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愚夫、愚娘とは言わないの?

サイドバーでいつも飛び跳ねているのはリヴリーというネット上の生き物(?)ですが、自称リヴラーというリヴの飼い主は、仲間内では自分のリヴを「うちのこ」と呼んでいます。(付記2010年現在サイドから外してあります)
さて、このリヴ用のブログがあって、そこでは同好の士たちが子褒めイヌ褒めならぬ子褒めリヴ褒めに終始しています。
おなじみさんのブログにお邪魔して、新しいエントリがあると(大抵毎日あります)、その記事が良いと思ったらnice! をクリックしたり、コメントを残したりします。

長くなりましたがここまでが枕です。今日のお題は家族の呼称です。
昨日おともだちのリヴログにお邪魔して、そこのお子さんが大層高い経験値を達成したというので、コメントをしました。
「お宅のお子さんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいです──うちの子に」そう書こうとして、うちの子の代わりに「愚息」……と書いたところで、はたと困りました。うちには息子も娘も(もちろんリヴですよ、この際突っ込まない!)いるのですが、息子の事をよそ様にへりくだっていうと「愚息」(何を好きこのんで、大事な息子を「愚か」というのか、本当はそんなこと夢にも思ってないのですが、一応こういいます)、ところが娘を指す「愚娘」という言葉はありません。
次に思いついたのが「豚児」──でも、これって男女の区別がないのですね。うちの子供を指すときに使う言葉。どうして「豚」なのかって? 聞かないでください、私だって知らない。もしかして豚さんから抗議文が来るかも(いま、一瞬ベイブのイメージがちらつきました)

そこで、家族の他人に対する呼称を考えてみました。ちなみにこれらの言葉は敬語の中では謙譲語に分類されます。
愚妻・愚兄・愚弟・愚妹・愚息とここまではよく目にします。豚児も「荊妻豚児」の後半の転用で、子供に使います。ではどうして愚夫や愚姉・愚娘や愚親がないのかというのは、自然な疑問でしょう。
実は娘を指して愚嬢とか愚女という言葉があったとも聞きますが、今は使われていないようです。なぜでしょうか?
ここからは私の独断ですが、まず謙譲語は聞き手または聞き手以外の第三者を尊敬するために話し手がへり下がり、相対的に相手を高める方法と考えられます。
ですから、拙宅だとか粗茶とか弊社とか自分に関わりのある集団組織それに連なる物を下にさげたり、吟味して選んだ高価なお土産を「つまらない物ですが……」などと平気で言いますが、もちろん実際、実情を表しているわけではありません。むしろ、いいもの、立派な家、高級な品であるほど、天の邪鬼的に卑下して言うことも多々あります。そでほどに自分の行いを卑小化して相手への敬意を表そうということです。
自分の家族の話を他人にするのに、「いやなに、うちのお袋だけど、あいつさ、いい年して、○○に夢中でさ」みたいにわざと乱暴な口調でいうのも、その現れか、単なる照れか、ちょっと判断に苦しむ事もあります。
夫が妻の事を「愚妻」と呼ぶのに(私など、人権無視だとすぐ頭に来ますが)どうして妻は自分の夫を「愚夫」と呼ばないのでしょうか。また自分の親を「愚親」とはいいません、言ってもせいぜい「老父、老母」止まり。
家族の長幼の倫理、伝統的な儒教倫理に則れば、自分よりも年長者を下に見ることは慎まなければならない、妻は夫を蔑むことはできないのであります。例え他人に対してへりくだるとしても、「愚か」とは言えないようです。(いかにダンナよりも妻の学歴の方が上でもw)
わが子、家族を立てるいい方は日本の伝統的な価値観にそぐわないとはいえ、家庭内の伝統的順列を無視することもできない、そこで、折中的な考えが自然に形成されて、妻は夫を「愚か」とは言わず、単に「夫」「宅」または「○○は」という風に名字を使うのが一般的になったのでしょう。

では、今度は娘の問題ですが、「愚娘」がどうして使われないか。これも想像を目一杯に広げた独断ですが、一つ考えられるのは将来嫁ぐ娘を余りに貶めて言うと値打ちが(昔の考え方でいえば、商品価値が)下がるという思いがあったのかも知れません。娘のことを卑下して言ういい方がないか考えてみますと、定型のいい方で、縁談が決まると、「ふつつかな娘ですがよろしくお願いします」のような文言を使います。
(笑い話に、このいい方も古くなって余り使われなくなってきたので、こういうつもりであわてて「ふしだらな娘ですが」と口走ってしまった、なんてのもあります)
余りに「愚かだ」「不細工だ」と外に対して娘をこき下ろさないというのが不文律になっていたのかも知れません。
これならば、まだ歴史を鑑みれば、納得もいくのですが、もう一つの考え方もできます。
つまり、男尊女卑の考え方に凝り固まってしまうと、息子の話は他人にする(それも、先に書いたように実は自慢の裏返しとして話題に乗せる)、しかし娘の方は物の数にも入らないから話題にもならない、話題にしようという意識すらない……もし娘が才色兼備でも、それを言えば自慢になる、かといって、それをアホだ、おかめだと親の口からこき下ろせば、悪い評判が立つかもしれない、などというストッパー心理が働いて、自然に娘に対する謙譲語が消えていったのかも知れません。
もしそうだとすると、なんとも情けない話です。でも、これらも既に過去の逸話になりつつあります。現在これらの言葉が使われる頻度は小さくなっていると思います。単にうちの「息子」「娘」といえば十分ですから。無理に「愚か」だ、「豚」だといわなくても大方は認められるようになってきました。しかし、だからといって自分の子供を「姫」だ「プリンス」だと呼んだりするのも、これまた逆の意味で行きすぎではないかとも思うのです。

