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ちょこっとホット

P1090495相変わらず雪・雪・雪の毎日。これ以上降ると屋根の雪下ろしも考えなくてはならないかもしれません。
写真は衝動買いをしてしまったホットチョコレートマグ。

マグの上に専用のチョコ下ろしがついていて、板チョコを下ろしてホットミルクを入れます。

とはいえ、実際は削りチョコに冷たいミルクを入れて、レンジにかければできあがり。

P1090497 さっそく試してみました。ところが下ろし金は思うように削れず、手に持った板チョコが力を入れると割れるし、そのうちに溶け出してちょっと惨めな有様に。
ただし苦労して作ったお味は絶品。うっとりとなるも、甘過ぎに注意。

生姜下ろしにも使えるので次回は紅茶に生姜をいれるのに使ってみましょう。


ホットチョコといえば「ショコラ」でジョディ・デンチが飲んでいたチリ・ペッパー入りのホットチョコを思い出します。黒くてねっとりしていて熱くて悪魔的な味。一度飲んでみたいものです。

不公平とは言わないけれど

P1090448

正月も過ぎ、寒の入りをへて、雪シーズン到来となりました。これはまだ序の口、これからどんどん積もることでしょう。
下は昨日の天気予報図です。見事に日本海側に雪だるまが整列しています。太平洋側は……いわずもがなの晴天です。
子供の頃から冬の天気予報をみるたびに、どうしてうちの側だけ雪が降らなければならないのかと理不尽さを感じたものでした。

P1090457

まあここまできれいに日本列島縦割りの予報も珍しいので急いでカメラに収めたというわけです。
雪が舞ってはいますが、一日中降り込められているわけでもありません。昨日夕方にはこんなきれいな空も見えました。

P1090463

雪の晴れ間に見る青空と白い雲は、また格別に美しいものです。何ごとも不足してみて初めてありがたさがわかるという、あの類ですね。

お正月さまが来なさる

P1090420

明けましておめでとうございます。
昨年は数少ない更新にもかかわらずおいで下さいましてありがとうございました。
今年も同じのんびりペースになるかも知れませんが、いや、なるでしょうが、どうぞよろしくお願いいたします。

子供のころである。
暮れも押し詰まった年の瀬のある未明、突然大勢が立ち回る物音と大きな声が家の表の方からしてくる。
まだ幼い私は起こされて眠い目をこすりながら店に続く部屋へと連れて行かれる。周囲はまだ暗い。何が起こったのかわからないが母の上気した嬉しそうな顔から怖いことが起きたのではないことはかろうじて知れる。
寒いからと、分厚い毛糸のカーディガンをパジャマの上から羽織らされて靴下をはいて、煌々と明かりがついた店先を見て目を疑った。

当時わが家は酒屋をしていた。昔ながらの商家の間取りで、間口三間半の間口にガラス戸が嵌っている。それを開けるとコンクリートの叩きになっており、上がりがまちがあって後ろが店になっていた。
未明の物音の正体は餅搗きである。農閑期の農家の人々が何人か組になって商家に餅搗きにやってくるのである。天秤棒で担いで来た火の燃えさかる大きな竈をまず据えて、その上に研いだ糯米の入った蒸籠を何段か仕掛ける。薪がシュウシュウはぜる、炎が盛大に燃え火の粉が立ち、蒸籠から白い湯気がモウモウと噴き出す。

冬のさなかに店先を開けはなって寒気が容赦なく入ってくる、それなのに竈の火勢と人々の熱気で寒さは感じない。いつものわが家がまるで違った場所に見える。さながら別空間に入ったかのようだ。わたしはうっとりとする不思議な感覚にどっぷり浸かっていた。

蒸籠の米が蒸し上がるといよいよ餅つきの始まりである。
むしろを敷いた上に臼を据え、かけ声と共に布巾で包まれた蒸籠の中身をどっと空ける。ぼっと威勢よく湯気が上がる。
まずは杵で練るように米を押し潰していく。ほっほっというかけ声でみるみる米がひとつの塊になっていく。
さあ、餅つきの始まりである。威勢よいかけ声と共に杵が振り下ろされる。鈍く重い音がする。ぼすっという様な音、そして別の一人がはいっという合いの手と共に手水をつけながら餅をさばく。
杵が下りる、餅が伸びる。杵が下りる、餅が返る。杵が下りる、餅が引っ張られて折りこまれる。ぼすっという鈍い音が次第に高いぱしっという響の軽い音になっていく。

すると一臼の搗き終わりである。今や白い大きな塊にななった餅を店の上がりがまちに置かれた大きな板の上に投げる。板には餅取り粉が十分にひかれている。待ち構える男が熱い白い塊を器用に二つに分けると板に付かないように回しながら丸い形に整えていく。餅は自分の重みで平たくなっていく。こうして一重ねの鏡餅ができる。
その間にも臼の中では次ぎの蒸籠の中身が着々と餅になっている。
ほっ、はい、ほっ、はい、どすん、ぺたん、どすん、ぱちゃん。
二重ねの鏡餅ができあがると、次の塊は丸くしない。餅取り粉を更にたくさん出した中に着地した餅の端を両手できゅっと握ると親指と人差し指の間からぷくりと丸い形で顔を出す。そのまま指を絞ってくいっとひねれば小丸餅がひとつできる。
きゅっ、にゅう、くいっ、きゅっ、にゅう、くいっ。見る間に板の上に丸餅が整然と並んでいく。

わたしはその一部始終を、ものに憑かれたように、熱に浮かされたように目を離す事ができずにじっと見ている。母がひとつ小餅を貰って渡してくれる。手に持ったときの熱さ、柔らかさ、粉のざらつき。くるくる丸めようと手に乗せると何とも言えないふんにゃりしたさわりごこち。わたしにとって搗きたての餅というのはこれ以外にない。
時間も非日常なら行われた事も非日常で、まさに「褻」の日常から「晴れ」のお正月様の訪れの兆しを垣間見る体験だった。初めてにして一度だけの経験だった。

正月が近づくと、ふとこの記憶が甦ってくる。かつては商家では暮れによくある風景だったそうだ。その後わが家でも餅は注文して持ってきて貰う物になり、次いで買ってくる物になってしまった。餅もどこか知らないところで機械で搗かれているのだろう。

しかし、記憶の中で餅搗きの活気は未だにありありと思いだせるし、餅が整った後、大晦日の夕刻に父が店に棚を作って三宝をのせ、鏡餅に裏白、譲り葉ホンダワラ、橙を飾り、御神酒錫に半紙をくるりと巻いたのを入れて両側に配した後、神妙に柏手を打っていた姿を晴れがましく見ていた事も思い出す。
こうした正月準備はもう行われない。実際的になり、楽になった反面、一抹の寂しさを感じないでもない。


参考までにWikiから餅搗きの画像を転載します。

Mochitsuki