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4月まとめ、主に旅3

Proserpine

もう少しお付き合い願います。

3日目です。
モリ・アーツセンター・ギャラリーで開かれていた「ラファエロ前派展」へ行きました。6日が最終日で人出が心配でしたがそれほど待たずに入場できました。
画像はダンテ・ガブリエル・ロセッティの「プロセルピナ」。ギリシャ神話の大地の豊穣神デーメーテールの娘ペルセフォネ―と言った方がわかりやすいかも。
冥府の神ハーデースに地下に拉致されるものの、母神の願いで地上に戻れることになったとき冥府のザクロを3粒(4粒とも)口にしたために一年の1/3を地下で暮らさなければならなくなった、のちにハーデースの妃となり冥府の女王となる、この女性を題材にしたロセッティの名作です。

実はこの絵にはちょっとした因縁があります。
ロンドンへ行った折これがどうしても見たくてテート美術館へ行ったのですが、よそへ貸出し中で(ちょうど今回の日本展のように)見られなかったのです。返す返すも残念で、何とかして一度は実物を見たいという思いが募りました。それが日本で見られるのですから、これはもう東京であろうと行かないわけにはいきません。
実物を見て震いが出る思いでした。同じラファエル前派のウィリアム・モリスの妻、ジェイン・モリスをモデルにしたこの絵は神話のバックグラウンドを離れても、「見る者を焼きつくさずにはいられない暗い情熱」があふれるファム・ファタールをありありと描き出しています。人ごみのなかでしばし、魅入られてこの絵の前にたたずみました。

もう一枚忘れてならないのが、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフォーリア」。

Ophelia_l

以前神戸に来たときに忙しくて行くことができずとても残念でした。
幸いテート美術館で見ることができたので今回は再会に心が躍ります。

ところが、あっと思うほど受けるイメージが大きく違っていました。
テートでは大きな壁面に複数のラファエロ前派の絵とともに飾られていて(隣にはウオーターハウスのレディ・オブ・シャルロットがありました!)特別なライティングもなくて、画面は暗く本当に近寄らないと細部まで見えにくかったのです。
その時のこの絵の印象は、上左右の角が取れた特徴的なキャンバスの形もあって、祭壇画のようで期待していたよりも古めかしい暗い絵というものでした。

ところがさにあらず、今回はまったく違いました。かなりしっかりしたライティングのもと、細部まで明瞭に見え、表面のニスの輝き、描きこまれた花々や水草、木々の緑が新鮮で、一輪のバラやスミレの色の鮮やかさ、ロビンの胸の色、衣装にちりばめられた真珠様の飾りの質感まで感じられて、これほど美しい絵だったと改めて気づきました。
これまた時間を忘れて見入ってしまう絵でした。(実際はこの絵が一番の呼び物なので特に人だかりが多くて、あまり長い間正面に陣取っているのは憚られたので、後ろ髪をひかれる思いで正面を辞しました)

もう一つ画集でしか見たことのなかった絵を実際に見られて高揚と恍惚感を楽しみました。
プロセルピナと並んで展示されていた、同じロセッティの手による「ベアータ・ベアトリクス」。

Beata_beatrix

悲劇的画面で見る者の心に翳りを落とします。こちらも有名なので下手な解説は省きますが、プロセルピナにある生の強さとは全く異なる、死の勝利が描かれています。(オフォーリアのモデルになった女性でロセッティの妻になったが若く亡くなる)悲哀というか、死によってもたらされた永遠への憧憬が感じられるのですが、いかがなもんでしょうか。

二つの美術展をハシゴして、もうお腹いっぱいといったところです。この後本当のお腹いっぱいが待っていたのですが、長くなりそうなのでそちらはまた書くことにします。

4月まとめ、主に旅2

The_beautiful

二日目、娘と待ち合わせして三菱一号館美術館へ行く……という予定が最初からチャラになりまして、先に食事ということになりました。出発が遅れたのと待ち合わせが行き違いとか、意外に時間がかかってしまって、昼食の予約を早めに変更できたのでそちらへ向かいました。食べることが先になる、もちろん誰も否やはありませんや。

