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13号列車の謎 1

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories 第2話 「13号列車の謎」の冒頭の部分です。
第1話はワトソンの語りが多くの部分を占めましたが、今回はよりホームズの捜査と推理を全面に出した作りになっています。

13号列車の謎

ある10月の朝、暗雲から絶え間なく落ちる雨でベイカー街221Bはすっかり降りこめられていた。わが友シャーロック・ホームズもまた鬱々とした気分でいるのが見て取れた。このところ何週間か事件の依頼がなかったからだ。すくなくとも彼のいう「まともな」事件にはお目にかかっていなかった。ここ二日間も家の中をパイプをふかしながら不機嫌に歩き回っているのだった。外の通りを馬車が速度を落としながら近づいてくる音が聞こえたのはホームズとわたしの双方にとって救いだった。わたしたちは期待を込めて窓辺ににじり寄った。ハンソム馬車が(屋根付き一頭立て二人乗り馬車)が家のドアに横付けに止まった。やがて身なりのいい大柄な中年紳士が降りしきる雨の中に降り立ち、御者に料金を払うと呼び鈴を鳴らした。

ホームズは笑いを浮かべている。
「さて、あの金持ちのアメリカ人がパディントン駅から大慌てでここに駆つけるほど悩んでいるのはどんな問題なのだろうね、ワトソン? 」
「アメリカ人だって?」ホームズのおなじみの人をじらせるゲームに、いつものようにこらえきれずに引き込まれてわたしは聞き返した。
「間違いないね。それにかなり厄介な性格だと見た」
「どうしてそれがわかったかぼくに言いたいんだろう、ホームズ?」
「国籍については、気が動転していて馬車代をポケットを膨らませていたポンド銀貨に思い当るまでアメリカのドルで払おうとしていた事実から推理した。同じく、パディントンからという点はいちばん簡単だ。辻馬車の御者はヘンリー・ブラウン、きみがあの男を見分けられなかったのには驚きだが、あいつはいつもパディントンの馬車乗り場に詰めているだろう? いつものことだが、こういった観察が陳腐である点はきみに謝らないといけないね、ワトソン。だが、きみが聞いたからさ」

そうこうするうちに階段を上がる足音が聞こえた。ハドソン夫人が訪問者をわれわれの部屋に案内してきた。
わたしは友人ホームズが新しい難問が現れるのを期待して機嫌がよくなっているのに気づいて内心うれしかった。そしてそれがどうか彼の抑圧されたエネルギーを振り向ける価値のある依頼であってくれと心の中で祈ったのだった。

ドアが開くや、明るいクリーム色のスーツを着た大柄な訪問者が室内ににずかずかと入ってきた。舞台に登場するとすぐに強烈なイメージを観客に焼き付けてやるぞと意気込んでいる役者のようだ。
「ホームズさんですな!」アメリカなまりの大声が響いて、突出された両手がわたしの右手をぐいと握った。「ベネディクト・マスターソンと申します。お目にかかれて光栄ですわい」
「こちらこそ。でもわたしはドクター・ジョン・ワトソンです」わたしは応じた。「こちらが、ミスター・シャーロック・ホームズ」
先ほどと変わらぬ大声でわたしに詫びを言い気取ったしぐさで会釈をすると男は友人の方に向き直った。
「あー、そうかそうか。いや、わかりました。間違った、これはとんだ間違いでしたわい」
どうやら最初に友人の方をシャーロック・ホームズだと思いこみ、これは予想違いだと感じたのだなという印象を受けた。
「ホームズさん、どうかわたしのために謎に満ちた厄介な仕事を引き受けていただきたい」
「お座りなさい、マスターソンさん。そしてすべてを話してください」ホームズは言った。
クリーム色の巨体がアームチェアに収まり、勧められるままにタバコに手を出した。不安げに立て続けにタバコを吹かしながらこのアメリカ人はわたしたちに語った。

