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Pain & Pleasure

「楽あれば苦あり」にぴったりくる英語のフレーズはないそうです。
昨日東大大学院総合文化研究科教授(実際のタイトルはもっと長いのですが)のロバート・キャンベルさんの講演を聞きに行きました。

TVでよく拝見する方で実際にお話が聞けると楽しみでした。講演は日本語です。英語じゃないので楽ちんです。

表題が、「楽あれば苦あり」江戸時代から明治にかけての日本人の楽と苦に関する考え方から始まって何を楽、苦と感じるか、どこに楽と苦を見出すのか、などご本人の体験の話も交えて心地よい一時間半でありました。
美しい日本語をお話しになります。専門でもあるせいか格調の高い漢語を何気なく交えて。また最近耳にしたこともないような上品な表現を聞いて、はっと胸を突かれる思いをしました。私たちはこういう言葉づかいを失いつつあるなあと。

Every cloud has a silver lining.

最初にプロジェクターで紹介されたのがこのことわざ。わたしも個人的に好きなフレーズ。ちなみにこんな意味。どんな悪い状況でもどこかに希望があるものだ。→すべての雲(暗雲=逆境の例え)は銀の内張り(雲の縁などから見える光の部分=希望の例え)を持つ
ライニングとはコートの内側に一枚裏がついているのをライナーっていいますね。あれのこと。確かに空に暗い雲が湧いていてもその縁は背後の光を暗示するように輝いています。
今まで上記の意味で解釈して理解していたつもりでしたが、キャンベル氏によるとアイルランド出身のお祖父さんがよく小さいころにこういう格言なんかを教えてくれた、この裏打ちliningには銀(実利主義的にまさに金銭的価値のある銀)のイメージがあるとか。悪いことでも何か利益に結び付く可能性があるという解釈で、ちょっと驚きました。今までのわたしのオルコットふう夢見る少女的解釈の生ぬるさが気恥ずかしくなります。

ともあれ欧米の楽と苦の考え方は、苦の状況を一瞬でも早く脱却して楽の状態を作り出そうという積極的な考えが主流であるといいます。
ところが日本では楽と苦は連続性の中でとらえられています。日本というよりも東洋の考え方がそうなのかもしれません。清朝の小説「紅楼夢」に「楽しみ極まって憂い生ず」というこれまたわたしの気に入りの一節があるのですが、これと何か通じる感性がありませんか?

Pain and pleasure, like light and darkness, succeed each other.

イギリスの小説家、ローレンス・スターン(Lawrence Sterne,1713-1768)の言葉として夏目漱石が紹介した一文。これはかなり楽あれば苦ありの考え方に近いと言えます。楽と苦は対立概念ではなく、100%の楽もなく100%の苦もない、楽になるためにはそれなりの苦行が必要であり、楽の極みにいれば楽が失われることを恐れる気遣いが生じる、ってなことでしょうか。

このように江戸時代の日本人が移ろいやすい楽、楽しみを何に対して感じたのか。それが講演の後半の主題です。1994年に両陛下が訪米されたときにクリントン大統領が歓迎スピーチの中で引用した橘曙覧(たちばなのあけみ1812-1868)の歌がこれ。
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時 (独楽吟)
独楽吟と呼ばれる52首の連作の一つで、そのすべてが「たのしみは」で始まって「とき」で終わる短歌です。
そのどれもが日常のふとした喜びを歌ったもので、読者にとって等身大の感慨を与えてくれる稀有な江戸時代の文学です。

キャンベル氏が引用したのは、例えば
3 楽しみは 珍しき書人に借り 始めひとひらひろげたるとき
21 楽しみは 世に解きがたくする書の 心をひとりさとり得しとき
18 楽しみは そぞろ読みゆく書の中に われと等しき人をみしとき

とてもよくわかりますね!うん、共感できるというか。読みたいと思っていた本をやっと借りて最初の一ページ目をめくる心のときめき。難解な個所がはっとわかったときのうれしさ。何となく読んでいた本の中に自分と同じ考えの人を見つけたうれしさ。
まさに現代のわたしたちの日常心象に思い当ることが多々ありますね。

キャンベルさんの説明でさすがと思ったのが、これは英語に直すのがとても難しいと言われた点です。氏の18番の歌の試訳です。

It's delightful when I see someone like myself in a book I'm browsing through. 

確かに言葉の訳はできても「全体の姿」が美しくないというのです。氏の言葉を借りると、まず主語動詞補語があって、すぐにwhenが出てくる、そのあとはだらだらとwhenの説明になる。まさに言い得て妙ですね。日本語では「たのしみは……」から始まって期待が高まるそしてなるほどと納得しつつ最後に「とき」の体言でしっかり止める。均整がとれていて安定しています。意味を移すのと全体像を移すのは天地ほどの違いがあることをまたもや強く感じました。

クリントン大統領が引用した9の歌も試訳を披露してくれました。

It's delightgful morning when I'm up and about, and see a bloom that were not there the day before.

ちなみにクリントンのスピーチではこのようでした。

It is a pleasure when, rising in the morning I go outside and find that a flower has bloomed that was no there yesterday.

キャンベルさんはわたしのほうがいいと思うなんておっしゃってましたがw

この後日常の機微を詠んだ歌、家族が健やかで仲良くいることをしみじみ詠った歌を挙げて、これらの「楽しみ」が本当に楽であり得たのは、楽の中に内包する苦を感じていた故であると締めくくられました。
楽と苦についての考察はある程度予想もついて、まこと「われと等しき人をみし」の気分でしたが、英訳についてもまったく同じ感覚で(自分が)いたことがたまらなくうれしいことでした。まさに「心をひとりさとり得しとき」とでもいうんでしょうか。ちょっと言い過ぎ?

Comments

キャンベルさんはテレビで拝見したことがあるくらいですが、やはり素晴らしい人ですね。

ちょっとまえ、何かのニュースで「日本人には元々Happyという概念がなかった」とありました。
「幸」とは「山の幸海の幸」など「神からのいただきもの」という意味くらいで、「自分の幸せ」はなかったんだと。
ただ「楽」はたくさんあったんですね。
今では「楽ちん」なんて意味しかなくても、どこか心がなごやかになる楽しみ、たくさん見つけていたんでしょう。
朝から嬉しくなりました、ありがとう!

>onionさん

苦の経験はよく覚えているのに楽の経験はあまり具体的に覚えていません。苦のほうがインパクトが強いのでしょうか、なんだか損しているみたいです。
それとも将来の苦を未然に避けるために強く印象付けられている一種の防衛機能なのでしょうか。

何の苦もなくぬくぬく暮らしているのが苦になる、なんとも皮肉なことです。
ちまちました小市民的幸福を大事にしていきたいと思います。

こちらの地方では橘暁覧を顕彰して「平成独楽吟」なる歌の公募があります。作りやすいみたいでみなさんいろいろ詠んでいるようですよ。

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