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新リンク紹介

先日よりお邪魔しているOrganaさんのブログとリンクさせて頂きました。
STARWARS FAN!!
Organa1
徹頭徹尾STARWRSに関する情報で詰まっています。
こちらがブログ、...STARWARS FAN!!...
Organa2

もっぱら毎日こちらへお邪魔しています。 19日~21日にかけて幕張メッセで行われる、スターウォーズ日本公開30周年を記念する一大イベント"Celebration Japan"のロゴが素敵ですね。 連日さまざまな情報が更新されるので、のんびり屋のわたしには、とてもいい刺激剤になってくれます。能動的ファンというのはこういう方だと思います。また一人良いお友達が増えてとても喜んでいます。

Indiana Jones 4

Indiana_jones4先行には間に合わなかったものの、日本公開の今日見てきました。
なにせ情報の広まるのが速いので、ほとんどのインディ4関係の書き込みや映画情報をスルーして、とにかく純粋に楽しんでこようという目論見でしたが……

昨日の(一昨日?)特ダネ!でちらりとラストシーンの是非を問う出口調査を見てしまいました。
ラストシーンは衝撃ではあるものの、賛否両論を醸す物らしい、しかもルーカスに質問していて画面では「×××」と伏せ字で出るのですが、他のパネラーたちが「やっぱりルーカスだからね」とか「ルーカスだからあの最後は当たり前」みたいないい方していましたが、ちっとも持って回ってない、そのものズバリじゃん……とネタが割れてしまってちょっとがっかり。
まあ、気を取り直し、槍が降ろうと何かが飛ぼうと、平気、気にしないと初回興業に出かけてまいりました。

内容についてはまた後ほど(6ヵ月も経ったら話してもOKですよねw)
楽しかった点、首を傾げる点、いろいろありました。
楽しかったのは、前三作のセルフパロディの山!
山といえばパラマウント、どういう山で来るかと思いましたが、マーモットの山とはねえ。可愛かったですね、何度も出てきて。
ハリソンは最初の登場で、確かにああ老けたなあ、と思いましたが、声は老けない、しかも始まれば老けた事を逆手に取ったギャグもあって、ずるずる引きずり込まれてしまいました。それは当然、見る側だって同じだけ歳とってるんですから、老けたインディに共感しちゃいますよね。
一作と同じアングルでの講義の様子とか、今回オファーを断ったヘンリー父をそれとなく出すとか(でも2度は要らなかった?)あらら、ブロディさんも鬼籍にお入りになった……。
シャイア・ラブーフくん、手慣れて大家の風貌が備わってきましたね。あの子もイヌの名前なんだ、ワン
まあ、あっちこっちに前三作で使った台詞をちりばめて、思わずにやにや、でも周囲では誰も笑わない……ちょっと残念。
前作といえば、聖櫃がちら見えしたのはご愛敬でしたね。

多少のふざけすぎは大目に見られるし、パイレーツ2では退屈だったはしゃぎ過ぎ長回し激闘シーンもうんと楽しめたのですが、あの冷蔵庫だけはどうもいただけない。ターザンも、ふん、という感じ。
ケイト姐さんはよかったですね。R音巻きすぎw でも上手だったなあ。美しい人は美しく消える、これ鉄則でしょうね。なんだかスピルバーグ繋がりでClose Encounters of the3rd Kindをありありと思い出してしまいました。

結論、楽しかった。もう一度見るかといわれたらもちろん見ます、DVDも買うでしょう。でも、でも、昔のインディのテイストの方がどちらかというと……好きだったかなあ。

百姓の足坊さんの足

子供のころ買ってもらった世界の童話集の中には、当然の事ながら「日本の童話」の一巻もありました。ところが、当時ギリシア神話に始まってイギリスの童話、ドイツの童話、フランス、中国、インドとバタ臭い外国のお話に夢中になっていた私には、日本の童話というのがどうも野暮ったく、田舎臭いものに感じられて、敬遠してなかなか読みだせませんでした。
結局、かなり後になって読んだのですが、今となってはどんなお話が入っていたのかほとんど覚えていません。ある一つの話を除いては、です。
それが、「百姓の足坊さんの足」という童話です。
なぜ今頃になってふいに思い出したかということはまた後のお話として、まずはこの話のあらすじをかんたんに思い出してみます。