「わたしは金を扱っております。方々、金こそ、わが人生です。父はネバダ州に小さな金鉱を持っておりまして、そのおかげでわたしどもの暮らし向きは楽でした。わたしの代になって慎重な取引を重ねてこの資産をもとに財をなしたわけです。ロンドンには先週参りました。こちらのイングランド銀行から金の準備高を引き上げるためにかなりの額の金の延べ棒の注文を頂きましてね。金塊はブリストル港へ荷揚げして、昨日チャーターした特別列車でロンドンの銀行へ向けて運びました。わたしは書類仕事があるので少し前からロンドンに滞在しておりまして、それはもう半端な量じゃありませんでした。それで今朝パディントン駅へ委託品を受け取りに行ったところ、確かに列車は到着していましたが、金は……ありませんでした」
「なるほど」と、ホームズ。「盗まれたと」
「間違いなく」
「いくらになります?」
「400万から500万ポンドというところでしょうか、ミスター・ホームズ」
「大変な損害だ。金に保険はかけてありますか?」
「もちろん。ですが、保険会社ってやつは、ご存じのとおりやつらは疑い深い。それに金が消えた状況というのが、控えめに言ってもかなり不思議なもんで……」
「よろしければ、そこのところをもっと詳しく、ミスター・マスターソン」友人は言った。

「そうですな……」長くなったタバコの灰を灰皿の縁ではじいて落としながらマスターソンは言葉を継いだ。「総裁に特別仕立ての夜行列車をお願いしました。だが決して目立たないようにと強く念を押しましたよ。武装したり護衛をつけたりして特別に警備されている列車だと見えるようなことは一切なしにしてほしいと言いました。すると用意されたのは一週間に一度ブリストルからロンドンに無人で回送される貸切の旅客列車でした。鉄道員たちは冗談でその列車を『悪運臨時列車』(Bad Luck Special)と呼んでましたな。いやなに、今までに何か悪いことが起きたっていうんじゃなくて、その列車はいつも13両の空の客車をつないでいたからなんですがね。今回もそうでした。金は鉄製の容器におさめるようにしかと言いわたしました。それぞれの箱にはそれぞれ違った個別の鍵をつけるんです。ごぞんじのように金とは重いもんですから、容器ごと持ち運べるだけしか入れられません。列車が走っている間に容器ごと動かされる可能性をつぶすために、容器は列車の開いたドアよりは小さく、しかしスライド窓が全開になっていても窓からは大きくて出し入れできないように、間違いなく取り計らいました。金塊を運ぶ車両はロンドンに到着するまで開けられないように外側から施錠できる作りに替えました……」

以下続く

さらに延々とマスターソンの話が続き、ホームズが質問をはさみ、結局この事件を引き受けるということになります。
ホームズとワトソンはパディントンからブリストルへ赴き駅の責任者から話を聞くととんぼ返りをしてこんどはパディントン駅に留め置かれている鉄道員から証言をとります。そして実際に13号車を検分すると……もう謎は解けたようです。
このように展開するのですが、駅員、機関士、火夫、護衛とさまざまな人が登場してそれぞれ違った言葉づかいと話し方をするので(中には極端なイギリス発音の人物も混じるので)正確な解析にてこずっています。最終的にはまたネイティヴに聞いてもらわないといけないかもしれませんがまあ、わかる範囲でまずは第一稿を載せていこうと思っています。

不可解なる変装 番外編

Sherlock Holmes: The Rediscovered Railway Mysteries and Other Stories の第一話「不可解なる変装」1-3の校正をしました。ネイティヴの方に聞いてもらって不明な個所を一語ずつ掘り起しました。前の記事を訂正加筆してあります。よろしければご覧ください。
個人的におもしろかったのは、言葉が明瞭に文節できず仕方なしに前後の流れで書いていた訳があまり大きなはずれがなかったことです。喜んでいいのかどうか疑問ですが、大きな誤訳がなかったので安心しました。
3の付記にも書きましたがやはり飲んでいたのはブランデーでよかったようです。どうやら勇み足で空回りしてしまったようです。お騒がせしてしまったかなと反省。まだまだ修行が……。

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13号列車の謎

The Rediscovered Railway Mysteries and Other Storiesの第2話「13号列車の謎」(仮題)をいま聞いていますが、これがまた細かいところがなかなか聞き取れません(単にこちらの耳の問題なのですがw)
そこであらかじめ大粗筋だけご紹介しておきたいとと思います。

