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消えた歌詞

先日TVでさる美女姉妹歌手が懐かしい唱歌を歌う番組がありました。この手の番組は今までも幾度か放映されているので見るともなくBGM代わりに流して聞いていました。
お正月から始まる四季をなぞる歌が流れる中、ある歌を聴いてふと違和感がありました。どうも記憶の中にある歌詞と違うのではないかと思われます。
自分の記憶も曖昧ではありましたが、以前唱歌に興味を持って「日本の唱歌」、このような本を読みあさっていた時期があります。
その折りに、現在は歌われている歌には、もう歌われることも少ない3番、4番、5番……の歌詞があって、歌が思わぬ方向に展開がしたりするのに興味を持ったものです。
今回気づいた歌詞の違いについても、歌われなくなった歌詞と問題の根が同じところにあると思われる節もあります。
具体的に話を進めましょう。

「冬の夜」という唱歌があります。
燈火近く衣縫う母は 春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは 指を折りつつ 日数かぞえて喜び勇む
このような歌詞で始まる冬の夜の一家団欒の様子を描いた素朴な暖かい歌です。PC、TVはおろか、まだラジオとてない昔の田舎、外には雪が積もり長い冬の夜を囲炉裏のはたに家族が集い、母は家族の着物を縫い、父は縄をなう。子供達は父母の話を聞きながら楽しい想像にいっとき寒さを忘れる。今はもう疾うに失われてしまった家族の在り様が飾り気なく歌われ、実際に囲炉裏や縄をなうという行為を体験していないにもかかわらず、私たちに日本のローテク、スローライフが当たり前であった時代への郷愁を掻き立ててくれます。
さて、問題は二番の歌詞です。TVではこのように歌われました。

囲炉裏のはたで縄なう父は過ぎしむかしの思い出語る
居並ぶ子どもはねむさ忘れて耳を傾けこぶしを握る

違うと思ったのは父の話です。私の知っている歌詞では父は昔の戦争の勲を語ったはずでした。子供達は勇ましい父の武勇談に思わずこぶしを握って聞き入っていたはずです。それがなんと父は昔の(楽しい?)思い出を語って居るだけだとは!
そこで調べてみたところ、この歌が作られたのは明治45年(1912年)、恐らく父の語ったのは日清日露の戦争だったのでしょう。昔語りに従軍した話を子供に聞かせるということも日常よくあったことと推察されます。しかし戦後、小学校でこの歌を歌うときには時勢にあわないとの理由で二番の歌詞を変えて歌っているようです。
もう一つ似た例を上げてみましょう。これは歌詞の変更ではなく歌詞の省略という形で現れました。
これも好きな歌の一つです。
「里の秋」と題する歌で、更けゆく秋の夜、母と子が囲炉裏を前に静かに夜を過ごすという、「冬の夜」よりも人数が少ないだけにさらに静けさを増した歌です。

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

これが一番の歌詞ですが、母さんとただ二人というところでなぜお父さんはいないのだろう? という疑問が自然に湧きます。すると続く二番のああ、父さんのあの笑顔……という下りで父は何らかの都合で(出稼ぎか何か?)不在なのだと合理化が働きます。(歌の明朗、清明なメロディから父は死んでいるとは思えないのですね)

結局この歌は父に関する疑問だけが残って煮え切らない終わり方をしてしまいます。
しかし、これも三番の歌詞を見ると疑問が氷解します。父親は出征中だったのです。それも終戦を迎え戦地から日本へ戻る途中であることが暗示されます。母と子は父の無事を祈って更けゆく秋の夜を静かに過ごしているのでした。
確かに三番の歌詞は現在歌えば違和感があるし、時代色が余りに濃いので、ある意味「時代を越えて歌い継がれる日本の歌」としてはふさわしくないと割愛されているのでしょう。しかし、一続きの物語性のある歌詞の一部を割愛することで、歌う人間に割り切れない疑問を残してしまいかねません。

