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緋色の研究———モファットによる前書き

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前項のゲイティスさんに続いてスティーヴン・モファットさんによる前書きを紹介します。
コナン・ドイルによる60篇のシャーロック・ホームズ小説(長編4、短編56)の記念すべき第一作である「緋色の研究」(A Study in Scarlet)です。

モファットとゲイティスの制作したBBCドラマSHERLOCKの第一作は「ピンク色の研究」(A Study in Pink)は、もちろんこの作品へのオマージュです。
彼のシャーロック・ホームズへの愛はゲイティスのそれに勝るとも劣らぬくらいです。言葉の端々から愛がうかがわれます。読んでいる読者としてもほほえましいというか羨ましさまで感じるほどです。それでは、お楽しみください。


↓ここから

小さい頃、シャーロック・ホームズの名前は聞いたことがあったが本も読んだことはないし、映画も見たことはなかった。
一度だけホームズ=ワトソンの映画をちらっと見たことはあるが(わたしはどうも彼らをあべこべに受け取ったようだ。ワトソンの方が年上に見えたので賢いのだろうと思い込んだ)すぐに子供部屋へ戻された。その時放送していたのは「バスカヴィル家の犬」でとてつもなくおっそろしいシロモノだったからだ。
案の定その夜、ベッドの中で震えながら頭の中では妄想が始まった———階下がダートムーアと化し、下から巨大な犬の吠え声が聞こえてきたのだ!

シャーロック・ホームズは探偵だ、それは知っていたし推理小説も楽しんでいた。(たとえほとんどが謎解きの説明で基本的には答えが出せなかったクルードのゲームみたいなものであったにせよ)(*Cluedoイギリス、ワディントン社の犯人当てのゲーム)だが、明らかにこのシャーロック・ホームズの話は他とは違っていた。そこには怪物と戦う探偵がいた…

「シャーロック・ホームズってどんな人なの?」わたしは何度も父に聞いたものだ。あのころは答えを見つけるのが簡単ではなかった。インターネットは何マイルも離れた図書館にしかなくて、そこへ行くにはバスを乗り換えなければならなかった(ブロードバンドのスピードが遅いと不平を垂れていたのと同じころの昔の話である)。おまけにわたしがよく行く書店にはシャーロック・ホームズの本などなさそうだった。

そうこうするうち、ある週末にわたしは祖父母の家に泊まりに行った。いつもはこのお泊りは好きだったのだが、その時に限ってわたしはむっつりしていた。友達や両親が恋しくなりかかっていたからだ。祖父母の家に残されて(ぽいっと放り出されるようにだ、間違いなくわたしにはそう思えた)ふくれっ面でわたしは自分にあてがわれた部屋へ行った。するとベッドの上にプレゼントがあった。たぶんわたしに対して悪いという気持ちがあったのだろうが、そんなことはどうでもよかった。なぜって? それは本だったからだ。それも部屋の入り口からでもどんな本か分かった——表紙には黄色っぽい霧を背景に鹿撃ち帽をかぶった男の黒いシルエットの横顔があった。

黄色い霧だ! とっつきにこれ以上かっこいいものがあっただろうか! 大気汚染防止法は大いに褒められるべきものだが、詩的文学に関してはいかがなものだろうか? さらにじっくり見ると、その本は今あなたが手にしている本、つまりサー・アーサー・コナン・ドイルによる「緋色の研究」だった。シャーロック・ホームズの冒険というキャッチフレーズがあった。そう、疑いの余地はなかった。

実際それは単に有名なシャーロック・ホームズの話であるにとどまらなかった——第一作だったのだ!そもそもの始まりの話。ほんとうのいの一番なのだ。この出来事のおかげでわたしはホームズの全作品を読破したすべての人々の中で、最初から正しい順序で読んだ数少ない読者になれたのだと思いたい。
まさに第一作目の本の第一ページ目をめくるとき、本は巨大な扉が開くように軋み重々しい音をたてたにちがいない———その後決して離れることのない新しい世界に第一歩を記したのだから。

読み出した後に押し寄せてくるありとあらゆるものがわかっていたならば、わたしはページをめくることができなかったかもしれない!
ムーアに跋扈する巨大な犬、呼び鈴の紐を伝う蛇、卑劣なモリアーティと美しいアイリーン・アドラー。ブルース・パティントン計画と夜間に番犬の用をなさない犬。さらに戦時下のロンドンでナチと戦うバジル・ラスボーンとスパイダー・ウーマンの非現実的な夢、そしてジェレミー・ブレットはグラナダテレビの優れたシリーズでそれまで退屈だったテレビに劇場の演劇なみの衝撃を与えてくれた。ビリー・ワイルダーは天分を子供のころのお気に入りに余すところなく注ぎ込み、美しくも不気味な——それでいてとびきり面白い———シャーロック・ホームズの冒険(*The Private Life of Sherlock Holmes 1970年 脚本・監督・制作)をわたしたちの前に繰り広げた。

