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クロアチアの海と山・その2

ドイツ、イタリア経由──スロヴェニアは遠かった

リュブリヤーナ そもそも事の始まりは昨年の旅行も最後に近づいた時のこと。添乗員さんがアントニオというあだ名の気のいい男性で、彼に次回の旅行にどこがお薦め?と尋ねたら、ためらいなく「クロアチア、それもなるべく早くね」という答えが返ってきました。急速に観光地化が進んでいるので、ここ数年の内に行かないと、本当のいいクロアチアは見られなくなってしまうという意味でした。
クロアチア……そのときに知っていたのは、ユーゴスラビア紛争でつい最近までドンパチやっていた国、やけにサッカーが強い国、国旗の真ん中に赤白のチェッカー模様がついている、わずかにそれくらいでした。
思いつきで聞いた事がきっかけになって、瓢箪から駒で友人が都合よくクロアチア・モニター・ツアーの募集をみつけ、それでは行こうか、うむ行こう……ということになりました。
出発は13日、関空からルフトでフランクフルト、ミュンヘン経由でトリエステ着!
なぜにトリエステ? イタリアじゃん? それでいいのでした。トリエステはスロヴェニアとの国境近く。トリエステから陸路スロヴェニアに入ることになっていました。 ルフトは昨年、一昨年のブリティッシュよりも快適。とは言ってもエコノミーの快適さですから、知れていますが。
食事もまあまあ。まあ、うな丼ですか、日本食の食べ収めですね。
機内の空気の乾燥が少なかったのが幸いでした。乗っている間中マスクをしていないといけない、こんな旅行は辛すぎますから。お楽しみの映画のラインアップは、インディ4、ドラゴン・キングダム、ナニーズ・ダイアリー、近距離恋愛、幸せの1ページなどなど。特筆すべき物もなくこれも普通でした。


ハート型クッキー枯葉の玉


さて、ちゃっちゃっと巻きまして、搭乗機は無事フランクフルト着。1時間のトランジットの後、ミュンヘンへ。ここで2時間ほど時間があって、多少お安くなったユーロでお買い物。ミュンヘンはそれほど華やかな店はありません、むしろ実用本位といった方が当たっている。それでも書店のウィンドでかわいいハスキーのヌイグルミを発見、何となく連れて帰って!と呼びかけられているような気分。
画像はハロウィーン近くなったせいか、お菓子満載の店。なんともかわいいハートのアイシングをつけた(おそらく)クッキーなんでしょう。もう一枚はステーショナリーの店。ディスプレイに紅葉に見立てた紙のオブジェが。おしゃれな店でした。

ドロミテ航空機 ミュンヘンからトリエステまでルフトの共同運行便、ドロミテ航空のプロペラ機。ドロミテって、火山の名前じゃ無かったでしょうか。
ともあれ、飛んだと思ったらもう下降が始まるという具合で、夕闇が深まるトリエステ空港に着陸。
その後一路バスでスロヴェニアのホテルに直行です。この時もう既に午前1時を回っていました。ということは、時差が7時間(10月末までは夏時間とのこと)なので、日本では優に午前8時過ぎです。ああ、一体何時間起きていたことになるのか……などと考えるのももどかしく、とにかく寝るが一番と、ベッドに潜り込みました。
ただただ移動に費やした1日間、勿体ないと言うべきか、仕方がないと言うべきか。
それは、これからのスロヴェニアとクロアチアでどれだけの物を見つけられるか、見られるかにかかっているのでしょうね。

クロアチアの海と山

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10月13日から20 日にかけて一週間、短くはありましたがスロヴェニアとクロアチアを訪れました。

例年旅行に出かけて戻るとすぐに写真の整理、持ち帰った紙物の整理などするのですが、今年はいつになくゆっくり。しかし、二週間が経とうとしている今日、そろそろ落ち着いて旅行の想い出をまとめようと思います。
スロヴェニアとクロアチアといっても、どこにあるのかイメージが湧かない。実は旅行の話が具体的になった5月頃の私の状態でした。検索で地図を調べると……

