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トリニティ牧師館の盗難事件 3

承前

「スターキー?」
「いや、スターキーじゃない」
「あいつらのどちらか?」わたしは親指で教区役員の方を指した。
「違う、ワトソン」
「じゃいったい誰だ?」
「ワトソン、きみはあの靴を観察しても何も読み取れることはなかっただろう」
「ああ、まったくなかったね。さらの新品だ。まったく注目すべき点がないことを除けばただサイズがでかいだけだ」
「ところがさに非ずさ、きみ、ペンキがついていないという点が注目すべき点なんだよ」
「何だって?」
「つまり、ワトソン、確かに靴底に白いペンキはついている。だがペンキにまみれた手でどうやったら跡も残さずに靴紐をほどいて靴を脱ぐことができたか教えてもらいたいものだ」
「わかるものか」わたしは言った。「だが、単なる偶然でまったく関係のないだれかがたまたま靴底にペンキのついた靴を茂みに捨てたとは考えられないか?」
「偶然などありえない」ホームズはきっぱり言った。「この靴は間違いなく犯人があそこに置いていったものだ。だが彼がわたしたちに思い込ませようとした意図通りには行かなかったがね」
「犯人が誰かわかっているといいたいようだな」
「ワトソン、犯人はキングスレー牧師本人だよ」
「そんなことがあり得るか、ホームズ? 草原を逃げてから牧師館に戻って遅れずにサムと教会の前で落ち合う時間だけのがあったはずがない。自分を追いかけて野原を走るなんてどうやったらできるんだ?」
「うん、ワトソン、今夜主教に牧師館で会うことになっているのはきみも知っているね。じゃあまず飯を済ませてしまうとしよう。その時に全部説明するよ」

事件の捜査の中間報告を牧師館ですると主教に約束していた。もちろん前回に会ってからまだ時間もそれほど経っていないので主教とてたいした進展を期待してはいないであろうと思われた。ところがキングズレー師のゆったりくつろげる客間に落ち着いてシェリー酒のグラスを傾けるやいなや、ホームズは芝居がかった物言いで高らかにこう宣言した。
「方々、お喜びください。ワトソン先生とわたしは事件を解決しました」
先にホームズと交わした会話の後でさえわたしは事件の真相について他の人々と同じようにまったく五里霧中であったのだが、それをわざわざ披露する必要もないのでわたしはシェリーを静かにすすっていた。
ホームズが宿屋から持ち込んだ袋を開いて、中からわたしたちが川の側で見つけた白く汚れたブーツを取り出すと主教は目を丸くした。懐疑心が顔中に広がっていた。キングズレーも同じく疑問をもったような薄笑いを浮かべ眉を吊り上げた。
「ホームズさん、どうぞ教えてください。あなたのお考えではこれは何なのですか?」と、キングスレー。
「ワトソン先生とわたしはこれをハーディング小路のイバラの茂みで見つけました。大きなブーツは、すなわちわたしたちが探すべきは大きな男だと示唆していました。しかし足跡は彼の歩幅が短いことを示していました。この矛盾点を理解するきっかけをくれたのはジョリー・ブルドッグ亭の亭主です。彼が自分の足のサイズよりも大きな靴を買うのはふつうより多くの靴下を履くためでした。一方わたしたちが追っている犯人は中にもう一足靴を入れられるように大きな靴を買ったのです。そして実際の自分よりもはるかに大きな男の足跡を残したのです。そうではありませんか、キングズレーさん?」