古い価値観から生まれた言葉を無批判に使い続けるのもいかがなものかと思う反面、言葉は時間の流れと共にその意味を変えて、たとえば尊称が卑称に(御前、貴様)なったりもします。その逆は余り見あたらないのですが、たとえば他人の奥さん「細君」とよびますが、これは前漢の東方朔の奥さんの名前から来ているといいます。元々自分の妻を呼ぶ「愚妻」と同じ意味で使われていたのに「君」を尊称と感じて、他人の奥さんの意味で「細君」を使ったようです。しかし、これも自分と同等か下位の人の奥さんに対して用いたのであって、上位者の奥さんには使われていないことは確認しておかなければならないでしょう。
「愚息」「豚児」のような言葉は趨勢として消えていく方向にむかっているのかも知れません、私としても積極的に使いたい言葉ではありません。かといって「うちの○○ちゃんに~してあげる」とか、「子供が勉強してくれないんですよ」みたいな言葉を平気で使う親にもなりたくはありませんね。

またもや巡って一年

080106またもや巡り巡って、1月6日がやって来ました。

取り立てていうことでもないのですが、わたしの誕生日です。例年のことですが、ここ二週間くらいの間にクリスマス、年末、お正月と立て込んで行事が続くので、誕生日ころには、もう行事疲れというか、もう何もしなくていいやという気分になってしまいます。
小さい頃もクリスマスのプレゼント、お年玉ともらうことが続くと、子供心に誕生日は前の二つと合わせてもらってるんだと納得していました。実際ケーキだってもう食べたくないし……。

今日も同様で、明日から仕事だし家族で揃って外食にでも行こうかと母が口を切ってくれたのですが、わたしも子供も、もう何にもいらない、うちでごろごろしていたいと、なんとまあ覇気のないこと、もしくは謙虚なこと!
夕食もすき焼きもしゃぶしゃぶもお正月に食べたからもういい、何かあっさりしたもの、そうだ、おろし餅とかおうどんがいいということになりました。

写真は、誕生日だからせめてものお祝いにと母がローソクをたくさん点けてくれました。赤い硝子のキャンドルホルダーはフィンランドへ行ったときに買ってきたイッタラ。この赤色はいくらじっと見ていても飽きない深みを持っています。
そこで止めておけばいいのに、またしても物欲、欲深が頭をもたげて一言──もっと買ってきておけばよかったなあw

今年も一年健康でやりたいことができますようにと、昨年の感謝を込めてこの記事を書きました。

おめでとう特集号

080101a
リヴからも新年のご挨拶を!
リヴ専用ブログからの画像転用ですが、Magazine coverで作ってみた雑誌表紙風画像です。
新春特集号、一月の島、アイテムの特集号ですw
ほんの戯れ言とお笑い下さいね!

明けましておめでとうございます

元旦更新が遅れて、とうとう二日も暗くなってからの更新です。
改めて、みなさま明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
日本海側はしっかり雪が降って、元日早々雪かきの初仕事となりました。
年賀状の追加分も歩いて郵便局までもって行きました。雪国ならば当たり前の冬の日常なのですが、昨年の記録的な雪の少なさの記憶があって、例年よりも大変に感じてしまいます。
うかうかしているうちにもう二日が終わろうとしています。新年だからといって急に生活態度が変わるわけでもないし、いくら新年の決意をしたところで、この怠け癖が抜けるとも思えません。だから、たいそうな決意の代わりに今年は毎日の些細な日常の一こま一こまを丁度ドット画を描くように、ひとつひとつ埋めていこうと思っています。重要に思われるコマも、無意識に繰り返しで行うコマも、生きていく上では等価なものだということに、遅まきながら気が付いたというわけです。
何ごとも億劫がらずに、やるなら一生懸命に、やっていきたいと思います。
辺境ブログですが、こちらに足を延ばしてくださる方々に新年のご挨拶と心からのお礼を申し上げます。

付記 まともなエントリは明日以降に。今年の最初のエントリは、昨年同様に歌にまつわる遍歴、その3を書く予定にしております。