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かくてこぞもいぬめり。。

紅白も終わって行く年来る年、例年のしきたりみたいにTVから流れています。
今年もいろいろありました。
来年もまた楽しく有意義な年でありますように。
自分一人で生きていけるわけもなく、それをやっとこのごろ分かるようになってきました。

さて来年もたくさん本を読んで映画を観て音楽を聴いて、精力的に動けますように。
みなさまにとって来る年が佳いお年でありますように。

とっても気になったこと

重箱の隅を突っつくつもりはないのですが、TVを見ていてとても気になったことがふたつ。

その1
25,26日の○ジテレビで全日本フィギュアスケート大会が中継放送されました。ところがその最初のタイトル・・・あっと目を疑った文字が。 

"GOD BRESS YOU "・・・・・・・・・・・・ってもしかして GOD BLESS YOU のこと?

まさかのまさかですが、これは全くのスペルミスですよね。だって bress なんてないもの。
ちょうどクリスマス、クリスチャンではないけれど神様の祝福がありますようにと、オープニングに雰囲気で畏れ多くも神様を引き合いに出すのもどうかと思いますが。それこそクリスマスだから神様も普段、信心の薄い者でも大目に見てくださるかもしれませんが、それにしてもスペルミスはちょっとお粗末でした。

その2

これは全くの聞き違いかも知れませんが、一度ならず聞いてひっかかったので書いておきます。
○ショ○ルの強制排気式温風ヒーターの欠陥で死亡事故までおきて今メーカーは製品を回収すべく必死です。数あるコマーシャルも「重要なお知らせ」のリコールの呼びかけに代わっています。
ところがその丁寧なお知らせの言葉の中に気になる一点。

普通車のリコールなどでも「199×年製の○△(製品名)にこれこれの欠陥があります」という具合に報告するのですが、それが「13年も前に製造された温風ヒーターに・・・・・・」と聞こえるのです。
きになるのが助詞の「も」。悪く解釈すれば13年も昔の製品だから当時としては最先端の技術だったけれど今となれば時代遅れも仕方がないとか、13年も昔の製品を使っているからもう不都合が起きても仕方がない、というようなニュアンスを感じてしまうのです。
だからといってメーカーが責任逃れをしているとか言うつもりは全くないし誠心誠意回収に勤めようとしているのはよく伝わってきますが、なんだかその一つの「も」がすごく気になってしまいます。

もしかしたら「も」が入っているというのはわたしの聞き違いかも知れません、だったらこの批判は全くの筋違いになってしまいますが。でもなんだかお知らせ全体からこの「も」的なニュアンスを感じてしまうのはどうしてでしょうか。機会があったら聞き耳を立ててみてくださいな。

ホワイト・クリスマス

White_leace_bg_01 まさに字のごとくホワイト・クリスマスになりました。
家の周りにはしっかり雪の山、毎日水を出して小穴が開いた「消雪ホース」なるものを使って捨てるところのない雪を消しています。
これは雪の降らない地方の人にはわからない苦労。
今も「雪起こし」の雷が突如として大音響を轟かせています。
日中の晴れ間を逃さじと雪山を崩す人、これ以上降ると危ないと、早々と屋根の雪下ろしをする人。
雪国の冬は天からの恵みならぬ天からの厄介者に皆が振り回されるといったところ。確かにクリスマスもお正月もあったものではありません。。。

ホワイト・クリスマスがロマンティックなのは、そうですね、ほとんど雪が降らない地方で当日ちらちら淡雪が降る、そういう状況か、もしくはもっと雪の深い北欧のように、辺り一面、雪以外は何もない──こうなればもう必死に除雪する必要もなくなって雪があって当然の生活様式になる、そういうところでしみじみとクリスマスを過ごすときだと思うのですよ。

中途半端に雪が降ると、雪のないときと同じ日常生活をなんとか送ろうとするために必死で道路の雪を消して車庫からくるまが出るようにして、お隣ご近所と足並み揃えて除雪をする、まさに今のわがやの置かれている状況そのものになります。

今年のクリスマスは思いついて今訳しているのと違う本を1章だけ訳してみました。こちらの方が少し文章が難しく年長向きになっていますね。

年賀状もまだ手が付けていません。またまた旅行の写真を転用しようと考えていますが。。。
今日の画像はQueen's Free Worldから拝借しました。あまりにきれいなので、せめてここだけでもクリスマス気分に浸りたいと思って。

