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10時59分発列車の暗殺者 3

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories "The 10:59 Assassin"
承前



その2分後に大きな黒い蒸気機関車が列車を引いて重々しい音を立てながら構内に入ってきた。ミルトン・フレイザーはまっすぐ機関車の踏み板のところへ行って機関士と2,3言葉を交わすとプラットフォームの少し離れたところに立っていたホームズとわたしに手を振って万事良好と合図をした。
わたしたちはすぐさま列車に乗り込んだ。ホームズはまっすぐ3両目の2番目の個室へ行った。そこにはただひとり深夜の乗客がいた。年配の紳士でそばには一目で一般開業医のものとわかる往診鞄があった。
「おくつろぎのところお邪魔して申し訳ありませんが、」ホームズは声をかけて、事のあらましを話してから尋ねた。「昨夜もこの列車に乗っていらっしゃいましたか?」
「はい、居りましたとも」年配の男は答えた。「毎晩この列車を使っておりますよ。わたしはニューベリーで開業している医者で、自宅はロンドンにあります」
「昨夜もこの個室にいらっしゃったのですね?」
年配の医者は笑った。「ほっほ、人は習慣の動物というところでしょうか。毎晩同じ個室に乗りますわ」
「では昨夜この駅から乗ったと思われる若い人のことを覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんですとも。実のところその人はそこに掛けていたんですよ。わたしの向かいの窓際の席にね。感じのいい青年でしたよ」
「おおいによろしいです。では、駅を出て少し行くと列車はダーケル踏切でしばし停車します。そのときいつもと違うことに何かお気づきになられませんでしたか?」
「毎晩そこにとまりますが。ああ、そういえばありましたな。いつものように汽車が警笛を鳴らしました。下り列車が十分近づいて汽笛で応答するのを確かめるためですが、その時外に小さな光が見えたのを覚えています。でも全体が窓ガラスに反射しましたね」
「それを見た若い人の様子はどうでした?」
「わたしと同じようにわけがわからないといった様子でした。この辺りはよく知っているけれどその光がなんだか見当がつかないと言っていました」
「ありがとうございました、先生」ホームズは素早く列車から降りた。
「ワトソン、ぼくたちに残された時間は発車まであと3分、だがそれだけあれば十分だ」

フレイザー氏はプラットフォーム上でわたしたちを待っていた。
「お済みになられましたか?」
「最後に一つお聞きしたい、フレイザーさん。この列車は昨夜と同じ車両で同じ順に連結してありますか?」
「はい、そうそうは変わりません」
「では列車の向こう側を調べるために線路に出なくてはなりません」
「いや、それはどうですか、ホームズさん。下り列車が近づいています。危険すぎます」
「手早く済ませます」
それ以上の押し問答をせずにホームズはまた列車に乗ると個室を横切って線路側のドアを開けると下りの線路へと飛び降りた。まさにその時汽笛の音が聞こえた。
フレイザーが声を上げた。「大変だ、ワトソン先生、あれは下り列車が橋を渡っているとこです」
わたしは30秒ほど待った。しかし近づく汽車の轟音を耳にしてそれ以上待てなかった。わたしは大声で叫んだ。
「ホームズ! 頼む、早く戻るんだ!!」
その最後の言葉は雷鳴のようなとどろきを上げながら構内に滑り込み10時59分発列車の隣に高々とブレーキ音を立てて止まった機関車の音にかき消されてしまった。

10

その時わたしの頭に去来していたことは今も定かでない。その身の毛もよだつ一瞬、わたしの目にはホームズがついに戻らなかった空の個室が見えた。わたしは言い知れぬ不安の雲の中を漂っていた。
やがてホームズの頭が列車とプラットフォームの間からのぞいた。進入してくる列車を避けるために停車中の列車の下に潜り込んだのだった。
「ホームズ! 大丈夫か!?」
「この通りぴんぴんしてるよ、ワトソン」ホームズはプラットフォームによじ登った。
「特筆すべきは、やっと殺人犯の名を上げられるということだ」
ホームズはまだ震えのおさまらない駅長に向き直った。
「フレイザーさん、もう列車を出しても結構ですがいくつか条件があります。見たところこのストーヴィー駅には連結を外す施設はなさそうですね」
「確かに。ここには引き込み線がないので」
「ではお邪魔でもこの列車にロンドンまで一緒に乗っていって、到着後にあのお医者の紳士が乗っている客車を押収してパディントン駅に留め置くようにお願いしたい」
「なんとホームズさん! 先生が容疑者なので?」
「いやそうではありません、フレイザーさん。あえて言えばあの車両が容疑者なのです」

