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ちょっと休憩──すわ、ナンパ?

081115_sクロアチア思い出し旅行記はちょっとお休みして、昨日の体験談をば。

運動不足解消のためのお散歩は、毎日というわけにはいかないものの、思い出したように不定期に行っています。天気よし、時間よし、気分よし、すること無し、こんな時に出かけます。

昨日のこと、昼2時過ぎにこんな格好をして出かけました。ニット帽、上は黒のウィンドブレーカー、下は黒のスエット、西に向かって歩くのでまぶしさよけにサングラス、耳にはipod、着いた先の書店で予定外の買い物があるといけないので財布と携帯の入ったショルダーバッグ(これはオレンジ色)
調子よくとことこ歩き、最後の直線道路に入った時に、すっと横に車が止まった気配が。かなりの音量で聴いていたので最初は窓から顔を出した人がこっちに向かって何か言っているのに気がつきませんでした。
あれ?と思ってイヤホンを外すと黒のランクルの窓から中年のおじさんが顔を出しています。
「どこまで行くの?」
「そこのショッピングセンターまで」
「乗せてってあげようか?」
「へ?」
当然丁重にお断りしました。「運動のために歩いていますので」
あ、そうという感じで車は走り去りました。
で、考えたわけです。おじさん何を勘違いして声をかけたんだろう。もしかしてナンパ? 顔見りゃわかるだろう、こっちだっておばさんだよ! 若い女の子じゃあるまいし、後ろから見たってわかるだろうに。
情けない事ながら、どうしても好意で声をかけてくれたとは思えない、だって曲がりなりにもせっせと足早に歩いていた(つもり)なんだから。これがよろよろ杖でも突いて歩いているご老人なら、声を掛けても不自然じゃないけど……
このごろは何せ物騒だ、迷子を車に乗せて警察へ連れて行っただけで未成年者略取で逮捕!なんて事になりかねない。
だから、どう転んでも略取になりそうもないおばんで手を打っておこうというケチな考えだろうか?
変な人だな、気味悪いね、などと考えているうちに、大変な事に気がつきました。
きっと私が魅力的に見えたんだ、だからつい声をかけてしまったんだ、という考えに至らなかった事に!
ああ、なんてこと! 当然最初に考えねばならないことなのに。それほどまでにもう自分を顧みないようになってしまった自分に愕然としたのでした。
はい、おあとがよろしいようで。つまらない体験談におつき合いありがとうございました!

クロアチアの海と山 その6

海沿いの都市たち

旅は続きます。クロアチアが観光立国を目指すには、かの国の地理的条件にあります。
その5の地図からもわかるように、クロアチアは2つの地域からなっています。
北部の内陸に入り込んだ地方がスロヴォニア地方、海沿いに細長く延びる地域がドルメシア地方です。
アドリア海沿岸のドルメシア地方は、ダルメシアンといった方が私たちの耳には馴染みがありますね。あの101の白黒斑の犬ダルメシアンの故郷で、夏のバカンスシーズンにはヨーロッパ北部からリゾート客が詰めかけます。
アドリア海を挟んでイタリアの対岸になるわけですから気候も申し分なく、海も美しい、それに治安もよく観光客の受け入れ態勢も整ってきたとなれば、これはもう人気のリゾート地帯になっているのも無理からぬことです。運良くわたしたちが行った10月は、もうリゾートシーズンが終わった後だったので人も少なく、渋滞も無く、どこへ行くにも楽に移動できました。

ドルメシア地方には古くから栄えた都市が数多くあります。軒並み世界遺産に指定されているのですから見るべき場所も盛りだくさんです。
北から、ザダル、シベニク、トロギル、スプリット、と順に南下して最後に"アドリア海の真珠"と称されるドブロヴニクへと向かいます。

