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年末、トンだ椿事

年末のお仕事の一つに肉の買い出しがあります。
年末年始に家で楽しむ水炊き、すき焼き、焼き肉を南○ミートという市近郊の肉屋さんへ買いに行きます。
なぜに手近なスーパーに行かないかというと、ここの肉(豚)は自家栽培ならぬ自家飼育、それも飼料が無添加食品、天然水というこだわりの自然食品で、しかも土曜日はなんと、すべて半額!なのです。
それだけにいつも売り出し時間には人出が半端じゃない……人が5人も入れば身動きができないほどの小さな店舗に押すな減すなの押しくらまんじゅう、前の人を押しのけて倒れる者は踏みつけて、親は子の手を振りきって、友人どうしもこの場は仇……冗談じゃなくて、本当にこれに近い混雑振りです。 なにせおいしい新鮮な豚肉が積んだパックを両手に抱えてレジに持っていってもせいぜい2000円台ですから!
こんな状態が続いて、混雑のあまりとうとうけが人が出てしまい、販売の方もこれではいけないと整理券を渡して客は番号順に店内に入る事にしました。当然次に来るのが整理券取りの争奪戦です。
5枚あるNO.1のカードを取るために開店の1時間以上前から並ばなければならなくなって……どこまでエスカレートするのか、このお肉騒動、だったのです。

081227a ところが、昨日この肉屋さんに隣接する畜舎が火事になりました。600頭の豚のうち約80頭がお亡くなりに……
これでは特売は中止だろうと確認の電話を入れると、いつも通りにやるとの答えです。半信半疑で、11時発売開始に備えて10時過ぎに販売所に着くと、なるほど雪の中の畜舎の半分ほどが外壁だけになって屋根も棟木だけ残っている状態です。ブルーシートで囲ってありますが、中では白い作業用カッパ、ヘルメット、マスクをつけた人が何人も動いています。
すると建物の裏からゴーゴーとバケットを付けた小型リフトが何かを乗せてトラックに向かって進んでいます。あ、豚だ!
なんと、真っ黒になった豚を運んでいました。あっという間にトラックの荷台に豚は落とされて見えなくなりました。あの中にたくさんの豚さんが。 ほんの一目しか見えませんでしたが、鼻も頭も真っ黒なのにぷるぷる揺れて、まわりは黒焦げ、中身はレア、なんて不謹慎な事を考えてしまいました。ごめんね、ぶたさん。
リフトが数回往復する中で、中身をトラックに空けたあと何かバケットの中に残っていたらしく、運転していた男の人が下りて拾い上げてぽいっと投げていました──もげた足!でした。
販売が始まり、いつものように店内でお肉争奪戦を済ませてレジ窓口に立つと、外から入ってきた近所の方らしいおばさんがレジのお兄さんに声をかけました。
おばさん「大変な事やったね。いまお家の方へ行ったらご供養しているんや」
おにいさん「はあ、そうです。もうすぐ生まれるのも入ってたんで、その供養ですわ」
なるほど……育って食肉にするのは、ある意味予定の事で、取り立てて供養することも無いけれど、火事という非常事態で生まれるはずの子豚まで死んでしまったので、その供養とは。
一応理屈は通っているなあと感心しながらも、改めてかわいそうなことだったなあと思うわたしの抱える袋の中には「おいしそうな」しゃぶしゃぶ用やカツ用ロース、ヒレ肉が。
つくづく人間は矛盾した、勝手な動物だと思ったことでした。

今年もつつがなくクリスマス

081226a   年を追う毎に行事としてのクリスマスの特別なお祝いをするのが億劫になっていきます。

子供が大きくなると、ツリーも飾らないし、プレゼントの用意もしなくていいし。
それでもやはり季節感は大切にしたいもの。
とくにわが家には母親の作ったトールのクリスマスデコレーションがいっぱいあるのですから、年に一度は飾ってやらねば(日の目を見せてやらねば)なりません。

今年は簡略に、玄関に母の描いたポインセチアのファイアースクリーン、その前に娘がロシアから連れて帰ってきたクマを連れたマローズ爺さんと、わたしがNZで描いたトナカイを飾って、まだ蕾がついていたバラを全部切って飾ってみました。
フラッシュを焚くとトールが反射するので自然光で。やや暗いなあ。


081224aこちらはケーキ。子供がいなくてもケーキを食べる口はしっかりあります。
隣市にできたおいしい果物専門店のケーキ。
クレープ仕立てになっていて、中にカスタードとバナナ、スポンジと苺。
シンプルなれど果物の新鮮さがなによりのごちそうでした。ただし、食べる口が2つしかなかったので一日では食べきれず、25日も終日たのしむこととなりました。