狼狽しつつも駅長は感心するほど沈着にホームズの言葉に従って、家族への伝言を残すと10時59分発列車―――それは一夜限りではあるが11時25分発列車となっていたのだが―――に乗り込んだ。そして列車はロンドンに向かって駅を出て行った。

「さてと、ホームズ。改めて言うまでもないと思うが、」とわたしは声をかけた。「いったいなにがどうなってるのかさっぱりわからん」
「まあ無理もなかろう、ワトソン。とにかく頭をひねるような事件だったからね」
「だが、いかにして客車車両が殺人事件の容疑者になれるのか、そこのところを説明してもらえるんだろうね」
「ホース・イン・カラーズ亭へもどったらすべてを説明しよう。だが、まずベス・ミラーをあのひどい拘置所から釈放させて自分の家で眠れるようにしてやらなければならない」

宿の心地よいバーに再び戻った時には夜中もかなりすぎていた。わたしはあの急ごしらえの留置所でホームズがベリー巡査に自分の推理を披露したところに同席はしなかったが、ホームズの説が巡査を納得させたことは明らかだった。とういうのも、ベス・ミラーは直ちに釈放されて今わたしたちと同じテーブルについているからであった。バーの大きなテーブルの前ではサミュエル・カーペンターがよかったよかったと何度も言いながら手持ちの特上のエールをわたしたちにふるまっている。
「それで、ホームズさん、一体誰だったんです? だれが殺したんです?」と、カーペンターは待ちきれない様子で尋ねた。
「それだがね、みんなが考えるほど簡単に答えられる質問じゃないんだよ」ホームズは言った。「端的に言ってしまえば、殺人犯はヘンリー・ウィークスだ」
「つまり自殺ってことか?」わたしは訊いた。
「それがね、ワトソン、なんと言葉を尽くそうがヘンリー・ウィークスが引き金を引いたときはジャック・カーペンターを殺そうという意図のもとだったのは間違いない」
テーブルを囲むカーペンター、ベス・ミラー、そしてわたしの全員がまったく同じわけがわからないといった顔付でホームズが説明を始めるのをまってまじまじと彼を見つめた。

「ヘンリー・ウィークスはジャックを殺そうとあの場所へ行った。列車があそこで一時停止するのを彼は知っていた。そこで窓越しにジャックを撃つつもりだった。ヘンリーにとってすべてが好都合に進んでいた。ジャックはストーヴィー側に座っていたので小径にいたヘンリーからはよく見えたことだろう。さて、ここからはわたしの推測なのだが、ウィークスは狙いをつけて引き金を引き絞ろうとしたまさにその時、汽車が汽笛を鳴らした。おそらく、音に驚いた馬が後ろ足で立ち上って銃尻を蹴ったのだ。前足の傷はその時についた。そして銃が発射した」
「そうか!」わたしは思わず言った。「車内の医者が言っていたあの光だな」
  「その通りさ。音の方は列車の汽笛に紛れてしまったんだろう。蹴られた結果、銃口が下がって狙いも低くなった。弾丸は客車の車輪に当たったんだ。ぼくはその時金属についた傷を今夜あれほど熱心に探していたんだ。弾丸は跳ね返ってヘンリー・ウィークスを直撃したというわけだ」
「だから客車の車輪が殺人犯だったんだな」わたしは納得がいった。
「さっきも言ったように、列車や弾や馬にも従犯として責任を転嫁することはできるかもしれない、すべてがヘンリーの死の原因になっているのだからね。だが実のところ、ヘンリー・ウィークスはまがうことなき詩的正義によって(悪行にふさわしい報いを受けて)うかつにも自分自身の殺人を犯すことになってしまったということだ」

