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おおつごもり

071231a毎年お正月の準備を簡素化しています。
簡素化といえば聞こえはいいけれど、とどのつまり手抜きであります。
でも、子供が大きくなってお正月にも帰ってこない、外国にいる、などとそれぞれ個人のスケジュールの方が優先になってきています。
それはそれでいいことだし、何が何でも雁首揃えてお雑煮にお節料理じゃないといけない、お正月の気分にならないというほどこちらの頭も硬化してはいません。
それならいっそのこと省略できることはして、そのかわりゆったりと快適に休みをすごそうじゃないか、とまあ簡単に話が決まりました。
そうなると話は早い、松飾りも省略、鏡餅も小さいのをスーパーで。玄関も写真のように苔球とネズミ尽くしでお茶をにごすことになりました。
写真左から陶器の鈴抱きねずみ、飛騨高山で買った型染めヌイグルミのねずみ、三宝に乗っているのは前のエントリでも紹介した母の手作りの稲穂と俵ねずみ、右に娘がドイツで買ってきたシュタイフのネズミ二匹、のっているのは2008年のロイヤル・コペンハーゲンのイヤープレート、その前に箸置きのねずみ二匹。
掃除も済んだことだし、これから最後に少し買い物に行って今年の締めとしたいと思います。
初雪でしかももう20センチは積もっています。雷もしきりになるし、ネットもしばらく落とさなければ。
今年最後の更新になるか、(もしくは夜にまた書き込みをするかもしれませんが)と思います。
皆様、今年一年いろいろなことがありました。皆様のお力をお借りして数冊の本を出すこともできました。本に対するレビューも有形無形のありがたい励ましとなりました。本当にありがとうございました。
来年が今年に増して皆様にとって素晴らしいお年になりますように心からお祈りいたします。

善き意志と感謝を

Merry Christmas to you all.
クリスマスにまさに相応しい歌をご紹介したいと思います。

THANKFUL
Somedays, we forget to look around us, 
Somedays, we can't see the joy that surrounds us,
So caught up inside ourselves,
We take when we should give,
So for tonight we pray for,
What we know can be,
And on this day we hope for,
What we still can't see,
It's up to us, to be the change,
And even though we all can still do more,
There's so much to be thankful for,

Look beyond ourselves,
There's so much sorrow,
It's way to late to say, I'll cry tomorrow
Each of us must find our truth,
It's so long overdue,
So for tonight we pray for,
What we know can be,
And everyday, we hope for,
What we still can't see,
It's up to us, to be the change,
And even though we all can still do more,
There's so much to be thankful for,

Even with our differences,
There is a place WE'RE all connected,
Each of us can find each others light,

So for tonight, we pray for
What we know can be,
And on this day, we hope for,
What we still can't see,
It's up to us, to be the change,
And even though this world NEEDS so much more
There's so much to be thankful for.