実際ザダル、シベニク、トロギル、スプリットを2日で回ってしまうのは大変な仕事でした。一口に4都市といいますが、まるで名古屋、京都、奈良、大阪をひとまとめにして2日で見て回るようなものです。いや、これはちょっと乱暴な比喩だったかも知れませんが、その都市に住んでいる人にとっては、ひとまとめにしないでくれよと言いたいのじゃないかと思ってしまいます。
それぞれ特徴も見所も異なっている4都市ですが、日が経つに連れて強く印象を受けたところ以外が渾然と混ざり合い始めています。いまのうちに思いだせるところをしっかり思い出してみましょう。

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ザダルの歴史はBC9世紀にまで遡るそうです。
ローマ帝国に支配され、キリスト教圏でありながら十字軍の攻撃を受け、ヴェネツィア共和国に支配されて、オスマントルコに脅かされ、第二次世界大戦中には連合軍の爆撃が連日続き、市街地のほぼ全体が壊滅的な被害を受けたという受難の都市です。
第二次世界大戦後に多くの建物が修復されて町並みは甦りましたが、再建ということで世界遺産の指定を受けられなかったという苦い経験も持っています。

左上の写真は聖ストシャ(アナステージア)大聖堂、正面の上部左右に聖人のシンボルである動物が付いているのですが、牛といわれてもどうしても河馬にしか見えないという笑いを誘われるところもありました。

右上は聖ドナト教会、珍しく円形ですね。ローマ時代の神殿の石柱を転用して基盤に使っているのが見えます。今はコンサートなどに使っているとか。左下にちらりと顔が見えるのが当地のガイドさん。
このガイドさんは本当に熱意のある人で、みんな共感を覚えました。
ヨーロッパでは観光地へ行くと必ずその土地のガイドさんがつきます。雇用確保の意味合いもあるらしいのですが、ツアーの添乗員さんは(たとえよく知っていてガイド役ができても)ガイドを兼任することは禁止されています。それで必ずその土地のガイドさんとペアになって観光案内をします。
現地のガイドさんはほとんど説明は英語、それを添乗員さんが訳して、ツアー客はふんふんとうなずく、そういうまだるっこい伝言ゲームをすることになります。
そういうわけでガイドさんは大抵、添乗員さんに向かって説明をするのが普通になっています。
ところが、ここザダルでは様子が違っていました。このガイドさんはツアー客に向かって懸命に、いかにこの都市が何度も破壊されたか、そのたびにいかに市民が都市を再建してきたかを熱く語ったのです。
彼女は先のユーゴ戦争のときにも疎開せずにこのザダルに留まったとのこと。彼女はまだ十代の少女でしたが、その折りの体験を語ってくれました。たとえば、水もない、電気も途絶えている、その中で冬、1本のミネラルウォーターで髪を洗ったこと、ローソクのわずかな熱で乾かさなければならなかったことなど、実体験の重みを感じる口調でした。しかし悲惨さの押し売りではなく、そのような困難をくぐり抜けて、今自分たちはこの町をここまで再建したんんだ、という誇りを感じさせる語り口でした。
今あなたたちが地球の裏側からこの町を見に来てくれた事を本当に嬉しく思う、私たちが誇りに思うこの町を十分に見ていって下さい、彼女の言葉のはしばしからその熱い思いがほとばしっていました。
多くの観光地では機械的に説明をすませて終わりというガイドさんが多い中で、彼女の熱意が、このザダルの町を私たちの記憶に永遠にとどめる大きな役割を果たしたのだと、なんとか彼女に伝えたいものです。

写真左下は現代の芸術。先程のドナト教会やローマ時代の遺跡の残る広場を意味するフォーラムを抜けるとすぐに海岸に出ます。海岸の先端にあるのがこの"シーオルガン"です。
わたしの写真ではわかりにくいのでFlickrで探した写真にリンクしています。海岸にうち寄せる波、吹き寄せる風を利用して音を鳴らす一種のパイプが階段状のコンクリートの下にあります。
この日は晴天、波もなく、ガイドさんも残念だけど音は聞こえないね、といっていたのですが、ラッキーなことに、近くを大きなクルーザーが通ったために、その波が打ち寄せて、波の山と同じ間隔で不思議な音を聞くことができました。パイプオルガンやアコーディオンのように空気が通過して行くときにリードを震わせる類の音です。しかし、耳慣れた和音ではありません、もちろん不協和音や、不快な騒音でもありません。深く低く響く、まさに海の音でした。春先に強い風が吹く時期があるそうですが、そのときには一日中この付近では海の奏でる音楽が聴けるそうです。ぜひそれを聞きにまた来てください、と言われました。