11

翌朝ホームズとわたしは始発のロンドン行に乗った。ストーヴィー駅を出るとウィークスが孤独な死をむかえた現場を通りかかった。
「ホームズ、どうして真相に気がついたんだね?」わたしは訊いた。
「思うに、ワトソン、人の善良さがぼくを真相に導いたんだろう。推理したんじゃない。サミュエル・カーペンター、息子のジャック、ベス・ミラー、みんな善良な人だ。彼らに対するぼくの直観が正しければ殺人の容疑者とはなりえない人々だ。それにウィークスの頭の傷の具合はきみも気づいた通り自殺にしては浅すぎたが、近距離から直撃を受けただけの深さはあった。これらのことがひとつになって弾丸は跳ね返ったのかもしれないという疑いをぼくに持たせたのだ。そして列車を直接調べて確認ができたのさ」
「きみは傷についてまったく正確に把握していたな。あの哀れな男は即死したんじゃない、おそらく寒さの中で血を流しながら死をむかえるまでしばらく横たわっていたんだろう」
「そうだな、」ホームズは言った。「多分その暗澹としたわずかな時間は彼に自分のやり方が間違っていたと思い返すだけの猶予を与えたのかもしれないな」



これでBBCオーデイオブック、Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories 4エピソード終了です。スクリプトの書き起こしはこちらです。曖昧なところがまだ残っていますのでお気づきの点がありましたらお知らせください。

10時59分発列車の暗殺者 2

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories "The 10:59 Assassin"
承前

5

ストーヴィーの駅長、ミルトン・フレイザーは見るからに規律と正確さを信条としていることがうかがえるようなきっちりした身なりをしていた。制服の帽子は半ば禿げた小さな丸い頭の上に隙なく収まり、上等の銀の懐中時計がチョッキの胸ポケットから覗いている。イギリスの鉄道に関する知識では右に出る者のいないホームズはあっという間にこの駅長の信頼を勝ち得てしまった。
「フレイザーさん、ひとつお尋ねしたいのですが、昨夜遅くにロンドン行の列車がありましたね?」
「10時59分発ですな」
「定刻でしたか?」
「はい、いつもと変わらず定刻でした。あの時刻には他の列車はほとんどありませんので」
「ストーヴィーから誰か乗車したか覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんですとも。ジャック・カーペンターという若者です」
「一人だけ?」
「はい。父親が見送りに来ていました。わたしは汽車が出発するのを確認しました」
「そのあとに列車から誰か下りたということはあり得ますか?」
「駅構内ではありません、絶対。そんなことがあれば必ずわたしが見たはずです」
「駅構内では、というと?」
「ええ、といいますのも、踏切のところで列車に近づけるかもしれないからです」
「あの踏切ですか?」
「はい。10時59分発はいつもダーケル踏切で数分間停車します。安全上の予防策です。ソーニー橋の補修が終わるまでは二本の列車が同時にわたると安全上問題があると思われます。それで10時59分発は11時4分着の列車が橋を渡りきるまで停車して待っているのです」
「それは毎晩のことですか?」
「最後に止まらなかったのがいつだったかはっきり覚えているくらいですよ」
「フレイザーさんこれが最後ですが、カーペンターさんが乗ったのはどの車両だったか覚えていますか?」
「3両目の2番目の個室です、間違いありません」
「ありがとう、フレイザーさん。あなたの話はあなたが思っていらっしゃるよりもずっと役に立ちましたよ」

「こうなると考えなければならないことがある」ホース・イン・カラーズ亭に戻って暖炉に燃える火を見つめながらわたしはホームズに言った。「ジャック・カーペンターが停車中の汽車からヘンリー・ウィークスを撃ったのかもしれない」
「確かにその可能性も考えなければならないが、それはどうもありそうもない。どうしてカーペンターは狙っている相手が都合よく踏切のところで待っていると知ることができただろう? それに列車が停車することに何か重要性があるのだろうか? そこが肝心なところだという気がし始めているんだ。だが、実を言うとまだ、どんなふうに肝心なのかわからない」
「じゃあ、食事でもして一晩ゆっくり考えるとしようじゃないか」わたしはしめくくった。

しかしその瞬間にわたしたちの心地よい夕べのひと時は手荒く中断させられた。一人の若い女性が髪を振り乱して叫びながらバーに駆け込んできたのだ。
「カーペンターさん! カーペンターさん!!」
歳のいった宿の主人が厨房から走ってきた。
「どうしたんだ、サラ?」
「べス・ミラーよ。あいつらが連れて行った」
「誰が連れて行ったって?」
「警察よ。あのべリーが逮捕したの。凶器を見つけたんだって」
「何事です?」ホームズが大声を上げた。「べス・ミラーとは?」
「息子のジャックの婚約者です。結婚式は来月に決まっていたんです。正直ないい娘です、それこそ虫一匹も殺せないような優しい子ですよ。今からあの厚かましい巡査のところへ行ってきます!」
ホームズはカーペンターの行く手を遮ると肩に手をかけて男の興奮した目をしっかり見据えながら言った。
「カーペンターさん、わたしの助けがほしいならわたしの言うことを信じなさい。短慮を起こしては目的を遂げる妨げになります。ワトソン博士とわたしがすぐに警察署に行って状況を見てきます。わたしたちから様子を聞くまでは何もしないでいただきたいのです」