余計な解説はつけない方がいい思われるほど、心に深く染みいる歌詞です。
キリスト教徒ではないわたしにとって、クリスマスキャロルは単なる「歌」として音楽として歌うものであると同時に、歌っている歌詞を考えるれば、自分が似非信仰者になっているような恥ずかしさを覚えることもあります。
しかし、今年買ったクリスマスの一枚のCDにあったこの歌は、宗教を越えて、わたしたちが日常に紛れて忘れてしまいがちな、善き意志と生かされていることへの感謝の念を歌い上げています。
わたしたちは、周囲を見回すことを忘れがちだ、身のまわりにある喜びに目がいかない。自分のことにこだわって、本当ならば与えなければいけないものにまで、しがみついている。
だからせめて今夜こそ、祈ろう、わたしたちがなれるかもしれないものために、そして今日こそ望もう、まだ見ることのできないものを。
すべて私たち次第なのだ、今の自分から一歩踏み出して、何か違いを作れるかどうかは。
たとえ、わたしたち全てが、まだやるべきことはたくさんあっても、わたしたちの周りには、こんなに多くもの感謝すべきものがあるのだから。
自分の枠を越えてものを見よう。世界にはなんと多くの悲しみがあることか。
わたしも明日になったら涙しよう──そんなことでは遅すぎるのだ。
わたしたち一人一人が、自分にとっての真実を見つけなければならない。もっとずっと前にしていなければならなかったことだ。
だからせめて今夜こそ、祈ろう、わたしたちがなれるかもしれないものために、そして今日こそ望もう、まだ見ることのできないものを。
すべて私たち次第なのだ、今の自分から一歩踏み出して、何か違いを作れるかどうかは。
たとえ、わたしたち全てが、まだやるべきことはたくさんあっても、わたしたちの周りには、こんなに多くもの感謝すべきものがあるのだから。
わたしたちはみな違っているけれども、どこかに全ての人が心を一つにできるところがある。ひとりひとりがお互いの善さを見つけることができる。
この世界はまだまだ多くのものを必要としているけれど、それでもわたしたちの周りには、こんなにもたくさんの感謝を捧げるべきものがあるのだ。
中略で簡単に内容を書いてみましたが、ううむ、どうも力不足で原詩の良さが飛んでしまっているようです。
でも、この歌で明日に向かう自信と自分の生き方に対する肯定的な見方ができるような、そういう勇気をもらえた様な気がします。
この歌にめぐり逢えたことをわたしの小さな感謝としましょう。

来年の干支は……

P1000775母が縮緬でネズミを作っています。身内の贔屓じゃないのですが、こういう仕事はまったく苦手な私と違って、うちの母は、染色、織物、トールに縫い物と何でもござれのスーパー・ウーマンでございます。
ここ数日張り切って作っているのが、こちらのねずみちゃんと俵。
しぼ縮緬の白や薄い色がなかなかない、耳にするピンクの縮緬がない……などとぶつぶついいながら、それでも気が付くとなんだかネズミが増殖しています。
白縮緬と、少しネズミ色かかったのは、生藍で染めた薄藍色の縮緬で出来ています。
あとどれくらい作る?ときいたところ、お正月になるまで少しずつつくるとのこと。この調子でいくと、新年には机の上いっぱいにネズミが増える予定です。

クリスマスの12日間──4日目

長らくおつき合い頂きました、You Tube 版「クリスマスの12 日間」も格調の高さを持っておしまいにしたいと思います。
今日ご紹介するのは "Straight No Chaser" のバージョンです。


実に素晴らしい、このハーモニー、このウィット!おしゃれですね
クリスマスの12日間のメロディに挟んで、有名どころのキャロル、クリスマスソング、その他が歌われます。
以下に歌われた曲を列記してみます(抜けているのもあるかな?)

12 days of christmas
Santa clause is coming to town
Here we come a-wassailing
Deck the halls
Carol of the bells
Rudolph the red nosed reindeer
Dreidel-song
Africa (Toto)

実はこれもコメントを探していたら、奇特な方が書き込んでいたものです。幾つか有名どころはすぐにわかりましたが、聞き覚えのない歌も、これで身元がわかりました。
合唱の醍醐味というのは、一人では絶対にできない楽しみ方ができるというところにあるのかも知れませんね。
またまた歌いたくなってきました。

クリスマスの12日間──3日目

さてさて、懲りもせず、またもや行ってみましょう~
YouTubeのクリスマスの12日間のバリエーションです。
今日はまず最初にご覧頂きましょう。



最初に見たとき、お恥ずかしい話しながら半分も聞き取れなかった……。いやはやインド訛りとはわかるものの、ちょっと引いてしまいました。実際にはこんな歌詞です。
一日目
On the first day of Christmas,
my true love gave to me
A totally insufficient dowry