若い牧師は、たとえ何かやましいことがあったとしてもあっぱれなほどに冷静だった。いささかも動揺を見せずに気取った驚きの表情を浮かべただけだった。
「わたくしが犯人だとおっしゃるのですか、ホームズさん?」
「ホームズくん、」主教が重々しく言った。「わたしの知る限りでは、キングズレーくんと聖堂守りはあの突発事件が起きたに日に、実際に犯人を苦心して追いかけたのだと思うが。いったいその告発の証拠は何だね?」
「主教様、」ホームズの声は自信に満ちていた。「キングズレー師はハッチントン聖杯を売却して得た資金を横領したいと思った、そして捜査を欺くために状況証拠をでっち上げようとしたのです。広つばの帽子の幻の男を作り上げただけでなく実際にその帽子をかぶり、コートの襟を立てて数か所に出現して歩き回りマナーズ夫妻の目につくようにした。事件当日は、サム・マナーズを昼食に帰してから牧師館へ戻り例の変装でマナーズくんが食事をしているコテージの窓の外に姿を見せて教会の庭に入った。すぐさま牧師館へ取って返して変装を脱ぎ捨てた、そしてマナーズの奥さんがドアをノックするのを待ち構えたのだ。奥さんにサムに地下室のドアの前で落ち合うように伝えさせた」
「それから、どうしたっていうんです?」キングズレー牧師は怒りのために居丈高に詰め寄った。「わたしはこのブーツを履き、教会の鍵を開けて、地下へ下り、金を盗み、教会から逃げ出して、踏み越し台を飛び越えて草地を1マイルも走り、すぐに1マイル走って戻ってブーツを脱いでサムが来るのを待って、それからまた草地を追跡で走ったとでも? これをすべて2分間の間にやってのけるとはなんと器用な!運動選手でも20分ではできないでしょうに!」
「確かにその通りだ。友人のワトソン先生が明らかにしたように問題はまさに人が草地を走って自分の後を追うことができるだろうか、という点にあった」
「してその答えは?」主教が聞いた。
「キングズレーさん、きみがどの時点で金を盗んだか知る者はないだろう。鍵を保管しているのだからきみは好きな時に盗むことができた。もしかすると金は初めから地下の金庫には入れられなかったのかもしれない。いま話している事件当日にはきみは無駄に時間をつかう必要はなかった。ただマナーズくんが食事をしている間に地下のドアのところまで行って白ペンキの缶を蹴飛ばすだけの時間があればよかったのだ」
「もちろんあらかじめマナーズくんにはその場所の壁を塗る仕事を課しておいた。間違いなくその場所にひっくり返すペンキ缶を置いておくためだけにね。ここが肝心なところだが、こんな手のかかることをしたのもすべてきみが草地を横切る足跡をつけておいたからだ、前の夜の間にね」

「同じ時に底に白いペンキをつけたブーツを茂みに押し込んでおいたに違いない。ただし愚かにも靴ひもにペンキをつけておかなかったのは手抜かりだった」
この時点で、すべての抗う力が抜けて行ったように牧師は椅子に崩れ落ちた。容赦なくホームズが企みを暴くにつれてその場にいたわたしたちは、いよいよ彼が衝撃的な結論に近づいているのを感じた。
「キングズレーさん、前の夜ブーツの底に白ペンキをたっぷり付けてきみの手はペンキにまみれた。草地を横切る道に沿ってハーディング小路まで白い足跡をつけた。そのあと広つばの帽子を踏み越し台のそばに落とすとハーディング小路の脇の茂みにブーツを隠した。かくして『足跡』は翌朝みごとに人目をたぶらかすために準備万端整った。あえて言うならきみはうっかり先に見られないようにマナーズくんを遠ざけておくことだけに注意していたのだ、語弊があるかもしれないが、きみのその『小手先わざ』から」
「だが、しばし待ちたまえ」主教が言った。「もしキングズレーくんが前の晩に帽子を落としたとしたら事件当日にどうしてその帽子をかぶっていられたのだ?」
「ああ、実に単純なことです」ホームズは答えた。「帽子はふたつあったのです。それに、決定的に鍵の問題もありましたしね」
「ホームズ、それは何のことだ?」わたしは思わずたずねた。「鍵が話に上ったことなど覚えていないぞ」
「まさに鍵に関する言及がなかったのは注目に値した。なぜか? 地下室に入るには鍵が必要だった、そしてキングズレーさんはどうして侵入者が鍵を手に入れられたのかというきわどい疑問を持ち出さないのが得策だと考えたからだよ」
キングズレーの蒼白な顔と力の抜けた姿から彼が完敗を認めたことは明らかだった。主教はもうこれ以上の説明を必要としなかった。 「キングズレー、金はどうした? 使ってしまったのか?」
若い牧師は苦々しげだった。
「おれはギャンブラーなんだよ、主教さん。ほんとのところ、ずっとひどい借りがあったんだ。おれは教会の金をすこしずつ使い始めた。いつか大勝したら返そうと思ってたんだ……ところが、金は水みたいに手からこぼれていった。もうほとんど残ってない」
「では致し方ない、警察に任せねばならん」主教は言った。「それに、ハッチントンに新しい牧師を探さなければならない。キングズレー、おまえは監獄という名のずっと暗い教区の管理司祭を長年務めることになるような気がする」