6

カーペンターから早まった行動は起こさないという確約をとるとわたしたちはストーヴィー村から離れた警察署へと向かった。署は隣村との中間にあった。重厚な石造りでかつては醸造所だったらしいが、今となっては中世の陰鬱な気配が漂う建物だった。わたしたちはべリー巡査から冷ややかな歓迎を受けたと言っても大げさではなかった。巡査はこの場を仕切っているのはおれだという気分をありありと見せていた。

「はあ、そうですな。確かにここに若い女を拘束しておりますな。殺人の疑いです」
「それでは聞かせてもらいたいのだが、」とホームズは言った。「なぜ彼女はこの犯罪をおこなったと思われているのだろうか?」
「ああ、まだ詳細ははっきりせんのですが、ほんのちっとでも想像力と知性のある人間なら、女がウィークス氏をナイチンゲール小径へ誘い出して……そうですないわゆる"色仕掛け"で何か理由をつけて待ち伏せして、馬をつないでいるところへ弾をお見舞いしたんだということくらいわかりそうなもんです」
「それでは、その知性のある人間はジャック・カーペンターも加担していると考えているのかね?」
「その通りですな。その知性を使って考えれば、事実関係からジャック・カーペンターは明らかに従犯であり、それゆえ有罪です」
「ありがとう、巡査。ところでわたしの鈍い頭の中でまだ納得のいかない点があるのだがそれをはっきりさせるために留置中の娘と会せてもらえないだろうか?」
「申し訳ありませんが、それは許可できません」
「ああ、ではスコットランド・ヤードにいる友人のウェールズの警視からその旨の指示書が来るのを待った方がいいのかね?」
巡査はくちびるをなめると机の上の書類を調べるふりをした。「そうですな、おっしゃるように警視がご友人だというなら、まあ5分くらいなら構わんでしょう」

わたしたちは昔の醸造所の名残をとどめる錆びた鉄の設備が壁や天井にボルトで留めつけたままになっている広い部屋に通された。大きな天窓が一つ、つっかい棒で開いているだけで他には窓はない。20歳そこそこの美しい黒髪の女性が木のテーブルの前に座っていた。入っていくと初めは疑うような目を向けたが、巡査がわたしたちだけを残して出ていくとすぐにわたしたちに信頼を寄せた。それほど必死だったのだろう。



「ミラーさん、許された時間は少ししかありません」ホームズは言った。「だから知っていることをすべて話してもらわなければなりませんよ」
「はい。努力します。あの……わたしはとても愚かなことをしてしまったかもしれません」
「愚かなとは?」
「死体を一番初めに見つけたのはわたしじゃないかと思うんです」
「おや、それは……そこまでは考えませんでした」ホームズは言った。
「わたしはジャックがロンドンへ行くのを見送るつもりでした。ところが農場で牛のお産があって間に合いそうもなかったのです。列車はいつもダーケル踏切で止まるのでナイチンゲール小径を近道して行けば列車にむかって手を振ることくらいはできるかもしれないと思いました。でも着いたときには汽車はもうそこにはいなくて橋を渡っていました。線路から小石がぱらぱら落ちてきたので見ると柵に馬がつないであって脇の道に何かが横たわっていました。近づいてみると誰だかわかりました。ヘンリー・ウィークスが、血まみれでした。そばには銃が落ちていました」
「それであなたは銃を拾い上げた?」わたしは訊いた。
「……はい」
「どうしてそんなことを? どうしてまっすぐ警察に行かなかったんです?」
「だって……銃に見覚えがあったからです。どこかへ隠さなきゃならなかったのです。あれはジャックの銃だったんです!」
わたしは驚きを隠せなかった。「ジャックの銃だって!?」
「ジャック・カーペンターがウィークスを殺したのかもしれないと思ったからあなたは銃を拾った」ホームズは言った。
「はい……それだけが怖かったんです」
「ジャックはもう汽車に乗っていたのに?」
「ウィークスがどれくらいあそこに倒れていたのかわからなかったんです。あんな寂しい場所なのでもしかしたら何時間も前からかもしれない、だからジャックがその日の夜に出かけるなんてどう見てもいいことじゃないでしょう。ホームズさん、本当に何も確かなことはわからなかったんです。でもジャックとウィークス一家との確執はみんなが知ってることです、だからきっとジャックが疑われると思ったんです」
「それでジャックの銃はどうしたんですか?」ホームズは訊いた。
「ショールに包んで肩にかけて家へ持って帰りました。でも、間が悪かったんです。途中でベリー巡査とすれ違いました。きっとあとになってわたしが何か変な物を運んでいたのに首をひねったんでしょう。今日になってうちを探しに来ました、そしてその場でわたしは逮捕されてしまいました」
「だがね、ホームズ」ついわたしは言った。「もし殺人に使われた銃が死体のそばに落ちていたのなら、少なくてもジャックの無実は証明されたんじゃないかね?」
「残念ながらそういうわけにはいかないんだ、ワトソン。ぼくたちは殺人はジャックが汽車に乗っている間に起ったと仮定していた。もしそれよりずっと前に起きたのだとすれば、残念だがジャックもここにいるミラーさんもまだ第一の容疑者だという疑いを晴らすことができないんだ」
「でも、でも、神様に誓ってわたしはヘンリー・ウィークスを殺していません!」
「あなたがやったとは思っていませんよ、ミラーさん。でも警察にそれを納得させなければならないんです。希望をお捨てにならないように」



