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種明かしの巻

7作にわたってご披露してきた妄想シリーズ、実はあと一作ありますが、できが今いちです。それにもう春も終わらんとしているので、妄想はこれにて打ち止めにして仕掛けのお話に移りたいと思います。
慧眼の読者の方々におかれては、もうネタはお分かりのことと思います。むしろ、手際の悪さを笑っていらっしゃるのではないでしょうか。

それぞれの妄想には元ネタがあります。元ネタへのオマージュのつもりなのですが、それぞれから継起されたイメージが膨らむに任せて、中にはまったく別ものに見える文をでっち上げたものもあります。最初はちょっとした思いつきとお楽しみで始めたものです。

妄想その1(春日)――徒然草序段

つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

妄想その2(春霞)――枕草子一段

春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

妄想その3(春憂)――島崎藤村 「落梅集」より 小諸なる古城のほとり

小諸なる古城のほとり          雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず         若草も籍くによしなし
しろがねの衾の岡辺           日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど          野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて           麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか           畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず         歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよう波の           岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて           草枕しばし慰む

妄想その4(花雲)――滝廉太郎 作曲 武島羽衣 作詞 「花」

春のうららの隅田川          のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る         ながめを何にたとふべき

見ずやあけぼの露浴びて      われにもの言ふ桜木を
見ずや夕ぐれ手をのべて      われさしまねく青柳を

錦おりなす長堤に           くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の           ながめを何にたとふべき

妄想その5(幻春)――小学校唱歌 春の小川

春の小川はさらさら流る 岸のすみれやれんげの花に
にほひめでたく、色うつくしく 咲けよ咲けよと、ささやく如く

春の小川はさらさら流る  蝦やめだかや小鮒の群に
今日も一日ひなたに出でて 遊べ遊べと、ささやく如く

間奏曲 ――孟浩然 春暁

春眠不覺曉    處處聞啼鳥
夜來風雨聲    花落知多少

妄想その7(早春)――津村信夫 「父のゐる庭」より 早春

淺い春が
好きだつた──
死んだ父の
口癖の
そんな季節の
訪れが
私に
近頃では
早く來る
ひと月ばかり
早く來る

藪蔭から
椿の蕾が
さし覗く

私の膝に
女の赤兒
爐(ろ)の火が
とろとろ燃えてゐる
山には
雪がまだ消えない

椿を剪つて
花瓶にさす

生暖かな――
あゝこれが「生」といふものか
ふつと
私の頬に觸れる
夕べの庭に
ゆふ煙
私の性の
拙なさが
今日も
しきりと
思はれる

あたら名作を迷作にしてしまった感がありますが、楽しみながら(あるいは苦心しながら)やってきました。
長々したたわごとを読んでくださってありがとうございました!
いただいたお褒めの言葉はすべて原作の素晴らしさによるものだと思っています。また機会があったら何かこんな遊びをしてみたいですね。

早春――妄想その7

Wabisuke

父の話をしよう。
父は実業家だった。社会的にかなりの業績をあげたやり手だったが、引退してからは、一介の市井の老爺となった。
父と姉と兄、そしわたしの暮らし。それぞれが思いを胸に持ちながら、同じような日々が穏やかに過ぎて行った。

冬は長く寒い。だが、必ず冬の終わりを感じる時がやってくる。そしてほんの少し春の兆しが見え出す。父はそれを浅い春とよんだ。
父は浅い春が好きだった。毎年口癖のように、浅い春はいい、花盛りの爛漫の春ももちろんいいけれど、余寒の中に感じる浅い春が好きだと言った。父の言葉で春の訪れに気づくのが常だった。

父がいなくなって年月が流れ、今年もまた春が訪れる。ああ、もう春だなあと感じてふと思う。これが父の言っていた浅い春だ。
その訪れがわたしにも感じられるようになってきた。父が隣にいたころにはまだ感じられなかった季節の訪れ――それが近頃では早くやってくる。気がつくと、ひとつきばかり早くやってくるようになった。

裏木戸をくぐり山辺の道をたどる。落葉した雑木の中に緑を保つこんもりした藪がある。
つやつやした葉が頼もしい椿だ。はっと目を引くような赤い蕾が葉陰から姿を覗かせる。赤の侘助だ、これもまた父のお気に入りだった。

