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上を下への大騒動

すみません、愚痴につきあってください。もちろんスルーしてくださってもOKです!
更新が止まっています。それには深いわけが……あるわけではありません!
大っぴらに言えば深いわけではないのですが、個人的には、もう「どもこもならん」(標準語で言えば:どうにもこうもならない)くらい、家中が「わやくちゃ」(以下同じ:めちゃくちゃ)になっています。
恒例の春の模様替えです。恒例というのは、地域で行われる粗大ゴミ収集と連動した模様替えです。
一年で一度の粗大ゴミ収集目がけて、家の中の大物の見直しをすると、この棚も要らないんじゃないか、この椅子も使わない、この踏み台も、この机も……、そうそう旅行用カートも使わないし、除雪用ママダンプも要らない、etc,etc.
こんな具合で少しでも省力化、少物化、物を持たない、溜めない、惜しがらない……(買わない! が入ってないとのつっこみご無用!)を目ざし、今年も始まりました、模様替え。
わたしは子供部屋だった二階を使っていますが、年々増える書籍の重さに家族から「二階が抜ける」と警告数多。この際もう読まないけれど、○ックオフへ投げ売りするのも躊躇われる本をダンボールに詰めて仕事場へと移動させる事にしました。
残りの、自分が取り囲まれていたい本は新たにスライド式本棚を買ってまとめることに決めました。今までといえば、あり合わせの本棚や組み立て式ラックなど大小6個に本をぎゅう詰めにしていたのですから、確かに木造家屋では二階に加重が掛かりすぎるといわれても仕方がないのですが……。
決めたら善は急げとばかりにネットでスライド式書架を注文、なるだけ収納力のあるもので、お手頃価格の、前面3スライド式文庫棚二個組(上下に組めるものです)。到着までにいまある本棚から本を出して一時紙袋やダンボールに入れて置きます。棚に入っている時には隙間無くぎっしり詰められるだけ詰めていたのですが、いざ出してみると、これが信じられないくらいたくさん。ダンボールに詰めすぎると重いの、なんの……腰を痛めそうです。
三日後に書架到着、梱包された二個組、でも一個だけでも持ち上げられないほど重い!重い!
わたしが仕事に行っているあいだに帰ってきた息子が二階に上げて手際よく組み立ててくれました……ところが、いざ見ると、これがでかい!
これにぎっしり本を詰めたら凶器意外の何でもありません。しかし壁は聚楽、天井は薄い板で突っ張り棒もチェーンも掛けられず、どうした物か。せっかく本の整理ができると意気込んでいたのにまさに一頓挫です。
結局、組み立てた棚をまた分解して階下へ下ろし、今母が使っている部屋に移動して平積みに二個ならべる事にしました。結局母の部屋をわたしが使い、母は別の部屋移るのが一番良いだろうということになりました。
まさに玉突きです。母の部屋は、これまた染色、ペイント、服地、毛糸に織物の糸、古布もあれば美術関係の重い本もあるし、品数を言えばわたしなど比べるべくもないのです。まさに( p_q)
どうしてもっと建てるときに部屋数を増やさなかったとか、そもそも物が多すぎるんだとか、口々に文句をいいながら、それでも移動させるしかありません。一つ動かすためにもう一つ動かす、それを置くためにまた物を動かす……
デス・スパイラル、どつぼであります。
降れば土砂降り、悪いことは単独では来ない、まさにその通り、家中がひっくり返った状態で下ろしてきた書架を再び組み立てたのに、スライド棚がスムーズに動かない、本を入れたらもう、うんともすんとも言わなくなりました。これには参って、またもや仕事を終えた息子に SOSを出しました。天板をわずかに浮かせてキャスターのねじを少し緩め、微調整、微調整、直らなければ返品じゃ~と言いながら、やっとすんなり動くようになったのが夜も11時過ぎ。
今日はやっと文庫本を並べて、書架に入らない画集などの大型本はラックを組んで…と、またここで段取りの悪さが露呈しました。
棚板の数が足らず、空間が勿体ない事に気がつきました。文庫とちがって大型本は縦横に積むわけにもいかず、しかも微妙に高さが違う本が多いので、上の空き空間に他の本を積んでもみっともないのです。
昼からホームセンターへ出かけボルトナットと棚板を買って来ました。さあ、しきり直しです。
早く移動させすぎた本の入った紙袋が幾つも足元にひしめく狭い空間でラックの金具緩め、移動させてまた締めれば、ころころ転がるナット、締めても回るボルト、なかなか入らない棚板を叩けば手を詰めるし、ラックの下に敷いた板は動くし……
どうしてこうも段取りが悪いんだろうとどっぷり自己嫌悪に浸っています。
でも、明日にはどうにかめどが付きそうなところまで漕ぎ着けました。連休までにはすっきり軽くなった新生の部屋でゆっくり眠りたいものです。

