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ジェダイですのよ

N_ota映画字幕翻訳者の太田直子さんの新書「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」を楽しく読みました。
書かれている軽い調子とは裏腹に、映画字幕ならではの翻訳の苦心や、苦心が実らない実利主義への苦言、映画を見る大衆の教養程度の低下への嘆きなど、いちいちうなづける箇所ばかり。
もちろん、苦言ばかりではありません。苦手分野でのご自分の失敗談や楽屋裏ネタバレ話など、こちらもまたにやりにやりと、読む顔が崩れるところが大変たくさんありました。
中でも2箇所、考えされられるところ、まさにその通りと共感を覚える所がありました。

まず、いわゆる禁止用語について書かれたところ。
映画字幕のみならず、文字の刊行物には厳しい禁止用語──(PCワードとも言いますね。Political Correctness……政治的に正しいなんて訳が出たために、いまいちわかり難かったのですが、政治家(politician)が公共の場で口にできる言葉という意味だとの解題がついていて、なるほどと膝を打ちました)──があって、理由の如何に関わらず、その言葉を使うのは御法度になっています。
太田さんが引っかかったのは、個人に対する差別感情がなんらない用法での、その手の言葉の使用まで杓子定規にだめと判定する配給会社の姿勢だったといいます。
何度も押し問答の末に、かの大文豪ドストエフスキーの文学作品のタイトルとして定着している言葉をその文学作品を語る際にそのまま用いることを承知させたという体験談には、大変感動しました。これがダメなら他の人に仕事を回してくれとまでいう背水の陣で交渉した結果でした。
しかし、成功しなかった場合にも考えさせられました。
個人への差別ではないと抗議したにもかかわらず、「その言葉を見聞きして、少しでも心に痛みを感じる人がいる限りその言葉は使ってはならない」という上司の言葉には重みがありました。使う側の心構えではなく、あくまで受け取る側の立場に立って考えろという、当たり前ながら、ともすれば自己の正当性を信ずるが故に、鈍感になってしまっている他者への配慮をまず考えるべきだという主張は、わたしたちすべてが肝に銘じなければならないことだと思います。

さて、第二は、キャラクターの設定について。
それこそ、この投稿のタイトルと関連しています。
まず太田さんの著書より簡単にその辺りを。
インドネシアの貧しい家庭、見るからに無学でぐうたらな父親が裕福な少年からもらっきた物を嬉しそうに見る息子に「そんなもんもらうんじゃねえ、さっさと返してきやがれ!」と字幕をつけました。
字幕は英語台本から翻訳して、その後インドネシア語の専門家にチェックしてもらったのですが、専門家から、親は極貧の生活をしていても子供の教育やしつけに熱心だ、このシーンも言葉は乱暴ではなく、言い聞かせるように穏やかな言葉遣いだと指摘されたとあります。つまり、「生活水準が低い=下品・乱暴」というステレオタイプの偏見があったと作者は反省しています。見た目で勝手にキャラクターを設定してしまったというわけです。
人の話している言葉のニュアンスはネイティブでない者にはなかなかわかりません。最低意味を把握するために付する字幕ですが、時には思いがけなく強力な影響力を持っていることが改めて理解させられました。
さらに太田さんは話を進めて、米大リーグやNBAの選手が話している字幕に、その口調とは合っていなくても、決まって「おれは……何とかだぜ!」の様な表現が現れることにも注目しています。まさに偏見、固定観念のなせる技だと。そもそも、なぜ彼の一人称は「おれ」なのか、と。

実はこのあたり、わたしもずっと頭を悩まし続けて来たことで、いまだもって解決策は見いだせていません。
英語では男も女も"I"なのに日本語となると、どの「わたし」を採用するかでその人の性別、年齢、時代物なら身分、教養程度、下手すると人格まで決定していてしまうから厄介です。おまけにどの「わたし」にもそれに従って使う語尾がおおよそ決まってくるのですから、早い話「わたし」が文全体を規定すると言っても言い過ぎではありません。
かといって、テストの英文和訳ならいざ知らず、すべて「わたし」で語尾は「~です」というのはまったく現実的ではありません。変化のあるのが日本語の特質なのですから、それを無視しては生きた日本語になりません。ただ、どの程度に何を採用するか、その匙加減がとても難しいのです。