典型的なホームズの「お出かけモノ」です。ベイカー街B221で鬱々としているホームズもそれなりに魅力的ですが、こうしてロンドンを後に地方に来ると心も軽く楽しげです。諧謔的な言動も好調です。
1に書きましたように今回は全文を聞き取りテキスト化してみました。その分時間がかかりましたがいい経験になりました。興味のある方はこちらでご覧ください。

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トリニティ牧師館の盗難事件 2

承前

牧師館を出ると午後ののどかな陽光と鳥のさえずりがわたしたちを迎えてくれた。わたしたちはキングズレー牧師の案内で教会の敷地を巡り始めた。
わたしはすぐさま頭の中にハッチントン村と周辺の地図を描き始めた。軍隊にいたときから習慣的でこれが今の生活の中でも役に立っている。
頭の中に広い農地を思い描くことができた。さしわたしおよそ2マイルの大きな長方形の農地だ。ハッチントン村と教会はほぼ反対の角に位置している。このかなりの広さの土地の四方を公道が取り囲んでいる。
キングズレー師はわたしたちを率いて教会の横から墓地へと続く草むした小道をたどった。
「ここがあの日の朝サム・マナーズが塗っていた教会の壁です。2,3時間働いて12時になったのでいつも通り昼食のためにコテージに帰しました。わたしは本を取りに牧師館へ戻りました。20分ほどたったころ裏口にノックが聞こえました。気も動転したマナーズ夫人が広縁の帽子をかぶった男が教会の敷地へ入っていくのを夫ともども見たというのです。すぐさま戻ってサムに地下室へ入るドアのところでわたしと落ち合うように伝えろと夫人に言いました。そしてまっすぐここへ駆けつけるとあたりはひどい有様でした」
キングズレーは道のすぐ横の地下室のドアへと続く四段ある石段を指差した。階段の横の壁は塗りさしのままだ。
「おそらく犯人はこんなところにペンキの缶があるとは思わずにこの地下室のドアから出てきて、大急ぎで逃げる際に蹴飛ばしていったのでしょう」
まだ乾いていない白い粉のようなペンキが一番下の板石の表面を汚して広がっていた。
「直後にサムが来ました」キングズレーは続けた。「人影はありませんでした。でもすぐにどちらへ行ったか分かりました。みなさんこちらへ来ていただけますか?」
牧師はわたしたちを連れて教会の敷地の境になっている木の柵まで草地を少し進んだ。柵には踏み越し段が設置してあり、その向こうは踏み分け道が草地の中に続いていた。
「これが犯人の逃げた道です」牧師は言った。
踏み越し段の向こうには雑草や丈の高い草の中を見え隠れにでこぼこの踏み分け道が牧草地を横切って遠くへ続いていた。
細い道のところどころに白い点が不連続についているのが見えた。
「推測するに―――白くついているのは逃げた男の足跡ですね」ホームズは言った。
「まさにその通りです。明らかにこの草地を横切ってハーディング小路へと逃げたのでしょう、ホームズさん」
わが友ホームズはうなずいた。踏み越段のところで足を止めた。「ここに白い手形が二つついている、こちらが右手、そして左手だ。男はよほどあわてていたと見える」
ホームズは身軽に踏み越し段を越えて少し草地の道を進んだ。屈みこんで犯人の残した白い跡を綿密に調べて一握りの草を引き抜くとわたしたちのところへ戻ってきた。
「キングズレーさん、ありがとう。ここで必要と思われるものはすべて見ました。他に何か役に立つと思われることはありますか?」
「もちろんです」牧師は意気込んで言った。「家へ戻りましょう」

