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13号列車の謎 3

承前

パディントンに到着するとホプキンス警部補が待っていた。
ホームズは直ちに昨夜悪運号を動かしていたわずかに3人の鉄道員―――機関士のマリアット、火夫のマクレンシー、護衛のライアンズへの聴取ができるように求めた。
パディントン駅のプラットフォームのはずれにある陰気な鉄道員詰所内の暗い事務所だった。3人は陰鬱な面持ちで粗末な木製の椅子に座っていた。どうやらこの気の滅入る場所にもう数時間も軟禁されているようだった。ホームズとわたしがライアンズに名のるものの、彼はようやくうなずくほどの元気しかなかった。しかし彼は何とか言葉を発した。口はマフラーで半ば覆われて言葉はくぐもっていた。

「ホームズさん、話を聞かれてあたしのことを盗人だと思ってらっしゃるんでしょう……でも、違うんです。あたしは盗人じゃありません。あたしのしたことは職務不履行だけでさあ。だから、そのことでどんな罰を受けてもしかたがないんです」
「ライアンズくん、きみに保証したいのだが、わたしがここに来たのは真実を明らかにするためだ、わたしはまちがいなく真実を明らかにするつもりだ。もしきみが言うようにまったく身に覚えがないなら、法による罰などなにもおそれることはない。さあ、どのように任務を遂行できなかったかわたしに話してみたまえ」
「あたしは積み荷から目をはなすつもりはありませんでした。ところが眠り込んでしまったんで。いつもはこんなことはないのに、今度に限って……」
「目が覚めると金塊が消えていたというわけだね」
「まさに悪夢でさあ。すぐにコックを引いて列車を止めるべきでしたが、頭がちっとぼうっとしていて……」
「どれくらい寝ていたと思う?」
「思いますに、おぼえているのはスウィンドンの少し手前のホワイト・ホース谷を抜けているところで、目が覚めるとラムジー水塔から10マイルほど過ぎたところでした」

ホームズは機関助士のマクレンシーのほうを向いた。服が真っ黒の火夫である。
「水補給のための止まった時に何かおかしいと気がついたことはなかったかね?」
「いんや、だんな。真っ暗闇でボイラーから出る光のほかは灯りもねえ。汽車から20フィートも離れりゃ何にも見えなかったよ」
ホームズはふたたびライアンズ話しかけた。
「昨夜の出来事を話してもらいたい」
「ええ……昨夜は午前1時からの夜勤だったので12時ころに鉄道員食堂でブラウン・エールをいっぱいひっかけてから乗車中に食べるサンドイッチと缶入りのお茶を買い求めました」
「お茶とサンドイッチだけ?」
「はあ…、あ、それにシードケーキを一つ。こんな細かいことお話してもいいんでしょうか?」
「細かすぎて困るというようなことは絶対ないから。話を続けてくれたまえ」と、ホームズ。

「で、1時半ころにあたしは真っ暗な貨物用プラットフォームに行きました。ちょうど金塊の荷積みが終わってほかの車両が引き込まれてくるとこでした。スーツを着た紳士から最後の指示を受けました。そのあと機関士と火夫、ここにいるトミーとパットから予定を聞きました。まっすぐにロンドンに向う、一か所で短時間止まるがどんな事情があっても3分以上はかからないそして、万一緊急事態が起こっても列車を決して離れないと。その時点であたしは金塊の乗った車両に外から鍵をかけられて、ちょうど午前2時、そして出発です。出てから30分くらい経ったときサンドイッチを食べてお茶を少し飲みました。晴れた夜であたしは窓の側にすわり星を見ていました。すべて順調に進んでいきました。そして……うたたねをしたに違いありません。ああ……そのあとはもうご存知でしょう」
「ありがとう、ライアンズくん」そう言ってホームズは若いホプキンス警部補に向き直ると眼に新たな鋭い光を宿して言った。
「ホプキンスくん、よければこれから列車を検分しよう」