イースター、イースター、日の光

Easter

今日はイースタ・サンデー。
日本では余り馴染みがありません。またの名を「復活祭」、キリストの復活を祝う行事でキリスト教では最も重要な祭礼になっています。
さらに付け加えると、これは春の到来を告げるお祭りです。ところが日付がややこしい。これは移動祝日なのです──春分の後の最初の満月の後の最初の日曜日──毎年日付が変わるので、早いときには3月にずれ込んだり、4月後半まで遅れたり。
日本のカレンダーには記載されていないので毎年チェックしなければなりません。
なぜって? キリスト教信者でもないし(ばちあたりにもw)、信仰心ゼロなのですが、イースター・エッグとイースター・バニーのかわいさに惚れこんでいるので、毎年イースターの(なんちゃって)飾り付けをしています。
海外に行くとかなりの頻度でお土産に売られているイースター・エッグにおめにかかります。
本物の卵の殻を使った物から、陶器、木と素材はさまざま。
写真はハンガリー、チェコ、ポルトガル、イタリア、スロヴェニア(後は忘れた……)などで買い集めたエッグです。
小さいしお値段も手頃(持って帰るのにちょっと注意が必要ですが)なので見つけるとフラフラと買ってしまいます。
そもそも最初にエッグを見初めたのは、中央のバニーが描いてある卵。カナダのお土産にもらったのですがあまりの繊細さとかわいらしさと日本にはない異国情緒に参ってしまいました。

イースターにはきれいに色をつけたイースター・エッグを庭に隠して子供達が競って探す行事があります。
また、ウサギは繁殖力が強いということで繁栄の象徴として、またぴょんぴょん跳ねることから春の到来を連想させることからイースターの立て役者になっています。一説にはエッグを隠すのはバニーだとか。
そういうわけでイースター関連の絵はがきやカードにはウサギのものがたくさんあります。

今回のタイトルは学生時代に歌った大中恩の「日曜学校のころ」の中の一曲「イースター」の出だし。
イースター、イースター、日の光……
エス様は卵の中から生まれました
…… ひよこが空へ駆け上る

真摯な信仰心からというのではない、ちょっと離れた、子供が受けとめた教会行事に触発された不思議な明るさが感じられる歌でした。いまでも好きな歌のひとつです。
イースター・エッグの写真と飾り付けを並べておきます。
Easter_egg1Easter_egg3Easter_egg2Easter_egg4Easter5Easter1


夜桜・幻妖・玄妙・眩耀

桜も盛りとなりました。日曜に桜で有名な隣市のカフェで二日間限定の夜桜会が開かれました。
夕暮れ桜の風情をどうぞ。

Sunset

ここはマスターが定年後趣味で始めた家族カフェで、広大な庭に桜をはじめとしてさまざまな木があります。街の中なのにさながら深山の趣。この自然の庭に面する壁は全面ガラスで日に日に変わる四季の移ろいが楽しめます。
コーヒー好きが高じて自分でカフェを始めたというマスターのフラスコで出してくれるコーヒーへのこだわりもさるものなら、桜カフェという名に恥じない「桜」への凝り様、一客ずつ違う桜の模様のあるカップ、コースター、タペストリー、小物に至るまで、行くたびに感心させられます。

庭の大きなケヤキの木の下に小振りの桜があります。桜が見頃になる数日間だけ、普段は夕方6時でクローズになるところ、夜桜弁当も楽しめる観桜会が催されます。
なにせ家族経営、マスターと奥さん、息子さん夫婦のお手伝いだけという少人数のスタッフですから、二日間それぞれ20人限定のイベントです。昨年は知ったのが遅くて間に合いませんでした。今年は早めに予約するという友人の機転がきいて一番桜に近い席も確保できて、友人たち総勢6名で参加しました。
最初の写真は6時ころ、まだ夕日が木の間からあかあかと低くかかっている姿が見えます。

そろそろライトアップが始まります。

Litup1

外へ出て下から桜を撮ると、房になったソメイヨシノの仄かな桃色が暮れかけた空に妖しく漂います。

Litup2

宴が始まり、お刺身とお弁当が並べられ、照明を一段と落とした室内には、低い音でスローテンポのジャズが流れ、それぞれのグループの談笑が聞こえてきます。外は目を上げるたびに闇が深まり、その分桜の楚々とした白さが浮かび上がります。