写真右下、これはシーオルガンの階段から上へ上がった広場にあるソーラーパネルです。Monument to the Sun(太陽の記念碑)と呼ばれていて、昼の間に蓄電した電気で夜間に発光します。これも写真を探したら素晴らしくきれいな写真があったのでリンクしておきました。これを見たら、夜に行けなかったのが残念でなりません。

ザダルは古い歴史と破壊の経験を背負ってはいますが、暗さは感じません。紺碧の海と一体になるような海のオルガン、太陽光をとどめて放つ夜の光の海、それらを紀元前の建物と共存させて、何の違和感も感じさせない明るさとおおらかさを持った町、人々は明るく精力的で誇りに満ちている町、なんていいところなんでしょう。ほんとうにいい体験をしたと思いました。

Sea Organ at Zadar

クロアチアの海と山 その5

夢のように美しい島々

Croatia_slovenia_map_sポストイナから一路国境を越えてクロアチアへ入ります。
スロヴェニアはいち早くユーゴスラヴィアから独立し、内戦もなく、経済状態も安定していたのでEUに加盟を果たし、通貨もユーロです。深夜イタリアのトリエステからスロヴェニアに入国するときもEU圏なので検問所もなくフリーパスで通過してきたのですが、クロアチアとの間には一応国境検問所があります。
そうは言ってもちょうど高速道路の料金所のようで、ほとんどの車がすいすいと通過していきます。私たちの乗ったバスも運転手さんが日本人観光客と言っただけでOK、といとも簡単に通過させてくれました。こういうとこでもジャパニーズ・ツアー・アニマルの面目躍如か、と苦笑いです。

クロアチアはEU加盟を希望しながらも、まだ実現していません。つまりここは非ユーロ圏です。通貨はクーナ(1kuna=20円程度)コインは1,2,5クーナ、それより高額は紙幣になります。下位通貨はリーパ、1kn=100lipaですが、1リーパは0.2円なのでほとんどリーパは使われていないようです。買い物をしても表示はクーナまでで、コンマ以下は切り捨てみたいな価格設定です。実際クーナ以下のおつりはくれないところがありましたw。

Coin クーナのコインがかわいらしくて5knにはクマ、2knには魚、1knには鳥が刻印されています。特に気に入ったのがお魚の2kn。記念に一個残してきました。写真は魚のついた裏面。表面には2とKUNAの刻印がありイタチのような動物がはねています。実はこの貂のような動物がクーナという名で、昔はこの毛皮が珍重されて、貨幣代わりに物々交換されていた、という事実に基づいているとのこと。そう見ると他のコインまで、単に国を象徴するような動物とだけいうより、もっと人々の生活に身近に関わっていた動物なのだろうと想像が広がります。 
余談なれど、コインの写真は難しいですね。このコインは新しくてピカピカだったので大事に持って帰ったのですが、いざ写真を撮ろうとすると反射しすぎてきれいに撮れませんでした。画面では黒ずんでみえますが、実物は傷ひとつなくてとてもきれいです。(付記;コインの写真を修整した物をOrganaさんから頂きました。さっそく差し替えました。ありがとうございました)

