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歌にまつわる遍歴 その2

昼休み、教養キャンパスを入るとすぐ左手の片隅、前に桜の木が茂る新徳館という古いクラブボックスから男声合唱が聞こえてくる。
「きのくにぞ はやみなとにつきたり、きのくにぞ はやみなとにつきたり──」
あ、やってるやってる、メンネルだ……

明けましておめでとうございます。
新年に相応しい話題と思いましたが、ずっと以前からいつかは書こうと思っていた「歌にまつわる遍歴、その2」を書くことに決めました。

以前に書いた「木枯らし」と同じく、大学時代の男性合唱にまつわる懐旧の思いです。
重複するかも知れませんが、当時の状況について少し説明を加えておきましょう。

わたしの属していた合唱団は混声、しかし内部で男声だけがメンネル・コールを作って独自に練習していました。これは男声の人数が圧倒的に多かったことも原因の一つですが、男声の方に特に合唱に対する情熱を強く持つ、いわゆるこだわりの団員が多いことがメンネルが自然発生的に練習を始めた原因なのでしょう。

さて、わたしが入部した頃にはもうメンネルは何年もの歴史を持っており、定期演奏会にも1ステージを努めておりました。
当然わたしたち、女声部員もメンネルの練習を耳にすることはありましたが、練習に参加はできません。考えてみればメンネルは男声の聖域だったのかも知れません。
時折耳にする歌の中に、大変気を引かれる歌がいくつかありました。
今ならば、すぐに検索して曲名も歌詞も、時には楽譜そのものも、苦もなく探せるのでしょうが、当時はただ、耳にした歌詞、メロディを手がかりに何かの折りにその歌の「正体」を知るという状態でした。

「紀の国」は最初に心引かれた歌でした。
何しろ最初から高音の凛としたテナーソロで始まります。ちょうど歌詞の中に出てくる水夫が船の舳先で名乗りを上げるようなものです。
まずはそのテナーの朗々とした響きうっとりと鳴ってしまったのですが、実は心引かれたのにはもう一つ訳があるのです。
その歌は小耳に挟む程度にしか聞く機会が無かったので、歌詞の意味がはっきりしなかったのです。しかし、そのどの部分を取っても、懐かしく、雄々しく、凛々しく、優しい、歌詞とメロディでした。
ですから、今にして思えば、敢えて文字の歌詞を調べようとするよりも、歌詞から想像というか、妄想に近い程にいろいろと、ああだろうか、こうだろうかそれほど深くも考えずに雰囲気を楽しんでいたところもあるようです。

きのくにぞ はや みなとに つきたり
ふねのおじ かたみに よびかけ
うっとりと ひとみつかれて ちちに てをひかれし ここち
いぬの さきひく くるまも あれば うみのべ こうじのみ ひかりて
そのえだの たわわなるした かいくぐり かいくぐりてゆく

紀の国、舟というと紀伊国屋文左衛門とか連想が働いて、紀の国に白帆を揚げた舟が着くところと、紀の国から蜜柑舟が江戸に着くところの重なったイメージがまず湧きます。

同じくメンネルで「市場所見」という別の歌があり、「あれは紀の国、蜜柑船……」という歌詞も耳にしていたので、またまた連想が広がりました)

ふねのおじ……小父、伯父、叔父。 あとに父が出てくるのでもしかしたら肉親の叔父、伯父かも知ないし、水夫、水主と呼ばれる舟を操る男達のことかもしれません。

うっとりと、眸疲れて、眸憑かれて、人見疲れて?
「わたし」は子供でその昔、父に手を引かれて歩んだ時を思い出しているのでしょうか。
めまぐるしく動き回る人々、車、犬も啼き、喧噪がわき起こります。子供の目は見慣れない活気に満ちた人々の姿に、ぼうっとなって熱に浮かされたように夢見心地に感じていたのかも知れません。
すると、人見疲れて、でもいいようにも思えてきます。

海の辺、ここは分かっても、「こうじのみ」、少し考えれば紀の国なのですから当然蜜柑を表す「柑子の実」だと連想できるはずでした。決定的には旧かな文字で歌詞を読めば「かうじのみ」であるので、「小路」とはまちがえようもないのですが。
ところが、こんな経験はありませんか? 
バスや車で海の方に向かう……もうすぐ海が見える、弾けそうな子供の目を最初に捉えたのは、家々の間の細い坂になった小路からちらりと見えた海!
わたしの原体験では海はそういう形で常に現れて来たので、この歌も最初の印象が「小路のみ、光りて」になってしまったのです。まばゆい海と対照的に暗く影になった家々。まさに小路からのぞく海だけが光っているのです。
ところが、歌詞の最後「ゆずり葉」という言葉があるために、「その枝」が現れても唐突に感じていません。何度も聞くことで全体の言葉が前後を無視して混然としたイメージを作っているので、「その」と指示代名詞がついていても「柑子」よりも「小路」の印象が拭えないのです。