しかし、ストーヴィーのホース・イン・カラーズ亭へ歩いて戻る道すがら、ホームズはどこか強い確信が持てていない様子だった。
「ワトソン、この期に及んでまだぼくには直観しか手がかりがない。ジャック・カーペンターがウィークスを殺したとは思えないし、あの若い娘がやったとはなおさら思えない。しかし勘や直観は証拠になりえない。バーがまだ開いているうちに急いで宿に戻ろう。心地よい場所で考えれば何かよい考えが湧くかもしれない」
戻ったときには宿はもう看板だったが主人のカーペンターは急いでわたしたちにウィスキーのボトルとパンやチーズを用意してくれた。炉の火はまだ赤々と燃えていたのでホームズが主人にいくつか追加の質問をしている間、わたしは炉の前に座ってくつろいだひとときを楽しんだ。やがてホームズも火のそばの席に戻ってきた。

「ワトソン、事件の容疑者として誰の名があげられるだろうか?」
「そうだな、ジャック・カーペンターとベス・ミラーのほかは……」わたしは声を落とした。「ジャックの父親、ここの主人の可能性もある」
「そのとおりだ。ジャックを駅で見送っているのだから、殺人を犯すためにはジャックも父親もその前にいくらか時間が必要だったはずだ。しかしどれくら前にだろう? いまじっくりと彼と話して来たんだが、彼とジャックは昼中ここにいてベスは農場でずっと働いていたことを証言してくれる人はたくさんいるという、ぼくはそれを信じるよ。ただ、いくらそうでも警察が立件してかれらのうちのだれかを、または全員を起訴したら陪審員が有罪を宣告することは大いにあり得る。全員に犯行に及ぶだけの時間はあっただろうという単なる推測に基づいてね。ワトソン、ぼくらはまだ安心はできないんだ」
「きみが言いたいことはよくわかるよ」
「捜査は暗礁に乗り上げてしまったよ」
わたしはウィスキーのボトルを傾けてグラスを再び満たした。ホームズはひとしきりパイプをふかした。と、突然ホームズが声を上げた。
「ワトソン、鍵はあの列車にある。間違いない。今何時だ?―――11時20分前か。行こう、列車が出る前に間に合うかもしれない!」

わたしたちを乗せてストーヴィーのぬかるんだ古道を飛ばしたのは年季の入った二輪馬車だった。おかげで駅に着いたときわたしたちは泥はねを受け少なからず揺れに閉口していた。しかし10時59分発列車の到着にはゆとりを持って間に合った。運よく駅長のミルトン・フレイザー氏が今夜も当直だった。フレーザーはホームズに明らかに敬意を払っていたが、それでもホームズの要求を聞くと即座に首を横に振った。
「いいえ。10時59分発ロンドン行の発車を遅れさせることなど絶対にできません」
「フレイザーくん、これは軽々しい気持ちでお願いしていることではない。もしわたしが重要な捜査を終えられなければひとりの無実の若い娘さんがその婚約者と同じように今夜拘置所で過ごすことになる。ほんの10分でいいんだ」
「ホームズさん、わたしの評判など世間の標準からすれば微々たるものかもしれませんが、わたしにとってはとても大切なものです。10分も列車を遅らすのは長すぎます」
「あなたの名を汚すことはないとわたしが保証すると言えばどうです?」
「ほんとうに保証していただけますか?」
長い沈思黙考ののちにフレイザーは言った。「よろしい、ホームズさん。おっしゃる通りにしましょう」

