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間違いなく夏になりました

Summer_sunset日本列島、一斉に梅雨があけて夏になりました。
一昨日の夕方の写真です。
天頂近くまで細い軽い紅色の雲が伸びています。反対側南には淡青色の中点に上弦近くの月が浮かんでいます。
一夜明けた朝の空の色は一つ抜けた、パールがかった光の満ちたまばゆい青空。
早朝というのに、はやくも暑さを感じますが、重くよどんだ湿度のある暑さとはどこか違うからりとした暑さです。
それに続く35度超の毎日、間違いなく夏になりました。

サティの恍惚、またはアンフォラ幻想

Satie_cdjpg二月ほど前からピアノを習いに行っています。

習うといってもいわゆるお稽古ごとではありません。たとえれば「大人のピアノサロン」とでもいう会に参加しています。子供のやる習い事としてのピアノに付き物の毎日の練習、発表会、コンクールというようなストレスのかかるプロセスは一切なく、ピアノを弾きたい大人が先生のお宅に集まってコーヒーとケーキを頂きながら順にピアノを弾き、演奏を聞きながらおしゃべりをして楽しむ、そういう気楽な会です。
参加者は男女交じりで40,50代の手習いもあり、子供のころ習っていた出戻りあり、さまざま。先生から弾く曲の指定もなく、各自弾きたい曲を探したり、先生に探してもらったり、クラシック名曲の簡単版あり、ポップスあり、映画音楽ありレパートリーはさながらおもちゃ箱をひっくり返したようなものです。練習ができなくてつっかえつっかえ止まりながら弾いてもOK。途中までしか弾けなくてもへいっちゃら。おしゃべりしながらもうまく弾いた人には惜しみない拍手が待ち受けます。。
わたしは出戻り組。中学半ばで「勉強との両立が……」みたいな理由を付けて止めて以来、大学在学中に音研に属して時折思い出したようにピアノにさわってたくらいです。
わが家のピアノも弾き手がいなくなってからたまさかにしか音を出さず、いつしかリビングから隣の小部屋へと追いやられ、図体の大きな厄介者扱いされたあげく、ついには物乗せ台と変わり果てた姿になっていました。
決してピアノが嫌いになったわけでは無かったけれど、結局こういう物は習慣なのです。弾くという行為が日常である限りは、大したモチベーションがなくても、暇な時に鳴らしてみようかという気になるのですが、一旦習慣の意識が途切れるとなかなか再開は難しいものです。


前置きはこれくらいにして本題に。

Amphoraいま、表題にも書いたサティの曲を弾いています。──エリック・サティ(1866-1925)、フランスの作曲家です。多くのピアノ曲を残しましたが、代表作「3つのジムノペディ」はだれもがどこかで耳にしたことがあるほどの超有名曲です。
ジムノペディという聞き慣れないタイトルは、サティの造語。古代スパルタで行われた毎年行われた祭典のひとつ、Gumonopaidiaでは裸身の若者たちが神々の像の前で踊り、合唱しました。サティはこの祭りを描いたギリシャの壷絵から着想を得てジムノペディを作曲したといわれています。

このアンフォラ(ギリシア壷)の文様は赤絵といわれ黒絵よりも新しくBC6世紀末ころから現れた意匠です。
集団で踊っている絵柄ではありませんが、おそらくサティはこういった群像の様式化された姿から想像の翼をひろげたに違いありません。

3曲にはそれぞれ「遅く悲痛に」「遅くかなしげに」「遅く荘重に」という指示があり三拍子で、独特な和声の展開で長調にも短調にも留まらず、流れるようにたゆたいながら進み進んでまた元に戻る、永劫回帰という言葉が頭をよぎる音楽です。
弾いていると時間の感覚がなくなり、緩慢なリズムに乗って終わることなく恍惚として踊りに興じている若者たちの姿が仄見えるような気分になります。
左手が単音の低音を響かせ、そのまま上向して和音を押さえます。そのわずかな間の緊張感。期待通りになって欲しという安定を求める気持ちと期待を裏切って欲しいという意外性を求める気持ちが拮抗します。
幾度も弾いていると、一番華やかな2番の旋律の動きは「コナン・ザ・グレート」で蛇王が正体をあらわす時に流れる三拍子と相通じるものがあることに気が付きました。神秘主義の色に染められて、異教の神を思わせるエキゾティシズムがあります。
3曲目はすべてのコーダ。前の2曲をはるかに遠い日から思い出そうとするかのような過去への憧憬を感じさせます。
それぞれ独立して演奏されることも可能ながら、やはり続けて演奏するのがベストだろうと思います。
ジムノペディ1番を貼っておきます。しばし耳を傾けていただけたら嬉しいです。

ダン・ブラウン 公式サイト(再録)

