCDクラブに入っていて毎月希望のCDが配布されるのだけど、5月にエレーヌ・グリモーのシューマン、ピアコン1番とR・シュトラウスのブルレスケ、ラベルのピアコンのカップリング。買ったものの到着したとき気が向かなくてまだ聞いてませんでした(汗

早速聞きました。いや、よかった。若弾きなんですが現在の演奏は更に力強くなっているとか。
ついでにアルゲリッチのシューマンも聴きました。こちらは何度も聞き慣れた演奏で、ついこちらを基準にして聞いてしまうので新しい演奏をなかなか受け入れにくいのですが、グリモーの演奏はアルゲリッチと比べても遜色ない骨太な演奏でした。

こうなればラフマニノフのピアコン2番とブラームスの後期小曲集のCDも聞いてみたいものです。

後輩のはなし

昨日(5月10日)放送の"プロジェクトX"──「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌」 
すさんだ工業高校にゼロから合唱部をつくり、ついには全日本で金賞を取るところまで育て上げた先生、高嶋君はわたしの2年下の後輩です。
彼に会ったのは京都の大学の音研合唱サークル。

かわいい顔をした小柄でエネルギッシュな子が入ってきたなあ、あらら少女漫画が好きなんだ、わ、お総菜作るのがうまい!
テナーなのにコントラルトみたいな声が出る、テナーとアルトの境に立って弱いパートを補強してや!
冗談じゃなくて上級生の女声の中では「高嶋君みたいなお嫁さんがほしい」が合い言葉でしたw

夏の合宿では「トーマの心臓」全巻を持ち込んできて、みんなが夢中になって回し読みしたり、彼独特の発声練習では、信州の山道を歩きながら
「おあやや、ははおやをおききなさいよ~」と舌を噛みそうな発声や、
ウサギのダンスの歌を「トマト」や「やおや」で歌い続けるなど、前代未聞、抱腹絶倒の練習などしました。
いつも人を笑わせる柔和さと、一旦指揮棒を持つと、絶対妥協しない音楽センスと、指導力を兼ね備えた人物でした。

卒業後数年経って琵琶湖湖畔で行ったOB・OG合宿で歌い明かした翌日、集まった元団員がまた全国へ散っていくとき、別れがたい数人が、もう少し話をしていこうと一緒に騒いでいた高嶋君を誘ったのですが、
「子供たちが待ってるんや、練習はさぼれへんわ」 と笑いながら去っていきました。
あの笑顔で、そして屈することのない意思の力で、これからも頑張ってくださいよ!