081226bクリスマスマーケットで購入したケーテ・ウォルハールトの繊細な木の玩具やサンタ、オーナメントは部屋の中に飾り、藁細工のオーナメントは照明から下げて、リビングのガラスにはジェル・ジェムのツリーを貼ると、何となく家中が華やぎました。画像はレース越しのジェルジェム。日が当たってきれいです。
飾り付けを済ませてから、もっと早くやっておけば一カ月くらいは楽しめたのにと、わかっていたことですが、悔やまれました。

季節の移り変わりに合わせて家の飾り付けを変える──邪魔くさいけれど、これで自分も家族も心が浮き立ち、自然に季節の移ろいを感じる事になるのだから、その効用は単なる物好きデコレーション以上の物があるんだろうと、半ば自分に言い聞かせて、来年も(は?)こまめに動きたいと思います。

冬長の祭

今日は冬至。 冬長の祭りという言葉が自然とうかんできました。Winter Solstice 太陽がどんどん南に動き、極みに達する日、冬に至る日、であります。
逆に言えば、これ以上夜は長くならない、先の見えない闇がこれからは日に日に短くなっていくという希望に満ちた日でもあります。
一陽来復とはよくぞ言ったもので、もっとも暗鬱な日が一転して期待と喜びをかみしめる事のできる日となります。そして日を置かずして新年が訪れて、めでたさはいや増します。

081221a 今日はわが家でもささやかに柚湯をして冬長の祭りを祝いました。夕食に南京と小豆の焚き物も作りました。
6月(旧暦5月)の菖蒲湯と冬至の柚湯だけは毎年欠かさず楽しんでいます。特に柚湯は、時節柄、寒い寒いと震えて浴室に入っり、浴槽の蓋を開けたとたんに香る仄かな柑橘の薫りがほっとさせてくれます。一年の間積もり積もってきた汚れや痛みを湯の中でとろとろ溶かしてすべて洗い流してくれるようです。
柚は小さめ、固いくらいのほうがかわいらしい。湯船に首まで浸かってゆっくり漂ってくる柚を待ちます。そのうちに我慢できなくなって指で突っついたり、幾つも手に持ってお湯の中でお手玉みたいに動かしてみたり。
鼻先に持ってくると湯のあたたかい匂いと柚のすっきりした冷たい匂いが渾然となって、甘いような酸っぱいような。
浴槽に浸かりながらこうべを垂れて、柚の香りを鼻孔感じながら、窓にかかる雨、もしかしたら霰?の音を聞いていると、また一年柚湯を楽しむことができたことを何かに感謝したくなります。
毎日毎日がどの日をとっても、またとない日ではあるのですが、今日のような特化した日になると、普段気づかずに過ごしてきた日々の積み重なりを実感します。そして、こうした日々の重なりが一年になって、また巡り来て、今再び柚湯に浸かることができた幸せを、実に素直な気持ちで嬉しく思うことができるのです。

081221b 今日できたリスト・ウォーマーです。編み物にも長らくご無沙汰していましたが、久しぶりにゆとりが持ててこのところちまちま編んでいます。これは「白樺編み」最初はちょっと戸惑いましたが、慣れると編み進むのが楽しくてたまらなくなります。
やっと片方できたので記念撮影。明日はもう片方も編む予定です。
今週はもしかしたら雪になるかも知れません。

ミニ考察; 雪吊りについて

冬の歳時記──ものみな枯れる厳冬の景色を華やがせる数少ないものの一つが雪吊りです。
ここ雪国では、雪吊りは降り積もる雪の重みから木々を守るために必要欠くべからざるアイテムでした。しかし、昨今の暖冬化で雪吊りが真価を発揮する機会も少なくなり、雪吊りは実用から装飾へと、その意義を変えつつあります。

昨日のこと、図書館へ本を返却しに行った帰り、ぐるりと遠回りして住宅街を歩きました。
いつもは車を使うので図書館へ往復しても10分とかからぬ道ですが、ゆっくり歩くと普段は目につかない些細な物が見えてきます。

とあるお宅の塀越しに松の木に施された雪吊りが目にとまりました。
そのとたん、不覚にも、余りの姿の美しさに思わず足を止めて見入ってしまいました。
そのときまで、私にとって雪吊りとは、冬の訪れを告げる町の点景に過ぎませんでした。
もう時代に合わない不要なものとさえ思われました。伝統という名に安住して、無反省的に前年通りの事を延々と続けている無駄で非合理な営為だと。