オパティアという海岸沿いの夏のリゾート地に泊まり、翌朝からいよいよクロアチアの海岸線に沿って南下しながら3日かけて幾つかの都市をまわります。順にザダル、シベニク、トロギル、スプリット……そして最南端に位置するのがドブロヴニクです。
実にこの4都市の3つまでが世界遺産に指定されています。唯一指定されていないのがザダルですが、それは文化的に史跡の価値がないというのではなく、戦争の惨禍で徹底的に破壊されてしまい、現在ある街は以前の通りに復元されているものの、オリジナルではないので指定が受けられなかった、といういきさつがあります。
話をザダルにまで進めたいのですが、その前に是非とも書いておかなければならないことがあります。
この旅行覚え書きを仮にクロアチアの海と山」と題したのは、他でもない、このアドリア海に沿ってずっと南下した時に見た海と島、そして海に迫る山の姿があまりにも印象が強く、今もありありと眼前に浮かんでくるからです。
地図からもわかるようにクロアチアには海岸線にそって無数と言っていいほどの大小の島があります。島といっても私たちの知っている島とは一風変わっています。たくさんの山が山頂だけ残して水に沈んだ、とでも表現したら良いのでしょうか。とても言葉で表現できそうにもありません。表現の才が無いことが悔やまれます。これらの写真も、その景観のすばらしさの十分の一もとらえることができていないのですが、雰囲気だけでも味わっていただけるでしょうか。

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ほんとうに夢のような島と海でした。半島を大きく回り込みながら進むにつれて鏡のように波のない海の中に島がぽこぽこと現れてはうしろに消えていきます。あまりに大きくて島なのかそれとも今走ってきた半島なのか見分けがつかない物もあります。
私たちが抱く島のイメージは、海岸からはるかに遠く小さく見える点であったり、海岸近くでは周囲には岩が剥きだしになって波が砕け、わずかに松が生える、荒海に突き出す魁偉、荒磯には弧鵜がとまっている──そんなものでした。
しかし、ここにおいて、その「島」のイメージは完全に払拭されました。これを島と呼んでいいのでしょうか、そう自問したくなるほどの美しいなだらかな曲線を描く緑の塊が水の面からぽっこり頭を出している、それがあとからあとから続いていく。その島の向こうにまた鏡の海が、そのまた向こうにぽっこりと島が。幾重にも重なって島影は緑から青に、そして薄青にと際限なく間に水の帯をはさみながら彼方まで続いていきます。あくまで波は穏やか、とろりとした水の上にまどやかな島影を反映させながら太陽が高くなるに連れてアドリア海の碧緑は深みを増して行きます。行けども行けども海と島影、そしてまた島。これが丸一日続くのです。

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他方に目を転じると、道路の脇からすぐさま岩山が伸び上がります。土壌が石灰質なので全体が白味を帯びて、しかも大きな木が育たないので岩の間にブッシュの茂みが点在する、これまた馴染みのない地勢です。しかもその山の高さが尋常ではありません。こちらも、頂上を見上げると首が痛くなりそうな磊磊とした石塊が連なり、山頂のみ風化が止まったような異様な容貌を見せる山もあり、一気に海面まで切れ込み、遠景で見ると思わず息を呑み、恐ろしくなるほどの急勾配そして、白と青のコントラストです。
この海と山を見られたことでこの旅行にきた甲斐があったなどといってしまうと、大げさに聞こえるかも知れませんが、さまざまな史跡、文化遺産とはまた異なった、比べられない次元で、この風景はいつまでも私の心の中に焼き付いて、時間の経過と共にますます美しさを増し、現実のものならざる夢のような淡い光と影の中に揺らめく思い出になっていくのでしょう。

クロアチアの海と山 その4

鍾乳洞はインディ風に──ポストイナ

P1010679sリュブリヤーナを後に、ヨーロッパ最大の規模のポストイナ鍾乳洞へと向かいました。そもそもこの辺り一帯が石灰岩の台地で、たくさんの鍾乳洞があることで知られています。
ポストイナ洞窟は中世からその存在は知られていましたが、調査隊が入ったのが19世紀になってからとのこと。とにかく全長27kmという気が遠くなるほどの奥行きをもった洞窟で、確かにたいまつの灯りくらいでは敢えて奥に入ろうとする勇気も起きなかったのも当然だと思われました。
写真は整備された入り口、ここを登っていくと山腹に建物の入り口があります。ここからトロッコに乗って一気に2kmほど内部に潜ります。そこから約2kmほど徒歩で鍾乳洞巡りをすることになります。
そこへ行く前にいくつか面白い物を発見。