以下続く

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories関連記事

10時59分発列車の暗殺者 1

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories の最後の一篇、"The 10:59 Assassin"の試訳です。
取り掛かって長らく放置状態でしたが、最近聞き直して早々に仕上げました。
4編の中では一番起伏がありホームズも快刀乱麻というわけにはいかず、自分の直観を信じながら証拠を求める様は短いながらも物語に陰影を与え楽しめる物語になっています。
例によって数か所曖昧なところがありますが、また解決し次第訂正していきたいと思います。英文は最終回に付記します。

10時59分発列車の暗殺者



わが友にして相棒であるシャーロック・ホームズの手がけた数々の事件捜査をわたしは長年にわたって記録する特権を担っているのだが、それは彼の生涯にわたる仕事のほんの一部にすぎないことは今となってはよく知られた事実である。他の多くの事件は時の流れの模糊とした井戸の中にうずもれて行ってしまう。
しかし、いかなることも全く痕跡や記憶を残さずに消えていくということはない。ときおり古い物語が頭をもたげて手を伸ばしてくる。ストーヴィーの殺人事件もそうだった。

ある朝ベイカー街のわたしたちの下宿にホームズ宛の一通の手紙が届いた。ケント州のストーヴィーにあるパブ、”ホース・イン・カラーズ(千種馬亭)”の主人サミュエル・カーペンターからだった。
今を去る数年前、かの地の悪党アーサー・ウィークスが脅迫、誘拐、恐喝、さらに被害者に重傷を負わせた罪に問われた際に、カーペンターは目撃者として法廷に立った。ホームズは足跡の証拠をつかんで警察に協力した折にこの愛想のいいパブの主人と知り合いになった。事件の解決後はこの静かなストーヴィーの村を訪れることももうなかろうと思っていたのだが、届いた手紙は明らかに切羽詰った調子でホームズの来訪を請っていた。

『拝啓 ホームズ様、四年前にお別れする際に、もし万が一あなた様の御力が必要になるようなことがあればすぐに手紙をよこすようにとおっしゃってくださいましたね。まことに残念ながら、その日が来てしまいました。周囲に恐ろしいことが次々と起こり、まったく途方にくれています。あなた様が逮捕にご尽力されたあの極悪人のアーサー・ウィークスが数か月前に獄死しました。それからというもの、息子のヘンリー・ウィークスに私どもの生活がめちゃくちゃにされています。飼い犬のキャッチャーが撃たれて死んでいるのが野原で見つかりました。死んだ狐がうちの貯水タンクに放り込まれたのも二度になります。脅迫状が届き始めて、お前の旅籠に火をつけてやるとかそのうちに女房に逃げられしまうぞとか脅し文句が匿名で書かれています。そのうえヘンリーはいけしゃあしゃあとうちの旅籠のバーに飲みに来るのです。先週のことでした。息子のジャックが腹に据えかねて大勢の客の前でヘンリーに面と向かって、お前のやり方は度を過ごしている、ただでは済まないと思えと言い放ったのです。そんなことをしなければよかったのに。その二日後にウィークスが頭を撃ち抜かれた姿で発見されました。今ジャックは殺人犯として逮捕されています。ホームズさん、何かお力になっていただけることはありませんか? お願いです、どうぞすぐにおいでください』

ホームズがこのパブの主人に好意を持っているのを知っていたので、数日の間差し迫った用事がないかとわたしに尋ねたときも驚きはしなかった。これがいつもの彼のやり方なのだ。ないと答えると、すぐに小旅行用のカバンに支度するようにとわたしに告げた。こうして一時間もしないうちにわたしたちはケント行の列車に乗っていた。