20140405_123115_3s

向かった先はパレスホテル東京の5階、「琥珀宮」という中国飯店。前菜に出てきた皮がパリパリのこんがり焼いた焼き豚(小さいんですけどね)空腹だったせいもあってそのおいしさといったら、忘れられません。
画像は次に出てきた飲茶3点、韮、海老のぽとぽとと美味しかったこと。何が入っているのかわからないような複雑な味がして風味が豊か。驚きがあります。室内装飾もシンプルかつ瀟洒。壁にかかった小さな違い棚にはミニチュアの焼き物や彫り物がさりげなく配置されていて、目を楽しませてくれます。次々に料理が出てきたのですが、食べるのに注意が行ってしまって写真を撮るのを忘れてしまいました。残念、もっとおいしいいものがたくさんあったのですが。

お腹もくちくなったので美術館へ移動しました。ここで前述の皇居お堀端の大行列を目撃したわけです。みんな一様に並ぶのは苦でなく、これから見ることになる皇居の桜への期待を膨らませて、並んでどんどん移動するのを楽しんでいるようにさえ見えました。

Salome_climax_2

Jai_baise

三菱一号館美術展では"The Beautiful"展が開かれています。(5月6日まで)イギリスのV&A美術館所蔵品を中心に19世紀後半にイギリスで起こった唯美主義の絵画、工芸品を見ることができます。絵画、デザイン、日常生活に用いる工芸品にいたるまで芸術のための芸術、宗教や倫理に縛られない美しい物を作り出そうという潮流。産業革命が進み一般市民の中にも芸術のパトロンとなる富裕層が広がったことなど、さまざまな要因のもとに花開いた芸術運動ですね。
白眉(わたしの好みってことですが!)はピアズリーのサロメの原画。岩波文庫の福田恆存訳「サロメ」でピアズリーの挿絵を見て以来、本物を見たいと思い続けてきた願いがかないました。もちろんバーン・ジョーンズとかロセッティの絵画にも満足です。

東京駅の方に戻ってKITTEを冷やかして、中に地元産業のHacoaの直営店や眼鏡屋さんがあるのにちょっと感激しました。
こうして2日めが終わりました。あ、夕食は東京駅大丸の「すし鉄」でお寿司を食べました。ここのちらし寿司はいけまっせ!

16世紀の人外魔境

Img_0078 先日、京都へぺーテル・ブリューゲルの版画展を見に行きました。
年明けにこの展覧会があることを知って以来、是非とも見なければと、カレンダーに印をつけていたくせに、なにやかや雑用続きで、終了一日前に滑り込みで行きました。

ブリューゲルは16世紀のフランドル生まれの画家で同名の息子も孫も画家の一家です。
ブリューゲルといえば思い浮かぶのは「バベルの塔」や「雪中の狩人」「イカロスの墜落のある風景」などの大作の油絵です。
以前に旅行でブリュッセル王立美術館へ行った折りに「イカロス」や「反逆天使の墜落」を直に見ることができて、これがあのブリューゲルかと感激したものです。(その後イカロスは日本へ来た時に再会しています)
ブリューゲルは初期に銅版画の下絵素描を多く描いているのですが、今回はその版画が多数日本で一挙に見られるという逃すことのできない稀な機会でした。

Bruegel1Bruegel2

農民の姿を生き生きと捉えた群像を描いたブリューゲルが、その才能を十全に開花させた一連の作品群。それは先人のヒエロニムス・ボッシュの系統に連なる奇怪な物、動物が画面全体にあふれかえった素描です。
個人的にはボッシュを卒論のテーマに選ぼうかと思ったほどボッシュの祭壇画などに興味があったのですが、そのボッシュに劣らず、ブリューゲルの寓意に満ちた物尽くしの絵は圧倒的です。描かれている想像の限りを尽くした造化の姿は同じものはなく、いくら見ても見あきることがなく、戦慄さえ覚えるほどの強烈なエネルギーを発しています。