Litup3

三々五々、外へ出てシャッターを押す人あり、外から窓に向かうと、ガラスにライトアップされた桜が映りこんでいいようもない闇の深みを感じます。室内では暗くなった卓上に桜の形のフローティング・キャンドルが運ばれ、手元のぽっと灯ったあかりと、戸外の別空間に浮かぶ桜の間に何か目に見えないものが流れる交歓があるような気さえします。

Reflection

食事の後はご自慢のコーヒー、柚のシャーベット、みんな堪能しました。
普段は昼にしか顔を合わさない友人たちとゆっくり夕食をとりながら、話題は尽きず、それこそ卑近な日常のことから果ては桜の根本に埋まっている物とか、玄妙な天地に流れる気(フォースみたいなものだと勝手に解釈)に至るまで、会話の楽しみも尽くしました。
これもみな、ひっそりと咲き誇る桜の見せてくれた一夜の夢だったのかも。

世間を 騒がせた/笑わせた エイプリル・フール

もう2日も前の事になりますが、今年のエイプリル・フールには、皆さんうまく人を担げたでしょうか?

エイプリル・フールの起源には諸説があるものの、一番信憑性のある説は、ずっと以前ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたのが、1564年にフランスのシャルル9世が旧太陽暦(ユリウス暦)から現行の太陽暦(グレゴリウス暦)へ1月1日を新年とする暦に切り替えました。
これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめました。シャルル9世は「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕、処刑までしました。人々はフランス王への抗議と、この事件を忘れない為に、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりであるという説。
他にもインド起源であるとか、定説はないようです。

4月1日に友人から「北朝鮮のミサイルが予定より早く発射された!」というメールが飛び込んできて、半信半疑ながら一応テレビを点け、ネットを繋いで情報収集しましたから、これはやっぱり一杯食わされたのでしょうね。

イギリスのBBCは4月1日に嘘のニュースを流すので有名です。昨今は誰も引っかからないのが当前の様になっていますが、1957年に流した2分30秒弱の"Swiss Spaghetti Harvest "(スイスではスパゲッティの収穫真っ最中)のニュースに多くの人が引っかかって本気で問い合わせが殺到したという、なんとも愉快な話があります。


こちらにその制作背景について詳しく説明されています。

国民的人気アナウンサーのRichard Dimblebyの信頼性のある声で、「イタリアとスイス国境に近いティツィーノでは例年になく暖かい冬のお陰でスパゲッティの大豊作になっています。」と切り出し、まことしやかに「3月後半はいつも遅霜の恐れがあり、スパゲティの風味が損なわれて市場で高値がつかないと、スパゲッティ栽培農家にとって悩みの種なのですが……」とついつい引き込まれる例証が上がります。
「イタリアのような大規模経営と違ってスイスでは農家の家族経営となっている」そして、木になっているスパゲッティを収穫する女性の映像、「天候の他に豊作のもう一つの理由は、それまで駆除の困難だったスパゲッティ・ゾウムシが姿を消したこと」と、これまたそれっぽい。
その後取り入れたスパゲッティをアルプスの暖かい日光のもとで乾燥させます。映像を見てどうして同じ長さのスパゲティが木になるのかという、当然至極の質問が寄せられることを予想して「栽培農家の長年の大変な努力精進の結果、完璧なスパゲティを作るのに成功した」などと先回りして解答しています。
早朝に取り入れて乾燥させて、最高においしいスパゲティが庭先のテーブルに運ばれてきます。乾杯して満足げに食べる人々の姿に「本当のホーム・メイドのスパゲッティほど美味しい物はありません」とナレーションがかぶります。

放送直後にBBCには電話が殺到して、本当に木にスパゲティがなるのか?と半信半疑で問いただす者、それにも増して、どこでスパゲティの木の種が入手できるのか?その栽培方法は?という質問が多かったとか。
これに対してBBCは「スパゲティを一束トマトソースの缶に入れてよい木が育つのを待ってください」と解答したそうですw
まだスパゲティがイギリスの一般家庭の食卓では珍しい頃、しかもTVというメディアに信頼を持っていた頃のなんともほのぼのしたエピソードです。
その後もBBCは「ビッグ・ベンのデジタル化に伴う時針と分針の譲渡」とか「フライド・ポテト、学生食堂から追放」とか「イギリス国歌がユーロのベートーベン第九歓喜の歌になる」「惑星直列で重力減少現象がおこる」などユニークなガセを流してきました。 BBCの流したエイプリル・フール報道