わたしたちは線路に沿って機関車庫へ向かった。蒸気機関車を検分してから13両の客車をひとつずつ調べて行った。金塊が積まれて警備の男が乗った13号車にたどり着くまでわたしは注意して車両を数えて行った。
「これで確認できた」ホームズはホプキンズ警部補に言った。「この列車のドアは運行中は外側から鍵がかけられていた」
「その通りです、ホームズさん。でも連結部のドアを抜けて列車の中を移動することはできはずです」
「確かに。他の車両はどうだね?」
「調べました。外側のドアは鍵がかかっていました。でも犯人たちが箱を隣の車両に移すことは可能だったでしょうか?金塊の入った箱は大きくて連結部のドアを抜けらません。すべてが注意深く計算されていたんようですね」
「箱が開けられなかったのは本当に確かなのかね? もしかして金塊がひとつずつ箱から抜き取られた可能性はないのだろうか?」わたしは思いきって口をはさんだ。
「開けられていないのは確かです。当の鍵がなければ開けられないんですから。それぞれの箱に違う錠がついてましたしね」ホプキンスが答えた。
「それに、ワトソン」とホームズが後を続けた。
「もし箱がこの場で開けられて金塊がなくなっているなら箱はここに残っているはずだ。そういえばホプキンス、列車は今朝ドアが初めて開けられて事件が発覚した状態のまままになっているんだろうね。わたしが言ったように何ひとつ手を触れていないだろうね?」
「申し上げたように何も触っていません」

ホームズは列車の内装に特に鋭い視線を走らせると、やおら床に屈みこみ何かを拾い上げた。
「茶色の紙だ。おそらくライアンズのサンドイッチの包み紙だ」
「はあそうですね」ホプキンスは答えた。
「これがお茶の容器だね」
「そうです」
「興味深い……」
「このお茶はもうひとつ入れ物に入っていたのか?」
「ええっ?」
「ますます興味深い。極度の緊張にさらされた男は丹念にあたりをきれいにしたとみえる」
「何をおっしゃってるのかさっぱりわかりません、ホームズさん」
「気にするな。ホプキンス、これはなんだと思う?」
ホームズは隅から輪になった紅い布を拾い上げた。絹でフリルがよっている。
「さあ、なんでしょう、ホームズさん。まったく見当がつきませんが、何かご婦人のワードローブにあるような小さな装飾品に見えます」
「髪留め……じゃないのか? どうしてこんなところに紛れ込んだんだ?」わたしは言った。
「ドクター、わたしにもわからないよ。ただ、理論的には誰かがほかの車両にこっそり隠れていた可能性あるということだ」
ホームズはその布きれを鼻に近づけた。
「香水の匂いがする。だがかすかだ。長い間身につけられたことがなかったようだ」
「それが犯人の持ち物だということがあるかな?」わたしはおずおずと尋ねた。
「可能性はあるね。ただそれでは犯人が多すぎることになるがね」
ホームズは屈んで布を元の場所にもどして言った。
「そろそろ結論に近づいたようだ、ワトソン」

「ホプキンス、もう一度ライアンズたち3人と話をしたい。必ず他にもう1人警官を同席させてくれたまえ。このささやかな聞き取りにベネディクト・マスターソン氏を招くのを忘れないように。この調査の費用を払ってくれているのは彼だからね」
マスターソンがやって来たのは時計が9時近くを指すころだった。わたしたちはガス灯のうらびれた黄色い光の下に膝を突き合わせて座った。雨はやむことなく屋根や窓をたたき、全員―――3人の疲れはてた鉄道員、ベネディクト・マスターソン、ホプキンス警部補、若手の警官、ホームズそしてわたしが一堂に会した。言葉を発する者もいなかったが空気は期待に満ちていた。
マスターソンが口を切った。

「さて、まさにこれは謎にみちた事件だったに違いない、ホームズさん。だが捜査をすすめて何か手がかりをつかんだんですな? さすがに名声に恥じないだけのお方だ。そちらの警部補が何か赤い絹のアクセサリ―とやら言っておられたが」
「そうです」ホームズはポケットから実物を取り出した。
「この香水の香りのする布は、だれかが金塊を積んだ車両に隠れていたことを明確に示しています」
「ふうむ」と、マスターソン。
「さらに隠れていた人物はおそらく女性だということも明らかです」
これを聞いてマスターソンはぶるっと身震いしたように見えた。
「女だとおっしゃいましたか……ああ、なんてこった」
「よろしければこの件はあとでまた考えることにしましょう」ホームズは先に進んだ。