歩くことの効能の一つなのでしょうか。ひとつのことをあれこれ考える時間が持てるのです。
どうして雪吊りがこれほどに美しく新鮮に見えたのか、その理由をいろいろと考えた結果、次のような考えにまとめてみました。

まず、雪吊りの形態は中心の立つ竹と、その頂上から放射状に伸びた縄の作る円錐形の幾何学的な美しさです。 ただそれだけなら、日常的によく体験する直線的でシンプルな形態の明解さに対する感動に過ぎないのですが……。

次ぎに雪吊りを施されていた松の木の方について考えてみました。
庭の松は剪定されて余分な枝葉を落とし、時には枝を撓められたり誘引されたりして、人間の手の入らない(つまり「自然な」)生育の仕方とは、少し異なる姿を見せています。しかし、剪定や撓めを行う根底には、「木の自然な姿はかくあるべし」という人間側の観念があります。
いかに木を木たらしめるか──その木に最も相応しい姿をとらせてやる、という考えは、フレンチガーデンなどに見られる、植物そのもので直線的パターンや文字を描いたりするトピアリーとは対極的なところにあります。
そもそも植物の姿は非対称的なものです。
よって私たちが目にする木々や茂みは、剪定という人の手が加わっていたにしても、その木の本性を引き出そうという手の加わり方をしている限りは、非対称的で基本的に規則性がないものだといえるでしょう。
ところが一旦雪吊りを施されるや、木々は一見不規則にみえる形態の中に秘めていた幾何学的形態を露わにするのです。
庭にあるさまざまな木々の形態が、半径と高さの違いこそあれ、全てが円錐形に帰納されている、これが私にとって驚きであり、新鮮な感激でした。
不規則性の中から規則性が顕在化する──人が円錐形を選んだのではなく、木々の自然の姿が円錐形を包含しているという点にうかつにも今まで気づいていなかったことが恥ずかしいほどです。
いいかえると、雪吊りの幾何学パターンは樹木の自然な生態と対立するものではなく、むしろ生態を単純化、パターン化したものであるということです。
これほど単純なことが、雪吊りという目に見える物で示されて初めて理解できたということが、私なりにとても嬉しく思われました。

とかくぶらぶら歩きをしていると、考えなくてもいいような余計なことを考えるみたいです。 昨日一日雪吊りについてふと感じたことを、ただの「感じ」から納得のいく説明に組み立てるために、時間をかけてしまったような気分。。。
たまにはこんな事もいいんじゃないかなと思いつつ、明日も散歩に行こうと思っています。

お菓子の取り持つ縁

今日もまた手短に、と務めます。
先週土曜日のこと、昨年大阪に引っ越した勉強会のお友達が一年ぶりに当地に戻って来ました。
メンバーが集まって彼女を囲んでお昼を食べたのですが、私は東京へ行っていたので残念ながら参加できませんでした。
さて、昨日の定例勉強会で、彼女がみんなにとお土産にくれたお菓子を分けてもらいました。
濃い緑色をした丸いお洒落な箱に入ったマドレーヌやフィナシェ、アンリ・シャルパンティエのお菓子です。
シャルパンティエは全国のデパートにはよくあるものの、当地では目にしません。ところが、集まっている面子が英語の勉強会の面々なので、読み上げたのが、Charpentier……チャーペンティアー。
ヘンリー・チャーペンティアって知ってる? と聞かれて思わず口走ってしまった、フランス語で発音してごらんよ、アンリ・シャルパンティエでしょ?
やっぱりフランス語はフランス語の発音でやらなきゃ様にならないねとみんなで大笑い。その後しばらく、どうしてフランス語ではHを発音しないんだろうね、とか書いてある通りに発音しない言語は嫌いだとか、散々にフランス語をこき下ろして、雑談に盛り上がってしまいました。