もしまだこの本を読んでいないなら、さあさっさと読んでください。わたしはネタバレはきらいだし、あなたも、どうなるかだんだんわかってくるにつれてネタバレがなくてよかった、と思うようになるだろう。だから、さあ今から読んでください、読み終わったらまた次の文の頭に戻ってきてください。


やあ、再びようこそ。驚きだったでしょう? なんと大胆に小気味よくスマートな語り口であることか。いかにヴィクトリア時代の枠を超えて控えめに現代風に書かれていることか。最初の登場にしてキャラクターが完全に出来上がって、しかも恐ろしいほどのシャーロック・ホームズについてはどうだろう? すべての小説の中のもっとも偉大なヒーローの一人、その男の最初の姿をわたしたちはどのようにして知るのであろうか。なんと彼は解剖室で死体を鞭打っているのだ。
それから100年以上もたって、マーク・ゲイティスとともにわたしたちなりの現代版を制作した折に、われらの新シャーロック・ホームズの登場に際してまったく同じことをさせた。このわたしたちの勇気とエネルギーに対して多大な喝采をもらった。だが、わたしたちが得たほかの多くの秀逸な着想と同じく、これも原典からそのまま使ったものだった。

そのうえ、われらのヒーローはまったく正統派ヒーローっぽくないだろう? 冷徹でうぬぼれやでユーモアのセンスがなくて、自分の選んだ職業に没頭する様子は気味が悪いほどだ。常人には不可解な秀でた能力をもつ一方で彼の知識にはとんだ欠落がある、それについてワトソンが作ったぞっとするリストがある。
ずっと昔には、わたしのヒーロー像はこんなものではなかった。わたしが期待したのは、魅力的で勇敢で心優しいヒーロー——でも、そこはほら、わたしはやめずに読み続けた。わたしを駆り立てたのは「推理」だった。ああ、なんとその推理にぞくぞくしたことだろう。はじめて会った時シャーロックはたちどころにワトソンが最近アフガニスタンから帰ってきたことを知った。しかし、どうやって? ドイルは答えを明かさずにあなたに待ちぼうけをくらわしただろう? そして彼は初めての事件現場へ赴き、みんなに殺人者は赤ら顔の人物だと告げるのだ。わたしはここでもどきっとした———どうしてそんなことができるのだろう? どうしたらこういう顔だという証拠が空気中に残るのだろう? またもやドイルに手玉にとられて読者はページをむさぼり読むことになる。どうやってこんな不思議な芸当ができたのか探り当てようと必死になる。

本を読み終わるころには自分がほんとうにシャーロック・ホームズが好きなのか確信が持てなくなった——正直言って、どうして好きになれる?——だがいままでに読んだ本の登場人物でこれほど虜にさせられ、胸を躍らせたキャラクターはいなかった。ホームズはわたしを安心して落ち着かさせてくれなかった。わたしはいつも自分の立ち位置がわからなくなった。しばしの間素晴らしい頭脳のひらめきに畏敬の念に撃たれたと思うと、次の瞬間に彼は傲慢さと残酷さでわたしの横っ面をひっぱたくのだった。そしてストーリーテリングの達人であるドイルはさらにそれに輪をかけて持ち上げたり蹴落としたりするのだ。

本書のすぐ後に書かれた「四つの署名」でホームズは事件が途絶えた退屈さをまぎらわすために麻薬を使う——心底ショックを受けた———ところがすぐに彼はひとつの懐中時計から持ち主の全体像を推理するのだ。そしてわたしはそれにまた心を躍らした。
同時にホームズはドクター・ワトソンに対していつも意地悪く接する。女性に対する許しがたい発言をするし、一連の作品の中でドイルが繰り返し描くことになる素晴らしい天才のひらめきをもって自分が登場する話を酷評するのだ!
(*ワトソンの書いた)「緋色の研究」がこうむったもっともひどい(*ホームズによる)批評を知りたいなら続編を読むといい。(*四つの署名の冒頭)———シャーロック・ホームズは自分の仕事の報告書としてのこの本が気に入らないと公式に表明する。とっくに野心的な出版社がシャーロックの言ったこきおろしを引用して表紙に載せてもいいころだと思うのだが。
ドイルの文才へ手放しの賞賛を送ることが多いが、生意気な態度と信頼性とを結びつけるこの大胆なアイディアには毎度のことながら笑わされるのだ。