これは2006年5月の記事です。
以前のブログからこちらへ引っ越したときに処理ができなかった折りたたみ記事がついたエントリです。表示が見苦しくずっと気になっていました。なんとか直せないかとやってみた挙げ句、新たに記事を採録する方が時間の節約になると諦めました。いまさらダ・ヴィンチ・コードでもないのですが、この公式サイトのゲームはとても面白かったので再度ご紹介を兼ねてアップすることにしました。この中に紹介されている「新作」というのが今年2010年に刊行された「ロスト・シンボル」の事ですね。ではどうぞ笑って読み飛ばしてください。

付記 お友達のOさんから折り畳み記事の作り方について丁寧なアドバイスを頂きました。これはそれを使ってのテスト版です。うまく表示されるといいのですが……

いよいよ明日からダ・ヴィンチ・コードの公開ですね。
復習のためにダン・ブラウンの公式サイトへ久しぶりに行きました。著者自らかなり力を入れているサイトで特にチャレンジというコンテンツが楽しいのですが、いかんせんなかなかわかりません。
前に行ったときには第3問で根気切れしてしまいましたが、今回訪れたら全てが新しくなっていたので、止めればいいのに、ついむらむらと、その気になって時間の経つのも忘れて取り組みました。
とにかく楽しい、まさにプチラングドン体験です。

Davinci_cord トップからダ・ヴィンチ・コードを選び、Challengeのページ、下のUncover the Cord Challengeから入ります。

問題は予備問2問、本題が5問あります。
実はまだ完全解答をしていないのですが、後に述べる理由で、物好きもこの辺で一応終わりかと思うので、簡単に経過報告をしておきたいと思います。


証拠写真に画像をのせてありますが、ページを特定できないように(あくまでもフェアに)小さくしてあります。はっきりわかる部分は消してあります。どうしても知りたいという方は(笑 管理人までメール下さい。
URLと分かったところまでの解き方のヒントを差し上げます。

Davinci_pre_q3
まず入門の問題が3つ出ます。ダ・ヴィンチの畢生の名作の名前、その絵画がある都市の名前、ついで作中のソニエールが属していた秘密の団体名。



ではでは、まずは予備の第1問
この問題は簡単なのですが、記入するとAlas!(ああ、残念)と出ます。調べたら、スペルが英語じゃなくてイタリア語スペル。 なるほどそう簡単に通してくれないんですね。

Preq_1

これが解けると予備の第2問...

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やがて哀しきにゃんぱらり

Y_kobayashi_sepia_2 こんな小説を読みました。

ひとりの女性がいます。
彼女は偏執的に自分の持ち物の耐久性に疑問と不安を抱かないではいられません。
たとえばこの携帯は防水ですと書いてあっても、本当かしら、濡らしても本当に大丈夫なのかしらと思います。その不安が高じて、ちょっと濡らしてみよう……あ、大丈夫だ、と試してみます。
この心理はなんとなく理解できます。大丈夫だと書いてあったのに実際に濡れたら駄目だった、なんて事になると大変だという心理。ただし普通はここまでですよね。

ところが彼女の不安は解消しません。もう少し濡れたら壊れるんじゃないだろうか、水没させたらどうなるの……とエスカレートしていきます。
さて、ここからはフィクション。実際にはその思いが心の隅をよぎっても絶対にしない行為を、彼女はどんどん突き進んで行うのです。
ある意味、この不安心理が理解可能なだけにどんどんエスカレートしていく彼女の行為を(本を読むことで)覗き見していると、こちらまで事の顛末を早く知りたい、行き着くところまで一蓮托生だとと引き込まれていきます。

ついにこの女性はモノで実験するだけでは飽きたらず、生き物で同じような「耐久テスト」を繰り返します。金魚、犬、猫。
実はこの本を紹介することが主たる目的ではありません。興味がお有りの方はどうぞ本を読んで見てください。そのインパクトの強烈さ、凄惨さにノックアウトされること、請け合いです。

これは女性が猫の耐久性を試す下りです。
猫は「背中を下にして落下したとしても、空中でくるりと回転して、足から先に地面に下りることができるのです」──作中から引用

「猫は慣性モーメントを制御すると言えばわかりやすいですか? フィギュアスケートの選手が回転するとき、腕を真横に伸ばした状態から胴体の方に引き寄せるか、あるいは頭上に上げると、回転が速くなりますよね。あれって、慣性モーメントを小さくしてその分角運動量を大きくしているんです」(bid)