Big_fish

圧巻だったのがポスターにもなった「聖アントニウスの誘惑」、それに「忍耐」「大きな魚は小さな魚を食う」(わたしの好みですがw)
空飛ぶ魚、頭から足の生えた怪物、卵の殻からわらわらと生まれる鳥、人ともカエルともトカゲとも壷ともつかないキメラ状態の生き物、そういったものたちの饗宴。
どの部分にも、どの生き物も何らかの意味を担い、部分は個別に存在を主張しながら、大きな全体を作っています。
時には画家の悪戯心の現れとしか見えない毒もあり、諧謔も皮肉も、それら全てが画面の中に坩堝状態で描かれています。
しかも背景には空白にしておくのを惜しむかのように、小さく鳥や森、都市や山脈や農地や港の遠景が書き込まれて、前景の異様に生物が蠢いているにもかかわらず、全体に風景画の体裁を保っているのですから、何とも不思議な感覚にとらわれます。ある意味、安定した気分で眺めることができるのです。
同時代の作家の同じテーマの版画もありましたが、ブリューゲルの持つ圧倒的な力には到底およびません。ブリューゲルからは画面が放射している力のようなものが感じられました。

終了間際ということもあってかなりたくさんの人が訪れていました。一作毎に前で立ち止まって仔細に眺めていると時間の経つのも忘れてしまいそうでした。
Boiled_eggおみやげにこれはキッチュだろうと言いながら「怠け者の天国」に現れる小キャラ、スプーンを突き立てたまま走り回るゆで卵のフィギュアを買ってほくほくしながら帰途につきました。


一炊の夢

Victorian_jewerly1Victorian_jewerly2

もう先週の事になりますが上記美術展に行ってきました。
今までにヴィクトリアン・ジュエリーを実際に見たのは京都骨董市のブースで、印象は「こんなに小さいのに高いなあ」という下世話なものでした。とにかく小さい、細かい、ちまちま……、どうもこういう先入観に毒されていたようです。
実際に見て驚きました。

王侯貴族の宝飾品というとトルコのトプカピの秘宝に代表されるような、とにかくでっかい、卵サイズのエメラルドの付いた剣だとかロマノフ家のダイヤがちりばめられた宝冠だとか、物量で圧倒される品々がまず浮かぶのですが、反面大味であったり、またはため息は出るものの、あまりにわれわれ庶民感覚と乖離しすぎていて、かえってものすごい価値のものだという現実感が持てなかったりしました。権威の象徴としての宝飾品というわけです。

ところが、今回見たヴィクトリアン・ジュエリーはあっと驚く豪華さという点では名だたる宝飾には及ばないものの、限られた貴金属、宝石、貴石にクラフトマンの技術の粋を集めた精緻な細工を施して、いかにも日常的に使われた宝飾品であり、われわれにもひょっとしたら手が出るのではないか、王座から産業革命を経て台頭した庶民のところまで下りてきた宝飾というとても強い印象を持ちました。

金を小さな粒状にして貼り付けるグラニュレーション、細い金線を截金のように土台の上に貼っていくフィリグリー、薄い板状にした金属を表裏から叩いてエンボスのように形作るレポゼなど技術がわかりやすく解説されていて、うっかり見逃してしまいそうな細部もしっかり見ることができました。
芥子粒ほどの微細真珠(シード・パール)でびっしりと埋め尽くしたティアラ、カポーション・カットの深赤色のガーネットなどため息が出てしまいます。
面白かったのはリガードと呼ばれる一連の遊びのジュエリーです。何のことかとわからずに見ていましたが解説を読んでなるほど。
相手への敬意を表すREGARDという単語をルビー(R)エメラルド(E)ガーネット(G)アメジスト(A)ルビー(R)ダイヤモンド(D)の順で埋め込んである文字遊びのペンダントでした。

展示の終盤に集められたモーニング・ジュエリー(朝ではなくて、喪の方)に興味が惹かれました。ジェットとよばれる漆黒の木材の化石を彫って作られた黒々とした大柄なブローチ、ペンダント……夫君の喪に十年以上服したヴィクトリア女王がこのようなジェットで身を飾っていたのか……としばし想いが彼方に飛びました。

ただ一つ、感覚的に受け入れられなかったのがヘアー・ジュエリーと呼ばれる一連の作品。故人の髪の毛を宝飾品の一部に使って故人を偲ぶものだということですが、髪の毛を梳いて羽のように並べたり柳の葉に見立てて配置したブローチ、髪の毛を紐状に編んでリボンに仕立てたもの……かなり生々しい印象です。センチメントの違いかも知れませんが、遺髪を常に身近に置いて故人を偲びたいという気持ちは理解できるものの、それを何かに見立てた飾りにしてしまって自分が着ける、人にも見せる……というのはちょいと遠慮したいものだと思いました。