もうひとつの物語が連作の中で進行している。静かにゆっくり近づいてくるので読者はその存在になかなか気がつかない。そして徐々に頭の中に姿をとり出すすべての事のように、それが肝心要なのだ。
これらすべての輝かしい小説はひっくるめて見ればふたりの友情の物語に他ならない。すべての小説作品の中で、最高の不滅のもっとも心温まる友情。このふたりの男たちが互いに愛し合っていることに疑いの余地はない。しかしそれは物語中では決して明言されていない、触れられてすらいない。
二人は一緒に冒険をする。ホームズは冷淡でワトソンは忍耐強い。ホームズは才知をひらめかせ、ワトソンは勇敢さを示す。しかしふたりは常ににともにある。常に全幅の信頼を互いに抱いている。まさにそれだけのことである。おおよその男同士の友情と同様に、なにもかもが推測の中にあり、なにひとつ言葉では語られないのである。

ああ、ひとつだけをのぞいて。ただ一度だけ、それが読者の運なのだ。もしあなたがわたしがしたように出版されたとおりの順で読み進むならば「三人ガリデブ」に行き当たるまでにずいぶんと長い時間待たなければならない。(*シャーロック・ホームズの事件簿掲載、56ある短編の49番目)だが、焦ってはいけない。順を追って読み続けたまえ——その瞬間が訪れたとき、きっとあなたは涙を押しとどめようと瞬きを繰り返すだろう。

先日、マークとわたしはSHERLOCKの来シーズンについて制作発表をした。当然のことながら、シャーロック・ホームズの永続的な魅力はなんですかという質問が出た。マークは「推理、そしてもちろん友情だ」と答えた。もしシャーロック・ホームズの物語が小説という形で最大のヒットであるならば———まったくその通りなのだが———人が彼らのようなヒーローを好むということから人間についてどのようなことが推論されるだろう? 結局のところ、わたしたちは心地よい理性と佳き友情を愛する、ということなのだ。

  それがあればわたしは生きていけると思うのだ。

スティーヴン・モファット

(*は訳者による注)

Comments

ありがとうございます!
原文なんて絶対に読み込めないから、こうして訳してもらえるのは本当に嬉しいことです。
前回のゲイティス氏のも読みました。
最近なかなかコメントできなくて自分でももどかしいんですが、ずっと読んでます。本当に名文……ちょっと涙ぐんでしまいました。

>きっとあなたは涙を押しとどめようと瞬きを繰り返すだろう。

実際、いまそんな感じです!

>onionさん

ありがとうございます!
読んで下さる方がいると知っただけで独り相撲の空しさを免れることができました。
もちろん本の前書きだからいいことばかり言うのでしょうが、ただそれだけとも思えない節がありますね。
ゲイティスもモファットもほんとうに好きなんだという気持ちが伝わってくるようで。それにかなりのコアファンですよね。
次はカンバーバッチくんなのですが、彼は文はへた?
何だか苦労して書いているようです。

いろいろお忙しそうな中コメントいただけてほんとうにありがとうございました。

こんにちは。
今回も翻訳ありがとうございます!

「正統派ヒーローっぽくない」どころか、かなりの変人が周りを振り回しつつ凄い能力を発揮するというところが魅力なのですよねえ・・・ワトソン君もこんな友人だからこそほっとけなくて結婚後も腐れ縁(?)が続いたような気もしています。

現代版のホームズがなぜ他のバージョンより変人ぶりが強調されているのか、こちらの前書きを読んで納得できました。

モファットさんは「三人ガリデブ」に言及しておられますが、今後のエピソードでぜひ取り入れてほしいものですね、とちょっと邪な意味でも楽しみにしていますw

>Chikoさん

確かに原作読むとそれほど変な人っぽくないんですね。
些細なことながら訳語の選択とかそのあたりでキャラが決まってくるというのも現実。
穏当な言葉遣いで穏当なキャラになってしまうのですね。
映像はそういうわけにはいかない、ジェレミー=ホームズに慣れた目には、ロバート=ダウニー=ホームズは(時代は違和感がなかったのに)目が点だったし、ベネディクト=ホームズに至っては口あんぐり状態でしたよ。
でも、これほどの大ヒットになったというのは、作りが正統派でしっかり細部まで作りこんでいるのが多くのSHファンの目にかなったということなんでしょうね。

今後の制作がどうなるか、大いに気になるところ。
ポワロみたいに全作品映像化、みたいな夢を見ることはできないのでしょうか。

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