二日目以降はこのように続きます。
Two nosy in-laws
Three buttered chickens
Four Hare Krishnas..... (Is that Indian?)
Five Indian games..... (I want to be the cowboy)
Six IT graduates
Seven-11 workers
Eight Bollywood films
Nine telemarketers..... (Good Evenin.. This is Kaalin jones. Are you waanting greater kaalrits)
Ten-minute yoga..... (Think the lotus, feel the lotus, drive the lotus)
Eleven syllable name..... (PEESARAVANMUTHUDBLEEKVAAS)
Twelve cricket ball tamperers..... (I was simply correcting the stitching)
最後の12回目の歌だけ5日目が Five minutes of fame———5分間だけの名声、になってるところも自虐的ご愛敬でしょうかw

制作はboymongoose、プレスリースタイルで歌っている人です。インドのバンドらしいのですがこの歌の他にもクリスマスキャロルのアジアバージョンをつくっているようです。
この「クリスマスの12日間」、意味不明でもアニメーション自体がとても面白い出来なのですが、一日目のdowry(結納金)はアジアには広く行われている習慣なのに、欧米系の人には馴染みがないのか、You tube のコメントにも、第一日目のdowryとは何のこと? との質問が寄せられていました。おまけに、何いってんのかわからん、みたいなコメントもあって、あららネイティヴでも聞き取れないのなら、それほどへこむ事もないと、元気づけられました。
2日目のin-lawsは義理の両親のこと。
4日目のHare Krishnasはクリシュナ教徒(だからインドの?と聞いている)。
ところが5日目はインドのゲームとインディアンが出てくる西部劇のゲームをかけて、だからカウボーイになりたいといってます。
6日目、インドのIT産業の興隆は目覚ましいものがあります。猫も杓子もIT関連の学部へ進み卒業する?
7日目の7-11(セブン・イレブン)の従業員
8日目ボリウッドはインドで盛況を誇る映画産業、中心地ボンベイとハリウッドにかけてボリウッドと呼びます、内容は歌あり、踊りありの恋愛もの。
9日目、テレフォンセールスのオペレーター、人件費が安く、英語を使うところからアメリカ本土で自国人を使わずに、インドにオペレーションセンターを作って電話回線をこちらに回します。オペレーターはいかにもアメリカ人というような名前で答えます。ここでもカレン・ジョーンズと名のっていますが、メモを見ながらええっとなんて言う名前だっけ、そんな感じで。でもインドアクセント丸出しで笑えます。
10日目、これが秀逸。10分ヨガ。導師はロータス(蓮華)を想え、ロータスを感じよ……とのたもうて、ロータスで去っていきます。
11日目、11音節(シラブル)の名前!いかにもありそう。
12日目、とかくクリケットは試合時間が長い(二種類あるようですが)ちっとも慌てず、中にはこうやって引き延ばす者も? ただ、ボールの縫い目をちゃんとなおしてるだけさ!
なんだか言わずもがなのコメントでしたが、やっぱり歌詞をちゃんと見ると、面白さも倍増するような気がします。
あくは強いけど、なんだか繰り返し見たくなるバージョンでした!

クリスマスの12日間──2日目

さて、今日は昨日に続き「クリスマスの12日間」You Tube傑作選の二日目です。
これはサウスパークのキャラを借りて歌詞はトラディッショナル、ただしアニメーションが秀逸です。
解説もおこがましいのですが、少しだけ。

二日目の turtle doves は、本来はキジバトですが、画面には真面目に(?)亀の鳩。
三日目の French hens は、フランスの鶏──ベレー帽をかぶって、いかにもシックなフランス人の出で立ち。
四日目の calling birds は、さえずる鳥、のはずが電話する(calling)鳥になってますね(実はこれで大笑いした)
五日目の golden rings は、金の指輪のはずが、これはマックにあった?
六日目、七日目……はアイディアがなかったのか、それともこれだけ並ぶとそれだけで面白い?
十日目の lords a leaping は貴族の旦那様が跳ねてる──んじゃなくて、本当に跳んで(飛んで)ますね。
もともとナンセンスなものに、さらにナンセンスの風味を利かせるのは、大変だろうと思いますが、それほどいじくりたくなる歌のようです。
明日はもっと毒の強い(?)のをはってみようかなあ。。。