この二つの歌に共通するのはともに戦争を歌っている箇所が、ぼやかされたり割愛されているということです。確かに小学校での音楽の時間に歌ったり、多くの人々が集い懐かしい歌を歌うというような折りに軍歌を歌うことが無いように、唱歌であっても戦争に言及する箇所を歌わないというのは正しい判断であると思います。
しかし、歌わない、変更するという行為が正当であるのと同時に、元の歌詞を保存して記録に残していくのも大切な事だと思うのです。多くの人に歌われ愛されたからこそ、星の数ほどある歌の中から、いま私たちが聞き、歌う歌が残ってきています。それぞれに作られた時代、その時代の人々の暮らし、思いなどを反映しています。都合の悪い部分を削除したり差し替える行為が繰り返されれば、最後に残るのは健康的で人畜無害であっても実になまぬるくつまらないものになってしまいます。
私は戦争を美化するつもりはまったくありませんが、戦争が日常の一部であった時代を否定することはできないことであり、その時代に作られた歌が戦争の影を引きずっているのも致し方無いことです。むしろ、その影が見え隠れすることで歌に現実性と陰翳が生まれてきます。誰もが常に家族の生死という冷徹な現実を背負っていた時代性を、安易に隠し見えなくさせて、ついには風化させてしまう愚行だけは犯してはならないと思うのです。

冬の夜ではありませんが、わたし自身も小さい頃に祖父から戦争中の手柄話を物語として聞いた記憶があります。それは客観敵に戦争の悲惨さ、理不尽さを語るものではなく、祖父が船の上でどのような生活をしていたかを、懐かしんで話してくれたものでした。わたしにとってはずっと以前に亡くなった祖父の貴重な思い出の一つになっています。
何ごとも一面的なものはありません。戦争を美化し高揚するような意図をもったものは極力排除しなければならないと思いますが、個人の思い出や感慨まで一緒くたに葬ってしまうような、許容性のないような行為はいかがな物かと思います。

最後にあっと驚く、よく知っている歌の知られざる一節をご紹介しますね。
妙な話ですが、小学校の頃からよく歌った歌の最後にこのような歌詞があることを知った時にはかなり衝撃でした。しかし、驚くと同時に、その健康優良児的な歌(その健康さゆえに、なにやら胡散臭さまで感じていたのですが)の結末を知って、歌として、ちゃんと完結性を持ち、主張も持っている事に一種安堵感を持ったことも確かです。(内容はこの際おいておいて!)

我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に
煙たなびく苫屋こそ 我がなつかしき住家なれ

この少年は海の側に生まれ、海の気を吸い、渚の音に慣れ親しんで、巧みに櫂を操るようになって逞しい青年に成長します。 そして最後の七番で、日本の外に出かける意気を歌って終わりになります。
どのような終わり方をするか、ですか? コメントに歌詞を引用しておきましたのでご参照下さい。きっと「我は海の子」に対するイメージが変わることと思います。それを是とするか非とするかは、個人の好みということでしょうか。

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「われは海の子」

我は海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびく苫屋こそ
我がなつかしき住家なれ
生まれて潮に浴して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を
吸いてわらべとなりにけり
高く鼻つく磯の香に
不断の花のかおりあり
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽と我は聞く
丈余の櫨櫂操りて
行手定めぬ浪まくら
百尋千尋の海の底
遊びなれたる庭広し

幾年ここに鍛えたる
鉄より堅き腕あり
吹く塩風に黒みたる
肌は赤銅さながらに
浪に漂う氷山も
来らば来れ恐れんや
海まき上ぐる竜巻も
起らば起れ驚かじ

いで大船に乗出して
我は拾わん海の富
いで軍艦に乗組みて
我は護らん海の国

「里の秋」


静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人 
栗の実 煮てます いろりばた
明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります


「冬の夜」


燈火近く衣縫う母は
春の遊びの楽しさ語る  
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞえて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
囲炉裏のはたで縄なう父は    
過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪

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