10月のとある日、雨は降りしきりベイカー街221Bはすっかり降りこめられている。ホームズもこのところまともな事件がなくて鬱陶しい気分に沈んでいる。
そこへ現れたのがアメリカ人紳士、マスターソン。金のディーラーでかなりの金塊をブリストルからロンドンへ列車で輸送した。使ったのは鉄道員たちから悪運臨時列車とあだ名をつけられている13両仕立ての回送夜行列車である。しかし列車がパディントン駅に到着したときに金塊の入ったコンテナすべては消え失せていたのである。
この列車には運転手、機関士、護衛の3人しか乗っていなかった。マスターソンが注意を引くような特別仕立て列車にすることに反対したからである。列車は深夜に金塊を輸送した。ひとつの途中駅で水補給のために停車したが、それも数分である。しかも金塊は6つの箱に分けて入れられており、箱のサイズは列車のドアからは入るが窓からは出せない大きさになっている。まったくもって不可思議な事件であり保険会社は窃盗の状況に疑問を持っているという。
マスターソンはKYな人物である。来るや否や、ホームズとワトソンを取り違えて一方的に話したり、事件のあらましを語る中で駄じゃれを飛ばしてはホームズたちの無言の顰蹙を買う。
さて、事件を引き受けたホームズとワトソンは関係者の聞き取りを行う。機関士と運転手は持ち場を離れていない。機関士は、停車駅はまったくの暗闇で給水場以外は何も見えなかったと証言。
金塊と同じ車両、13号車に乗っていた護衛は疲れ切っていた。夜勤でサンドイッチと紅茶の夕食をもって乗車。食事が終わって猛烈な睡魔に襲われた。うとうとしてはっと気がつくともう金塊の入ったコンテナが消えていたという雲をつかむような話をくりかえすだけである。
車両を調べたホームズは隅に女性用の髪留めに使う赤い布の輪があるのに気がつく。マスターソンは別居中の妻の関与を疑う。
すべてを検分したホームズは関係する乗車していた3人、刑事、警官、マスターソンを一堂に呼び集めワトソンとともにこの不可思議な金塊消失事件の謎解きをして真犯人を名指しする。そのカギとなったのは……。そのトリックとは……。

ストーリー自体は取り立てて目新しいものともいえませんが、カンバーバッチが3人の鉄道員の声色を使い分けるところ、アメリカなまり丸出しの横柄なマスターソン氏、マスターソンに眉を顰めていやがうえにも平静、冷淡にふるまうホームズの様子を実にリアルに声だけで演じているのが着目に値すると思います。話し方一つで視覚的なイメージが湧いてくるのですから不思議ですね。

ベネディクト・カンバーバッチ、この通り声色を自由に扱うのが得意らしく、最近では何か言ってくれというMCの誘いに有名どころのアラン・リックマンの声で「この私にいったい何を言えというのかね?」などと答えて万座を沸かしていました。そのついでにドクターのデヴィッド・テナントの真似とか(こちらはアクセントの癖がよくわからないと言いながら)、さらには目の前にいるMCの口真似をして大いに盛り上がっていました。芸達者でサービス精神も旺盛な人ですね。いっそのことホームズ正典のオーディオブック化コンプリに取り掛かってくれないかな、などと妄想は広がります。

この第2話細かい部分を詰めて順次全訳を載せようと思っています。しばしお待ちくださいませ。


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不可解なる変装 改訂版3

承前

「きみは言ったな、抜き差しならない事情で絶対にこの家から出られないと」と、カートライト。
「そうだ、もう3日目だ」
「昨夜はその限りではなかったということだな?」
「いや、昨夜もここにいた。つぶれた面目のことを悩んでベッドで悶々としていた」
「昨日きみはぼくの友情を盾にとって説得した。きみの話を真に受けてジャーナリストであるよりも友人としてこのことは公にしないでおこうと思っていたのに。きみに一杯食わされたとわかっていたら……」
「カートライト、ぼくを信じてくれ。きみをだましてなんかいない。月曜の午後からこの家を一歩も出ていないんだ」
「じゃ何か、きみには双子の兄弟でもいるというのか?」
「まさか!」
「では説明したまえ。昨夜午前零時5分過ぎ、マルベリー駅のレストランの外にいた男は誰だったんだ?」
「他人の空似じゃないのか?」
「似ているなんてものじゃない。きみそのものだ。頼む、本当のことを言ってくれ、ワトソン」

彼の疑いは決しておさまっていなかった。
昨夜の悶々とすごした時間のほうが夢の中の出来事で、実はその間に自分は夢遊病のようにさまよっていたのではないかという気さえし始めた。たしかにそういうことは起こりうるのだ。暑さとここ数日の疲れでわたしはひどく朦朧となった、その混乱の中で、わたしはこの可能性を完全に否定はできなかった。