小さな村の百姓の菊次は村の寺の住職の下男のような仕事をしています。ある時、二人は米初穂で寄進の米を頂きに檀家を回りに出かけます。一日廻って、遠くの谷に着いたときに日が暮れ、一軒の家で勧められて酒をごちそうになります。すっかりいい気分になった二人はさらに谷の奥に一軒回り残した家があったのですが、もうやめにして帰ることにします。
山道を越えなければならないので二人は先を急いでいました。すると後ろから呼び声がします。見るとその家のお婆さんがふうふういいながら追いかけてきます。寄進するお米をもって来たのです。ありがたく受け取ったお米でしたが、米を入れる籠が一杯で升のまま籠に載せて歩くうちに、山道でうっかりよろけて地面にぶちまけてしまいます。わっと叫んですくい上げますが土が一杯混ざってしまいます。すると酔った勢いで坊さんがこの米はいらないと米を地面にあけて踏みつけて蹴散らしてしまいます。これでもうわからなくなっただろうと。菊次も思わず足を出していっしょに米を踏みつけてしまいます。
さて、菊次には年老いた母親がいて、いつも母親は米は百姓の命、米を粗末にすると罰(ばち)が当たるといっていました。菊次は母に「この足で米を踏んだけれど罰など当たってない」と豪語すると、母は心配そうに「当たらぬといいがの」と足を見つめます。菊次も意地になって「ちくりとも痛くない」と口にだした途端、足にちくりと痛みが走って、見る見るうちに我慢できないほどの痛みになります。米を踏んだ罰が当たったのです。
どうしても痛みの去らない菊次でしたが、自らを恥じるどころか、坊さんも同罪とばかりに坊さんの様子を窺いに寺に行きます。しかし、立派な袈裟を着て、「一粒の米にも仏様がいらっしゃるからこぼしてはいけない」などと説教を垂れる坊さんの足はちっとも痛んでいる様子もありません。菊次は内心穏やかではありません。同じ米を踏んだのにどうして自分だけ足がこんなに痛まなければならないのかがわからなかったからです。
しかし、やがて菊次ははたと思いあたりました。坊さんはいくら口で米は尊いといっても、自分が土を耕して草を引き額に汗して米を作っているのではありません、一粒の米の中にどれほどの百姓の苦労が込められているのか、実際には知らないのです。それに引き替え百姓の自分は身を以て知っているはずだ、その自分が米を粗末に扱ったから罰が当たったのだということなのです。
菊次は初めて心から申し訳なかったと悔い、天にも地にも、母親にも、米をくれた老婆にも謝ります。すると、足の痛みは消えました。しかし足は萎えたように力が入らず、ぺたりぺたりと引きずって歩かなければなりませんでした。
それでも菊次は痛みの去ったことに感謝して、その後の人生を傲らず謙虚に生きることになります。
さて、年月が流れ、菊次は死にました。奇しくも同じ日に坊さんも一生を終わりました。この世を離れた坊さんは一本道を歩いています。すると前に菊次も歩いているではありませんか。菊次は自分の人生を振り返って、善行などしてこなかった、おまけに米を踏みつけた自分は当然地獄へ行くと思っています。それに引き替え坊さんは立派な衣を纏って仏に仕え、村の衆を導き善行を積んだのだから間違いなく極楽へ行くけるものと思っています。
一本道が二つに分かれ、菊次は足を引きずりながら一方へ、坊さんは他方へ別れて進みます。大分行ってからふと菊次の方を見た坊さんは目を疑います。とぼとぼと道をたどる菊次の姿は後光がさした仏の姿をしているではありませんか。そして、自分の行く先の空は暗く雲がたれ込めています。坊さんは自分の足がちりちりと痛み出しているのに気が付きました。