ホームズはマナーズ夫婦もいっしょに牧師館に来るように求めた。しばらくてキングズレーの家の台所で、マナーズ夫人はみんなにお茶を淹をいれおわり、ホームズはといえば石の床の上をゆっくりと行ったり来たりしていた。
わたしは台所のテーブルにキングズレーとサムと同席していた。赤ら顔をした40代前半のサムにホームズは話しかけている。
「さてマナーズくん、事件の日に帽子をかぶった男を見たのはきみだけだったんだね?」
「はあ、そう思います、だんな。窓のそばに座って昼飯を食ってたんですがね。やつは大丈夫かどうか窺うように何度か道をあちこち見て、まっすぐ教会の敷地へ入ってきたんでさ。すぐに女房に裏口から牧師さんに知らせにいくように言いました」
「きみはコテージで奥さんが戻るまで待っていたんだね」
「そうでさあ」
「時間にしてどれくらい?」
「2分はかからなかったね」
「牧師さんはすぐに教会で落ち合いたいと言ってると聞いて大急ぎで駆けつけましたや」
「そしてキングズレーさんがきみを待っているのが見えた?」
「はあ、そうです。地下室のドアが大きく開きっぱなしであたり中真っ白で」
「ふむ、地下室のドアはきみが昼食を食べに行く前から鍵がかけてあったんだね?」
「はい、ホームズさん。いつも鍵はかかってます」
「そのときペンキの跡が点々とついているのに気がついた」
「そのとおりでさあ。それですぐ跡をたどって追いかけたんで」
「犯人からそう離れてはいなかっただろう?」
「だったと思います、でもあいつは風みたいに足の速いやつだった。あっしらが草地を横切るのに……ふう、4ハロン(1ハロン=約201m)以上あったけど5分もかからんかったでしょう。それなのに全然追いつけなかった。だけど向こう側で決定的なもんを見つけたんでさあ」
「これです」キングズレーが口を挟んだ。「サムが言っているのはこれのことです」
引き出しから白い縁のある黒ベルベットの帽子を取り出した。安物で闘牛の絵にあるピカドールがかぶっている帽子に形が似ていないともいえない。ホームズは帽子を手に取りあちこちひっくり返して見た。
「あっしが見つけたんでさ」マナーズが言った。「盗人に追いつこうと牧師さんの前を走っとったんです。踏み越段を越えたところで道端の草の中にこれがあるのを見つけたんで。逃げる途中で頭から落としたんでしょうや」
「ふむ、まだこれがどんな役に立つかわからないので、よろしければわたしが保管したいと思いますが」
「ええ、どうぞどうぞ」牧師は言った。
「ではここで別れてわたしたちは先へ行くとします。草地の中の道を行きます。犯人の逃げた道をたどってみたいので」

