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Hancock

Hancockウィル・スミスはいい役者さんになったものだと思う。
ハンコック──この映画についてはあちこちで語られているほど駄作だとも思わないし、もちろん超大作と持ち上げるつもりもない。ただ好きか嫌いかといわれると、私は好きだと答える。
その理由は、ウィル・スミスの存在自体がとてもいいからだ。
おかしな書き方をしてしまったが、見終わって最初に感じたのが、ウィル・スミスは立っているだけで悲しみを表現できるようになったのだな、というなんとも主観的感慨だったからだ。
他に同類の仲間がいない(実は一人だけいたが)というストーリー設定からくる孤独感ではない。
おちゃらけの合間、ウィスキーがぶ飲みして、どう見ても格好いいところからほど遠い飛び方、着地の仕方をしている合間、行きがかり上仕方なしに人助けをしてやってるといわんばかりの投げやりなスーパーパワーの発露の合間にも、ふと悲しみが漂う。

それを最初に感じたのは実はこの映画に先立つ「アイ、ロボット」のワンシーンだった。
始まって間もない頃に、刑事スプーナーがじっとシャワーをあびているシーンがある。あのときにはまだ彼の腕が精巧に作られたロボットの義手であることは明らかになっていない。しかし、あのシーンでどうしようもない悲しさを感じてしまうのである。
そこに存在している事自体が悲しいという、彼は自分の存在自体を悲しんでいる。その悲しみの前には仕事も家族も霞んでしまう。なぜ自分はここにいるのか、なぜ自分はこの世に生を受け、今現在生きているのか、その根源的な疑問は、もちろんどのように考えても悩んでも答えがでるものではない。答えが見いだせない事を承知で生き続けていかなければならない。自分に活を入れ、励まし、自分を奮い起こして、次の行動へ移らなければいけない。その一歩を躊躇って、ほんのひととき、ほんの数秒長くシャワーが流れ続けるに任せている──まことに主観的な見方なのだが、わたしはあのシーンでこういう気持ちを痛切に感じてしまった。故に「アイ、ロボット」の中ではあのシーンが一番好きなのだ。

「ハンコック」の劇場用ポスター(顔大写し、サングラスに鷲が映っているものではなく)でウィル・スミスの沈んだ横向きの顔を見たときにまさに上記のシーンにあい通じる物を感じてしまった。

ストーリーは楽しい。ハンコックはアンチヒーローである。
スーパーヒーローは正義の味方、正しい心と強い意志、悪をゆるさぬ自己を律する……そういう歴史的に培われたお約束は、ある意味根拠が無い。確かに超人が悪人だったら大変だ。この世の終わりとまでは言わない物の救いがない。だからヒーローは何があっても善人で「正義の味方よ、よい人よ」でなければならない。
だからハンコックは面白い。といっても彼は悪人ではない、いわば不器用な邪魔くさがりやなのだ。
だから悪人を追跡するのにところ構わず飛ぶからビルは壊す、標識は落とす、挙げ句の果てに悪人の乗る車をどうやって回収したらいいかわからないような場所に串刺しにする……一つの事件を解決するために周囲に及ぼす被害甚大、踏切の立ち往生した車を救うのに、持ち上げて他の車の上に逆さに投げる、列車にエルボーをカマして脱線させる……決して意図してやっているわけではないのに、結果は惨憺たる物。
周囲の人はさらに無責任で、人命が救われたというのに、もっと賢い方法があったはずだと非難する。
このあたりは快進撃である。この路線を突っ走って行けば世にも珍しいアンチヒーロー、超弩級のありがた迷惑ストーリーとなったはずだ。もう少し引っ張ってもらいたかったと思ってしまう。

その後ストーリーが展開するに連れてこの楽しさが徐々に萎んでいく。もちろんもう一人のヒーロー(うう、男性形許せ)との万歳のようなからみや$91.10なんてものすごく面白いところもあるのだが、悪役トリオが小物(なんとなくホーム・アローンの悪人二人組を連想してしまう)なのも物足りない。まあ、これはハンコックの超人指数が下がって常人並になる事を見越した常人向け悪役ではあるのだけれど。

ハンコックの「存在論的悲しみ」は彼と彼の一族(?)の在り方に根ざしているようだ。超人同士が近づくと力がなくなり常人になる、そして普通の人間としての弱い短い一生を送ることになるというものだ。
神ならぬ常人の心性を持った者が「人並み」の幸福を願う、これは当然のことだが、その代償は大きい。特に彼の場合は最後の一人として「神が与えた人類への保険」の役割を全うするためには「人並みの幸福」を求めることはできない。悲劇的なハイランダーの設定とはまた違っているが、これはこれで悲劇であるね。

ともかく80年前からの記憶がなくなった原因も明らかになり(触れられてはいなかったが、80年前に南部で黒人男性が白人女性と連れだって歩いていたら袋だたきにあうことはいかにもありそうな話しである)、名前を思いだせなかったので"put your John Hancock"(署名しろ──アメリカ独立宣言書の中で一番肉太の署名だったので、それ以来「署名」という普通名詞として使われている)といわれてそのままジョン・ハンコックと書いた顛末も明らかになる。

結局自分が何者であるかself identificationを求めるハンコックの放浪の旅は終わる、よって彼の破滅指向の生活も終わりを告げ、彼は自分の在り方を是認して落ち着いた結末を迎える。
この終わり方以外にないと思われる終わり方。もちろん常人となる選択肢もあったのだが、それはまたこれから長い年月のうちに採られる結末になるかも知れない、そういう救いもある。
さしあたって今のところ、ハンコックも残りの生存者も心の安定と幸せを取り戻したと言えるだろう。そして見ているわたしたちにも、ヒーローが消えていくという幸せなのに寂しさを否定できない結末にはならなかったことが嬉しく思われるのだ。

Comments

80年もこんな孤独に耐えてきたハンコック。エンタメ映画でありながら、やっぱりなんだか物悲しいお話でしたね。
ウィル・スミスは本当にいい役者さんになったなあと思います。

あと、広告マンの旦那さんも、本当にアメリカ人か? というようなw善良さで、物語に救いがありました。

ハンコックの人柄を描いた前半はとてもよかったですね!あのはちゃめちゃ感は、もし自分たちが急にヒーローになったとしたら、あの程度にしか活躍!できないだろうと思って。
なぜ自分がヒーローなのか、その理由もわからずただ役を押しつけられているような気分になっている様子が実によく出ていました。シャーリーズ・セロンも楽しんでやっているように見えましたね。レイ役のダンナも現実にはいないような善人ぶり。
でもこういう人を馬鹿にしないだけの良識を持った人間が増えなければならないのだなとも思いました。

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