まあ、こんなふうにペダンチックに猫が上半身と下半身の慣性モーメントを個々にコントロールして体を二回捻って着地することを説明しています。

ここに登場するのが、猫の回転の擬態音「にゃんぱらり」。他の事はさておいて、にゃんぱらりという表現に眼が吸い付けられました。なんとくすぐられるような、まさに言い得て妙、猫がひらりひらりと身を捩って回転するイメージを喚起する言葉ですよね。
よく音楽の一節が耳について離れない、頭の中でそこのところが鳴りっぱなしという経験がありますが、言葉も同じ、この「にゃんぱらり」が頭にこびりつきました。何をしていてもにゃんぱらり! 軽やかに身をくねらせてひたっと足から着地する猫の姿が目に浮かびます。

にゃんぱらり──完全な擬態語とも擬音語ともいえない折中語。
「にゃん」で猫を表しますが、「にゃー」という重く粘性のある声ではなくあくまでも軽味とかわいらしさがうかがえる「にゃん」、しかも猫がぎょっとしたり、時には痛い思いをして不意に漏らす声でもあります
一方「ぱらり」で猫の肢体の動きを表します。またこれがうまい。「ひらり」では身のこなしの速さはわかってもまだまだ余裕のある様子、または垂直の動きというより水平方向の動き、もしくは一点に静止していて近づくものから身を捩って避けている感じを受けます。
「ひらりひらり」と二回繰り返すとまた視点は変わり、これは静止ではなく水平方向にかなり速い速度で意志的に動いている、言ってみれば大勢の刺客の剣を容易くかいくぐって逃れるイメージか。「ひらひら」となると上方から軽いものがくるくる舞いながら落ちてくるイメージです。

「ぱらり」から喚起されるのは、一つにまとまっていたものが要が切れてバラバラになって落ちる様とでもいいましょうか。生けてあった百合の花弁が離れて床に落ちる様子、檜扇の紐が切れて端から広がる様、元結いが切れて前髪が額に落ちかかる様(髷そのものではいけませんよ、あれは「ばらり」だから)
しかも「はらり」では脆さ、しどけなさ、無力さが正面に出てしまって弱さを強調する反面、「ぱらり」には分解、解体さえも笑って受け入れられる諧謔味が感じられます。
よって「ぱらり」は、それほど重量感の無い物が下へ素早く動き、僅かな時間差で軽く着地する、ないしは動きを止める、まったく悲劇的色合いのないイメージの言葉です。

複合語「にやんぱらり」は、猫が高いところから二度身を捻って最後に四肢を下に着地する、その時に猫は幾ばくかの衝撃と痛みを受け、もちろん大きな緊張を強いられる。その一瞬の動きと静止を的確に表したのが「にゃんぱらり」なのです。
しかも、「にゃん」に含まれる驚愕と痛み、「ぱらり」に含まれる崩壊の兆し、二つが相まって逆さに落ちた猫が身を捩って下向きに着地するのが決して楽な仕業ではない、むしろ一つ間違えば大事にいたる危うさ脆さをそれとなく匂わせています。
「にゃんぱらり」は哀しい、壮絶にして哀感のある言葉だったんですね。

まじめに読んでくださった方ありがとうございます。この記事はニュートラルであるはずの言葉にどの程度こじつけで感傷的意味合いを見いだす事ができるかの実験でした。
実は書きだして中断、かなり時間が経ってから書き継いだので当初書こうと思っていた内容を全部思い出すことができませんでした。思いついたときが書き時だと痛感しました。

最後に書いておきましょう。小説に出てきた猫の「タマ」が「にゃんぱら……」と動きをとぎらせて上を向いたまま落ちていく姿が実際に見たように忘れられません。。。

付記;「にゃんぱらり!」が、漫画「いなかっぺ大将」に登場するにゃんこ先生がキャット三回転の大わざを出すときのかけ声だと知ったのは小説を読んだ後のことでしたが、これはまた小説とは別の話として分けて考えた方がいいようです

笹の葉さらさら

P1070688明日は七夕です。

ささやかに玄関を七夕仕様にしました。
母が描いたトールの七夕飾りの絵。
下足入れの上には先日骨董市で買った糸巻きを足にした小棚をつくり、中国から伝わった乞巧奠にちなみ、美しい文字が書けるようにと文机のミニチュアを中央に飾ってみました。
笹は庭に生えた筍がどんどん伸びたのを今日の為に切らずに大切にしていたものです。


P1070680_2 P1070690
以前はもっと季節の移り変わりに敏感だったように思うのですが、昨今は何かとりたてて行事がないと身の回りを変えようとしなくなりました。

変えなくても快適な生活が送れているからかもしれないし、単に面倒くさくなっただけかもしれません。

ただこうして思い立っていつもの日常とは少し違った環境をつくると潤った気分になります。たった一日のためだけなのですが、おそらく昔の人はこの一日を心待ちにして準備を万端整えてこの日に臨んだのでしょうね。

それを「昔は娯楽が少なかったからだ」などという貧しい批評はしたくないものです。