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夢のような出会いということ

Supreme_happiness

ある本の一部を引用してみる。
———前回、いまの私は有体に言えば暇、と書いたが、具体的にどれぐらい暇かというと……。

一、このあいだも読み返したばかりというのに、またもや人生何十度目かの『ガラスの仮面』再読(白泉社漫画文庫版で二十三冊)を達成した。
二、橋本治の『窯変源氏物語』(中央公論新社文庫版で十四冊)を全巻再読した。
三、『サイボーグ009』(秋田漫画文庫版で二十一冊)を三晩連続睡眠不足になりながらも無事に制覇した。

三浦しをん著「夢のような幸福」(新潮文庫)より。

1月に同著者による「舟を編む」を読んで面白さにあてられてから、例によって図書館通いをしてハードカバーの三浦作品をほぼ制覇、まだ足りないと自費で文庫に手を伸ばすこととあいなった。
文庫がこれまた多い、どれにしようか迷いながら題名とカバーのあんまりのキッチュ感にこちらが恥らいながら手にに取ったのが「夢のような幸福」、たまたまぴらりとめくったのが上記の「暇を計測する」のページだった。
ここであらためてガーンとなった。
「ガラ仮面」と「窯変源氏」と「009」の取り合わせ! はばかりながら敢えてこんな取り合わせを選ぶのは世界広しといえどわたしくらいだと思っていたから、まるで自分のヌード写真が(そんなものないけど)知らないうちにパブリックドメインとしてさらされているような羞恥心に近い衝撃を受けてしまったのだ。
これに岩波文庫版「紅楼夢」十二巻まで書いてあったらきっと卒倒して、次にもしやこの人はわたしのドッペルゲンガーかと面会を申し込みに行ったかもしれない(というのはうそ、それくらい吃驚だったってこと)

この後エッセイ本を都合4冊読んでいるがどれもが期待を裏切らない。病院の待合室で思わず吹き出して横の人に怪訝な顔をされた。外で読むのはやばいと就寝前に読むことにしたが、夜中に布団の中で笑いをこらえて悶絶している。
もちろんここに書かれたたくさんの自虐ネタが周到に計算された面白さであることはよくわかる。それでもうまい、凡人が感じていることと同じところから始まって、そうだそうだと共感しているうちに、術中にはまってしまう。乗せられて彼女の思い、時には痛みを追体験して、一体感を持ってしまう。ああ、上手だ。

つらつら振り返って考えるに、ニュースを聞きながら「つい今しがた午前七時から再開した会議で…」などとアナウンサーが言おうものなら「午後だろうが!」と突っ込みを入れる。朝のワイドショーで「めった刺しにされて…」と言えば「滅多切りや滅多突き、滅多打ちはあっても滅多刺しはない!」と茶々を入れ、「食べれるし、見れるし~、ぜ~んぜん良いしぃ~」なんて聞こうものなら「気持ちわりぃ!」と怒る。周りの家族から、いい加減にせいやといつも言われる。
ああ、わたしってこんなに狭量な人間だったのかと「ただこれ天にして、汝が性のつたなきを泣け」と自戒していたのだが、三浦エッセイを読んでいてわが意を得たりの部分があまりに多く、うん、これでもいいのかも、これもありかも…と少し自信が持てるようになった。

しかし見過ごしてはいけない。短い抱腹絶倒のエッセイの中に実は砂金のようにきらりと光る一文が必ず隠れている。それは最後の一行であることも多いが、なんだかこの人はこの一行が書きたいがためにこれを全部書いてきたんだなというようなほっとした気分にさせられる。
蓋し(わたしにとって)名エッセイたる所以であろう。

ここではっと気が付く。この人って娘くらいの歳なんだよね。その人と共感覚もってるなんて、彼女が老成しているのかわたしが幼いのか———聞くだけ愚問だったか。

昨夜の出来事(正確には一昨夜——語呂がわるいから)

腹がたったとか頭にきたとかで始まれば、おっ、何かおもろいことでも書いてあるのかなと期待させるのだけれども、残念ながらそのどちらでもない。
腹にきた、のである。
は~らにきぃた~、は~らにきぃた~、な~に~が~きた~?
とつまらないダジャレをいっても仕方がない。つまり腹にきたのである。

