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まだ見ぬ同志 とも

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近所に古紙回収業者のトラック置き場がある。そこにはいつも新聞の束や雑誌、段ボールなどが山積みになっている。
収集してきたものの一時置き場なので山ほどあったかと思うと翌日にはすっかりなくなってトラックだけが止まっている、そういう状態である。わたしたちは近所の役得で新聞雑誌など少したまると即、集積所へ置きに行く。

二日ほど前、例によって新聞の束を持って行ったときのことだ。ふと一つの段ボール箱が目を引いた。いらない文庫本を整理したのだろう、ぎっしりカバーのかかった本が入っている。そのカバーに見覚えがあった。
茶色に黒の筋、Univ Coopの文字--大学生協のカバーだった。もちろん全国の大学生協で同じ仕様の文庫カバーを使っているのだからこの本の持ち主が本を買ったのがわたしの母校とは限らないのは承知であるが。

好奇心から本を取り出してみた。その時の気分といったら、まさに驚愕、ショック。まるでかつての自分の本棚を見ているようだった。
生協のカバーのほかに今はもう店舗が移転してしまった市内の書店の茶色にゴシック文字のデザインのカバー、もう一軒の書店の深緑の地に白い鳥の線描のあるカバー。
わたしが学生のころ買って保存していた本が、いま目の前に並べられたような錯覚にとらわれた。カバーはすべて几帳面にぴっしり本に合わせてきっちり折ってある。この「本フェチぶり」はただものじゃない、とかつての自分を揶揄する気分になった。

カバーがかかっていない本もあった。平井和正の新書版「幻魔大戦」が幾冊もあった。あっと思って手近の文庫本を確かめると、豊田有恒、筒井康隆……おどろくことにすべてSF だった。

運命論者ではないけれど、何か不思議な天の配剤を感じた。この箱が捨てられた日にわたしが新聞を捨てに来て目をとめた。一日違いでこの箱はどこかへ移されて処分されただろう。SFに興味がない人が見ても気にも留めなかっただろう。大学生協のカバーがかけてなかったら目を留めなかっただろう。

持ってきた新聞をおいてわたしは迷うことなくその段ボール箱を抱えて家に戻った。一冊ずつ取り出して中を改める。わたしの記憶にある当時のカバーであるからこの本の持ち主はわたしとそれほど年齢は離れていないのだろうと思われた。広げながら、持ち主の気持ちがわかるような気がしてきた。そして知らず知らずのうちにその人に語りかけていた。

文庫の天地や小口の着色はそれ相応の年代を経ていることを示している。しかしどこにもシミ一つない。表紙の日焼けもない。おそらく読んでからずっとカバーをかけらて本棚に並べらていたのだろう。きっと大事にされたんだね。でも、あの当時SF 好きというのをおおっぴらに示すのは照れがあった。当時はオタク視されかねなかった。だから本棚に並べるときにカバーをかけていたんだね。外にタイトルも書かずに。わかるよ、その気持ち。

筒井康隆が好きだったんだね。小松左京、光瀬龍の最高傑作もある。文庫版だね、わたしは日本SF シリーズで持ってるよ。
平井和正の幻魔大戦、漫画連載が打ち切られSFMの新幻魔大戦も中断、その後出た新書版を期待して読み始めた。矢継ぎ早に出る続刊を読むうちに、こんなはずじゃなかった、と思いながらまだ惰性で読み続ける……そして、心が離れてしまった。若い巻はカバーをかけてあるのに最後の方は投げやりになっている様子が見える。その遍歴が目の前に見えるようだ。わたしもそうだったから。

その後本はずっとご主人の本棚にいた。青春の思い出であり、かつてはひそかに心ときめかした大切な本だったから。しかし、長い年月が過ぎ、自分の中で「もういいか」という気持ちが少しずつ大きくなってくる。再読する機会もなくそこにあるだけで心が落ち着いた本だったが、そろそろ現在の自分に衣替えする時期だ。こうして〇ook Offへ持って行っても買い取ってもらえない本たちはまとめて段ボールに入れられて破棄された。

わたしは幾冊か抜き取って残りは集積場に返しに行った。不思議に気分が高揚していた。日本海側の地方のこの小さな市に、わたしの近くに、同じ頃に同じ本を読んで心ときめかした同志がいたのだ。どこの誰か確かめるすべはないし、知ってどうしようとも思わない。その人とて同好の士が近くにいたなどとは当時も今も夢にも思わないことだろう。

まだ見ぬ同志 とも よ、とわたしは呼びかける。わたしたちは孤独じゃなかったんだ。何十年か後にそれがわかった。それでも遅くない。わたしはうれしい。偶然の不思議さ、この出会いのうれしさ。これこそまさに Sense of Wonder !!

世界で一番おいしい紅茶の淹れ方

P1090862NHKの番組「極める!」で知った極め付けの紅茶の淹れ方です。

わたしも長年紅茶を飲んできましたが、今までこれぞおいしい紅茶というものがどういうものか、実感できたことがありません。
よく聞くのが、ポットを温めるとか、茶葉は人数分プラス1を使うとか、そそぐ湯は沸騰してから一呼吸置いたものがいいとか、湯を注いでから3分蒸らせとかいうような注意ですが、その通りやっても出すぎて渋みが強かったりで、本当にこれが「おいしい」のだろうかと首をひねりたくなります。

「極める!」では、まずイギリスで長年の議論の的だった「ミルクが先か、紅茶が先か」についに終止符が打たれたことが紹介されました。
「ミルクが先」だそうです。どちらを先にしても出来上がりは同じミルクティーだろうと考えますが、微妙な差異が生まれることを科学的に実証……したのです。
いわく、ミルクは温めることによって独特のにおいが強くなる。だから90度近い熱い紅茶のカップにミルクを少しずつ注ぐとミルクの温度が急激に上がって牛乳くさい香りが先に立ち、飲み口ももったりしてくる。
逆に先にカップ1/4くらいミルクを入れておいてそこに紅茶を注ぐと、ミルクがゆっくり温まり紅茶の香りの方が先に立つようになる、飲み口もあっさりとする。
よってミルクが先が望ましい。さらに詳細をいうと、茶葉はアッサム、水は軟水、ミルクは低温殺菌のもの、カップは広口の陶器製マグカップが望ましいとのことである。王立化学協会(Royal Society of Chemistry)が大真面目に出した結論なのだからあながち眉唾ではないのかもしれませんね。

さらに「極上の紅茶を淹れるゴールデン・ルール」で、ポットの中で茶葉が活発に上下する(ジャンピングといいます)ために注意する点として、湯に空気をたくさん含ませるために
1 水道からヤカンに水を入れるときシャワー状にして勢いよく入れる
2 湯が沸騰すると含まれる空気が激減するので、沸騰直前(98℃くらい)で火からおろすこと
3 ポットに湯を注ぐときなるべく高い位置から注ぎ、ここでも空気を含ませるようにすること
その後3分蒸らして、温めたカップに室温に戻したミルクを先に入れておいて、その上に静かに紅茶を注ぐと出来上がりです。飲みごろは65度が最適だそうで、ミルクに紅茶を注ぐとちょうどそれくらいの温度になり、すんなりと抵抗なく飲めます。

さっそくやってみました。写真で見る限りは何の変哲もないミルクティーですが、確かにまろやかで後口がさっぱりしています。
アールグレイやアフタヌーンティーなど茶葉を変えてみても同じようなまろやかさが生まれます。この淹れ方、思わぬ拾い物とうれしくて仕方ありません。当分毎日このゴールデン・ロイヤル・ミルク・ティーを楽しもうと思います。

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