かくてわたしたちは一行と別れて教会を背にして広い草地を横切ってハーディング小路に向かって歩き始めた。
盗難事件からもう一週間あまりになるが草地にははっきりと白い足跡が残っていた。もう一つの踏み越し台で小道は終わっていた。その向こうには木陰になった細いハーディング小路が続いている。
ハッチントン村へ戻るには草地の周囲をぐるりと回る道をどちらに進んでもよかった。そこでわたしたちは、東に進んで教会のそばを通る道でなく西へ行く方を選んだ。足を進めながらホームズは繰り返しあちらこちらに目を向けた。野原や道端、石壁の継ぎ目や茂みや木々に眼を配った。
「何かに気づいたら教えてくれたまえよ、ワトソン」
そうするとわたしは答えた。しかし昼下がりの野原は明るく何事もなく静まり返り、木々では太陽の光を楽しむ鳥たちがたのしげにさえずっているだけだった。

やがて瀬音を立てる小川の橋にさしかかるとホームズは途中で足を止めた。
「あそこに何かある。ほら、見えるか?」と土手を指差した。サンザシの枝が流れの上にかぶさるように張り出している。
「あの茂みの中になにか、見間違いでなければなにか二つある」
わたしたちは小さな橋の欄干によじ登って土手に降りた。サンザシは重く低く垂れこめ、近寄っても奥を見透かすのに一苦労だった。
ホームズは落ちていた腕の太さほどの木の枝で茂みを払いながら進んだ。小さな勝ち誇った声があがり何かが見つかったのだと知れた。ホームズは手を伸ばすと大きな革のブーツをつかんで引き出した。
「ワトソン、どう思う? これはわれわれが探している犯人のブーツじゃないのかね?」
「やけにでかいな。これを履くのはかなりの大男だろう」とわたしは答えた。「底に白いペンキがついている。教会の草地の白い足跡に合うか確めるか?」
「まさにそれだろうよ、ワトソン。だがどうしてここに靴を捨てていく気になったんだろう?」
「おそらく、」わたしは推測した。「犯人はまだ跡を追われていると思っていて、この靴を履いたまま捕まったら犯人であることが見え見えになると思ったからじゃないのかな」
「靴を履いていないのも同じくらい怪しげだぞ」と、ホームズ。
「予備の靴を用意して持っていたのかもしれない。ワトソン、明明白白だ。犯人は地元の人間だよ。面が割れるのを恐れていなければどうしてあんなに手の込んだ変装をしなけりゃならない? さあ、ジョリー・ブルドック亭へ戻ろう。つまるところあそこには地元の人間が集まってくるのだから」

案の定わたしたちが戻ると先ほど会った教区役員のジョン・ハンプトンとマシュー・ウィンズロウは同じ席に戻っていた。そもそも席を離れることなくずっとそこにいたのかもしれない。テーブルに就くとやおらホームズは茂みで見つけたブーツを自分の横の床に置いた。二人は興味津々の面持ちで靴を見た。主人のスターキーが注文取りにやってくるなり聞いた。
「旦那がたの靴かい?」
「いやわたしたちのじゃない。ハーディング小路の茂みで見つけたんだ」とホームズ。
「へんな物をすてるやつもいるもんだ。おれにはどこも悪くみえねえがね」
「ほとんど履いていない」ホームズは答えてすぐに尋ねた。
「このブーツはきみの足に合うかね、スターキー?」近くのテーブルを見やりながら付け加えた。「それとも、そちらの方のどちらか?」
「おれには合いませんや、旦那」スターキーはたちどころに答えた。思ったより愛想がいい。
「たしかにおれの靴はバカでかく見えるけどね……でもおれの足はそれほどでかくないんで。ただ豆ができて痛むんでね」
「大きい靴が足の豆の痛みを和らげるって?」わたしの経験からすると痛む豆に悩む人はまったく逆のことを言うからだ。
「いや、そうじゃなくって。痛みを抑えるために3足厚いソックスを履かなきゃならんのですよ。だからいつも足のサイズより大きい靴にするんでさあ」こういうと、皮肉っぽくつけ加えた。「どっちにしても気に留めてくれてありがとうさんよ」
隣のテーブルのハンプトン氏が尋ねた。「ひとつお聞きしてもいいかな?そのブーツがどうして気になられるのかな?」
「いま行っている調査で、このブーツは……いわば科学的な重要性があるんですよ」ホームズは答えた。
そして二人が疑わしげな面持ちで向こうを向くとわたしに小声で言った。
「思った通りだ。ワトソン、犯人がわかったよ」