ストーヴィー村に到着後わたしたちはホース・イン・カラーズ亭に宿を取った。落ち着くとすぐに宿の亭主はわたしたちとともにバーのテーブルの前に座った。大きな暖炉の火が冷気と闘い寒さを組み伏せていた。
「さて、カーペンターさん、お力になるためには、まずわたしの質問に正直に正確に答えていただきたい」ホームズは言った。
「そのつもりです、ホームズさん」
「息子さんのジャックはこのバーでヘンリー・ウィークスを脅したのですね」
「はい、そのとおりです」
「その二日後にウィークスの死体が発見された」
「頭に一発食らって死にました。村から少し出たところでナイチンゲール小径とロンドン行の列車の線路が交差する場所です。近くには彼の馬がつながれていました」
「そして警察はジャックを逮捕しに来た。いつですか」
「その夜です。でもジャックはここにはいませんでした、当たり前です」
「いなかったとは?」
「ホームズさん、ジャックがヘンリーを殺せたはずがありません。ウィークスが殺されたときにはジャックはもうロンドン行の列車に乗っていたんです。あいつは結婚式に着る礼服を買いに行ったんです。10時59分発の列車に間に合うようにわたしがストーヴィー駅まで送りました。わたしからジャックの姿が見えなかったのはほんの一瞬で、ジャックは列車に乗るとわたしは列車が出発するのを手をふって見送りました。ところが警察はそんな説明はいっこうに聞く耳を持たず翌日ジャックがロンドンから戻るとすぐに逮捕して、ジャックは今メイドストンの拘置所に厳重に監禁されています」
「わかりましたカーペンターさん、あなたのおっしゃることは間違いなく真実だと思います。しかしわたしの勘ではこれはかなり入り組んだ事件になりそうな気がします。だから心してください、どうか短慮は慎んでください。我慢が肝心です」ホームズは言った。

カーペンターがほかの客の応対に戻るとわたしは声を落としてホームズに言った。「確かに、あのおやじさんが言ったことが本当なら警察は事件にするはずがない。ジャックほどしっかりしたアリバイがなくてウィークスを殺してやりたいと思っている敵は百人だっているだろう」
「おそらくな」ホームズは言った。「だがね、息子を助けたいと思う一心の父親の証言は法廷ではそれほど説得力をもたない可能性がある。特に警察が先入観でこれと決めてかかっているときにはね。ワトソン、事件に関する事実は明らかになる前にむしろずっと曖昧になるという気がしてならない。さあ、午後を無駄にしないでヘンリー・ウィークスの不運な最期についての詳細を調べるとしよう」

わたしたちを犯行現場に案内したのはベリー巡査という現地の警官だった。頭の硬い現実主義者で、そのでっぷり出た腹を収めるために制服は多分に大きめに作り直されているのだろう。ベリーの態度から、犯人はもう半分絞首台にかけられているも同然なのだから今さら犯行現場へ諮問探偵などを案内するよりもっとましなやることがあるはずだと思っているのがありありと見て取れた。



わたしたちはストーヴィー村から徒歩で現場に到着した。ロンドン行の本線とナイチンゲール小径が交差している踏切から30ヤード(約28m)ほど離れたところだった。
「ダーケル踏切、死体はここで見つかりました」ぶっきらぼうにベリー巡査は説明した。
「フェンスから6フィート(1.8m)、被害者の馬はまだつないだまんまで。死因は弾一発、ちょうどここに」べリーはぼってりした指を眉間の中央に当てた。
「凶器は?」
「銃ですな」巡査は横柄な調子で言った。
「わかっている」ホームズの口調は明らかに苛ついていた。「弾丸で人が殺されたのなら考えられる凶器は火器だ。わたしが知りたいのは凶器が発見されたのか、まだならその銃弾を発射するタイプの銃をだれか持っていたかどうか、そういうことだ」と一息に言った。
「銃は、見つかっとりませんな」
「銃弾については?」
「知ってる限りではまだあいつの頭ン中の短いトンネルの奥に収まってるはずで」
「馬は?」
「ああ、馬が犯人ということはないでしょうや」巡査は薄笑いを浮かべた。
「ベリー巡査、」ホームズは恐ろしいほどに忍耐強かった。「きみはこの捜査でわたしに協力できるのか、それとも他の案内人をよこすようにロンドン警視庁の知り合いに申し出るほうがきみにとっては都合がいいのか?」
ベリーは急にしゅんとなったように見えた。
「ほんの冗談です、ホームズさん。はあ、馬のところにも死体のところにもお連れしますです」