そして特記すべきが2008年度の"Flying Penguins"「空飛ぶペンギン」です。



こちらはとみに有名で、誰もがこれはCGIだとわかる仕組み。見た人はよくできた映像に笑いを誘われ、1分30秒のクリップを作るのに要した真面目な労力に感心するのです。
こちらも「最近発券されたペンギンのコロニーは他にはないユニークさを持っています」と始まり、「毎年冬の厳寒から身を守るために寄り固まる必要がありません。というのもペンギンたちには他の仲間たちにはできないことが可能だからです」
足元に群れていたペンギンたちが雪の上をぱたぱたと走り出し、勢いづいてホップ、ステップ……そしてなんと空に飛び上がるのです。ナレーターの上空を群を成して飛び回るペンギンの群!
ペンギンたちは氷山のアーチをくぐり(中には頭をぶつけるどじなやつもいる)そのまま飛び続けます。
「ペンギンはこの信じがたい能力をどう使っているのでしょう? 彼らは何千マイルも飛んで南アメリカの熱帯雨林へたどり着くと、そこでゆっくり熱帯の太陽の下で日光浴をしながら冬を越すのです」
最後の映像は特に美しいのです。逆光でシルエットになったペンギンが勢いよく熱帯の植物の上に足から舞い降りてくるところでエンドとなります。こちらにFlying Penguinsのメイキングもあります。

ディテールに凝った「ナレーション」で信憑性を図った1957年のスパゲティと違って、ペンギンは「映像」に語らせています。時代と技術の変化というものでしょうか。しかし、受け取る側の心持ちも50年間で大きく変化したようです。
情報量の絶対的な増加とともに、人々のセンス・オブ・ワンダーを感じる心は鈍化していったのかも知れませんね。

参考
エイプリル・フール・ネタ、オールタイム・ベスト100

京の都は春の盛り

Miniature2 はやいもので京都へ行って明日でもう一週間にならなんとしています。
京都でちまちま買ったものの中でお気に入りをご紹介します。

年に二、三度は京都へ行きますが、行くたびに街が様変わりしているのに驚かされます。京都に住んでいた頃とは時代も違い比較のしようもないのですが、大きな変化は90年代から起こっていました。

四条、河原町といった中心の繁華街で、昔からあった小さな民芸日用雑貨を扱う店、普段使いの陶器店、個人経営の菓子店、人形店などが姿を消して、その後にコンビニが挟まり、ゲームセンターが騒々しい音をまき散らすようになりました……、向かい合わせにあった二軒の老舗大型書店が消え、ファッションビルの走りだったビルは中ががらりと変わりました。
京都を訪れる楽しみの1つはこういう昔ながらの店舗をひとつひとつ覗いて歩くところにあったのですが、もうそういう魅力がなくなりつつあります。

代わりに現れたのが今風なんちゃって「和雑貨」の店。一時、新京極、寺町界隈には修学旅行生目当て!の雑然としたおみやげ物店がひしめきましたが、あれとはまたひと味違った、一般化が広がっています。
つい昨年までは1,2軒しかなかった和手拭いの店が増えていました。ざっとみたところで4,5軒、さらに和風トートから財布、ストラップなど書くいとまもないほどの小物をところ狭しと並べた和雑貨の店が雨後の筍状態です。
昨今の和物ブームにあやかってこの機を逃すまいと、企業心のある人が出店したのでしょう。これも時代の趨勢か、不況下になんとか生き残りをかけた転進かと理解はするものの、昔ながらの個人経営の小さな古めかしいお店が消えて、どこにでもあるような商店街に代わっていくのを見るのは寂しいものがあります。

さて、写真はお気に入りの錦小路にある「和雑貨」wの店で買ったミニチュアの五月の粽と柏餅セットと大福餅。
和紙がたくさん使われていて暖かみのある造形。大福の方は上に餅粉までついている凝り様です。粉を取るともっと大福らしい桜、ヨモギ、豆が見えるのですが、今はまだ粉がのったままにしてあります。
他にも昨年秋には秋の吹き寄せ籠、七輪秋刀魚などを買いました。下に画像を上げておきます。
どれもお値段が安いのがうれしい! 
他にも「おくどさん」や「文机」などあるので、次回はこのどちらかをゲットする予定です。

もう一つ、四条の井澤で買った桜の押し絵ストラップ。
ここの押し絵は大徳寺横の"おはりばこ"の商品ではないかと秘かに思っているのですが、期待通りそこのサイトで見たのと同じ桜があったので迷わず買いました。

ぷらぷら歩きながら、京都らしさが消えて、なんとなく和風が増えていくのに寂しさを覚えながらも、京都だからこそこれほど和風が乱立してもやっていけるのだなあと変に納得したりで、日も落ちてはや帰宅の途についたのでした。

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