ちょっと例を一つ。
SWのジェダイといえば最盛期にはオビ=ワンをはじめ、ヨーダ、クワイ=ガン、メイス、アナキン、と上げていけばきりがないのですが、スピンオフ小説には有名どころ以外にもオリジナルのキャラクターが大勢います。特にあるスピンオフシリーズでは女性ジェダイがたくさん活躍します。フェミニズムの現れか、それとも作者が女性だからか、単に登場人物をバラエティに富ませたいからか、その辺りは不明ですが。
もちろん原文では男性ジェダイと女性ジェダイの言葉遣いはまったく差がありません。あるとしたらヨーダ様の逆さま語法くらいでしょうか(笑
ところが、訳す段になると急に女性ジェダイが「~だわ」「~なのよ」「~なのね」と女性語尾を使い出します。ライトセーバーを振るって獅子奮迅の活躍をしたり、高速でスターファイターを操って次々指示を下すのに「~わ、よ、ね」でも無いと思いました。 しかもジェダイは幼少時より聖堂で育ち、男女の差なく同じ教育、訓練を受けてくるのですから、基本的に差は無いと考えられます。ですからジェダイの言葉遣いは基本的に同じであるとしていいのではないか、特に男性原理で動いている女性ジェダイは男性言葉を使ってもいいのではないか、いや女性言葉を使ってはおかしいのではないだろうか……そんな具合に考えて、女性にも「~だ」「~なのだ」とやりましたが……。
問題がいくつか浮上しました。複数のジェダイが出てくるとあまりにも同じ言葉遣いばかりで単調、面白くない、誰が話しているかわからない。最悪、女性らしくない、かわいげがない……orz
そうなんですよ、英語の場合必ず誰が言ったか、少なくとも女性が言ったか男性が言ったか書かれているので問題はないのに、そのまま日本語にすると、やたら「~と言った」が目に付き出します。それも「彼が、彼女が」となるとさらに違和感は増し、かといっていちいち名を使って「○○は言った」としても重たくなります。
結局、適度に女性語尾を足して、かといって使いすぎは、安っぽく作為的になりますから、適度に男性風に言い切りにして。場面も緊迫した急の場面では短く男性的に、心情をかたるような緩の場面では多少なよなよとした風情で女性言葉をつかってもらいます。
すると、今度は性格に一貫性がなくなってきて、この人は一体どういう性格なのか、とわからなくなってきます。日本語が母語である以上、女性は女性の言葉を使わないと、人格まで変わってしまうようなのです。
何度も口に出してみて、こんなことこんな場面では言わないよね~と、ばっさり切ったり、どう見てもへたな芝居の台詞みたいとがっかりしてみたり、いっそのこと「~じゃん」であったり、「~とか」「~みたいな」などという言葉のほうが実際に話されている言葉に近いのではないかと乱暴なことを考えたりして、再考、再考の繰り返しです。

知らず知らずのうちに自分の中にできあがっていく登場人物のキャラクター、それが勝手に口を開いて日本語で話を始める、そうなってくれれば一番いいのですが、それはとりもなおさず英語から日本語へ意味以上の転換を行っている──つまりわたしの好みの恣意的なキャラクター付けが定着しつつあるということなんだと思うと、げに怖ろしき翻訳ではあります。

※このエントリのタイトル「ジェダイですのよ」は星新一さんのショート・ショート「殺し屋ですのよ」から頂きました。これも、殺し屋という職業と女性とのギャップを一言で表している、一度聞いたら忘れられないタイトルです。

Comments

英語に不自由なわたし(コレも変な日本語かw)ですが、映画を観ていると英語ってシンプルで合理的な表現をするなと思うのですが、逆に日本語があいまいすぎるのかも、とも思います。
「のよ」「だわ」とかだけでキャラクターの個性が出てしまう表現は、英語にしたら全くの無個性になってしまい、コメディアンが中国人の真似をするときみたいな単語だけの品のないキャラクターになってしまうかもしれません。
御本を読んでいると苦労されているのがなんとなくわかったりして。

そういえば以前「スター・トレック」の新しい方(といってもピカード船長のやつ)で、乗組員が情熱的になってしまう、という回があって、そのときにピカード船長の口調がまるっきり違っていて、しかも表情も身振りも全部エキサイティングでウェットだったのを見て初めて、ああ、スタトレはSFで未来だから、みんなスマートで感情をあらわにしない演技をしているんだ、とわかったことがありました。
旧シリーズでもウェットなのはカーク船長だけでしたねw
英語の表現はボディ・ランゲージも込みとは聞きましたが、びっくりしました。

確かに英語の表現でもこれは男っぽい、反対にこちらは女性っぽいという言葉遣いはあるようです。どういう語彙を選ぶかとか、文型とか。でも、ぱっと見にはネイティブでない者にはその差がわかりません。
男性、女性のことを話すときに活用がそれぞれ変わる言語はあるようですが、話者の性別で変わる言葉って(おそらくあるんでしょうね、不勉強で知らないだけで)
ただ、英語と日本語の、その点でのギャップが大きいものだから、ニュートラルな透明の水に、青い色やピンクの色を付けているような、かなりやばい感じがするのです。
そうそう、TNGでもありましたね。ピカードがスキップしたりするのw
さすが役者!と微笑ましく見たのを覚えています。
あ、TOSの録画見なきゃ!

英語と日本語の差…私も英語は全然出来ないので、偉いことは言えないのですが、自分のフィーリングにぴったりの字幕、翻訳と出会った時、そう、これだよ!と心がときめきます。
逆にこの人はこんな言葉使わないよ!…とかこんな言い回しするのかなあとか思ってしまうと、特に映画は一瞬ですが我に返ってしまっていかんなーと思ったりします。
スタトレの場合は、逆に日本語で見慣れている為に、英語の方が少し違和感が…。
本人が喋っているに変ですよねえ。(笑)
いろいろご苦労されるとは思いますが、英語が疎い私達のためにも頑張って戴きたいと思います。

TOSは日本語で初めて見たので、今でも日本語版でも抵抗ありません。でもTNGはほとんど字幕版だったので、日本語を話すピカード……なにか違和感があります。
同様にポアロは熊倉一雄さんの声でないとかえってそぐわないような気がするし、今でもNHK海外ドラマはしっかり日本語で楽しんでいます。吹き替えはどんどん流れて行ってしまうので、気にしている暇がないのですが、文字になると末代物で証拠が残ってしまうので、ものすごくやばい!と思っています。

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