クリスマスの12日間──1日目

12月の声を聞くと、毎年クリスマスのCDを取り出してきてかけ始めます。 クリスマスの歌は大好き、一年中聞いていてもきっと飽きないで満足できるのではないかと思ったりします。
そして今年こそ歌の歌詞を覚えると意気込むのですが、なかなか。
歌詞をコピーして聞きながら歌うのですが、あっちの歌とこっちの歌がくっついたり、一番と二番が入り交じったり。記憶力に翳りが出てきたのか、単に熱意が足りないのか──後者であることを祈りますが。

思い起こすと最初に自分のお金で買ったLPレコードがクリスマスのレコードだったと、なにやら因縁めいた話になります。かなり以前に持っていたレコードで「アンディ・ウィリアムズのクリスマス」というお気に入りの一枚がありました。現在も復刻版CDが入手できます。その中にあった「クリスマスの12日間」という曲が特に印象に残りました。

原曲は17世紀のイギリスの子供の遊び歌らしくて、輪になってまず一番を順に歌う、次ぎに2番を追加してまた順に歌う……こうやって12番まで延々と歌い続けていく、記憶力と忍耐力の要る遊びの歌であったということです。
こんな感じで始まります。
On the first day of Christmas my true love gave to me
A partridge in a pear tree
クリスマスの一日目に、わたしの愛しい人がくれた
梨の木にとまる山ウズラ

On the second day of Christmas my true love gave to me
Two turtle doves
And a partridge in a pear tree
クリスマスの二日目、わたしの愛しい人がくれた
二羽のキジバトと
梨の木に止まる山ウズラ

On the third day of Christmas my true love gave to me
Three french hens
Two turtle doves
And a partridge in a pear tree
クリスマスの三日目、わたしの愛しい人がくれた
三羽のフランスの鶏と
二羽のキジバトと
梨の木にとまる山ウズラ

と、この調子で四日目、五日目と続き12日目にはこうなります
On the twelfth day of Christmas my true love gave to me
Twelve drummers drumming
Eleven pipers piping
Ten lords a leaping
Nine ladies dancing
Eight maids a milking
Seven swans a swimming
Six geese a laying
Five golden rings
Four calling birds
Three french hens
Two turtle doves
And a partridge in a pear tree
クリスマスの12日目、わたしの愛しい人がくれた
12人の太鼓を叩く鼓手と
11人の笛を吹く男と
10人の飛び跳ねる貴族様と
9人の踊る奥方と
8人の乳搾りの娘と
7羽の泳ぐ白鳥と
6羽の卵を産むガチョウと
5つの金の指輪と
4羽のさえずる鳥と
3羽のフランス雌鳥と
2羽のキジバトと
梨の木にとまる一羽の山ウズラ

単なる数え歌としても面白いのですが、そこはそれ、マザーグースを生みだしたイギリスです。ヘンリー8世がアン・ブーリンとの結婚を巡ってローマ・カトリックと袂を分かってイギリス国教会を設立した歴史事実は有名ですが、その後エリザベス1世が1558年に「統一令」をだしてから実に1829年の「カトリック教解放令」が出るまで、ローマン・カトリックの信者はいわば隠れキリシタンになって公然と信仰告白をすることができなかったということです。
それで、この歌にローマン・カトリックの信仰が暗喩として盛り込まれているという説があります。たとえば「愛しい人」=神、「梨の木にとまる山ウズラ」=木の十字架にかけられたキリスト、「二羽のキジバト」=旧約と新約の両聖書……歴史学、宗教学、民俗学に造詣の深い方には興味深いと思われますが、ばちあたりな無神論者で浅学な私などには、ただ、面白いなあ、ちょいと話の物だねに覚えておこうか、くらいです。