「ライアンズくん、さてきみのサンドイッチまで話をもどそう」
「またサンドイッチのことですか?」
「その通り、昨夜きみが列車内で冷めた紅茶とシードケーキといっしょに食べたサンドイッチだ。眠るちょっと前に食べたと言ったね」
「はあ」
「きみはサンドイッチとケーキを食べて、うとうとした。再び目がさめたときには金はなくなっていた」
「……はい。そのとおりです」
「頭がはっきりして金がなくなっていることがわかったとき、まるで悪夢だと感じた」
「はい、ホームズさん」
「きみはひどく動転した」
「確かにそうだと思います」
「あまりに動転していたので列車の床を掃除することはできなかっただろうね」
「え? 何と?」
「ひどく動揺した状態でその時きみは床の掃き掃除をしなかっただろうと思うのだが」
「いいえ、しやしませんとも。失礼を承知で申し上げますが、それはあたしの仕事ではありません」
「当然だ。するべきだとも思わない。だが、そうすると非常に説明が困難なことが出てくる。わたしが昼間に警備車両を調べたとき床の上にたったひとつのパンくずも見つけられなかったのはなぜなのか。ここにいる誰か教えてくれ。サンドイッチとシードケーキを、どうやってパンくずひとつ、ああそう、シードの一つも落とさずに食べることができるのだろうね」
「間違いございません、あたしが食べたものに偽りはありません。何を持って行ったか、何を食べたか正確に覚えています!」
「ライアンズくん、きみの言葉を疑ってはいないよ」
「ではどうして?」
「要するにこういうことだ。きみはサンドイッチを食べたとき13号車に乗ってなかったということは明らかなのだ」
「お言葉を返すようですが、ホームズさん、乗っておりました。誓います」
「ああ、確かにきみは車両には乗っていた。だがサンドイッチの包み紙が見つかった車両に乗っていたのではない。きみがささやかな夕食をとった車両、つまり金塊を積んだ車両はロンドンへ到着しなかったのだ」

「ホームズさん、いやこれは……わけがわからん」マスターソンが口を開いた。
すかさずホームズがそれを遮った。
「いや、マスターソンさん、それどころか明明白白です。金塊を積んだ車両は水補給で停車した時に待ちかまえていた者によって連結を切り離されて側線へ引き込まれた。積み荷はそこで夜陰に紛れて降ろされたのです。昨夜は月も出ておらずまったくの闇夜だった。ここにいるマグレンシーくんも先ほど証言したように鉄道員たちも水塔のポンプのところからは列車の後部で何が起こっているか全然見えなかった」
「ですが、ホームズさん、悪運号は13両編成です、だれでも知ってます。今日の昼間に列車を調べたときに間違いなく13両あるとホームズさん自身が確認したじゃありませんか」ホプキンス警部補が言った。
「ああ、もちろん今は13両ある、警部補。ブリストル駅を出てから気がついたのだが、駅長のウィリスは彼の関わった金塊の積み込みと出発の進行を最初から最後まで詳しく話してくれたが、出発前に車両の数を確認したとはついぞや言わなかったのだ。つまり数えなかったのだ。数える必要があるとも思わなかったのだ。悪運号はいつも13両編成だからだ。窃盗の共犯者がブリストル駅にいて箱を積んだ警備車両に他の車両が連結される前に1両増やした。その車両は座席を取り外して実際に金塊輸送車両とまったく瓜二つにしてあった。つまり、昨夜の悪運号は13両ではなく14両だったのだ。水補給のために列車が止まると同時にその車両は切り離された」ホームズはライアンズの方を向いて続けた。
「そしてあやうく中の護衛もろとも切り離そうとしたわけだ」

「きみはとても幸運な男だ、ライアンズくん」
「あたしがとても幸運だなんて、そんな気にはなれません」とライアンズ。
「きみがまだ生きているということが幸運のあかしだ。運がよかったから眠り込んだんだ。想像して見たまえ。もし寝てなかったら。列車が止まる、犯人たちが最後尾の車両の連結を外す。中にいるきみごとだ。見つかったとたんにきみは彼らにとって大きな危険になる。そのあと彼らが何をしたか改めて言うまでもなかろう。だが実際に起きたことは、わたしが想像するに、車両を外したときに誰かがきみが中で寝ているのに気がついたのだ。そこで彼らはこの絶好の機会を利用して寝ているきみと紅茶の容器、サンドイッチの紙を隣の車両に移したのだ。途中で目が覚めなかったことを神に感謝するんだな」