3へ続く

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トリニティ牧師館の盗難事件 1

BBC制作のオーディオブック "Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories"の第三話、"The Trinity Vicagage Larceny"の全訳です。今回は原文もすべて起こしました。最後に付記したいと思います。

トリニティ牧師館の盗難事件

ある晴れた春の日の午前のことだった。シャーロック・ホームズとわたしは紫衣を着たふくよかな男性の訪問を受けた。開いていたデイリークロニクルからふと目を挙げるとドアのところに彼の姿が見えたというわけだ。
紫衣の紳士はケントの主教だった。ホームズの以前からの知り合いだったがこの部屋を訪れる他の人々の御多分に漏れず心中穏やかならぬ深刻な問題を抱えてきたように見受けられた。
コーヒーとタバコを勧められてやや落ち着きを取り戻すと主教は促されるまでもなく心に秘めた話を始めた。
「方々、わたくしの抱えている問題というのは不運な若い牧師のことです。才能もあり将来が期待されていて教区でも人望のある若者なのですが、図らずもいま大変な苦境に陥っています」
「興味深いお話ですな」ホームズは言った。
「覚えておられるかもしれないが、」と主教は続けた。「ハッチントンのケント・ヴィレッジにあるトリニティ教会は昨年特筆すべき発見でニュースになりました」
「覚えておりますとも」わたしは言った。「地下納骨堂で非常に価値のある銀製の杯がみつかったんでしたね」
「そのとおり、ワトソンくん。素晴らしい中世の遺物でハッチントンの聖杯と呼ばれています。重さはおおよそ22ポンドで、ハッチントン教会の修復を進める費用をかなり補えると考えてわたしも認めたうえで大英博物館に売却しました。教会の建設の開始を一時延ばしていたキングズレー牧師は売却して得た資金を教会地下の金庫に保管しておいたのですが、それが昨日盗まれてしまったのです。ホームズくん、考えてもみたまえ。もしこれが新聞に漏れたらどんな大騒ぎになろうか、もちろんキングズレーとハッチントン教区の汚名となるだろう。教会の名を守るためにはいったいどうすべきか誰にもわらない。いかなる手を尽くしても金を取り戻し犯人をつかまえなければならないのです。わたしの言う意味がお分かりですかな、どれほど費用が掛かってもですよ、ホームズくん」
「さしあたり今のところ料金についてはご心配にならないように」ホームズは言った。
「そもそも、窃盗事件にかかわりがありそうな人について何か手がかりはあるのですか?」
「よくわからないが、事件の直後にキングズレーは犯人の正体を暴こうとして牧草地を追跡したのだが、結局大したことはわからなかったようだ」牧師は言った。
「そのお若い方に直接お会いした方がよさそうですね。できるだけ早く。ワトソン、何日かぼくといっしょにハッチントンへ行く都合がつけられるかい?」
「お二人とも、恩に着ますよ。来られるときにはトリニティ教会の僧坊に泊まられたらいい。それとも……もし宿屋がお望みならジョリー・ブルドッグ(愉快なブルドッグ)亭というところもあるが」
「ああ、ジョリー・ブルドッグですか。まさにわたしにうってつけに聞こえますね」ホームズは言った。