おなかに来る風邪がこれほどつらいと思わななかった。
一昨日の夜のこと。遅い夕食を終えて見るテレビ番組もなく、そろそろ頃合いとネット入りしたとたん、下腹にちくりと痛みが走った。生来食べ物には意地汚いと自認する自分、なんぞ悪いものでも食べたかと(夕食前後のつまみ食いも入れて)自己検索するも思い当たらず。
たまに食べたものの腸内反抗がおこることもあるので気にせずにネット遊びを続けるうちに痛みがただ事ではなくなってきた。
すわ一大事と例のところに駆け込む。(以降尾籠な話で申し訳ない)
うんうん呻吟するも一向に進展がない。痛みはますます強く、まるでギーガー描くあの黒いぬらりとした頭が腹壁を破ってキュイ~と出てくるのじゃないかというくらいに感じられた。(もちろんこれは後付、その時はそんなことも考える余裕などない。ひたすらタオル掛けにしがみついていた)
ふっと頭をよぎったのは、このままここで死んでしまうのだろうか、なんてこと。そうなったらみっともない。腹痛に耐え兼ねてタオル掛けにしがみついたままこと切れたなんて、末代までの笑い草になる。
これほど人が呻吟しているというのに薄情な家族は誰も気づいてくれない。雪隠にこもって30分以上になるというのに。
本気で這い出して救急車を頼もうかというくらい気弱になったころに、やっとその時はきた。
盛大なる……、これ以上は書くまい。わたしにも自尊心のかけらは残っているから。

いわゆる吐き下しというやつですな。小さな子供がよくやるやつ。子供ならまだかわいいもんだし、あら、大変、この子はよくやるからくらいで終わるんだろうけど大の大人のそれは想像するだに疎ましい。
とにかくできる限り毒素を体外に出すという苦役を果たして、へろへろになって雪隠を辞去した。

気分は最低、寒気もする。がんばれあと一歩で国境線だ、ここを踏ん張れば楽園が待っていると、へなへなと消えかかる意志に鞭打ち、歯磨き洗面を済ませると痛む腹にホッカイロをば貼り、失った水分補給のために水入りペットボトルを抱えて万年敷きっぱなしの寝床(またの名をベッドという)へリタイアした。

夜半は熟睡できず。間欠的に襲いくるしぶるような腹痛とぞくりぞくりとする寒気に電気式毛布の目盛を最高に合わせたまま1、2時間おきに目を覚ました。
暑くなって水を飲み、温度調節の目盛を一目下げる。また目をさまし、一目下げる。夜明けには目盛は最低に落ち着いた。
朦朧としながら発熱していたらかなりやばいと思った。インフルエンザだったら家族に移してしまう。朝一で病院へ行かねば。
しかし幸か不幸か、起きだして探してきた体温計で測ったら平熱だった。やれやれ、インフルじゃないようだ。一安心しつつ浅い眠りぬつくと先日借りてきて見た映画、コンテイジョン(感染ですなw)の一場面っぽい夢を見る。
人間の肉体と精神は表裏一体という動かぬ証拠を突きつけられたようなものだった。

翌日、熱はなし。昨夜の劇症もなりをひそめたものの、食欲は戻らず。ひたすら水分補給に努めた。やっと状況を知った母がおかゆを焚いてくれた。実はおかゆは大の好物で病気とは関係なしのときにも一人でよく焚いて食べているので、これには最低ラインでへたっていた食欲も少し頭をもたげてくれた。

今日で3日目になる。時折じわりと腹痛があるがそれも間遠くなりつつある。ただし食い意地をはって食べ過ぎるといけない、とたんに痛みとともに腹がぐるぐると不気味な音を出す。
あと何日かの養生が必要である。ただ一つのなぐさめは、こんど体重計に乗ったとき、やったー! と叫ぶことができると大いに期待できることだけだ。

後記; 最近三浦しをんのエッセイを読みまくっているせいで、ちょこっとそれ風の文体になっている。こうやって笑い飛ばさないとつらいことはますますつらいことになりそうだから。

なんということのない日常

去る11日は日本中が鎮魂と共感にみたされました。
あれから一年、時間の経過の速さにいまさらながら驚かされます。
この一年自分は何をしてきたのかと自問すると、あまりに何もしてこなかったことに忸怩たる思いです。

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唐突にケーキの写真です。
リンゴとヨーグルトを使った簡単ケーキ。確かヨーグルト・ポムポムとか(リンゴ、ヨーグルトってまんまでっせ!)
材料を出してからオーブンへ入れるまで実に15分というスグレモノ。泡立てなし、しちめんどくさい手順一切なし。量って混ぜて容器に入れて後はオーブンへ!
しっとり、甘味控えめ。レンジで温めなおして食べても美味。

何の屈託もなく、こんなものを作って食べていられる日常を持てることに感謝。まさにこの一言に尽きます。

ちなみにレシピ希望の方はメッセージくださいませ。