マスターソンは驚愕の表情を浮かべた。
「ホームズさん、すばらしい!さすが大したものです! だが、幾分やりきれない気持ちもします。明かにうちの会社の中に裏切り者がいるということですわな」
「そこで先ほどの列車内で見つかった赤いシルクの髪留めに話を戻したいのですが、今回の事件にとって大変興味をそそられる装飾品であることは疑いもない」ホームズは言った。「女性の存在を示すものともいえよう」
「だが、そこがふしぎなところだ」わたしは口を挟んだ。「どうやってその女性は列車に乗ったのだ?そこで何をしようとしたのだろう?」
「ところが、思うにその答えは単純なものだろう」ホームズが言った。

この時点でマスターソンははっと胸を突かれたような悲痛な面持ちになった。
「あなたのお考えは……?」
「ええ」ホームズは淡々と答えた。
「あいつのことを、別居中の妻のローラのことを考えておられるんですな……。ああ、くそっ。あのバカな女が!」
「いや、待ってください。マスターソンさん、奥さんがこの件にはまったく無関係だとあなたが一番よくご存じでしょう。列車にはここにいる機関手、火夫、護衛の3人しか乗っていなかった。しかもこの3人は窃盗事件には何ら与していない」
3人の鉄道員たちは突然身の潔白を保証された幸運に驚きお互いの顔を見合った。
「窃盗犯に関しては、金塊をもって潜んでいる場所を特定できるでしょう。ここでわれわれの中に座っている雇い主からね。そうじゃありませんか? マスターソンさん?」

マスターソンは驚き怒り狂って吠えたてた。
「まったくばかげている! どの口でそんなことを言うんです! いったい何の証拠があってそんなたわごとを!」
「実は最初から疑念があったのです。盗まれたことが発覚した直後、ほかにもたくさんするべきことがあったはずなのにどうしてああも早くわたしのところに来られたのか理解できなかったのです。今ならわかる。あなたは保険会社にできる限りの手を尽くして金塊を取り戻そうとしたことを実証したがっていたのだ。そのわけは、もちろん保険金と金塊を共に手にできたら一挙に富が増えることになるからだ。だが、あなたの共犯者がライアンズくんにしようとしていたこと、彼が仕事中に眠り込むというあっぱれな根性を持っていなかったら、どうなっていたか想像するにも耐えられない。あなたは窃盗の罪だけでなく殺人の罪にまで問われる覚悟が必要だったのだ」
「すべて想像にすぎん! ホームズさん、ここは法廷じゃない。あんたは他にいる犯人をさがすべきなんだ。そうだ、あの赤い絹のヘアリングはどうなったんだ?」
「ああ、あれ。あれについてはかなり手の込んだことをしましたね、マスターソンさん。奥さんの名をちらりと出して、次に奥さんの関与はありえないと請け合った。あなたが奥さんを疑っているとは思えなかった。だがあなたは手がかりでわたしを惑わせようとした。あの遺留品は何だったのか? もしあれが赤いヘアリング(a red hair ring)でなければ。あれは好んで言葉の駄じゃれを飛ばす人間にとって偽装工作(レッド・ヘリング a red herring)だとにおわせる言い方だったのではないでしょうか?実におかしいことだ。あの冗談がなければ知らん顔を決めていられたのに。どうやら悪ふざけが自分に返ってきたようですな、マスターソンさん。この駄じゃれこそただ一つあなたが堪えて言わないでおくべきものだったのに」

しかし悪人が悪行の報いを受けるという正義が完全になされたかということになるとこれはおおいに議論の余地があったと言えよう。
量刑を減刑されることを期待してマスターソンは共犯者の名前を白状し警察は金塊を押収した。そしてマスターソンは数年の禁固刑を課されたが、刑期を終えたらまた裕福な暮らしを送ることは明らかだった。

「ぼくにはわからんね」数日後の宵にわたしはホームズに向かって言った。「どうしてそんなに上機嫌そうなんだね、ホームズ?」
「それはだね、ワトソン、人は生来自分に向いていることをうまくやり遂げたときほど満足を感じることはないからだ。……それはそうと、そこにある煙草入れをとってくれないか? われわれもうまい煙草の一服を楽しんでもいいんじゃないかな?」