翌朝私たちはハッチントンへと向かった。腰を落ちつけた先は居心地はよさそうだがいささかくたびれた旅籠、つまりジョリー・ブルドッグ亭だった。
宿の主人、スターキーはぶっきらぼうな男でホームズより数インチばかり背が高く、天井の梁に頭をぶつけないように器用に屈んで避けながらごついブーツをはいてどすどす歩き回って客の世話を焼いていた。
スターキーはむっつりとわたしたちにパンと少し硬い冷たくなった肉の遅い軽食を出した。そして誰もかれも午後の二時半過ぎに昼食を食べたいというんなら昼食と夕食の間に摂る食事に名前をつけなきゃならんと文句を言った。
「残り物」ホームズはいたずらっぽくスターキーが聞き耳を立てられるくらいの声で言った「……それがぴったりの名前だろうね」
パブの主人はいまいましげなうなり声を漏らして離れて行った。わたしはホームズの方に身をかがめ小声で言った。
「あれがいい例だよ、いかに頭まで回る力が少ないやつほどうぬぼれが強いかってね(原文:自分のサイズの靴よりも自分を大きく見せる=うぬぼれる)」
「むしろここに来た様子から見るに彼のブーツは足より大きすぎるのではないかな」ホームズは穏やかに言った。
近くのテーブルにいる二人の紳士がわたしたちの話を聞いて笑っているのに気がついた。
「スターキーのことはあんまり気にしなさんな」一人が愛想よく話しかけてきた。「たくさんの客の相手で疲れとるんだよ」
紳士はジョン・ハンプトン、連れはマシュー・ウィンズロウと名のった。わたしたちはハッチントンヘ来た目的を明らかにしなかったけれども、彼らにはわたしたちが来ることがわかっていたようだった。やがてこの二人は教区役員会のメンバーであることがわかった。二人は盗難事件については詳細を知らされていたが、急いでまだ世間には知られていないと請け合った。
「ぜひとも首尾よく解決して盗人をつかまえてくだされ。わしらはあの若い牧師さんが気に入っておる。あのことがあってから大層悩んでおられるようだ」

キングズレー牧師の住まいはハッチントン小路からわきにそれる短い石畳の小道をたどったところにあった。教会は牧師館から少し奥で、西側にはほどほどの大きさの墓地が広がり反対の東側からはハッチントン小路に直接出られる道がある。一群れの果樹が陰を落としているあたりにチェリー・コテイジがあった。後にそれは聖堂守りの夫婦の住まいであること明らかになった。

キングスリー牧師は30代前半で背は低いが整った顔だちの男だった。僧服は非の打ちどころなく端正に整っていた。昨今の苦境で明らかに痛手を受けているようだが、落ち着いた様子で言葉も歯切れよく、落ち着きのある内装を施した客間にわたしたちを迎え入れてせいいっぱい歓迎してくれた。敷き詰めた深みのある色合いの厚いカーペットや刺繍のクッションは彼が繊細な好みを持っていることを物語っていた。
「お二人をお迎えできて心強く思います。主教様があなたがたについていろいろなことをお話くださいました。複雑に入り組んだ難事件を次々解決されたことなどです。ただ問題があります。ご存じとは思いますが、わたしたちは盗賊が逃げたのを目撃したのに正体を暴けませんでした。しかしながら、あなたのご高察をいただければそれに啓発されてわたしにとっては曖昧模糊としたいくつかの点に解決の光がさすかもしれません―――もちろんわたしが適切な問題点をお示しできればですが」
「そうなればわたしもうれしいことです、キングズレーさん」ホームズは言った。
「まず手始めに、最近この瀟洒な部屋で会合がありましたね。見たところ3人の方を除けば4人目はあなただったようだ。肘掛のない椅子は別の部屋に片付けられたのですね」
「こ、これは……どうしてそれがお分かりになりましたか?」
「ああ、簡単なことです。窓の側のカーペットの上に4脚分の椅子の跡がついています。ゆえに4人集まったと考えました。だが室内にはそれに合う脚の椅子がない」
「おっしゃる通りです。まったく言い当てていらっしゃる」キングズレーはぱっと顔をほころばせて言った。「毎週行っている教区の役員会が昨日あったところです。昨日聖杯を売却した金が盗まれたことを初めて役員のみなさんのお耳に入れたのです。犯人が捕まるまで役員の間だけに内密にしておいてもらいたいのですが……」牧師はここで言葉を切った。
「キングズレーさん、続けて」ホームズは促した。
「ところが、役員の方々は2週間前に聖杯の売却金を教会の地下の金庫に納めておくとわたしがご報告した時にいらっしゃったのと同じお3人だったのです。この事実を知っているのはその方々とわたしだけだったのですから、みなさんが真正直な方であるかもはや確信が持てなくなりました。本当に憂うべき不運なことです」
「すべて現金だったのですね?」
「はい、ホームズさん」
「現金にしておけば教会の補修工事に地元の人を日決めで雇って支払いができるからです。毎日だれかが壁塗りを仕上げるたびに銀行へ走っていって賃金を引き出してくる時間はとてもありませんから」
「現金は厳重に保管されていたのですね?」
「はい。地下納骨堂には金庫があって教会のささやかな宝物も保管しています」
「地下室自体にも施錠していますね」
「ええ。入れるのは教会内部からと庭に続く扉のところからですが、どちらの扉も夜には施錠します……ホームズさん、どうかこの苦境を救ってください。もし金が取り戻せないとなると信徒の方々に会せる顔がありません」 
  「ではお邪魔でももう一度事件のすべてをワトソン先生とわたしに話してください」
「はい、わかりました」