歌の中盤です。
「きのくにぞ あらぶるうみのくにぞ   ながちちのうまれしところぞ」
ちちゆいて きょうのひもおもう  おさなごの あこをいだきて
そがちいさきものの ゆめにもかよえ そがちいさきものの ゆめにもかよえ
あらぶるうみのくには  あらぶるうみのくには  わがためには ちちのくに 
ながためには おお ちちのくに

ふうむ、どうも「わたし」は大人で子供時代の回想を交えているらしい。そが小さき者というのは「幼子の吾子」のことだから「ながちち」とは「汝の父」すなわち自分の事なのだなあ、と感じ始めます。
自分の父が亡くなった今になって父の心がわかるような気がする──いま幼児の自分の子を抱いて故郷の紀の国に戻ってきたところだ。

ところが、またまた大きな疑問が残りました。
「わがためには父の国」はいいとして、「汝がためには、おお、父の国」の件です。
最大の疑問はどうして「汝がためにも」になっていないんだろう、ということでした。
こうやって文字にしてしまうと、その当時感じた不思議な感覚を再現することは難しいのですが、とにかく、大まかな舞台背景は解るのに肝心の感情が最高潮になっていく箇所に疑問が残るのですから、何とも消化不良感は免れません。
文字を読めば一目瞭然なのですが、「わがためには父の国、汝がためには祖父(おおちち)の国 」なのです。ところが耳で聞いていると、「おお」が間投詞に聞こえてしまったので、自分に取っても父なる国、おまえに取っても父なる国だ、というように勝手に解釈してしまったわけでした。

最後の部分です。
そがひとのみはかかざる  ゆずりばのみどりのくにぞと
きのくにぞあらぶるうみのくにぞ きのくにぞ

「そがひとのみはかかざる」この件、実は聞き逃していた箇所でした。最高潮に達する「父の国」と次の「ゆずりばのみどりのくに」の瑞々しいイメージの谷間にあって、ふと気を抜いて聞き逃していた箇所でした
それで深くも考えず「そが人の見果てぬ夢」というふうな勝手な思いこみをしていたようです。父に対する懐旧の情と、いまだ若くして夢の実現を果たせぬうちに世を去った父への思いが込められているとの思いこみでした。
そして、一枚新しい葉が出ると古い葉が落ちるという「ゆずり葉」──お正月の鏡飾りにもホンダワラとともにゆずり葉が柚の下にありますが──父から子へ、子から孫へと続く血脈を思い、自分も永々と続く血脈の一部を作る者である、確かな自信と、父と同じ年代になった今となって持つことのできる父への共感と同情、そして抱いている我が子への限りない愛。
この歌詞が、津村信夫の詩集「父のゐる庭」から取られていることも知らず、ただ、耳にしたどこか懐かしい民謡を思わせるメロディと、上に書いたような不可思議なイメージをどこまでも膨らませてくれる歌詞に魅せられ、またそれが、望んでも足を踏み入れることのできない男性合唱の世界であったこと、それらの憧憬があいまって、後になって文字で「父のゐる庭」を読み、今までの疑問が氷解したあとになっても、この歌を聴き、また心の中で歌うときに、不思議にもさまざまな重層した思いがこみ上げてくるのです。
ゆずり葉と正月には欠かせない蜜柑の二つのイメージから、私の中ではこの歌はまことにお正月に相応しい歌という位置をしめているのです。

以下に、漢字交じりで歌詞を載せておきます

Ⅳ  紀の国

「紀の国ぞはや 湊につきたり」 
舟のおじかたみに呼びかけ
うっとりと眸疲れ父に手をひかれし心地
犬の先曳く車もあれば  海の辺 柑子の実光りて
その枝のたわわなる下かいくぐりかいくぐりてゆく

「紀の国ぞあらぶる海の国ぞ  汝が父の生れし処ぞ」
父逝いて今日の日も想う  幼児の吾児を抱きて
そが小さき者の夢にも通え

あらぶる海の国は  わがためには父の国
汝がためには祖父の国  そが人の御墓かざる
ゆずり葉のみどりの国ぞと

紀の国ぞあらぶる海の国ぞ  
紀の国ぞ

Comments

大変遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
昨日はリヴの方へ今日はやっとこちらにやって来る事が出来ました。
年頭から寝込み、なかなかご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした。
ブログへのコメントどうも有り難うございました。
記事の歌詞…むずかしくて私にはよくわからないのですが、
なんだか諸星大二郎先生の世界を思い出してしまいました。
何かこの歌詞から先生が漫画を描いたら面白い物が描けそうな気がしたりなんかして…。(笑)

>マクノスケさん

おめでとうございます。お正月早々お具合が悪かったそうで、大変でしたね。
どうぞ御身お大事に。

そうそう、この歌にまつわる思いは、まったくのわたしの一人語りで、胸の中に仕舞っておくべきものだったかも知れませんが、一度は形にしたいと思っていたものです。その割に、支離滅裂ではありますがw
多分男性合唱をやったことのある人なら、あああれ、と言うくらいに有名な曲なのですが、女性には謎の多い曲だったのです(笑
一度耳にすると忘れられない名曲です。
もう一曲「早春」という歌もあるのですが、そのうち機が熟したら書くかも知れません。

どうぞ今年もよろしくお願い致します。

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