「いったいどうなっているんだ」カートライトは続けた。「昨夜駅の構内を歩いていると、もう閉まったレストランの外壁の前できみが茶色のフェルト帽の男と話しているのが見えた。近づいてきみと目が合った。ところがきみはまるでぼくのことを知らないやつを見るような目で見た。きっと大事な話をしているんだろうと思ったさ。だが、考えれば考えるほど、それが長年の親友に対してとる態度かと思えだした」

突然わたしの頭にかかっていた霧が晴れてすべてがはっきり見えた。すぐさま今はカートライトの追求をかわさないといけないと悟った。
「よく教えてくれた、ありがとう。礼を言う。これは極めて重大だ。だがニコラス、お願いだ。どうかお引き取り願いたい」
「帰れだって?」
「頼む。状況は深刻できわめて危険なんだ」
「ぼくを厄介払いしようとしているだけじゃないのか? ワトソン?」
「その通りだ。そうしようとしているんだ。カートライト。だがこれには確かなわけがある。どうかぼくを信じてくれ。いずれすべてを独占特約記事としてきみに明らかにしよう」
カートライトは長い溜息をついた。
「よかろう、ジョン。上出来だ」
それでも玄関での別れ際にカートライトはわたしの肩を友情を込めて軽くたたいた。

ドアを閉めるとわたしは壁にもたれかかって考えをまとめようとした。
ホームズからは何があっても再び邪魔をしてはならないと強く言い渡されていたものの、この状況は危機的だ。もしトバイアス・オーガンがわたしに顔かたちも声も似た男を使ったのだとしたら、おまけにそいつは長年の友人のカートライトまでがだまされるほど似ているのだ、ホームズもだまされてしまうかもしれない。その結果、彼らがどれほどの力を得て有利になることか。

ホームズに直接話せないとしてもそれに類したほかの方法をとれるはずだ。警告のメモを書いて地下室のドアの下から差し入れようと思い立ち二階の部屋に駆け上がった。まさにその時だった。通りで叫び声が上がった。わたしは思わず窓辺に駆け寄った。ベイカー街を100ヤードほど南に下ったところで3人の男がもみ合っていた。2人ががりで1人の男を無理やり馬車に押し込もうとしている。カートライトだった!

わたしは階段を駆け下りて通りに走り出た。御者はすでに馬に鞭をくれ馬車は走りだしていた。わたしは必死で後を追った、こみ上げる怒りが追跡の足に力を加えた。
優に半マイルほど走ったがついに馬車は速度を増し走り去り、わたしは喘ぎながらセント・ヴィンセント教会の前で足を止めた。息を切らして舗道にすわりこんだ。今こそホームズの助けが必要だった。こんな衝撃的な事件が起こった事態では約束を破ることなど些細なことだ。すぐに彼のもとへ行こうと思った。

その時、追跡に頭がいっぱいで家のドアを開けっ放しにしてきたことに気がついた。新たな不安が心をよぎった。この拉致は間違いなくオーガンのしわざだ、そして開けっ放しのドアという好機を見逃すようなやつではない。
わたしはできる限り急いでベイカー街へ駆け戻った。しかし、ドアはもはや開いていなかった。その日は蒸し暑く無風状態だった、よもや隙間風でドアが閉まることなどありえない。

恐ろしい考えが浮かんだ。何者かがもう中に入り込んでいる。そして……。すべてのことが一瞬にしてあるべき場所にばたばたっと当てはまった。カートライトの拉致はわたしを家からおびき出すための罠だった。外へ出た間にわたしに変装した何者かが侵入する。ホームズは気がつくまい。ついには安全な地下室のドアを開けて、そしてわたしだと信じて疑わない者に恰好の標的を進呈することになる……。

家を出る時に鍵を持ってきていなかった。だが家の裏のテラス側から入る方法がある。隣人である年配の人好きのするヘーベン夫人はノックを聞きつけて家の裏へ抜けるのを快く許してくれた。そこから壁をよじ登り、わたしたちの地下室の外につながる荒れた裏庭に降り立った。地下室の前半分はホームズが間に合わせの射撃室として使っている。内部には灯りはない。わたしはきわめてゆっくり扉を開けた。ホームズの実験の音は止んでいるようだった。前の部屋へ通じるドアまでの距離はたった6,7歩だ。しかしあまりの暗さに眼は効かず、むき出しの床板は足を下ろすたびに大きなきしむ音をたてるようだった。