さて、話が大きく逸れてしまいましたが、わたしが初めて聞いたのはアンディウィリアムズのバージョン。上記の宗教がらみの意味を嫌ったのか、贈り物を持ってくるのは「仲のよい友人」に、贈り物も「一つのクリスマス・ツリーと歌」「二個のキャンディー・ステッキ(あの赤白ねじりの千歳飴みたいな)」「三本のヒイラギの枝」というように、クリスマスの楽しいアイテムを次々に持ってきます。
ちなみに他のアイテムは「幸福への願い」「みんなへの贈り物」「宿り木」「守護天使」「金と銀の飾り」「明るく燃えるろうそく」「小さな銀の鈴」「輝く星」「色つき電球」などです。楽しいクリスマスの様子目の前に情景が見えるようでおおいに気に入った理由の一つがここにあります。

この歌を楽しくしている二つ目の理由はその歌い方にあります。
まず歌うには12人メンバーが必要です。それぞれ自分の持ち場というか、持ち日を歌うわけです。ハンドベルの音階をつくるのと似ていますね。一番毎に歌詞が長くなっていって重なって(もちろんハーモニーを作って)歌い続けていくわけです。
冗長にならないように少しずつ歌い方、メロディ、ハーモニーが変えてあり、テンポアップしていきます。そこがまた、スリリングなわけなのです。
ところが、普通に歌うと長くて退屈になってしまう、それでいろいろな工夫を凝らして、人をあっと言わせる趣向を凝らしたバージョンが溢れています。You Tubeでざっと検索しても山ほど出てきます。中には笑いを堪えられないのも幾つか。
まずは、伝統的な歌詞で歌われるものを紹介しましょう。そのあと別バージョンを日替わりで(w)貼っていきたいと思います。

糸杉と傘松の国3

アッシジのジオットと青い山

アッシジ、サン・フランチェスコ教会眠い目をこすりながら、ローマ郊外のフィウチミーノ空港(レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港──近場の人はだれもこう呼ばないそうです)を出たバスは一路北上して、トスカナ州、アッシジへと向かいます。行程180km、おおよそ2時間半の道のりです。
アッシジを訪れるのは私の中では今回の旅行の目的の一つでした。アッシジの聖フランチェスコといえば「清貧」というほど地上の物欲を排した徹底した信仰生活を貫いたといわれているので、物欲の塊のようなわたしが足を踏み入れたら天罰を受けて雷にでも打たれやしないか、と戦々恐々。
アッシジといえば、聖フランチェスコの若い日を描いた「ブラザー・サン・シスター・ムーン」という映画を若い日に観た覚えがあります。その後大学の教養一年の時の英語購読の一つが、P.ギャリコの「スノーグース」という中編で、一冊の本の中にその物語と抱き合わせで「スモール・ミラクル」というもう一つの掌編が入っていました。実はこの「小さな奇蹟」の舞台がこのアッシジ。
物語は実にわかりやすく、アッシジに近い山に住んでいるペピノのという少年とただひとりの家族とであるロバのヴィオレッタの物語です。ヴィオレッタが重い病気にかかったときペピーノは、全ての動物を愛する聖フランチェスコ様ならきっと治してくださる、と一心に信じてロバを連れてはるばるこの聖堂を訪れるのです。ところが、ロバを神聖な納骨場に入れることを許してくれるはずもありません。そこでペピーノはもっと偉い人に頼もうと決心します……
こんなお話で、結局奇蹟が起きるのですが、せっかく買った教科書だから勿体ないと抱き合わせの物語を読んだのが何かの縁か、アッシジという町、教会が記憶に刷り込まれて、一度は見てみたい、訪れたいという気持ちが長年の間に徐々に膨らんでいたのです。
さて、田舎の道をどこまでも走ったあとに目前に現れて来たのが小高い丘──というよりも大きな建物が一つの丘を作っているような感じです。ちょうどフランスのモン・サン・ミッシェルを山の上に持ってきたと言えば表現できるでしょうか。
そこがアッシジのサン・フランチェコ教会。いわば門前町ができているように丘の麓からずっと石の壁、家が続き坂をどんどん上っていった頂上に教会があります。
中にはあのジオットの描いた聖フランチェスコの生涯の連作があります。内部は撮影禁止。これも仕方ないこと。