13号列車の謎、残りを一気に載せました。例によって聞き取れないところは省くなり前後様子を見ながら続けてあります。そのうちに改訂版を上梓しますので、その時までこれでご勘弁ください。ドラマ仕立てなので長台詞になると合いの手が入っても誰の発言かわかりにくくなります。そのあたり少し補なってあります。
また、ホプキンスとホームズの会話が交錯するところがちょっと区別しにくい(声からも内容からも)間違っている可能性大です。警備員のライアンズの台詞もごにょごにょと……。それどころか登場人物の名前すら怪しい(笑)
大穴のあいた小風呂式といったところですが前の投稿からあまり日が空くのもどうかと思ったのでお目にかけることにしました。

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13号列車の謎 2

承前

「機関士と火夫を別にして、そのとき列車は無人だったのですか?」
「いや、ホームズさん。これは鉄道の慣習で、うちの列車には護衛が一人付くことになっとります。わたしもこの慣習には喜んで従っとりました。委託貨物には運送中にずっと見張りがつくということで、このために委託の荷はすべての鉄製容器に入れて最後尾の列車に積むことにしました。つまり13号車ですわな。これで護衛は積み荷から目を離さずにいられるというわけです。この仕事のために雇われたのがジョン・ライアンズという経験のある信用できる鉄道会社の職員です」
ここで不思議なことにマスターソンは言い淀んでふっと笑った。
「あー、彼はフランスの鉄道で働いたことがあるか聞きたいもんですな。ほら、護衛のライアン(guard Lyons)って……リヨン駅(Gare de Lyon)と音がそっくりじゃありませんか」
ホームズは礼を失しないように笑ってうなずいた。
「すみませんな、方々。どうか大目に見てください。洒落の魅力には勝てないんですわ。さ、続けましょう。列車は予定通りに今朝3時にブリストルを出発しました。それがパディントンへ着くまでに6つの鉄製の金塊の箱が消えちまったんです。ホームズさん、これはまったく考えられない窃盗だ。列車は水補給のために一度だけ数分間停車しただけです。この時間じゃ金塊の箱を一つだって下せやしません。あの何百ポンドもするやっかいな代物です。たったひとつだって150ポンドの重さはあるのに」
「それで護衛は?」ホームズは訊いた。
「ライアンズの申し立てでは、行程のどこかで眠り込んでしまって目が覚めたら金塊が消えていたというんです。彼と機関手、火夫をパディントンに留め置いていますが、全員が強く身の潔白を訴えています」

「他の容疑者を考えてみたい。あなたの会社でだれかこれで利益を得る立場にある者を思いつきますか?」
マスターソンは口元を引き締め、戸惑っているように見えた。
「ここだけの話しにしていただきたいのだが、別居中の妻ローラは今でもかなりの会社の株を保有しとります。持ち分はもっとたくさんにならないといけない思っているようです。ああ……この件に関してはいささかつらいものがあります。しかし、ローラのことはよくわかっています。あれが盗みを働くとは絶対に思えません」

「ありがとう、マスターソンさん。確かにこの件お引き受けしましょう」ホームズは簡潔に言った。「よろしければブリストルに電報を打ってドクター・ワトソンとわたしがあちらに向かう旨お知らせ願えませんか?」
「わかりました、いたします……ということは今日あちらへ行かれるということですか?」
「その通り。パディントン駅でひとつ調べ事を済ませたらすぐに」
「おお、それはありがたいことです。この悪運号の一件を任せられる人はあんたを置いては他にはありませんや。だってほら完璧な鍵のホームズ氏―――sheer lock holmesっていうんだから!はっは!」
ホームズは今度は笑わなかった。
「マスターソンさん、わたしは物事を偶然に任せるということは決してしません。合理的推理と理性がわたしの使う道具です」
「お許しを、ホームズさん。さっきも言ったようにどうしても駄じゃれの魅力に逆らえないんで」
「進展があればすべてご連絡しましょう」とホームズは打ち切った。

