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13号列車の謎 改訂版

BBCのオーディオブック、シャーロック・ホームズ/再発見された鉄道の話、その他の第二話「13号列車の謎」の改訂版です。
不明な点をネイティヴに聞いて加筆訂正しました。以前の投稿へ上書きしようかとも思いましたが、3部に分けてあったりして作業が邪魔くさいのでここに一括して載せることにしました。ご興味がある方はご覧ください。

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13号車列車の謎

ある10月の朝、暗い雲から雨は絶え間なく降りしきり、ベイカー街221Bはすっかり降り込められていた。わが友シャーロック・ホームズもまた鬱々とした気分でいるのが見て取れた。このところ何週間か事件の依頼がなかったからだ。すくなくとも彼のいう「まともな」事件にお目にかかっていなかった。ここ二日間も家の中をパイプをふかしながら不機嫌に歩き回っているのだった。外の通りを馬車が速度を落としながら近づいてくる音が聞こえたのはホームズとわたしの双方にとって救いだった。わたしたちは期待を込めて窓辺ににじり寄った。ハンソム馬車が(屋根付き一頭立て二人乗り馬車)が家のドアの前に横付けに止まった。やがて身なりのいい大柄な中年紳士が土砂降りの中に降り立ち、御者に料金を払うと呼び鈴を鳴らした。

ホームズは笑いを浮かべている。
「さて、あの金持ちのアメリカ人がパディントン駅から大慌てでここに駆つけるほど悩んでいるのはどんな問題なのだろうね、ワトソン? 」
「アメリカ人だって?」ホームズのおなじみの人をじらせるゲームに、いつものようにこらえきれずに引き込まれてわたしは聞き返した。
「間違いないね。それにかなり厄介な性格だと見た」
「どうしてそれがわかったかぼくに言いたいんだろう、ホームズ?」
「国籍については、狼狽していて馬車代をポケットに入れたポンド銀貨で払うことに思いつくまでアメリカのドルで払おうとしていた事実から推理した。同じく、パディントンからという点はきわめて簡単なことだ。辻馬車の御者はヘンリー・ブラウン、きみがあの男を見分けられなかったのには驚きだが、あいつはいつもパディントンの馬車乗り場に詰めているだろう? いつものことだが、こういった月並みな観察についてはきみに謝らないといけないね、ワトソン。だが、きみが聞いたからさ」

そうこうするうちに階段を上がる足音が聞こえた。ハドソン夫人が訪問者をわれわれの部屋に案内してきた。
わたしは新しい難問が現れるのを期待して友人の機嫌がよくなっているのに気がつき内心うれしかった。そしてどうか彼の抑圧されたエネルギーを振り向ける価値のある依頼であってくれと心の中で祈った。
ドアが開くや、明るいクリーム色のスーツを着た大柄な訪問者が室内ににずかずかと入ってきた。舞台に登場するとすぐに強烈なイメージを観客に焼き付けてやるぞと意気込んでいる役者のようだ。
「ホームズさんですな!」アメリカなまりの大声が響いて、突出された両手がわたしの右手をぐいと握った。「ベネディクト・マスターソンと申します。お目にかかれて光栄ですわい」
「こちらこそ。でもわたしは医師のジョン・ワトソンです」わたしは応じた。「こちらが、シャーロック・ホームズ氏」
先ほどと変わらぬ大声でわたしに詫びを言い気取ったしぐさで会釈をすると男は友人の方に向き直った。
「あー、そうかそうか。いや、わかりました。間違った、これはとんだ間違いでしたわい」
どうやら最初に友人のわたしの方をシャーロック・ホームズだと思いこみ、予想とは違ったと感じたのだなという印象を受けた。
「ホームズさん、どうかわたしのために謎に満ちた厄介な仕事を引き受けていただきたい」
「お座りなさい、マスターソンさん。そしてすべてを話してください」ホームズは言った。
クリーム色の巨体がアームチェアに収まり、勧められるままにタバコに手を出した。不安げに立て続けにタバコを吹かしながらこのアメリカ人はわたしたちに顛末を語った。