081027bイタリア、ドイツと国境を接したアドリア海に面した位置にあります。旧ユーゴスラビアというとむしろ耳に馴染んで聞こえますね。
第二次世界大戦後、独自な共産主義路線を歩んできたチトー体勢が崩れると共に、それまで抑圧されてきた民族主義の台頭、わずか10日間の戦闘の後、いち早く独立を果たしたスロヴェニアは現在EUにも加盟していますが、クロアチアはスロヴェニアと同時に独立宣言を出したものの、セルビア民族保護の名目のもとにユーゴ軍が侵攻、5年に及ぶクロアチア紛争と呼ばれる独立戦争の間に国内は荒廃し、数多くの人命が失われて、1995年戦争終結。まさに10年前までは国内が戦場だったという悲惨な歴史を負っている国です。
ちなみに旧ユーゴスラビアは、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア、の6共和国に別れています。Wikiにいかにユーゴスラビアという国が統治が難しい国だったか、面白い表現があったのでちょっと引用。
>ユーゴスラビアは「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と表現された。 7つの隣国とは、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニアのこと。6つの共和国はスロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア。5つの民族はスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人。4つの言語はスロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語。3つの宗教はカトリック、東方正教、イスラム教。2つの文字はラテン文字とキリル文字のことである。

アドリア海に面した1000もの島を持つ、夏のバカンスのリゾート地として名高いクロアチア、強いサッカーチームを持つクロアチア、そして戦火から甦ったクロアチア、いくつもの、時には相反する様な一貫性の無いイメージでしか捉えてこなかった国、クロアチア。

いつになく旅行の話を始める前に、前置きが長くなりましたが、今回の旅行は、ただ美しい景色、みごとな歴史建造物、それらを楽しむだけでなく、つい最近まで戦火の蹂躙した土地を実際に歩き、戦争を体験した人々と言葉を交わし、いま復興して新たに国をもり立てていこうとしている静かな熱気のようなものをひしひしと感じたこともあって、通り一遍の旅行では無かったことをまずは記しておきたかったので、こういう次第となった訳です。
さて、明日からは、ほんのわずかの間でしたが実際に歩いた土地の事を思い出しながら、楽しい旅行の想い出を書きたいと思います。


ジェダイ・クエスト10

20081024_jq10明日、というかもう今日ですが、ジェダイ・クエスト10巻が発売になります。楽しみですね

お世話になった方にお見せするのに後書きを英訳しようと思うのですが……こういうのも何だけど、日英は難しいですね。
簡単な文章でも日本語で書かれたものはすべからくニュアンスがわかるので、それをぬかりなく英訳しようと思うと(もちろん、自分の力不足が一番の原因だけれども)英文がごてごて、折れ曲がり、不要に長く、副詞が付いて、結局すっきり言いたいことが通じないものです。
こういうときには、思い切って書いた文章を破棄して、本当に必要な事のみを、主語と動詞をはっきりさせて、なるべく簡潔な文に分けて書いていく、作文の基本に戻らなければならないのだと再確認しました。

なんだか締まらない話しですが、JQ10については、後日ゆっくりお話できたらいいなと思っています。

あ、それより先にクロアチアへの旅行の話しも書かなければいけないんだ(汗

永谷園プロデュース、SWふりかけ

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出遅れた感がありますが、昼に撮った写真をアップしておきます。

ローグ中隊さんがブログのフィール・ザ・フォースで書いていらっしゃったEp1公開当時に永谷園から発売されたコラボ商品、ふりかけです。ローグ中隊さんのコレクションから惜しくも逃した残り2種類の小袋です。

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実はその記事を読むまで自分がしっかりふりかけを貯め込んでいたことをほとんど忘れていました。
Ep1のころは、それはそれはフリークで、とにかくEp1に関するものなら何でも集めていましたから。押入のダンボールから出したところ、ふりかけ(未開封)が山と出てきました。中に入っていたシールをコンプリしたいがためにとにかく買い漁ったというのが実のところです。

他にもふりかけの外袋が30枚、レトルトカレーの箱、明治製菓のエピソード1チョコの外箱が4個、もちろんペプシの缶も(未開封の、例の爆発?というもの)日本版、アメリカ版と両方ともあります。ボトルキャップもコンプリセットで出てきました。

今にして思えば、大変なエネルギーをつぎ込んで、よくも集めたもんだと、我ながら変な感心をしてしまいます。もっとも、捨てられないでそのままお蔵にして取って置いてある現在の自分にも呆れてしまいますが。。。

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これが未開封の小袋の山。数えたら丁度80袋ありました。
でも、さけのセブルバ、モール、それにヨーダ、おかかのアナキンの数は特に少なかったので、きっと製造数も違っていたのかもしれません。