30分もかからずにわたしたちはパディントン駅へついた。しかしブリストル行の列車に乗る前にホームズは件の『悪運号』がちゃんと保全されているか確めることを優先した。列車は引き込み線に移されていた。
   警察の担当者がたまたまスタンリー・ホプキンス警部補だったことで一つ安堵を覚えた。彼は若いがなかなか野心にあふれた刑事でホームズとわたしは以前にいくつも一緒に事件の解決にあたったことがあった。マスターソンからわたしたちがこの事件の調査にかかわることを聞いて、ホプキンスはわたしたちがロンドンに戻るまでこの列車に誰も手を触れないように見張っていることを了承してくれた。

ブリストルに到着した時もまだ雨が降っていた。駅の主任のジョージ・ウィリスは50代の愛想のいい男で、この職を一生の仕事としていることに満足しているという好印象を受けた。しかも仕事についてはすべてに通暁している。
ウィリスは昨晩も勤務についていたので直接にわたしたちを金塊を運搬した列車が出た貨物用プラットホームまで連れて行ってくれた。彼は捜査のために力添えの労は惜しまなかったものの、ひどく疲れているように見えた。
「方々、お見苦しい姿をしていますがお許しください」ウィリスは言った。「昨夜は夜勤で臨時列車を送り出したあと上がろうとしたときにロンドンから窃盗の報せが届いたもので、それ以来寝ていないんです」
「長くはお引きとめしませんよ、ウィリスさん」ホームズは言った。「金塊の箱が積まれたときにここにいたということですね」
「おりました。わたしが自分で指図しました。まさにこの場所から警備車両への積み込みを見ていました。そのあと残りの車両を引きこむように合図をだしました」
「警備車両は荷の積み込みが終わるまでは他の車両と連結してなかったんですね?」
「その通りです。残りの車両は側線で待機させていて出発の直前に連結したんです」
「本線に引き入れたのは?」
「機関士のトミー・マリアットと火夫のパット・マクレンシー」
「熟練者ですか?」
「ホームズさん、自分の手足とまではいかないけれどここ10年はずっといっしょに仕事をしてきて何もかも知り合った仲です。どちらもまっとうな男たちです」
「結構。もう少し我慢してお付き合いしてもらいましょう。金そのものについてもう少し。荷積みに直接かかわったのは何人ですか?」
「あれは……ひとつの箱を積むのに4人必要でした。二人が中に乗り、二人が外から。あのくそ重たい箱、こりゃ失礼、ひとつが100ポンド以上もあるもんであのくそ狭いドアから無理に入れるんですから、それはもうなんともいまいましい仕事でした」
「積み込みを完全に終えるまでにどれくらいかかりましたか?」
「仕事にかかったのが12時半ころで、終わったのが2時15分前だから……おおよそ80分くらいでしょうか」
「では荷積みがおわってから出発までに遅れはありましたか?」
「いいえ、ありませんとも。サイレンを鳴らして残りの列車をバックさせて引き込み、護衛のライアンズが乗車。そのあと金塊の乗った車両は指定通り外から施錠しました」

「ウィリスくん、よければ最後の質問を。列車は途中で一度止まったと聞いているが―――」
「そのとおりです。最初から水補給のために短時間スィンドンへ停車するように予定されていました」
「それ以上長く止まっていたということも、ほかの場所で止まったということもないのですね?」
「いいえ、ありません。もし一分以上も遅れが出るなら信号手が気づくはずです、そこはもう確めました」

ホームズはしばし考え込んでいるようだった。これらすべての情報を考え併せたのちに口を開いた。
「ウィリスくん、詳しい話をありがとう。きみの記憶には曖昧な点は無いようだ。では、われわれはこれで失礼しよう。ドクター・ワトソンとわたしは次の汽車でロンドンへ戻ることにする。きみは家へ帰ってぐっすり眠りたまえ」


時間が空いてしまいましたが、バッド・ラック・スペシャルこと13号悪運列車の続きです。列車を使ったミステリはホームズ正典でもおなじみです。新しくはクリスティも幾度も列車内で起こるありえない事件を書いています。列車という密室、しかも限られた時間の中で行われる一見すると不可能ともいえる犯罪は、行う方も、その不可能さを切り崩して謎解きをしていく方も描写は実にエキサイティングです。
スティームパンクではないのですが、この擬古的なホームズものへのオマージュをこめたパスティーシュの雰囲気にちょっとうっとりとなってしまいます。
では続きはまた近日中に。

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事故目撃!