「わたしは金を扱っております。方々、金こそ、わが人生です。父はネバダ州に小さな金鉱を持っておりまして、そのおかげでわたしどもの暮らし向きは楽でした。わたしの代になって慎重な取引を重ねてこの資産をもとに財をなしたわけです。ロンドンには先週参りました。お国のイングランド銀行から金の準備高を引き上げるためにかなりの額の金の延べ棒の注文を頂きましてね。金塊はブリストル港へ荷揚げして、昨日チャーターした特別列車でロンドンの銀行へ向けて運びました。わたしは書類仕事があるので少し前からロンドンに滞在しておりまして、それはもう半端な量じゃありませんでした。それで今朝パディントン駅へ委託品を受け取りに行ったところ、確かに列車は到着していましたが、金は……ありませんでした」
「なるほど」と、ホームズ。「盗まれたと」
「間違いなく」
「いくらになります?」
「400万から500万ポンドというところでしょうか、ホームズさん」
「大変な損害だ。金に保険はかけてありますか?」
「もちろん。ですが、保険会社ってやつは、ご存じのとおりやつらは疑い深い。それに金が消えた状況というのが、控えめに言ってもかなり不思議なもんで……」
「よろしければ、そこのところをもっと詳しく、マスターソンさん」友人は言った。

「そうですな……」長くなったタバコの灰を灰皿の縁ではじいて落としながらマスターソンは言葉を継いだ。
「総裁に特別仕立ての夜行列車をお願いしました。だが決して目立たないようにと強く念を押しましたよ。武装したり護衛をつけたりして特別に警備されている列車だと見えるようなことは一切なしにしてほしいと言いました。すると用意されたのは一週間に一度ブリストルからロンドンに無人で回送される貸切の旅客列車でした。鉄道員たちは冗談でその列車を悪運臨時列車(Bad Luck Special)と呼んでましたんな。なに、今までに何か悪いことが起きたっていうんじゃなくて、いつも13両の空の客車をつないでいたからなんですがね。今回もそうでした。金は鉄製の箱におさめるようにしかと言いつけました。それぞれの箱には違った個別の鍵をつけるんです。ごぞんじのように金とは重いものですから、箱ごと持ち運べるだけしか容れられません。列車が走っている間に外の箱ごと動かされる可能性をつぶすために、容器は列車の開いたドアよりは小さく、しかし窓からはスライド窓が全開になっていても大きくて出し入れできないように、間違いなく取り計らいました。金塊を運ぶ車両はロンドンに到着するまで開けられないように外側から施錠できるように替えました」

「機関士と機関助手を別にして、そのとき列車は無人だったのですか?」
「いや、ホームズさん。鉄道の慣習で、うちの列車には護衛が一人付くことになっとります。わたしもこの慣習には喜んで従っとりました。委託貨物には運送中にずっと見張りがつくということで、このために委託の荷はすべての鉄製容器に入れて最後尾の列車に積むことにしました。つまり13号車ということです。これで護衛は積み荷から目を離さずにいられるというわけです。この仕事に雇われのはジョン・ライアンズという経験のある信用できる鉄道会社の職員です」
ここで不思議なことにマスターソンは言い淀んでふっと笑った。
「あー、彼はフランスの鉄道で働いたことがあるか聞きたいもんですな。ほら、護衛のライアン(guard Lyons)って……リヨン駅(Gare de Lyon)と音がそっくりじゃありませんか」
ホームズは礼を失しないように笑ってうなずいた。
「すみませんな、方々。どうか大目に見てください。洒落の魅力には勝てないんですわ。さ、続けましょう。列車は予定通りに今朝3時にブリストルを出発しました。それがパディントンへ着くまでに6つの鉄製の金塊の箱が消えちまったんです。ホームズさん、これはまったく考えられない窃盗だ。列車は水補給のために一度だけ数分間停車しただけです。この時間じゃ金塊の箱を一つだって下せやしません。100ポンドはおろか、たったひとつだって150ポンドの重さはあるんですよ」
「それで護衛は?」ホームズは訊いた。
「ライアンズの申し立てでは、行程のどこかで眠り込んでしまって目が覚めたら金塊が消えていたというんです。彼と機関手、機関助手をパディントンに留め置いていますが、全員が強く身の潔白を訴えています」