わたしは一歩ずつ試すように体重をかけて進んだ。太り気味のパントマイム役者のように、そろそろと宙に浮かぶような具合で歩いた。一歩、二歩、三歩……突然背後で動きがあった。何者かの手が後ろからわたしの口をふさぎ、腕ががっちりのどに回された。プロの手慣れた動きだった。わたしは動くことも息をすることもできなかった。
耳朶に熱い息とともに声が届いた。
「ドクター、声を挙げないで。手を緩めたらこっちを向いて私の顔を見るんだ。音をたてるな。わかったらわたしの手を軽くたたいて」
首の回りの腕に手を伸ばし言われたとおりに軽くたたいた。腕が緩みわたしはできる限り静かに大きく息をついた。振り向くとそこにいたのは……。
「レストレイド!?」
「シーッ、ドクター。こんなところで会おうとはね。というか、予想はしてたがまさか先生まで裏から来るとは思っていなかったから」
警部は謎めかした言い方をして笑いを浮かべた。
「説明してくれないか? いったいどういうことなんだ?」わたしは口を開いた。
「今はだめだ、ドクター。だが来てくれてうれしい。もう一組耳があった方が好都合だ。 ドアに耳をつけて物音に注意して」

わたしたちが張り込みに入ってからほんのわずかで、射撃場への前方のドアが開く音がした。どうやら二人の人間が入ってきたらしい。ドアがバタンと閉まった。低いだみ声が言った。

「ふん、これがそれなんだな?」
「そう、ここで彼は仕事をしている」二人目の声は何となく聞き覚えのある声だった。
「そのうち戻ってくるんじゃないか?」
「いいや、30分くらいは戻ってこないと思うが」
その瞬間にわたしはあることに気づき衝撃を受けた。二番目の声は私自身の声だったのだ! 
わたしはレストレイドのほうを振り返った。彼は人差し指を唇にあてて、黙って聞き続けるように指示した。

「……それで何をしようとしているんだ?」部屋の中でしゃがれ声が尋ねる。
「マクシマムを殺した弾がきみの銃から発射された弾であることを照合するんだ」と、わたしの声が言う。
「警察はきみが彼を殺したことを知っている。だがホームズに頼んで陪審員が納得するような証拠を見つける必要があったのさ」
しゃがれ声の男は間違いなくトバイアス・オーガンだ。ふたりが動き回る音がして騒々しく話声が聞こえた。
「片付けたのはジンマーマンが最初じゃない、それに今まで捕まったこともない」
「彼から取ったのはやっと4ポンド10シリングだったそうじゃないか」
「いくらとったかなんてどうでもいい。金のために殺したんじゃない。あいつはおれを嫌な目で見たからだ。ひどい目で見たからひどい頭痛をお返ししてやったのさ。目と目の間のど真ん中に弾を撃ち込んでやった……さて、まだ問題が残っている」

突然けたたましい物のぶつかる音がした。まるで壁の一部が崩れたように聞こえた。

「行こう、ドクター!」
レストレイドは荒々しくドアを押し開けると地下室に飛び込んだ。そこではオーガンがホームズの実験装置を部屋中に蹴散らかしていた。
驚いたことに、オーガンは攻撃されていた。攻撃しているのは―――わたしだった!
完全にわたしそっくりの人物は右フックを繰り出し、次に左フック、そして最後に側頭部にブロウを炸裂させた。オーガンは意識を失ってばったり床に倒れた。レストレイドはすかさず後ろ手に手錠をかた。警笛を吹いてオーガンの身柄の確保を進めた。
わたしはもう一人の自分をよく見るために後じさりした。わたしに瓜二つの人物は顔に手をかけると眉の上をぐいと引いた。顔全体が伸びてはがれるまで力を込めた。はがれたマスクの下から現れたのは炯々と眼を光らせるシャーロック・ホームズの顔だった!
次の瞬間、レストレイドの部下の警官たちが地下室のドアからなだれ込んできた。トバイアス・オーガンは連行された。

昼間の暑さはようやく収まって心地よい夕方になった。ハドソン夫人は家に戻りホームズとわたしにすばらしい夕食を作ってくれた。 わたしたちはブランデーを手にすわり、ホームズは開け放った窓のそばでパイプをくゆらしている。緩やかな風がカーテンを揺らし、居間はさわやかさを取り戻した。