晩秋の欧羅巴 第四日目 1

switzerland.jpg

ドイツとフランスの間に1日挟んだスイス。
この日だけは何が何でも晴れて貰わなければならない日でした・・・・・・しかし、到着した前日夜半からなにやら雨音のような物音がし始めました。
そして翌朝、あちゃー雨です。それもしっかりと降っています。これではユングフラウ頂上からの眺望は望めませんが、パック旅行の哀しさで雨が降ろうが槍が降ろうが日程には従わなければなりません。
添乗員のM君が「晴れ男の運を使い果たしてしまいましてすみません」と恐縮する中、登山電車のインターラーケン駅へ向かいました。
登山電車は黄色と青のどこか素朴さを感じさせる小さな電車。軌道は狭軌なのですが中央に歯車式の第3のレールがついていて、これが車体下のギアとしっかり咬み合って驚異的な上がり勾配の運転を可能にしているのだそうです。その写真も撮ったのに急いでいたので残念ながらぶれていました。
車内は暖かく快適、終点ユングフラウヨッホは3454mの高みにあってそこまで50分余かけてゆっくり登っていきます。しかし路線の80%は山の岩盤の中を通るので雄大な眺めが楽しめるのは下の方の乗換駅と5分間ずつ停車する2つの途中駅のみ。
列車は頼もしい震動と共に出発します。最初のうちは周囲に人家がたくさん望めます。冒頭の写真は山肌に散在する人家です。どれもこの地方特有の濃い色の梁と白壁の対比が美しい堅実な作りです。

switzerland2.jpg

さて、登り初めてすぐに遙かに雄大なU字谷が見えてきました。谷の奥まで見通せないだけにどれほどの大きさがあるのか想像もできません。晴れていたらどれほどきれいに見えただろうと思うだけに残念でなりませんでした。
最初の乗換駅クライネシャイデックでは複線になった隣のトラックに下りの電車が入っていました。そこには学校へ通う小学生達が。もっと上の方から麓の町まで登山電車で通学しているのです。登山電車は観光客だけの物ではなくてしっかり地域の生活に密着しているのですね。可愛い子供達で手を振ったら恥ずかしそうに振り返してくれました。(おばさんはこういう国際交流がだいすきなのですよ!)

登るにつれて当然の事ながら雨は雪に変わってきました。すぐに辺り一面真っ白になっていきます。ツアーのメンバーの中には九州から来られた方もいます。その方々は雪だ雪だと喜んで居られましたが、残念ながら"雪なんて見たくもない"地方出身のわたしや友人は、ここまで来て雪なんて、と苦笑いのみ。

途中の二か所の停車駅はまさに岩に堀抜かれた大きな洞窟、または鉱山の採掘場という感じ。岩盤の一部を大きく切り抜いてガラスを嵌めてあるのでそこから景観が楽しめるのですが、この日はまったくの視界ゼロ状態。乳白色の渦巻く霧しか見えませんでした。空気はつんと冷たく早く電車に駆け戻りたくなりました。

車内では外を見る楽しみがない分車内のTVで登山電車建設の歴史や電車の路線がどのように岩盤の中を走っているかを3D画像で見せてくれたり退屈しないようになっています。解説の言語も独、仏、英、中そして日本語が順に入ります。日本人が如何にたくさん訪れているか、ですよね。

そうこうしているうちに遂に終点ユングフラウヨッホ、"The top of Europe"に到着。暫く岩の通路を辿ったところにガラス張りのラウンジがあります。そこから更に高速エレベーターでスフィンクス展望台へ。
1時間かけて徐々に上昇してきたのに、寝不足の時のように少し頭がぼうっとして心なしか深呼吸をしたくなる感じです。まあこれは、高所でそういった症状が出るかもしれないと注意されて却って神経質になっていて感じた幻覚かも知れませんがw

雨雪は低層雲のしわざだったのか、上では雪も晴れて外部展望台へ出ることができました。
雲の切れ間からメンヒの頂上も見られました。氷河の一部も見えるのですがなにせ対比する物がない雄大な景色で写真を撮ろうにもどの部分を撮っても不十分、結局諦めました。
外気温-6℃とそれほど寒くもなく一足早い冬を体感しました。晴れならば彼方フランスやイタリアの一部まで見えると聞かされて、また機会があったら是非もっといい季節にまた来ようと心に決めました。

下のラウンジでは、ここに来たら絶対味わいたい名物の"ホットチョコレート"。甘かった。ほとんど飲んでから、しまった写真撮るのを忘れました。
帰りの電車は下の方のグリュンデルヴァルト駅下車。この町は今年夏の記録的な高温のために起きた水害で一時孤立してしまった町です。今でも川の流れの中にはそのとき流された大岩が転がっていたり決壊した川岸がまだ修復中だったりで、被災地を観光中なんだといささか浮かれ気分を恥ずかしく思ったものでした。