「他の容疑者を考えてみたい。あなたの会社でだれかこれで利益を得る立場にある者を思いつきますか?」
マスターソンは口元を引き締め、戸惑っているように見えた。
「ここだけの話しにしていただきたいのだが、別居中の妻ローラは今でもかなりの会社の株を保有しています。持ち分はもっとたくさんにならないといけないと思っているようです。ああ……この件に関してはいささかつらいものがあります。しかし、ローラのことはよくわかっています。あれが盗んだとは絶対に思えません」
「ありがとう、マスターソンさん。確かにこの件お引き受けしましょう」ホームズは簡潔に言った。「よろしければブリストルに電報を打ってドクター・ワトソンとわたしがあちらに向かう旨お知らせ願えませんか?」
「わかりました、いたします……ということは今日あちらへ行かれるということですか?」
「その通り。パディントン駅でひとつ調べ事を済ませたらすぐに」
「おお、それはありがたいことです。この悪運号の一件を任せられる人はあんたを置いては他にはありませんや。だってほら完璧な鍵のホームズ氏―――sheer lock homesっていうんだから!はっは!」
ホームズは今度は笑わなかった。
「マスターソンさん、わたしは何かを偶然に任せるということは決してしません。忍耐と理性がわたしの使う道具です」
「お許しを、ホームズさん。さっきも言ったようにどうしても駄じゃれの魅力に逆らえないんで」
「進展があればすべて連絡しましょう」とホームズ。

30分もしないでわたしたちはパディントン駅へついた。しかしブリストル行の列車に乗る前にホームズは件の『悪運号』がちゃんと保全されているか確めることを望んだ。列車は引き込み線に移されていた。それに警察の担当者がたまたまスタンリー・ホプキンス警部だったことに安堵を覚えた。彼は若いがなかなか野心にあふれた刑事でホームズとわたしは以前にいくつも一緒に事件の解決にあたったことがある。マスターソンからわたしたちがこの事件調査にかかわることを聞いて、ホプキンスはわたしたちがロンドンに戻るまでこの列車に誰の手も触れないように監視していることを了承してくれた。

ブリストルに到着した時もまだ雨が降っていた。わたしたちは駅の主任のジョージ・ウィリスにあった。50代の愛想のいい男でこの職を一生の仕事としていることに満足している好印象を受けた。しかも仕事についてはすべてに通暁している。ウィリスは昨晩も勤務についていたので直接われわれを金塊を運搬した列車が出た貨物用プラットホームまで連れて行ってくれた。彼は捜査のために力添えの労は惜しまなかったものの、ひどく疲れているように見えた。
「方々、お見苦しい姿をしていますがお許しください」ウィリスは言った。「昨夜は夜勤で臨時列車を送り出したあと上がろうとしたときにロンドンから窃盗の報せが届いたもので、それ以来寝ていないんです」
「長くはお引きとめしませんよ、ウィリスさん」ホームズは言った。「金塊の箱が積まれたときにここにいたということですね」
「おりました。わたしが自分で指図しました。まさにこの場所から警備車両への積み込みを見ていました。そのあと残りの車両を引きこむように合図をだしました」
「警備車両は荷積みが終わるまではほかの車両と連結しなかったんですね」
「その通りです。残りの車両は側線に入れてあり出発の直前に連結したんです」
「本線に引き入れたのは?」
「機関士のトミー・マリアットと機関助手のパット・マクレンシー」
「熟練者ですか?」
「ホームズさん、自分の手足とまではいかないものの、ここ10年ばかりずっと一緒に仕事をしてきた気心の知れたやつらです。どちらもまっとうな男たちです」

「結構。もう少し我慢してお付き合いしてもらいましょう。金そのものについてもう少し。荷積みに直接かかわったのは何人ですか?」
「ひとつの箱を積むのに4人必要でした。2人が中に入り2人が外から。あのくそ重たい箱、こりゃ失礼、ひとつが100ポンド以上もあるくせにあのひどく狭いドアから無理に積み込むんですからそれはもうなんとも大変な仕事で」
「完全に終えるまでにどれくらいかかりましたか?」
「仕事にかかったのが12時半ころで、終わったのが2時15分前だから……おおよそ80分くらいというところでしょうか」
「では荷積みがおわってから出発までに遅れはありましたか?」
「いいえ、ありませんとも。サイレンを鳴らして残りの列車をバックさせて引き込み、護衛のライアンズが乗車して、そのあと金塊の乗った車両は指定通り外から施錠しました」

「ウィリスくん、よければ最後の質問を。列車は途中で一度止まったと聞いているが―――」
「そのとおりです。水補給のためにしばらくスィンドンへ止まるように最初から予定されていました」
「それ以上長く止まっていたということも、ほかの場所で止まったということもないのですね?」
「いいえ、ありません」
「1分以上の遅れが出たら信号手が気づくはずです。そこはもう確めました」
ホームズはしばし考え込んでいるようだった。これらすべての情報を考え併せたのちに口を開いた。
「ウィリスくん、詳しい話をありがとう。きみの記憶には曖昧な点は無いようだ。では、われわれはこれで失礼しよう。ドクター・ワトソンとわたしは次の汽車でロンドンへ戻ることにする。きみは家へ帰ってぐっすり眠りたまえ」