「……2週間前の月曜日、午前11時頃この窓から外を眺めると男の姿が見えました、……ええ、確かに男だと思いました。墓地の屋根付き門付近に立って教会の敷地を覗いていました。このときにはひどくツバの広い帽子をかぶっていること以外に特に注意はしませんでした。帽子を目深にかぶり、しかも襟を立てていたので人相のほどは見て取れませんでした。申し上げたように身のこなし方から女ではなかったのは確かです。男がハッチントン小路の方へ取って返して村に向かうまで優に10分、わたしは男を見ていました。同じ日の午後、二階の窓からまたその男を見たのです。こんどは遠くの小路の側で木の下に立って、またなんというかこちらの教会と敷地を伺っているように見えました。念入りに正体を隠すような様子に自然とわたしの警戒心が頭をもたげました。この男を二度目撃したあと、その夜わたしは、ワトソンさんあなたが今座っておられる椅子にかけていたとき、まさに晴天の霹靂のごとく、はっとある考えに思い当りました。なぜもっと早く気づかなかったのか不思議に思われるでしょう。この不審者は地下金庫に入れてある現金を狙っているのではあるまいか。この不安な予感がひらめいてわたしは聖堂番のサムとメイのマナーズ夫婦に話をしました。二人はご覧になった屋根付き門のそばのチェリー・コテイジに住んでいます。裏口からこの家へ来る近道があってわたしに用があるときには彼らはいつもそこを使っています。わたしが彼らに言ったのは、皆さんもそう思われるでしょうが、これは何か問題になると思ったからです。もしも二人がこの不審な人物、いや誰といわず知らない者が教会の敷地内にいるのを見かけたらすぐに知らせるように頼みました。どうやらこの帽子の男はわたしの動向を探り始めているように思われた節がありました。というのもまずメイが、次いで夫のサムが実際にその男を見たことがあると言ったからからです。いよいよ現金が狙われるのが差し迫っているという危機感を持ちました。わたしはこの脅威が去るまでは牧師館や教会の敷地から離れまいと心に決めました。そしてマナーズ夫婦にもし不審者をまた見かけたら近道を使ってわたしの住まいにすぐに知らせに来るように、しかしどんなことがあっても近づかないようにしかと申しました。そして、いよいよ事件当日です。その日サム・マナーズは教会の壁を白く塗っていました」
キングズレーの話がここまで来たときにホームズは立ち上がった。
「キングズレーさん、わたしたちも教会の土地回りを知っておいた方がよさそうなので続きは外で話してもらえますか?」

2へ続く

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