精緻な細工は東洋専売だと思っていましたが、方向性の違いはあっても人の身を飾ることを目的としたこの上なく精巧な細工を可能にした技術がイギリスにもあったことを改めて知りました。そして、その作品を作った職人の名は永遠に知られることなく、身を飾った人の名のみが残っていく一種不条理のようなものも同じであることも。

付記; 9月3日(金)午後10:00~ NHK 美の壷 「アンティークジュエリー」でここに書いた宝飾品が紹介されます。
こちらで予告ビデオが見られます。私が見たREGARDペンダントなどもまんま登場します。
あまりのタイミングにちょっと驚き! 

雨の日にはアートを

友人から教えてもらいました。500年に渡る西洋美術史上有名な女性の肖像画をモーフィング処理で一続きで見せてくれたものです。
まずごらんになってください、あ、できたら音声onで。

とても全部わかりませんが、たぶんこれはそうじゃないかというものだけ、書きだしてみました。。
ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ボッティチェリ、クラナッハ、デユーラー、ワトー、ルブラン、フラゴナール、ヴィダーホルター、ルーベンス、アングル、コロー、ルノアール、ゲインズボロ、ヴァンダイク、ロセッティ、ウォーターハウス、ロートレック、マネ、クリムト、ミュシャ、ピカソ、ダリ、マティス、最後はピカソのフランソワの肖像。
見間違いかもしれないけれど、怪しげなところでゲーラーツ、レーニ、ナティエ、メッシーナのアンテネッロ、ジネヴィラーデ・ベンチ、最初のイコン風中世絵画は何かわかりませんでした。アヤ・ソフィアのテオドラ皇后かと思ったけれど、あれはモザイクでししたね。
ちなみにBGMはバッハ無伴奏チェロ組曲1番のサラバンドかと。
楽しいですね、こういうの。
でも見た友人の中には途中で気持ちが悪くなってきた(!)とか、レビューの中にはアフリカやアジア系の顔が無いのは人種差別だとかいう批判もありました。これは批判の矛先がお門違いじゃないかなと思うのですが。
絵画という表現形式で同様な表現技法で一貫性のあるものを集めようとしたら西洋絵画が一番大きな母集団を形成すると思われます。そこから作った"Women in Art"なのですから。
謎解き感覚で楽しんだら一番いいんじゃないでしょうか。
他に誰の絵かおわかりになった方がいらっしゃったら、どうぞ教えてください!

ベルギー王立美術館展

P_bruegel_l 大阪、中之島の国立国際美術館へ行って来ました。
実はこれ、二重のリベンジ戦でした。
4年前ベルギーへ旅行した時に、ベルギー王立美術館へ行きました。ところが、個人の旅行ではなかったのでとにかく時間が無かった──好きなブリューゲルやボッシュは走りながらかつかつ見たものの、現代画は地下にあってマグリットを見そこなってしまいました。
どうしてももう一度見に来ると誓ったものの(笑 ベルギーは余りに遠し。。。
昨年東京にベルギー王立から伝ブリューゲル父の「イカロスの墜落」やマグリットの「光の帝国」が来ると聞いて、是非行かなくっちゃと思っていたのに、これも果たせず。
とうとう今日、晴れてリベンジ戦を果たしたわけです。
大阪万博の時に設立された国際美術館が中之島に移転したのですが、訪れるのはこれが初めて。全てが地下にあるという特異な美術館です。 梅田から環状線で一つ目、福島で下りて歩きだしましたが何せ寒い~~~。母が一緒だったので、車に乗りました。乗って正解、歩いたらとんでもなく時間がかかったところでした。
館内はとても好感の持てる展示法。ヨーロッパの美術館に見られるように、ガラス無し、柵無しで作品と自分の間がぐっと近づいた気分です。 ゆっくり時間をかけて17世紀から20世紀に至るフランドル派とその伝統を伝える絵画を楽しんで来ました。
もちろん、リベンジ戦を果たしたという満足感ももって。 いくつかの絵についてはまた、後日(気が向いたらですが)書きたいと思います。