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最初のポストイナ全図は大きい画像にとびます。
二番目のプロテウスと読める看板は、この洞窟にかつて生息していた両生類。
暗闇に生息していたことから目がすっかり退化しています。一年近く何も食べないでも生存できるというすごい生き物だそうですが、観光客が増えた今、さらに洞窟の奥に移動したらしく、もう見ることが出来ないそうです。きれいな肌色をしているところから"類人魚"と呼ばれて……なんだか気味悪い命名ですが。ちょっと見には一頃流行ったウーパールーパーみたいですが、目が無いところが決定的に違ってますね。
本物にはお目にかかれそうもありませんが、園内にはいたるところにこのプロテウスくんが。道案内をしてくれます。(3枚目の写真)
さて、入り口を入るとそこから人の波です。トロッコに乗る順番を並んで待ちます。幾重にも折れ曲がって並んでいるのですが、正面にあるブースが4枚目の写真。8℃と書かれています。これは洞窟内の温度が年間8℃だと警告しているのです。
私たちは旅行の手引きなどでしっかり防寒用品持参で、怖いもの無しの完全防備でしたが、ヨーロッパの人の中には肩出しシャツ、短パンの軽装の人も多いので、中は寒いぞよ、よってここで3€出してマントを借りていきなさいという意味のお店でした。このフード付きのマント見て何となく笑ったのは私だけだったのかな?(この写真も大きな物を見てくださいね!)

トロッコは横に2人乗りで、1両に20人くらいは楽に乗れる物が10両以上連結しています。つまり一度に大量の人を地下へ運ぶことができます。まるでテーマパークのライドに乗る感じです。揃いのジャケットの係員の指示に従って乗ると、ベルがなって出発。
テーマパークのライドという言葉に誇張は無かったのです!
トロッコは風を切ってものすごいスピードでどんどん飛ばします。大柄なヨーロッパの観光客が思わず声を上げて頭をすくめるほど低い岩の天井、少し手を伸ばせば周囲の岩盤にぶつかってしまいます。日本だったら安全上の理由でもっとなだらかで大きなトンネルにするのだろう、そうなればこのスリル感はなくなるな、などとふと思います。
かなり急なカーブを速度を保ったままトロッコはぎゅんと曲がります、すると向こうは、あっと息を呑むほどの大天井、トロッコは今地下の大広間を走っています。中央には天井と床を繋ぐ大石柱、程良くライティングされているので全体がぼんやりと暮明くらいの明るさの中に浮かんでいます。大した演出!
大きさは体で感じる物。狭いトンネルから大広間に一気に抜けた事で、まるで別世界へ入り込んだ様な錯覚に陥ります。その間にもトロッコはビュンビュン風を切りながら進みます。風の冷たかったこと。
幾度も曲がり、対向のトロッコとすれ違い、線路はある時は並行に、ある時は上り下りがまったく別の分かれたトンネルに吸い込まれて、新しい景色が見えるたびに、皆の口から、ほうっという感嘆の声が漏れます。
写真を撮るのを諦めて、ひたすら周囲のこの世の物とも思われない奇景に見とれているあいだに、トロッコは減速して、地下通路の始まりの地点に到着です。

ここから各国の言語に分かれて専門のガイドさんの案内で約一時間の地下探検が始まります。わたしたちは英語班へ。さすがにまだ日本語ガイドはないようです。
見所になると足を止めてガイドさんが説明してくれます。通路はちゃんとコンクリートで平坦な道になっているので歩行に支障はありません。しかし路面はしっとり濡れ、空気も湿気を含んだ重さを感じるし、時には水滴も落ちてきます。ウェルズの地底探検、バロウズのペルシダ……単なる想像の産物ではないように思われます。過去にもこういった洞窟に入った人の記憶や言い伝えが物語のヒントになったのではないかなと思ったりします。
余談ですが、以前に鍾乳石、石筍にあたる単語、stalactite、stalagmiteを覚えた時、こんなの覚えても一生使うことも耳にすることも無いだろうな、といささか残念に思った事がありますが、なんとこんなところで聞けるとは! 私なりに感動の一瞬でした。