「きみが賢明にも推理したように、」ホームズは説明をしながらいった。「変装の目的は、いずれはここでオーガンから言い訳めいた自白を引き出すためのものだった」
「だが、きみの弾道の実験は有罪判決を引き出すのに十分じゃなかったのか?」
「あれは所詮、空想上の科学でしかない」ホームズは言った。「だが、いつの日か必ずやもっと精緻なものになるだろう。ぼくが二週間でできたことよりもずっと多くの研究が行われなければならないだろうがね。だが、オーガンはこの実験が自分にとって危険だと思ったらぶち壊そうとするだろうという点で、レストレイドと意見が一致した」
「すべてが作り事だったというならきみはここで何をしていたんだ?」
「申し訳ないのだが、きみを多少だますことになったのだよ。ぼくはずっとここにいたわけじゃない。古い鉄道の時計とドラム缶の表面に取り付けた装置でいかにも機械的な作業が行われているような音が聞こえるように仕組んだんだ。」
「ああ、確かにまんまと引っかかったよ」わたしは言った。
「だが、その間ずっとぼくをここにくぎ付けにしておく必要が本当にあったのか?」
「残念ながら必要だったのだ、友よ。 もしオーガンがスパイを放っていて、ワトソンが二人いることを知ったらこの計略は失敗しただろう。さらに、オーガンにきみとぼくが仲違いをしたと信じさせる必要があった。そうすれば『善良な』ワトソンが市井に出て、ぼくに不利なちょっとしたことを他人に漏らすのも納得できるというものだ。ところが運悪くきみの友人のカートライトにマルベリー駅でオーガンの一味と話しているところを見られてしまった。あやうく秘密がばれるところだった。だから彼をどこか安全なところへ保護する必要ができた。レストレイドの部下が志願して彼を誘拐して一時的にとても待遇のいい監禁状態にしてくれた」
「彼が拉致されたのはきみが望んだからなのか?」
「そうだ。きみが追って来て家から閉め出される結果になり、裏から入ってくるとはまったく計算していなかったがね。でも結果的にはそのほうがよかった。彼を起訴するのにもう一人きみという目撃者が増えたのだから」
「有罪判決が出ると思うか?」
「ああ、もちろんだ、ワトソン。今日の告白は明明白白だった。トバイアス・オーガンは間違いなく絞首刑だ」

「さて、きみのことだが、友よ。きみには迷惑をかけたね。その見返りと言ってはなんだが、きみをオペラに招待しよう」
「今夜?」
「ああ、今夜だ。ギルバート・アンド・サリバンの『ミカド』だ」
「……だが、ホームズ、ぼくの記憶がでは、きみはギルバート&サリバンはあまり好きじゃないんじゃないか?」
「確かに、ワトソン。だがきみは好きだろう? それに、白状しなければならないんだが、ぼくはあの『死刑執行大臣』に弱いんだよ」

fin

注)the Lord High Executioner; ミカドに出てくる死刑執行大臣、その歌に "Behold the Lord High Executioner" がある

これで第1話完結です。実はこの部分、かなり疑問が多い個所がいくつかあります。言語の聞き取りに関する個所ももちろんですが、内容的に疑がわしいところを一つ指摘しておきます。
オーガンが逮捕されて大団円を迎えた221Bの2階の居間で、ホームズとワトソンが夕食後に談話する個所です。二人が手にしているのがbrandy (ブランデー)と聞こえましたが、確か聖典ではホームズがブランデーを飲んだ記述がないような……。ブランデーは気付け薬として用いたことはあります。ホームズはウィスキーのソーダ割りは嗜むようで、さらにワインにも目がないとか。そこで件の個所ですがbrownyと聞こえなくもないのです。そうならば、デザートのブラウニーまたはイギリス口語としてウィスキーのこととも解釈できます。個人の独断と偏見でウィスキーとしておきました。あなたなら二人に何を飲んでほしいですか(or 食べてほしいですか?)

付記 2月22日記
機会があってネイティヴの方に確めたところやはりこれはブランデーでいいとのことでした。
ホームズとワトソンは正典には書かれていなかった新しい飲み物を試していたようです。常に新規なものに目がないホームズのことですからそういうこともありなのでしょう―――

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