パディントンに到着するとホプキンス警部が待っていた。ホームズは直ちに昨夜悪運号を動かしていたわずか3人の鉄道員、機関士のマリアット、機関助手のマクレンシー、護衛のライアンズへの聴取ができるように求めた。
パディントン駅のプラットフォームのはずれにある陰気な鉄道員詰所の暗い事務所だった。3人は陰鬱な面持ちで粗末な木製の椅子に座っていた。どうやらこの気の滅入る場所にもう数時間も軟禁されているようだった。ホームズとわたしがライアンズに名のるものの、彼はようやくうなずくほどの元気しかなかった。しかし彼は何とか言葉を発した。マフラーでなかば覆われた口から出る言葉はくぐもっていた。
「ホームズさん、話からあたしのことを盗人だと思ってらっしゃるんでしょう……でも、違うんです。あたしは盗人じゃありません。あたしのしたことは職務不履行でさあ。だから、そのことで罰を受けてもしかたがないんでしょう」
「ライアンズくん、きみに保証したいのだが、わたしがここに来たのは真実を明らかにするためだ、わたしはまちがいなく真実を明らかにするつもりだ。もしきみが言うようにまったく身に覚えがないなら、法による罰などなにもおそれることはない。さあ、どのように任務を遂行できなかったかわたしに話してみたまえ」
「あたしは積み荷から目をはなすつもりはありませんでした。ところが眠り込んでしまったんで。いつもはこんなことはないのに、今度に限って……」
「目が覚めると金塊が消えていたというわけだね」
「まさに悪夢でさあ。すぐにコックを引いて列車を止めるべきでしたが、頭がちっとぼうっとしていて……」
「どれくらい寝ていたと思う?」
「思いますに、おぼえているのはスウィンドンの少し手前のホワイト・ホース谷を抜けているところで、目が覚めるとラムジー水塔から10マイルほど過ぎたところでした」
ホームズは機関助士のマクレンシーのほうを向いた。服が真っ黒だ。
「水補給のための止まった時に何かおかしいと気がついたことはなかったかね?」
「いんや、だんな。真っ暗闇でボイラーから出る光のほかは灯りもねえ。汽車から20フィートも離れりゃ何にも見えなかったよ」
ホームズはふたたびライアンズ話しかけた。
「昨夜の出来事を話してもらいたい」
「ええ……昨夜は午前1時からの夜勤だったので12時ころに鉄道員食堂でブラウン・エールをいっぱいひっかけて乗車中に食べるサンドイッチと缶入りのお茶を買ったんで」
「お茶とサンドイッチだけ?」
「はあ…、あ、それにシードケーキを一つ。こんな細かいこといいんですか」
「細かすぎて困るというようなことは絶対ないから。話を続けてくれたまえ」
「で、1時半ころにあたしは真っ暗な貨物用プラットフォームに行きました。ちょうど金塊の荷積みが終わってほかの車両が引き込まれてくるとこでした。スーツを着た紳士から最後の指示を受けました。機関士と機関助手、ここにいるトミーとタップとあたしにまっすぐにロンドンに向うように、一か所で短時間止まることになっているがどんな事情があっても3分以上はかからないように。万一緊急事態が起こっても列車を離れないこと。ここであたしは金塊と同じ車両に乗って外から鍵をかけられました。その時ちょうど午前2時でした。そして出発しました。出てから30分くらい経ったときサンドイッチを食べてお茶を少し飲みました。晴れた夜であたしは窓の側にすわり星を見てました。すべて順調に進んでいきました。そして……うたたねをしたに違いありません。ああ……そのあとはもうご存知でしょう」
「ありがとう、ライアンズくん」そう言ってホームズは若いホプキンス警部に向き直ると眼に新たな鋭い光を宿して言った。
「ホプキンスくん、よければこれから列車を検分しよう」