わたしは結婚が遅かったせいで歳がいってから初めての子を授かった。いまわたしの膝の上で無心な瞳を輝かせている女の赤ん坊だ。
おかしなことにわたしはこの子が妻のお腹の中にいるときには「太郎」と呼んでいた。なんとなくそう呼ぶのがふさわしいように思えたからだ。日本の物語に出てくる腹掛けをして丸々と太った赤子、まだ見ぬ子をわたしはこういう美しい伝説の子供のイメージで想像していた。

でもわたしは女の子でよかったと思う。いとおしいのだ。小さな白い手を見るたびに、ここにわたしの命があるのだと思う。それは父がわたしにくれたもの、わたしが吾子に伝えるもの、そしてずっと遠い過去から未来永劫に続いていくものだ。

まだまだ寒い。炉では一日中火を絶やすことはない。昼過ぎにくべた薪がとろとろ燃えて、ゆっくりと白い熾きに変わっていく。
窓から見える遠山に積もった雪はまだ消えない。穏やかに穏やかにまた一日が過ぎていく、そうして少しずつ春が近づいてくる。

わたしは思いたって背戸の侘助を剪って花瓶に挿した。父ならば侘助には飾らぬ竹の花器を選んだだろう。だが、わたしはあえて鶴首の染付に挿してみた。一幅の絵のような華やかさだ。

夕べの庭に立ち出でて風情を楽しむ。余寒の中にも暖かさを感じる。駘蕩とした生暖かさ。
ああ、これが生きているということなのか――日常の、自然の、人為の、わたしをとりまくすべてのものから、わたしは自分の「生」を感じる、享受する。
夕べの庭に夕餉の支度をする煙がうっすら漂い、わたしの頬にふれて消えていく。わたしはあまりに大きな感動に不覚にも涙する。
この年まで大したことも成さずに生きてきたわたしの拙さ、至らなさが、今日もしきりと思われる。

父が好きだった浅い春、わたしにもだんだん早く訪れるようになった春。
わたしは父の年まで生きられないかもしれない。そんな予感がししてならない。いちばんの親不孝であることだなあと、ゆくりなく思った。


妄想の暴走第7弾です。満開の桜を先に書いてしまったので、季節の前後がありますが、これも以前から書きたかったものです。意余りて言葉足らずです。またあとから少し手を入れるかも。

間奏曲

P1090662


……ねむい、ねむたい……
半ば自動的に目覚ましに手が伸びて、思わずわっと声を上げそうになった。
やばい、寝過ごした! 今からやらないといけないこと、遅れた言い訳、まわりの冷笑、みじめな気持、そんなことが一度にどっと頭に押し寄せる。
次の瞬間、安堵するとともに自分のばかさ加減が恨めしくなる――今日は休みだった。

このところ毎朝起きるのがつらい。何も前の晩遅くまで好きなDVDを見たり、延々とネットめぐりをしていたのが原因じゃない。
何もかも、この季節のせいなんだ。
春は――朝がつらい。いつまでもぬくぬくと布団にもぐってこの暖かさと心地よさをむさぼっていたい。
朝が早く開けだして外が白むのに、一向に目が覚めない。心地よく眠ることで今までの寒く厳しい季節に意趣返ししているようだ。

ごたくを並べずに、もう一度まどろみたい。せっかくの休日じゃないか。
目を閉じて枕に頭を沈めるものの、一度覚めた目はなかなか眠りに戻ろうとしてくれない。
聞くともなしに外から聞こえてくる音に耳を傾ける。
日頃忙しい朝には気づかなかった鳥の声がする。庭といっても申し訳程度の広さしかないが、数本の木に野鳥が来ているのだろうか。
それともよく軒に出入りしている雀だろうか。鳥の声は一種類だけではなさそうだ。
忙しさにかまけてそんな鳥たちの存在すら忘れているんだと思う。
意識さえすれば様々な鳥の声が聞こえていたのだ。

なんとなくまた眠りの際に引き戻されてきた頭でぼんやり考える。
そういえば昨夜は雨音がしていた。風もひと時強く吹いたような気がする。ぼんやり寒冷前線が通ったのかなと思ったのを覚えている。

あっ、風で先日庭に咲いた桃の花が散ってしまったかな。唯一わがやの庭に春咲く桃の花、白と桃の二色咲き、源平桃という風流な名がついているのだが、ひそかに毎日まだ咲いていると楽しみにしていた。
いつかは散る運命だが、強い雨風に打たれて庭に散り敷いている花弁を見たら、なにやら凄然とした気分になってしまうかもしれない。

そんなことを考えながらうとうとして、再び甘美な眠りに陥ってしまったことだ。

これまた妄想の一つに加えてやってください。つまり第6弾ということで、はい。