昨日3月11日日本中が追悼と震災の風化に対する危惧を再確認した日。 用事で福井市へ。
午前中。ショッピングモール・ベルから国道8号線へ抜ける道、アオキとか紳士服店が集まる道が緩いカーブになるあたり。二車線の道の左側を走っていました。連なる車の数台前、突然車が一台左方面へ出て縁石を乗り越えバンクして前車輪が飛んだ!
あっという間の出来事、急ブレーキの音も聞こえず縁石に衝突した車体の出す音も聞こえず(聞こえてたのかもしれないけど)。
映画でよく見るスローシーンのよう。だから事故とは思わなかった。あれ何してるんだろう?くらい。
まるで駐車しようとした車が誤って縁石に乗り上げて大きくバウンドしたのかな、というくらい。
直後に今度は右方面にもう一台の黒い車が大きく出て中央分離帯に乗り上げた!
あらら・・・これってもしかして 事 故 ?!

そっちの車も大きくバウンド、これもスローモーション。
もちろん二車線の車は交差点を挟んで一斉に止まりました。覗くと道に何やら黒い細長いものがくしゃっという形で落ちている。まさかあれは 人 ??
この時申し訳ないことながらわたしはとても急いでいたので、頭の中に浮かんだのは、すっ飛んでくる救急車と警察車、交通整理、やっと通れる道=すごい時間のロス とまあ不謹慎ながらどうやって遅れずにこの場を出るか、でした。
しかし、よく見ると、安心したことに落ちていたのはどうやら衝撃で脱落したバンパー部分。左の車からおっさんが下りて道に出てきた、けがはない様子。やれやれ。交差点で一時ストップしていた車列もバンパーを避けられる車線の車からそろそろと動き出した。
と、見るとすぐ前に左に抜ける小道があるではありませんか。しめたとすぐに左折、なんとか細い道を曲がり曲りして大道の交差点に出ました。そのころには左の道からも車は順調に出てきたのでもうすこし我慢していたらそのまま事故車の横をすり抜けて(もっとよく観察できて)出てこられたのかもしれない。
なんてこれはみんな後知恵ですが。
とにかく目の前で起きた事故、人身ではなくてよかった、そしてまるで映画のスローモーションだった、あは!

洋菓子 vs 和菓子

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洋菓子の巻
これまたおいしい小説群です。
上田早夕里 「ショコラティエの勲章」(画像は昨日の記事に)
ここに挙げた2作(ラ・パティスリー、菓子フェスの庭)は「ショコラティエの勲章」とは別の流れのストーリーですが、時系列的にはパティスリーが先行、間にショコラティエが入って菓子フェスがパティスリーの後日譚になります。登場人物もお互いに顔を出しますし、同時に二つの洋菓子店でお話が進行している構成だと理解しています。

「ショコラティエの勲章」は一人称語りで、神戸で和菓子店の販売をしているあかりさんが近くにできたショコラトリーに評判のショコラを買いにいくことから始まります。ちょっとした事件が起こり知り合いになったシェフの長峰さんとショコラを挟んでさまざまな人生にほんの少し触れて、ほんの少し何か影響を与えたり、何かをもらったりしていく物語です。

昨日のあんちゃんのお話に比べればもう少し深刻で人生の機微に立ち入った語り口です。ショコラという甘くてほろ苦い素材から連想されるように人生の幸福、喜び、楽しい思い出とともに哀感やかなえられなかった願いや時の経過を経てまろやかに熟した人間関係など、繊細な筆致で描かれます。

しかし、何よりもこの本を生き生きとさせているもの、しばらく経つとまた手に取って読みたくさせるもの、それはお菓子のおいしい描写です。ショコラ、ガレット・デ・ロワ、アイスクリーム、ブリュレ、ガトー・ショコラ、マカロン、ムース、オペラ……どれもが食べてみたいと切に思うような読むおいしさです。微妙な風味や隠し味、美しい形、香り、どれもどうしようもないほど刺激的です。