さて、おいしいお菓子を食べながらふっと思い出したのがもう一人のシャルパンティエ。別にプチ・マドレーヌを食べたから昔の記憶が甦ったというわけでもないのでしょうが、なんとなくご縁を感じます。
もうお一方のシャルパンティエとは、マルカントワーヌ・シャルパンティエ、フランスの17世紀のバロック期を代表する作曲家。代表作の<真夜中のミサ>のメロディが頭に浮かんできました。
大学在学当時は合唱の入った宗教曲を聞き漁っていたのですが、シャルパンティエの「真夜中のミサ」もその中の一曲。
真夜中にミサといっても驚くにはあたりません。キリスト降誕が深夜なので、本当のクリスマスを迎えるのは真夜中、つまり真夜中にミサを執り行い降誕を祝うのです。 このミサ曲、しかつめらしく荘厳な作りではなくて、フランスの伝統的なクリスマス歌曲(ノエル)の旋律を取り入れた親しみのある曲、しかも宮廷音楽の軽やかさが感じられます。
特にKyrie(キリエ;主よ憐れみ給え)が、なんと表現したらいいんでしょうか、こう、かわいいんですね。2本のリコーダーが主旋律を奏でて、軽やかにソプラノが歌い出すキリエ・エレイソン……。 確か当時聞いたレーベルが少年合唱で、テンポも爽快な速さでなおいっそう、軽味が協調されて、ドイツバロックの重々しさを聞き慣れた耳には、とても新鮮に、楽しげに響きました。
あれから何年たったことか。お菓子の箱を見るまで、その音楽の事は記憶の奥にしまわれたままでした。この偶然の巡り会いがなかったら、きっと<真夜中のミサ>を思い出す機会はずっと先の事になっていたかもしれません。
youtubeで改めて聞き直して、ああ、こんな音楽だったなあといささか感慨に浸っています。
クリスマスも近い事だし、今年のクリスマスのCDはシャルパンティエしようかなという気分です。

Charpentier

はや師走も10 日

はや、師走も十日をすぎてしまいました。
先回のエントリを書いてからなんと間があいてしまったことかと反省しています。
何も書けないほどに忙しかったわけではないのですが、何か書くなら先に旅行記を完成させてしまわなければ、という想いがあったもので、それならば十分に書く気になってから一気に書こう、などと適当な理由付けを自分でして次ぎの更新を延ばしていた過ぎません。
そういうわけで(何も理由になっていませんが)あまりに更新無しのまま放置しておくと、さらに書きづらくなってしまうので、ここいらで近況だけ報告しておきます。

センター試験まであと一カ月となり、そろそろまとめの季節になってきました。クリスマス会、忘年会もちらほら予定が入っています。おまけに隣市の中学校ではかなりインフルエンザが蔓延しているという情報が今日入り、明日こそは予防注射を受けに行こうと心に決めました。

先週金曜日から日曜まで東京へ行っていました。最大の目的はフェルメール展を見に行くことでした。自宅でカード決済でチケット購入、しかも自宅プリンタで印刷発券ができるという、便利なシステムの恩恵を被りました。
恐ろしいほどの人出で80分待ち! 久しぶりになんとか列に並ぶ苦行にも耐え、数年前にオランダ国立で見た懐かしいフェルメールと再会を果たしてきました。
もう一つの目的は六本木ヒルズで開かれているクリスマス・マーケットを覗くこと。ケーテのグッズを見たくて行ってきました。大阪でのマーケットで顔見知りになったケーテのローテンベルグ本店のスタッフさんと再会、顔を覚えていてくれたのには驚きました。
翌日は渋谷Bunkamuraでワイエス展をやっているのを電車中吊りで知り、急遽渋谷へと向かいました。学生時代に出会って以来、最も好きな画家の一人です。思わぬ邂逅が嬉しかった。デッサン、水彩、ドライブラッシ、テンペラと一つの作品を仕上げる行程がよくわかる展示方法にも好感が持てました。以前見た<クリスティーナの世界>や<遠雷>などが懐かしく思い出されました。明日にでも久しぶりに画集を引っ張り出して見ようと思いました。
Sleepingdollさて、こちらは図書館へ予約しておいた本、今日取りに行きました。ディーヴァーの新作、ライムものではないのですが、わくわく楽しみです。これから読み出します。

それにしても東京は暑かった。外を歩いていてもコートが邪魔になるくらいでした。厚着をしていったものの、初日で懲りて二日目からはコートの下はまるで夏のような薄着にしました。それでも屋内にはいると暑いのですから。東京の人は我慢強いと変に感心。帰り道、新幹線から在来線へ乗り換えるとき、急激に寒さを感じました。見ると息が白くなっている!
電車が進むに連れて周囲の景色に白い物が見えてきて、ある駅ではプラットフォームにしっかり雪が積もっているのを見てしまいました! 一気に雪国に戻ってきたのだと実感しました。

何の感想もなしに、このところの動きを思いつくまま羅列しました。この調子で年末までずるずる日を送るのだけは避けたい気分です。とはいえ雑用だけは毎日なにがしか新たに出てきています。ああ、年賀状まだ買ってなかった……