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一炊の夢

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もう先週の事になりますが上記美術展に行ってきました。
今までにヴィクトリアン・ジュエリーを実際に見たのは京都骨董市のブースで、印象は「こんなに小さいのに高いなあ」という下世話なものでした。とにかく小さい、細かい、ちまちま……、どうもこういう先入観に毒されていたようです。
実際に見て驚きました。

王侯貴族の宝飾品というとトルコのトプカピの秘宝に代表されるような、とにかくでっかい、卵サイズのエメラルドの付いた剣だとかロマノフ家のダイヤがちりばめられた宝冠だとか、物量で圧倒される品々がまず浮かぶのですが、反面大味であったり、またはため息は出るものの、あまりにわれわれ庶民感覚と乖離しすぎていて、かえってものすごい価値のものだという現実感が持てなかったりしました。権威の象徴としての宝飾品というわけです。

ところが、今回見たヴィクトリアン・ジュエリーはあっと驚く豪華さという点では名だたる宝飾には及ばないものの、限られた貴金属、宝石、貴石にクラフトマンの技術の粋を集めた精緻な細工を施して、いかにも日常的に使われた宝飾品であり、われわれにもひょっとしたら手が出るのではないか、王座から産業革命を経て台頭した庶民のところまで下りてきた宝飾というとても強い印象を持ちました。

金を小さな粒状にして貼り付けるグラニュレーション、細い金線を截金のように土台の上に貼っていくフィリグリー、薄い板状にした金属を表裏から叩いてエンボスのように形作るレポゼなど技術がわかりやすく解説されていて、うっかり見逃してしまいそうな細部もしっかり見ることができました。
芥子粒ほどの微細真珠(シード・パール)でびっしりと埋め尽くしたティアラ、カポーション・カットの深赤色のガーネットなどため息が出てしまいます。
面白かったのはリガードと呼ばれる一連の遊びのジュエリーです。何のことかとわからずに見ていましたが解説を読んでなるほど。
相手への敬意を表すREGARDという単語をルビー(R)エメラルド(E)ガーネット(G)アメジスト(A)ルビー(R)ダイヤモンド(D)の順で埋め込んである文字遊びのペンダントでした。

展示の終盤に集められたモーニング・ジュエリー(朝ではなくて、喪の方)に興味が惹かれました。ジェットとよばれる漆黒の木材の化石を彫って作られた黒々とした大柄なブローチ、ペンダント……夫君の喪に十年以上服したヴィクトリア女王がこのようなジェットで身を飾っていたのか……としばし想いが彼方に飛びました。

ただ一つ、感覚的に受け入れられなかったのがヘアー・ジュエリーと呼ばれる一連の作品。故人の髪の毛を宝飾品の一部に使って故人を偲ぶものだということですが、髪の毛を梳いて羽のように並べたり柳の葉に見立てて配置したブローチ、髪の毛を紐状に編んでリボンに仕立てたもの……かなり生々しい印象です。センチメントの違いかも知れませんが、遺髪を常に身近に置いて故人を偲びたいという気持ちは理解できるものの、それを何かに見立てた飾りにしてしまって自分が着ける、人にも見せる……というのはちょいと遠慮したいものだと思いました。

精緻な細工は東洋専売だと思っていましたが、方向性の違いはあっても人の身を飾ることを目的としたこの上なく精巧な細工を可能にした技術がイギリスにもあったことを改めて知りました。そして、その作品を作った職人の名は永遠に知られることなく、身を飾った人の名のみが残っていく一種不条理のようなものも同じであることも。

付記; 9月3日(金)午後10:00~ NHK 美の壷 「アンティークジュエリー」でここに書いた宝飾品が紹介されます。
こちらで予告ビデオが見られます。私が見たREGARDペンダントなどもまんま登場します。
あまりのタイミングにちょっと驚き! 

黄金期



それは突然にやって来た。それはある種の啓示。
最近サティにどっぷり浸かっている。グノシエンヌ1番を弾いているとき、それは突然にやって来た──これどこかで……。
正確には知ってる、ではなくてこの感じを覚えている、だった。

記憶の隅にしまい込まれて二度と明るいところへ浮かび上がらないものがたくさんある。たまに何かに触発されて覚醒すると奥底から密やかな波を送り出すものもある。
波が徐々に伝わって意識の表面に達して波紋を広げるとき、わたしはじっと待つ。それが何かつかもうとして慌てて手を振り回すと、あっけなく消えてしまう。だからじっと待つ。
すると波紋は途切れることなくじわじわと強さを増しながら深部から湧き出してくる。そして──矯めた力でひときわ大きく湧き上がったときにわたしは確実に思い出す。
記憶がリボンのようにするする伸びてほどけていく。なぜかくも長く忘れていたのか──強烈な印象が覚えた時と寸分変わらぬ生彩を放って時の流れを一気に飛び越えて現前する。
グノシエンヌ1番を弾きながら浮かんだイメージ──荒野、フリーク集団、火吹き男、道化、天使、ナイフ投げ。
それを大事に膨らませる。あれはCM、何の? たぶんアルコール系だったかそれとも光学系だったか?

ともすれば逃げていきそうなイメージを言葉に置き換え検索を重ねてやっとたどり着いたのが80年代のサントリーのウィスキーのCMだった。 サントリーHPにも制作データしか残っていないが幸いにも動画サイトで見つけることができた。
音楽はマーク・ゴールデンバーグの「剣と女王」、グノシエンヌ1番に通じるところがある。
改めて見て鳥肌の立つようなCMだと思った。現在では作ることができない職人芸。当時は見るたびに「背徳」という秘めた暗い情熱を感じたものだった。アナログ表現の爛熟期。世紀末というにはまだ時間はたっぷりあり、未来への希望が持てた時代、過去を覚えている時代。

80年代にはこの「ランボオ篇」以外にもすばらしいシリーズがあった。
シュールな「ガウディ編」、マグリット風に始まり中国、日本と墨絵で東洋を前面に出した「大地の歌」。



どちらも確かに見た覚えがある。
ガウディは画面に現れる建築も人物も「異質」、われわれの想像の及ばない異次元世界を垣間見たし、逆にマーラーの「大地の歌」では西洋の生んだ東洋の倒錯した美しさに微笑み、想念の東洋を実感の東洋と読み替えるわれわれの感性の豊かさを嬉しく思った。
そろそろ溜め込む一方だったイメージや記憶の断片を呼び起こし、つなぎ合わせ、甦らせて、本当に覚えておくべきものを選りすぐり、最初に接した時の感動を再び紡ぎ出す時期になってきたのかもしれない。

いつ、どこで、何がきっかけで突然降臨してくるかわからない過去からの呼び声を聞き漏らさないためにも心の耳を研ぎすまし20代の感性と30代の緻密さと40代の想像力を持って懐かしくも新たな感動を味わいたいものである。