G.モローとの邂逅

一角獣

Gustave Moreau(1826-1828)
ギュスタブ・モロー、彼とのつきあいは長くなる。
小さい頃から美術史関連の本を読むのは好きだったが、大学時代に専攻が美学美術史学ということもあって、いろいろ主に西洋美術に関する本を読む機会が多かった。
フランス新古典主義からロマン主義、そして印象派へとうねる大きな流れをひもとく中で心を引かれたのが象徴派ともいわれるひときわ異彩を放つモローだった。

緻密で美しい造形と、時には人の心の深淵をえぐるような色彩、そして何よりも描くテーマがギリシア神話から旧約聖書、イスラム、インドといったエキゾティシズムに充ち満ちて、まさにこういっては失礼かも知れないが私の好み、そのものだった。
現在その作品の多くがパリの生前の住処を美術館にした"モロー美術館"に収蔵されている。
モローを見るならパリへ、パリへ行ったらモロー美術館へ、こう思っていた。

モローの実物を目にしたのは3回。
最初は70年代に岡山のデパートの画廊に何点か。この折りかなり無理をして見に出かけた。今でも覚えているのは「トロイのヘレン」連作の中の一枚。城壁にたたずむヘレンも城壁も背景の空もほとんどモノクロのようなグレイと白、優雅に片手に花を持ち衣を垂らして屹立するヘレン、その白い衣は下半分は暗い赤と黒の油絵具が塗られている。ヘレンのために流された血糊が見えた。

その後1995年に京都でモロー展があり、これも見に行った。"雅歌"の繊細な美しさに魅せられた。

そして、今年、灘の庫県立美術館で7月30日まで開かれているモロー展、3回目の邂逅。
今までにない多数の作品、それも代表作と数えられる"一角獣"やサロメの"出現"、その他小品ながら心を引かれる"夕べの声"や"インドの詩人"など絶対にこの目で見たかった作品が目白押しである。

土曜日、梅雨入りと台風の影響で時折雨足が強まる中、モローに会いに神戸へ出かけた。
兵庫県美は私の大好きな美術館。迷路のような構造は一歩中へ入ると日常空間から特別の空間へ迷い込んだような気分にさせられる。大きな建物は中に入っているだけで周りにある質量と圧迫感をひしひしと感じてしまうものだが、ここはどこからでも空が見える。質量を持ちながら重量を感じさせない構造というのだろうか。
とにかくここへ行くと何度も迷いそうになる、しかしそれが快い。敢えて館内の案内図など見たくない。曲がったところに思わぬ通路があったり出入り口がわからなくなったり、毎回楽しみが多い。

土曜日だったが人出もそれほど無く、静かな館内、柔らかな暗めの照明、浮かび出る大作の油絵とその間に点在する紙本の水彩画、数多くのデッサン習作。
人体を的確に描きながらそこに寓意を込め、精神性と感情との、女性的なる物と男性原理の衝突を描き、繊細緻密にして大胆、時に淡冷、時に濃厚。
しかしそのどれもが、向き合ったときに嫌悪の情を催させる物が一つも無い。新古典派の彫像のような硬さから感じる拒絶感もないし、印象派の独りよがりも感じられない。
古からの物語を秘めた図柄には、物語を知る者にはそれを確かめて楽しませる図像的な配慮と工夫があり、また知らなくても、直接的に感じられる動きと色彩のバランスに、やはり心を奪われる。

「一角獣」の美しさ、宗教や時代の特定を越えた永遠の楽園、アルカディアの現出。女性の衣装に施された線描が浮き上がって不思議な二重の空間を感じさせる。
「夕べの声」、重力を遮断した世界。ただ美しいだけではない、背後の峻険な山肌からは、厳然とした荒地を凌駕してのみ生まれる美や芸術への憧憬が伝わってくる。
「インドの詩人」は地上的なエキゾティシズム、西洋にあって想像する、この世ならぬ世界への憧れの結晶ともいうべき細密画の手法を取り入れた魅力的な水彩画。不思議なことにこのエキゾティシズムは極東の私たちにも同様に異国情緒を引き起こすのである。

最後にサロメについて語らなければならないのだが、夕べの声やインドの詩人の醸す美しくも憧れに満ちた世界に酔っている今、サロメの妖しさに触れたく無いような気分もする。
その気分になったときに項を改めてとっくりと語ってみたいと思う。