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地下歩道といっても平坦ではありません。登ったかと思うと今度はずんずん下ります。回り込みながら進むので、少し行くと頭上高くの中空に石の橋が見えます。あれは先程渡ったところですよ、といわれて、さらに暗闇の下をのぞき込むと、思わずこのまま地の底まで下りていくのではないかと不安になります。何より今一番深いところに来ているといわれて、洞窟の天井は遙か上方にあるにもかかわらず、大地の重みでひしひしと押し潰されそうな圧力を感じてしまいます。

今までに行った鍾乳洞で大きなものは中国桂林の近郊の蘆笛岩(残念ながら山口県の秋芳洞には行ったことがありません)ですが、けばけばしい色のライティングが強すぎて、自然の大きさを本当に感じたかといわれると印象が薄いのです。
しかし、ここ、ポストイナ洞窟では決して明るすぎない照明の中で、その第一次世界大戦後に捕虜になったロシア人が作ったという"ロシアン・ブリッジ"を頭上に見てさらに下っていく時、自分が蠢く小さな虫の様に地下の奥へ奥へと潜っていくのを実感してしまいました。自分の足で登り下りしながら歩くのは、まさに大きさと小ささを「体感」できるという希有の体験でした。

写真は有名な大岩、二枚目はブリリアントと名前がついていた岩です。写真ではわかりにくいのですが、表面がきらきら光ってつるりとした、思わず大きなアイスクリームを思わせる傑物でした。何しろ1mm伸びるのに10~30年もかかるのに、それがここまで大きくなるのに、一体どれくらいの年月がかかったのだろう、という気の遠くなるような時間のスケールの話にひたすら圧倒されてしまいました。
いくらか写真は撮ってみたものの、とてもこのスケールと量感を撮ることは不可能、小さな画面に切り取る事がむしろ不遜な気までしてきたので、潔く諦めて、あとはひたすら歩き、驚嘆し、最後の「コンサートホール」と呼ばれる、これまた上が闇の中に消えて見えないほどの大天井に向かって手を叩き、声を出して余韻が何秒も続くのに聞き惚れて……そしてトロッコの乗り場にたどりつきました。

名残惜しい気分のまま、帰りのトロッコはいとも速く、見覚えのある地点を通り過ぎたかと思うと、あっという間に終点。下車してからまだ曲がりくねった道を上方に向かって歩くと、突然出口の光が見えます。
気温も上がって、陽光がまぶしい。それまで大地の圧力に気圧されたように押し黙っていた人々が口々に安堵の響きを漏らします。
やれやれ、光ってありがたい。そして私たちはやはり地上の生き物なんだなあとしみじみ感じました。
リュブリヤーナのガイド君に、次にポストイナに行くと言ったら、鍾乳洞は無数にあって、本当に美しい洞窟は他にあるのだけれど、観光客は入れるようなところにはないんだと言っていました。トーチを点けてロープで体を縛りながら下りていかなければならないようなところに息を呑むほど美しい場所があるとか。
でも、ここ、ポストイナで十分に大きさと美しさを堪能できました。こういった物を見るたびに、まだまだ世界には人の近寄れないような自然があって、捨てたものではないなあ、などとこれまた不遜な事を考えてしまいます。

クロアチアの海と山 その3

リュブリヤーナ──建築と自然の融合、あるいは愛のある国

一夜明けて、肌寒さを感じる朝です。初めて見るスロヴェニア。一つ前のエントリの最初の画像がホテルの窓から撮った首都リュブリヤーナの郊外です。
近くに小学校があるらしく、たくさんの子供が歩いています。特に急ぎ足でもなく、大きなカバンも持たず、にぎやかにおしゃべりしながら歩道を通ります。道路は通勤の車が続きます。マロニエの街路樹は黄色くなった葉がかなり落ちています。