わたしたちは線路に沿って機関車庫へ向かった。蒸気機関車を検分してから13両の客車をひとつずつ調べて行った。金塊が積まれて警備がついた13号車にたどり着くまでわたしは注意して車両の数を数えて行った。
「これで確認できた」ホームズはホプキンス警部に言った。「列車のドアは運行中は外側から鍵がかけられていた」
「その通りです、ホームズさん。連結部のドアを抜けて列車の中を移動することはできたんですよね?」
「確かに。他の車両はどうだね?」
「 調べました。外側のドアはこれも鍵がかかっていました。でも犯人たちが容器を隣の車両に移すことは可能だったでしょうか?金塊の入った箱は大きくて連結部のドアを抜けらません。すべてが注意深く計算されていたんです」
「箱を開けられなかったのは本当に確かなのかね? もしかして金塊がひとつずつ箱から抜き取られた可能性はないのだろうか?」わたしは思いきって口をはさんだ。
「開けられなかったのは確かです。もとの鍵がなければね。それぞれの箱に違う鍵がついてましたから」ホプキンスが答えた。
「それに、ワトソン」とホームズも口を添えた。「もし開けられて金塊だけがなくなっているなら箱はここに残っているはずだ。そういえばホプキンス、列車は今朝ドアが初めて開けられて事件が発覚した状態のまままになっているんだろうね。わたしの指示通り何ひとつ手を触れていないだろうね?」
「申し上げたように何も触っていません」
ホームズは列車の内装に特に鋭い視線を走らせると、やおら床に屈みこみ何かを拾い上げた。
「茶色の紙だ。おそらくライアンズのサンドイッチの包み紙だ」
「はあそうですね」
「これがお茶の容器だね」
「そうです」
「興味深い……」
「そのお茶はさらに容器に入っていたのかな?」
「ええっ?」
「ますます興味深い。非常な緊張にさらされた男は丹念にあたりをこぎれいにしたとみえる」
「何をおっしゃってるのかさっぱりわかりません、ホームズさん」
「気にするな。ホプキンス、これはなんだと思う?」
ホームズは隅から輪になった紅い布を拾い上げた。絹でフリルがよっている。
「さあ、なんでしょう、ホームズさん。まったく見当もつきませんが、何かご婦人のワードローブにあるような小さな装飾品に見えます」
「髪留め……じゃないのか? どうしてこんなところに紛れ込んだんだ?」わたしは言った。
「ドクター、わたしにもわからないよ。ただ、理論的には誰かがほかの車両にこっそり隠れていた可能性あるということだ」
ホームズはその布きれを鼻に近づけた。
「香水の匂いがする。だがかすかだ。長い間身につけられたことがなかったようだ」
「それが犯人の持ち物だということがあるかな?」わたしはおずおずと尋ねた。
「可能性はあるね。ただそれでは犯人が多すぎることになるがね」
ホームズは屈んで布を元の場所にもどして言った。
「そろそろ結論に近づいたようだ、ワトソン」

「ホプキンス、もう一度ライアンズたち3人と話をしたい。必ず他にもう1人警官を同席させてくれたまえ。このささやかな聞き取りにベネディクト・マスターソン氏を招くのを忘れないように。この調査の費用を払ってくれているのだからね」
マスターソンがやって来たのは時計が9時近くを指すころだった。わたしたちはガス灯のうらびれた黄色い光の下に膝を突き合わせて座った。雨はやむことなく屋根や窓をたたき、全員―――3人の疲れはてた鉄道員、ベネディクト・マスターソン、ホプキンス警部補、若手の警官、ホームズそしてわたしが一堂に会した。言葉を発する者もいなかったが空気は期待に満ちていた。