小学生低学年の時に読んだきりなので、記憶違いがあるかも知れませんが、お話の筋はこんなふうだったと覚えています。
勧善懲悪とか、罰とか、一粒の米にも仏が宿るとか、坊さん、百姓、地獄、極楽、などという言葉や観念が古めかしくて子供心にも「古い話」に思われましたが、何か一笑に付すことができない、読み応えのあるずっしりとした読後感のある話でした。おそらく読者の年齢や性別などに関わらず、読んだ人に同じような素朴な同意を呼び起こす力を持った話であると思います。歳月を経て今もなお筋を覚えているのはそのせいだと思います。
古めかしくても、子供ながらに物を通して人の苦労を思い遣る心が大切であることをしっかり教えてくれた物語だったと思います。
さて、これを書くにあたって検索をかけたら、なんとこの話の作者は「ごんぎつね」「手袋を買いに」「おぢいさんのランプ」などで有名な新美南吉でした。そうか、あの屈折した心の襞をさらりと書き上げ、さらに余韻のある終わり方で締めくくるやり方は新美南吉ならばさもありなんと思われる手腕でした。

どうして何十年も思い出さなかったこの話を今頃になって不意に思い出したのか、種明かしです。
このところ一カ月足が痛かったことは先日の記事にも書いた通りですが、「足が痛い」というのがキーワードになって、私の記憶の中に埋もれていたこの話が意識の上に戻ってきたようです。ちくりと痛む、それが耐え難いほど痛くなる、それなのに原因がわからない、どうもこの辺りかと。
一応、坐骨神経痛と診断はついたものの、痛みがそれで引くわけでもなく、このまま痛みが続けば来月のCJにも行けるかどうか自信が持てなくなりました。何も悪いことしてないのに……みたいに愚痴っていて、ふと思うに、菊次のように実は悪いことをたくさんしているのに気が付いていないだけかも知れないという考えも湧いてきます。だらけた罪、仕事を怠けた罪、家事を母任せにしている罪、知ったかぶりをした罪、口実を理由に運動しなかった罪、それは数え切れないほどの罪が重なって、今日のこの痛みを発現させているのじゃないかと。

こういう妄想はおもしろいものです。もちろん本気で信じているわけではありませんが、それでもばかばかしいと笑い飛ばしてしまえないところに、私にも日本人の土着の感覚がしっかり流れているように感じてしまいます。
物を大切にすると豪語して何が恥ずかしいことがありましょうか。お米の中に八十八人の神様がいると信じても何ら困ることはありません。こういう素朴な信条を、本気で堂々と口に出来なくなったことが、わたしの一番の罪であるのかも知れません。そんなことを思いながら、今一度昔の本を蔵から探し出して読んでみようと思いました。

滅入るメール

昨夜のこと。仕事から戻ってやれやれと、まずはメールチェック……!!!
巡回受信を始めたら、インジケーターがものすごい勢いで動き始めました。
な、な、なによこれ。受信トレイに850通も入っている。表示される件名がすべてリターンメールであることに気が付いて、すぐに受信をシャットダウンしました。
そのままプロバイダーのサイトに行ってメールボックス内にあるメールを全削除してきました。
次ぎにネット遮断してバスターで(これを使ってるので)PC内を全検索。待つことしばし。。。
検索結果は異状なし。わずかにスパイウェアが4件あっただけで、これも処置済み。
リターンメールが来るってことは、うちの本家メアドから多数のメールが送信されたってこと??
一応メールボックスは削除したものの、また入ると面倒なので早速振り分け設定をしましたが、リターンメールの件名がこんなに多岐に渡るとは、今までまともに見てもなかったせいか、気がつきませんでした。
ちなみに……
MAIL DAEMON
mail delivery failure
posting error
returned mail
delivery status notification
delivery report
undeliverable mail
undelivered mail returned to sender
your email to east.com has not been deliverd
mail delivery failed:returning message to sender
please note a new email address and resend your message
よく似たのはまだあったようですが、これらはゴミ箱直行便となりました。
その後、どきどきしながら受信を何度かしました。今朝など、キリル文字のリターンメールが入ってましたが、どうやらやっと収まったようです。まだ時折、一、二通ずつ、思い出したように入ってきますが、それくらいはどうってことないし。。。 しかし、原因は不明──というか、かなり悪質な悪意を感じてしまうのですが。
こういうことが繰り返し起こるならアドレスの取り直しになるかも。
考えただけでも気の滅入る話しでした。