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リュブリヤーナは小さな都市。大学、音楽堂など旧市街のこぢんまりとした広場の周囲にあります。人口も少ないせいか、首都というのに落ち着いた静かな都市で、街の中央を流れる川にかかる橋を渡ると、面白い形の街灯があります。リュブリヤーナを象徴する3つの山の峰をかたどっているということです。その後ガイドさんの言ったことが面白(?)かった──彼はこんなことを言ったのです。
中世にはこの橋の上で公開処刑が行われたんですよ。TVとかネットとか娯楽のない時代でしょう、だからみんな楽しみにして見に集まったらしいですよ。
さもありなん。後でガイドさんとそのことを話したのですが、それが歴史ですよ、と言っていました。その通り、歴史はきれい事ばかりじゃありませんね。

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旧市街の石畳の通りを行くと市庁舎。3本の旗が揚がっています。EU、スロヴェニア、リュブリヤーナの旗です。面白かったのがリュブリヤーナの市旗。城壁の上に緑の龍が寝そべっています。さらにおもしろかったのが、市庁舎の中庭の壁面に彫られた市章、ガイドさんが「ゲッコーみたいでしょ!」などと楽しそうに冗談を飛ばします。後ろの写真がその「ゲッコー」です。
なぜに緑の龍か? これも後で聞きましたが、なぜ緑かは不明。なんでもイアソンが黄金の羊を見つけたあとそのままアドリア海を遡って航海し、リュブリヤーナに至った時にこの地に棲んでいた龍を退治したとか。ゴールデン・フリースの話の後日談ってわけですね。その当時は龍は緑だった?なんて冗談を言ってみましたが、さあ、どうだったのかわからないと真面目に答えられて大笑い。

P1010608s 市庁舎を抜けたところの広場には市場があります。広場の一方の端には王宮へ上るケーブルカー、反対側に行くと有名な「龍の橋」があります。建築家、彫刻家プレチニコフの手になるシンプルにして力強く気品がある、なかなか絵になる龍です。

どこの街へ行っても市場ほど面白いものはありません。市場に出くわすと、とにかく写真を撮ります。ゆっくり構える暇もなく、ただその雰囲気を覚えていたいために目につく物を撮りまくります。そのうちきれいな物を何枚かアップします。


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観光客目当てのお土産から、一般市民が買い物にくる生鮮野菜が広場いっぱいに並んでいます。肉、魚などは川沿いの古代ローマ建築をイメージした公益施設の地下にあるそうです。

P1010660s 市場を抜けると一番の大きな広場に向かいます。有名な「三本橋」(トロモストイェ)を渡ります。これもプレチニクの設計。
最初中央の橋を造ったら、細いのでもっと広げるようにと言われて、デザインと機能を考えたプレチニクは橋を拡張する代わりに歩行者用の細い橋を両側に二本造って、三本の橋を並行してかけました。一本の無粋な太い橋になる代わりに、瀟洒な橋の欄干が幾重にも見えてなんとも複雑で美しい景観ができあがったというわけです。


P1010668s このあと途中で見かけたユニークなチョコレート屋さんへ。ショーケースにチョコのリスや小鳥、バラの花びらの散らしてある板チョコ、それに丸いマヤの文様のついたチョコ──そう、"ショコラ"の中に出てきたようなチョコです。
これはもう一度見たいと急いで戻ってみる事にしました。何人かいっしょに行ったので結局ご注文取りの通訳をさせられてしまいました。

お土産屋さんに立ち寄り、仲良くなったガイド君にスロヴェニアのお土産には何がいいか聞いてみました。彼が言うに、いろいろあるけれど、スロヴェニア、Sloveniaの文字が入っているハートがいいと。文字を指しながら教えてくれました。「世界中で国名に愛(love)が入っているのはスロヴェニアだけ!」
スロヴェニアの首都、リュブリヤーナはしっとりした落ち着いた街、小振りで穏やか。建築物や彫刻が自己主張をせずに、風景に馴染んでいるすてきな街です。

またしても、いつもの愚痴……もっと時間があったらゆっくり歩いてみたいのに。