マスターソンが口を切った。
「これはまさに謎にみちた事件だったに違いない、ホームズさん。だが捜査をすすめて何か手がかりをつかんだんですな? さすがに名声に恥じないだけのお方だ。そちらの警部補が何か赤い絹のアクセサリ―とやら言っておられたが」
「そうです」ホームズはポケットから実物を取り出した。
「この香水の香りのする布は、だれかが金塊を積んだ車両に隠れていたことを明確に示しています」
「なるほど」とマスターソン。
「さらに隠れていたのはおそらく女性だということも明らかです」
これを聞いてマスターソンはぶるっと身震いしたように見えた。
「女だとおっしゃいましたか……ああ、なんてこった」
「よろしければこの件はあとでまた考えることにしましょう」ホームズは先に進んだ。「ライアンズくん、さてきみのサンドイッチまで話をもどそう」
「またサンドイッチのことですか?」
「その通り、昨夜きみが列車内で冷めた紅茶とシードケーキといっしょに食べたサンドイッチだ。眠るちょっと前に食べたと言ったね」
「はあ」
「きみはサンドイッチとケーキを食べて、うとうとした。再び目がさめたときには金はなくなっていた」
「……はい。そのとおりです」
「あたまがはっきりして金がなくなっていることがわかったときまるで悪夢だと感じた」
「はい、ホームズさん」
「きみは動転した」
「確かにそうだと思います」 「ひどく動転していたので列車の床を掃除することはできなかっただろうね」
「え? 何と?」
「ひどく動揺した状態でその時きみは床の掃き掃除をしなかっただろうと思うのだが」
「いいえ、しやしませんとも。失礼を承知で申し上げますが、それはあたしの仕事ではありません」
「当然だ。するべきだとも思わない。だが、そうすると非常に説明が困難なことが出てくる。わたしが昼間に警備車両を調べたとき床の上にたったひとつのパンくずも見つけられなかったのはなぜなのか。ここにいる誰か教えてくれ。サンドイッチとシードケーキを、どうやってパンくずひとつ、ああそうそう、種一つも落とさずに食べることができるのだろうね」
「間違いございません、あたしが食べたものに偽りはありません。何を持って行ったか、何を食べたか正確に覚えています!」
「ライアンズくん、きみの言葉を疑ってはいないよ」
「ではどうして?」
「要するにこういうことだ。きみはサンドイッチを食べたとき13号車に乗ってなかったということは明らかなのだ」

「お言葉を返すようですが、ホームズさん、乗っておりました。誓います!」
「ああ、確かにきみは車両には乗っていた。だがサンドイッチの包み紙が見つかった車両に乗っていたのではない。きみがささやかな夕食をとった車両、つまり金塊を積んだ車両はロンドンへ到着しなかったのだ」
「ホームズさん、いやこれは……わけがわからん」マスターソンが口を開いた。
すかさずホームズがそれを遮った。
「いや、マスターソンさん、それどころか明明白白です。金塊を積んだ車両は水補給で停車した時に連結を切り離されて側線へ引き込まれて積み荷は夜陰に紛れて降ろされたのです。昨夜は月も出ておらずまったくの闇夜だった。ここにいるマクレンシーくんも先ほど証言したように鉄道員たちも水塔のポンプのところからは列車の後部で何が起こっているか全然見えなかった」
「ですが、ホームズさん、悪運号は13両編成です、だれでも知ってますよ。今日の昼間に列車を調べたときに間違いなく13両あるとホームズさん自身が確認したじゃありませんか」ホプキンス警部補が言った。
「ああ、もちろん今は13両ある、警部補。ブリストル駅を出てから気がついたのだが、駅長のウィリスが彼の関わった金塊の積み込みと出発の進行を最初から最後まで詳しく話してくれたが、出発前に車両の数を確認したとはついぞや言わなかったのだ。つまり数えなかったのだ。数える必要があると思わなかったのだ。悪運号はいつも13両編成だからだ。窃盗の共犯者がブリストル駅にいて容器を積んだ警備車両に残りの車両が連結される前に1両増結した。その車両は座席を取り外して金塊輸送車両とまったく瓜二つにしてあった。つまり昨夜の悪運号は13両ではなく14両だったのだ。水補給のために列車が止まると同時にその車両は切り離された」
ホームズはライアンズの方を向いて続けた。「そしてあやうく中の護衛もろとも切り離そうとしたわけだ。きみはとても幸運な男だ、ライアンズくん」
「あたしが幸運だなんて……そんな気にはなれません」とライアンズ。
「きみがまだ生きているということが幸運のあかしだ。運がよかったから眠り込んだんだ。想像して見たまえ。もし寝てなかったら。列車が止まる、犯人たちが最後尾の車両の連結を外す。中にいるきみごとだ。見つかったとたんにきみは彼らにとって大きな危険になる。そのあと彼らが何をすることになったか改めて言うまでもなかろう。だが実際に起きたことは、わたしが想像するに、車両を外したときに誰かが中で寝ているきみに気がついたのだ。そこで彼らはこの絶好の機会を利用して寝ているきみと紅茶の容器、サンドイッチの紙を隣の車両に移したのだ。途中で目が覚めなかったことを神に感謝するんだな」
マスターソンは驚愕の表情を浮かべた。
「ホームズさん、すばらしい!さすが大したものです! だが、幾分やりきれない気持ちもします。明かにうちの会社の中に裏切り者がいるということですわな」
「そこで先ほどの列車内で見つかった赤いシルクの髪留めに話を戻したいのですが、今回の事件にとって大変興味をそそられる装飾品であることは疑いもない」ホームズは言った。「女性の存在を示すものともいえよう」
「だが、そこが不思議なところだ」わたしは口を挟んだ。「どうやってその女性は列車に乗ったのだ? そこで何をしようとしたのだろう?」
「ところが、思うにその答えは単純なものだろう」ホームズが言った。