小鳥に説教する聖フランチェスコ上の教会に28枚の連作、特に有名な「小鳥に説教するフランチェスコ」は 入ったところの頭上にあるはず……ところが、上の教会はミサの途中で入れないとのこと。それで先に下の教会と納骨堂へと進みます。納骨堂は(こういういい方をすると罰当たりですが)異様な雰囲気。まさに岩をくり抜いたという様な地下の大きな洞窟に、ずらりと並んだ祈りを捧げる席、その前に一段と高く岩が聳えて、その上に棺が置いてある(といいます)。われら異教徒もその近くまで行って、実に岩のまわりをぐるりと見物(失礼!)しましたが、結局よくわからず。あれが棺といわれて、息を潜めて眺めてきました。祈りの席にはたくさんの信者が座って一心に祈っている、そこへ観光客が傍若無人にどかどか入って珍しそうにじろじろ見て歩く……なんだか恥ずかしくなって早々に退散しました。やはりじろじろ見るなら壁画や天井画のほうが気兼ねせずにすみます。
下の教会は、その名の通り上の教会の下になっている部分なので天井が低く、その天井いっぱいに絵が描かれているので圧巻です。原画は12世紀、それ以来修復はされているのでしょうが、地下で日光や風雨による退色がないので、実に美しい青が見られました。ここにもジオットの描いたキリストの生涯の天井画があります。中央、左、右と三つの低い丸天井を更に何面にも区切ってびっしりと描かれた絵を目を凝らして見ていると、自分が今21世紀にいることが不思議に思われてきます。圧倒的な岩と石という物質に閉ざされて、この空間だけが12世紀をそのまま留めているような、息詰まる思いでした。
しかしそれも束の間、日本から来た女子高生(ミッション系お嬢学校の修学旅行か?)の群がキャピキャピ入ってきて、うわあと思いました。
ところが、彼女たちといっしょに入ってきたのが、なんとここの教会付属の修道院にいる日本人修道僧の方で、ギャルちゃん達を案内、説明しているのです。フランチェスコ派の茶色のローブを紐で締めて、穏やかな声で私たち物見遊山の他のツーリストにも「こんにちは」と声をかけてくださって、なんだかほっとしたような、またまたこちらが恥ずかしくなる思いでした。
トスカナの青い山暗い照明の中にどこまでも広がる彩色天井画にすっかり圧倒されてぼうっとなってしまいましたが、残酷にも集合時間は待ってくれません。そのまま外に出ると、今度は目の前にトスカナ平原がわっと、それこそ目の届く限りに広がっています。
暗く威圧感すら覚えるほどの教会と、どこまでも明朗に澄み切って明るく広がる大地の展望の対比、人間の想像力の限りを尽くした神の国描写に感激を覚えて、その後で神の創り給うたこの世界、この世界という神の御技を目の前にして、無神論者といえど、この素晴らしい世界に生きている事、生かされていることに、何か心に感じる物がおおいにあったのは、この旅行の第一の成果であったと思います。
なにやら抹香臭い口調になってしまいましたが、それほどに教会からの展望は美しかったのです。そして、はたと気が付きました。今春、ダ・ヴィンチの「受胎告知」(フィレンツェ、ウフィッツィ美術館蔵)が日本に来た時に、この作品について図像学的解釈が広く一般に紹介されました。普通、図像学など、美術史学でもやらない限りお馴染みにはならないのですが(恥ずかしながら、わたしも少しは囓っているので)「受胎告知」に置ける百合、青い衣、ガブリエルの仕草など、聞いていても楽しい物がありました。その折りに、ダ・ヴィンチの遠景の描写について触れられていました。つまり遠いところの物体ほど空気の層が厚くなるので青みがかって見える、それをダ・ヴィンチは応用して遠景の山を青みがかって描いたと。
ルーブルにある「洞窟の聖母」(ダ・ヴィンチ・コードでもお馴染みになりましたよね!)の洞窟から見える遠景の山にもその表現法の著しい例が見られます。
実は、アッシジの教会から望んだトスカナ平原、その向こうに広がる山々──これがまさにその青に見えたのです。日本の山は近くにあって緑に見えますが、かの地の山はうっすらと青く、目と山の間にある大量の空気の層が実感できるかのようでした。
感激して写真を撮りましたが、どれも惨めな失敗作でした。やはり、その場へ行かなければわからない、まさにその言葉は真実でした。
こうして眺望の美しさにうっとりしながら坂を下り、12世紀の小道がまだそのまま残る町の中心からバスに乗って一日目は終わりを告げました。