これをどうしようか、またお蔵に入れるか、それとも欲しい方には少しはお譲りしてもいいかなとも考えています。なんたって80袋ですからね(笑


沢瀉──ヘビノ眼ヒカッタ

080930a最近運動に目覚めて(三日坊主ということなかれ)昼間に歩くようになりました。といっても町中をほんの少し、30分ほど歩くだけですが。

あてもなく歩くのも、これまた苦なので、郊外の大型スーパーまで歩いて書店を覗いて帰ってくるという道順です。
よく言われることですが、車でしか通った事のない道を歩くと、それまで気づかなかった些細な物が目に入ったり、聞こえたりしてくるものです。
二日ほど前、裁判所裏の水路横を通ったとき、生まれて初めて沢瀉(おもだか)を目にしました。感激でした。ああ、これだ、これが沢瀉なんだ!って。
大げさですが、言葉と家紋のモチーフとしてしか知らなかった沢瀉がこんなに近くにあったとは。
080930c
ちなみにこれは家紋で使われる沢瀉の典型的なものです。
たわむれに家紋をレイアウトして封筒など作ったこともあり、沢瀉紋はなかなか粋で好きなモチーフの一つです。それだけに偶然に本物の沢瀉を見られたことに年甲斐も無くどきどき舞い上がってしまいました。

ところで、沢瀉については、もう一つこだわりがあります。それをお話する前に、まず詩の一節を。

トテモキレイナ花。
イッパイデス。
イイニホヒ。イッパイ。
オモイクラヰ。
オ母サン。
ボク。
カヘリマセン。

草野心平の蛙の詩はあまりにも有名ですが、その数と言えば、これまた両の手に余る、いや全然足らないほどあります。
引用したのは「定本 蛙」の中にある「青イ花」。元の題名「オ母サン」からの改訂です。

沢瀉(おもだか)という水辺の植物の名を知ったのが、実はこの草野心平の詩。それも合唱曲の中で知ったといういきさつがあります。
なぜに印象が強かったかというと、この詩が何とも不思議な雰囲気を漂わせていたからでした。
その詩との出会いが書物の文字からでなく、楽曲として知るというのはある種運命的な物があります。文字として抽象度の高い詩ではなく、音の付いた詩、いえ、音と渾然と一体になった、より感覚的な新しい形式のものとして記憶されるからです。
この歌は、素朴な明るいのどかなメロディーで歌われます。何気なく聞くと子供が「お母さん、ぼくもう帰らないよ」といたずらっぽく語っているようにも聞こえます。実際、大学の合唱団にあった冊子に、この歌の解説として「独立して母の元を去る子供の明るい心境」などと書いてあったのを覚えています。

ところがです、わたしはこの歌を聞いた最初から、おかしい、このメロディとはまったく相反するおぞましさ、ぞっとするという印象を受けたのです。
明るい牧歌的なメロディ故に、いっそう恐ろしさがつのるのです。そのことを当時サークル仲間に話した覚えがあるのですが、どうも誰にも受けなかったという記憶があります。
そのわけは……先程の一節の後にこんな節が続きます。


アスコノオモダカノネモトカラ。
ボク。トンダラ。
ヘビノ眼ヒカッタ。
ボクソレカラ。
忘レチャッタ。
オ母サン。
サヨナラ。
大キナ青イ花モエテマス。

ほらね、花の匂いがむせかえるようで酔ってしまいそう。帰りませんって、短くて単純だけど別れの言葉。お母さん、さよならって、今生の別れの言葉じゃないでしょうか?
ここに出てくるのが沢瀉。
わたしには、外界の恐ろしさを経験したことがない蛙の子供が初めて、安全な沢瀉の根本からひとりで跳びだした。それを逃さず、すかさず光る蛇の眼。その眼に魅入られて子蛙は自ら滅びへとふらふらと近づいて行く、それも恍惚として。どうもこうしか感じられないのですが。
母の事も家のことも忘れ、目の中に映るのは美しい大きな青い花、つまり蛇の目……。
この歌は最初から、今まさに蛇に呑まれようとしている子蛙、その心は未知の蠱惑的な力に絡め取られて、うっとりした忘我の域に引きづり込まれている、その恍惚を歌っているのではないかと。それでも意識のどこかで自分がのっぴきならない立場に立っていることは薄々感じている。だから母に別れを告げている。
子供が美しい物にうっとりとなって母を顧みない、これは異常な状態だと最初から警鐘を鳴らしているんだ……うわあ。
まったくの的外れかもしれないのですが、わたしにとってはこの歌は、美しくも恐ろしくも、狡猾さに食い物にされる素朴さ、しかも自分の運命に気づいていない倒錯した喜びが溢れている、そんな強い印象が未だにぬぐい去れない(それだからとても好きな)一曲であり続けています。
散歩道の沢瀉のお陰で何年ぶりかに、かつて歌った歌と、その折りの印象を当時と変わらぬ新鮮さで思い起すことができたのですから、散歩万歳ですね。