この時点でマスターソンははっと胸を突かれたような悲痛な面持ちになった。
「あいつのことを考えておられるのか?」
「ええ」ホームズは淡々と答えた。
「別居中の妻のローラのことを……。ああ、くそっ。あのバカな女が!」
「いや、待ってください。マスターソンさん、奥さんがこの件にはまったく無関係だとあなたが一番よくご存じでしょう。列車にはここにいる機関手、火夫、護衛の3人しか乗っていなかった。しかもこの3人は窃盗事件には何ら与していない」
3人の鉄道員たちは突然身の潔白を保証された幸運に驚きお互いの顔を見合った。
「窃盗犯たちはどこかで金塊をもって潜んでいるのを特定できるでしょう。ここでわれわれの中に座っている雇い主からね。そうじゃありませんか? マスターソンさん?」
マスターソンは怒り狂って吠えたてた。
「まったくばかげている! どの口でそんなことを言うんです! いったい何の証拠があってそんなたわごとを!」
「実は最初から疑念があったのです。盗まれたことが発覚した直後、ほかにもたくさんするべきことがあったはずなのにどうしてああも早くわたしのところに来られたのか理解できなかったのです。今ならわかる。あなたは保険会社にできる限りの手を尽くして金塊を取り戻そうとしたことを実証したがっていたのだ。そのわけは、もちろん保険金と金塊を共に手にできたら一挙に富が増えることになるからだ。だが、あなたの共犯者がライアンズくんにしようとしていたこと、彼が仕事中に眠り込むというあっぱれな根性を持っていなかったら、どうなっていたか想像するにも耐えられない。あなたは窃盗の罪だけでなく殺人の罪にまで問われる覚悟が必要だったのだ」
「想像にすぎん! ホームズさん、ここは法廷じゃない。あんたは他にいる犯人をさがすべきなんだ。そうだ、あの赤い絹のヘアリングはどうなったんだ?」
「ああ、あれ。あれについてはかなり手の込んだことをしましたね、マスターソンさん。奥さんの名をちらりと出して、次に奥さんの関与はありえないと請け合った。あなたが奥さんを疑っているとは思えなかった。だがあなたは手がかりでわたしを惑わせようとした。あの遺留品の意味は? もしあれが赤いヘアリング(a red hair ring)でなければ? あれは好んで言葉の駄じゃれを飛ばす人間にとって偽装工作(レッド・ヘリング red herring)を暗に指す言い方ではなかったのかね? もしこの企みがうまくいったらどんなにあなたはこの秘密のジョークにほくそ笑んだことでしょうね。どうやら悪ふざけが自分に返ってきたようですな、マスターソンさん。この駄じゃれこそただ一つあなたが堪えて言わないでおくべきものだったのです」

しかし悪人が悪行の報いを受けるという正義が完全になされたかということになるとこれは別問題だった。
量刑を減刑されることを期待してマスターソンは共犯者の名前を白状し警察は金塊を押収した。そしてマスターソンは数年の禁固刑を課されたが、刑期を終えたらまた裕福な暮らしを送ることは明らかだった。

「ぼくにはわからんね」数日後の宵にわたしはホームズに向かって言った。「どうしてそんなに上機嫌そうにしているんだね、ホームズ」
「それはだね、ワトソン、人は生来自分に向いていることをうまくやり遂げたときほど満足を感じることはないからだよ。それはそうと、そこにある煙草入れをとってくれないか? われわれもうまい煙草の一服で楽しんでもいいんじゃないかな?」 

fin.

今年の4月1日

April_fool_2

またも巡ってきました、4月1日です。
近ごろでは確信犯的に4月1日限定ページを作るのがはやりなんでしょうかね?
ともあれ、ざっと見渡したところではこれが最高でした。
とはいえ、今日を逃すとみられないので興味のある方はお早めに!

追記 該当ページがなくなったのでリンク外しました。