ロシアって国は……

ロシアっていう国は一筋縄では行かない国だと思っていましたが、やはり……ということがありました。
うちのRayがロシアに行ってしばらくたって、持っていけなかった物を送って欲しいといってきました。以前にも書いたと思いますが、アエロフロートの重量規制が厳しいので、日常品もかなりおいていったからです。
特に部屋が17階から2階に代わったとたんに、地面に近いせいか夜が寒くて眠れないから電気毛布を早急にといわれて、早速荷造りして5kg以内になるように調整して、郵便局でEMSで送りだしました。
それが10月の末日。10日から2週間はかかると覚悟して下さいとパンフにも書いてある、はやく着いて欲しいと願いました。
ところが、いつになっても着いたという連絡メールが来ません。徐々に不安になってきました。というのもロシアへの荷物は100%開けられるから貴重品は入れるなとか、貴重品でなくても荷物が抜かれたなどと物騒な話しも多いからです。
EMSには個別番号が付いていてネットで追跡できるようになっています。それによると、出したその日のうちに県の中央郵便局通過、翌日名古屋の中部国際支店から発送、11月3日にはモスクワの国際交換局に到着しています。ここまでは思ったより順調……ところがそのあとがいけません。
やっと11月10日に通関検査中の表示がでて……そのあとずっといつ検索してもそのままの状態。
いったい何をしているのか、変な物は入ってないのに。Rayの方でも友人に聞くと、通関を過ぎてもまだ4段階くらいハードルがあるらしいとか、この時期は雪も降るしクリスマス近くなってきて荷物の料も増えて、ますます手続きが遅くなると脅かされて居ます。
そして、ついにやっと動きが出ました。通関検査中の下に新しい表示が。
11月30日「差出人に返送」──ええっ? なんじゃ、こりゃ~~~??!!!

どういう訳かまったくわからず。理由も書いてありません。あわてて住所を確認しましたが間違いなし、宛先不明で返送では無さそうです。
中身が悪かったら「没収」されるはず。そもそも大した物ははいっているはずもなし。もしかして「電気毛布」は輸出禁止の精密機器? 「ひとりでごはん」の料理の本は機密書類? 「オイル化粧落とし」は液体ニトロか?お湯を入れると炊きたてご飯になる「乾燥ご飯」が植物検疫に引っかかったのか? そんなことあるわけないでしょう!

帰ってくるまで理由はわかりません、それにしてもモスクワまでいっているのに、わざわざ日本に戻さなくてもちょっと配達してくれればいいのに、と思うのはおかしいのでしょうか? 折しもロシアでは昨日行われた与党圧勝の下院選挙、プーチン大統領はますます足場を固めて、任期満了後もなんらかの形で支配力を保つのではないかといわれています。開かれたロシア、西欧化の進捗、高い経済成長率を誇っていますが、出した荷物が1ヵ月もたって届かないのでは、市民生活の根幹をなすインフラ整備もままならないのかと疑問に思ってしまいます。
とかく遠い国、よくわからない国だったロシアが多少とも身近に感じられ始めたところだったのに、またまた逆行。いったいロシアって国はどうなってるんでしょうね?