わたしたちは最初に馬を調べた。村の厩舎に警察の馬といっしょに繋がれていた。大きな茶色のスタリオン種の馬でおびえたような眼をしている。若いころには立派な馬だったのだろうが長年にわたって酷使されたせいか今は見る影もない。ホームズは馬をじっくり観察した。馬は落ち着きがなくびくついていてホームズが頭部を調べるために面掛を取ろうとすると嫌がって手を振り払おうとした。わたしは友人が厩舎の仕切りの中で馬の周囲を歩き回るのをハラハラしながら見守っていた。恐れに駆られた馬が体と壁との間にホームズを挟んでしまわないかと案じたのだ。やがて馬の正面まで一回りしてホームズは言った。
「ここに傷がある。鋭い傷だ、見えるか?」
右の前足の蹴爪の関節の少し上に細いけれど明らかに最近できたはっきりした損傷があった。ホームズはまたベリーに向き直った。「この傷は最初からついていたのか?」
「そうでしょうね」
「結構。では、死体の傷の調査にかかれるだろうから死体安置所へ案内してくれたまえ。ときに巡査、きみはどの程度告発された男を知っているんだね?」
「よおっく知っとります」
「彼に気心の知れた友人や知り合いがいるか知っているかね?」
「さあ、よくは知りませんね。あいつはいつも親父のパブにいたんで。二人とも特に親しい……つまり……」
ベリー巡査は不意にことばを途切らせた。しかしすぐさまはっとして動きを取り戻すとやけに事務的になった。目に怪しい光を浮かべて口早に言った。
「ホームズさん。ほら、あそこが死体安置所です。教会のすぐ後ろです。できることならご案内したいんですがやらなければならないことを急に思い出しまして」
そう言い捨てると身軽にほとんど走らんばかりにベリーは村に向かって姿を消した。



「変だな」わたしはホームズに言った。「あれはいったい何だと思う?」
「どうやらあの男の頭に要らぬ考えを吹き込んでしまったようだ。ことがややこしくしならないといいが」ホームズは言った。

死体の検視がロンドンに依頼されていたが、警察の検視官はようやくその朝に到着したことがわかった。もしかするとホームズとわたしが乗った同じ汽車でやってきたのかもしれない。
検視官はヤードリー教授といい、彼とはパディントンのセント・メアリー病院の関係でまったくの知らぬ仲ではなかったのでわたしが検視の手伝いをすると申し出ると彼には何の異もなかった。ヤードリー教授は実直な開業医だった。死因は明らかであるように見えるにもかかわらず解剖を始める前に丁寧に死体の外観を調べた。
頭部の傷は、ほとんど星形といえるくらいのきれいな穴で乾いた血が詰まっている。頭の後部に穴はないので弾丸は貫通していないのは明らかだった。
「現場に凶器がなかったことと合わせて考えても自殺の線は問題外だと思われませんか?」ホームズは言った。「しかし皮膚に火傷もないし、至近距離から撃ったにしては傷口が小さすぎるから、この弾はある程度の距離から発射されたと言えるでしょう」
弾丸は前頭部を貫き側頭葉の深部に達していた。しかしホームズが指摘したように頭蓋骨の穴は小さく、至近距離から被弾した時に見られる大きな骨の損傷はなかった。
「自殺は問題外でしょう」ヤードリー教授も同様の意見だった。

「つまるところ、やはり間違いなく殺人犯を探すことになるんだね」ストーヴィー村へ戻りながらわたしはホームズに考えを言った。
「ああ。誰かがヘンリー・ウィークスを殺したのは確かだ、ワトソン。だが実を言うと今の時点ではそれがだれだかぼくにはまったく見当がつかないんだ」
「じゃあジャック・カーペンターについて考え違いをしていたと思ってるのかい?」
「そうじゃないことを祈りたいね、ワトソン。恐ろしい悲劇かもしれない。だがね、殺人にはいつも哀れな人間が絡んでいるんだとぼくは思うね」
風が冷たいので宿の暖炉の赤々と燃える薪の前でビールを一杯ひっかけたかった。それで次の寄港地はホース・イン・カラーズ亭であってくれと願ったのだが、ホームズはまっすぐストーヴィー駅へ向かった。なんでも大切な面談をしなければならないと言うのだ。わたしは最後の光が空から消えていくにつれてますますつのる寒さにじっと耐えるしかなかった。

以下続く
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