物語の最後にそれとなく示されたのは、万人においしいお菓子はなく、食べる人それぞれの「味」に対する経験がおいしさを感じさせるのだということ。だからシェフの長峰さんはその都度食べる人の事情に合わせた特別のお菓子を作る。単に好みという段階にとどまらず、相手がお菓子の味に何を求めているのかを推し量りながら。それが彼の卓越した腕に裏打ちされた職人としてのこだわりであり、常に追い求めるべき自分の菓子作りに課した目標なのだなあということが何となくわかってきます。
あかりさんはそういう長峰さんを敬意をもって見つめ、年末の夜に落ちてきた雪をショコラティエに捧げる勲章だと心の中で思うのです。

和菓子、洋菓子ともに命をつなぐ主食から一歩引いた控えめなところにいるからこそ、こんなにゆとりのあるおいしさを標榜できるのでしょうね。
願わくば、こちとらもショーケースの中の素敵にきれいなケーキや宝石みたいなショコラや、はんなりぽったりとした上生菓子を見て「わ、高っ!」などと下賤な感想を漏らさずにゆったりといただいて味を楽しめるだけのゆとりを持ちたいものです。

和菓子 vs 洋菓子

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生きている楽しみの一つはおいしいものを食べることであるといっても……いいですよね。
少なくとも私の場合はそうです。
古来そういう気分に浮かされた人は多いと見えて学生時代読んだサバランの「美味礼賛」などがまず頭に浮かびます。

和菓子の巻

坂本司 「和菓子のアン」最近おいしく読みました。
モラトリアムを自認する杏子(あん)ちゃんがデパ地下の和菓子売場でバイトを始め、一癖も二癖もある美人店長、和菓子職人をめざす表イケメン内乙女の先輩店員、しっかり者でびっくりの同僚店員にもまれながら、和菓子の魅力に開眼して、さまざまなお客さんの人生模様(?)を「お買い上げになる」和菓子との関連から垣間見、奥深い和菓子の薀蓄を身につけつつ、次第に自分に対する自信を取り戻していくという、楽しくもおいしいお話です。

和菓子には日本の折々の時節と分特徴をもったものが作られます。菓子の名一つとっても完全な理解には古文の素養が必要だったり、知識のみではなくそれを自家のものとして体感できる感性が求められます。
この本では、そのあたりを押し付けがましくなくやんわりと紹介するだけにとどめています。啓蒙書的にこれ見よがしに知識のオンパレードだったら読者はしらけてしまうし、肝心のストーリーが分断されてしまいます。そのさじ加減をよく承知していて、もう知っている人には「そうそう、よく知ってるね」とうるさくなくほほえましく感じられ、知らない人には「へえ、そうなんだ、なんだかおもしろい」と素直に感心して関心を持ってもらえる程度に書かれています。

決して美人のほうには入らない、しかもちょっと太目のアンちゃんですが、呑み込みは早いし機転は効くし、他人に対して素直な感情で接するのは読んでいても気持ちがよくなります。周囲の人々のちょっと大げさなキャラも、時々しらけ気味になりますが、その描写も短いし近ごろの軽いタッチの小説にはよくあることなのでそれほど気にせずにストーリーにまた乗ることができます。

和菓子は洋菓子に対して地味だし飛ぶようにも売れないけれど、息の長い商品ともいえます。毎月必ず同じ銘果を買う夫人、一つだけ異なる銘柄を出すことで言外の警告をしようともくろむ女性社員、洋菓子の売り子さんの人知れぬ葛藤、はてはデパ地下の「売れ残り」予備軍を一手に引き受ける伝説的な売り子さん、一件あっち筋の人でなんだかこわいことをアンちゃんにしゃべりまくるおじさん……軽いミステリを中心に据えて、デパ地下という極めて人間臭い閉鎖的な空間の中で、非日常的に詩情を持つ和菓子を巡る人間たち。さまざまに楽しく、ユーモラスで、ほろりとさせられます。

これが、ただおいしいお店の和スイーツを紹介する本だったら手にとっても読まなかったと思います。
上生菓子やお干菓子からみたらし団子、大福餅にいたるまでのさまざまな和菓子をキーにして少しずつ進んでいく時と変化していく人間をソフトに緩やかに、描いています―――それこそ和菓子のはんなりした色合いのように。
声高に和菓子ってこんなにおいしいんだよ、と叫ばなくても読んでいるうちに、ああ和菓子が食べたいと思わせるような本。

こんど出かけたら桜餅を買ってこよう、と心にきめたのでした。
明日は洋菓子の巻w