SAYURI──ある芸者の回想録

mog.jpg

楽しんできました。
スピルバーグが映画化を発表してから数年紆余曲折を経てやっとこうして観客の前に姿を現しました。残念ながら原作を読んでないので比較はできませんが、丁寧に作ってあるという印象を持ちました。
こうして形を取るまでに時間がかかって却ってよかったと思うのは、ラスト・サムライの成功で謙さんがすんなり主要キャラに選ばれ、その他の日本人俳優もそれなりの真価を認められてキャスティングに選ばれたことでしょう。もしかして数年前だったら全て英語の話せる中国系や日本人2世、3世の俳優さんで占められていたかも知れません。
主役さゆりの座を日本人女優がオーディションで獲得できなかったのは仕方ないことかもしれません。ロブ・マーシャル監督によれば、日本人女優の中にも一面に秀でている人はいたが、演技・言語・舞踊など全てに及第点を出せる人はいなかったと。チャン・ツィーイーが全てで最高のキャスティングだったと言っています。
プレビューで見た扇子くるくるの日舞や演舞場の花道を走る創作日舞に??と疑問だったり、日本人で青みがかったグレイの目を持っている人なんて生まれないよね、とか、もしそういった明らかに容姿が人と違っていたら、絶対に旧弊なほどに因習的な芸妓の世界には入れない、などと設定自体に疑問を持ったりもしていましたが、映画を観て納得しました。

あの話はファンタジィなのです。限りなく日本的で日本の芸者の世界を描いていますが、リアルの世界とは一線を画した世界なのです。
そこでは英語と日本語が共存して舞台は京都でなく「みやこ」で半玉さんは桃割れを結わないし芸者さんも島田髷を結わない、それでもOK。外出時に下駄を履いても裾からげしないで引きずったり、神社で鰐口を鳴らすと、お寺の鐘の音がしてもOK。
ロブ・マーシャルが作ったSAYURIの世界はそれ自体で完結している世界なので実際のリアリティを求めて、または実際の時代考証との矛盾をもとに批判すること自体、この映画の見方としては的はずれであるような気がします。いかに日本文化を間違いなく描くかということよりも、いかに世界の市場で映画を売るかに的を絞ったのだと思います。

極貧から女衒に売られた少女が花街の下働きになり、肉親と永別して肉体的に精神的に陰湿ないじめを受けながら、徐々に美しい蕾として開花を始める。優しく声をかけてくれた父性を感じさせる男性への思いと憧れが次第に浄化されてそのために生きる目的になり、実際に再会してからは叶わぬ恋の対照となる──その一途な思いを縦糸に、芸者として一本になる過程で朋友と別れ、自分を引き立ててくれる先輩たちの女の争いの駒としていいように動かされ、自分のあずかり知らないところで自分の身が売買されていく、それを定めと諦めて、許される範囲で最高の身の処し方をしていこうとする、健気な女性の姿が横糸に、大きな美しい作品が織られていくようです。

耽美的な画面が多いので、すさまじいほどに雨が降っても、子供が柳の鞭で打ち据えられても、嫉妬に狂った年上の女と乱闘になっても、見ている者の気持ちまで荒んでしまうようなむごいリアリティはありません。そこがファンタジィたるゆえん。
同じ芸者の世界を描いた五社監督の「陽暉楼」のような凄まじさはありません、この映画も忘れられない作品ですが、女の世界の凄さ、哀れさ、惨めさに見終わった後に心が痩せてしまうような気分になります。

SAYURIは気を揉まされますが最後はハッピーエンド、ずっと思い続けていた初恋の男性に、相手も自分の事を心に大切に思っていくれていたことがわかって結ばれるという、見ている方の心まで和やかにほんのりと嬉しさを掻き立ててくれる結末にするという思い切った決断をしまし
た。これがまさにファンタジィであるという所以です。

中途半端にリアリティを追求しなかったところにこの映画の真骨頂があるのかも知れません。
そこが純粋に割り切ってこの耽美的世界を楽しめた理由なのかも知れません。

最後に音楽ですが、イントロで尺八が流れた時には、嗚呼さすがのジョン爺でも尺八に太鼓というパターンから逃れなかったのか。。。と思ったのですが、意外とこれ確信犯かもしれない。
ラスト・サムライ以来尺八+和太鼓音が、無条件で日本を連想させる市民権を得たのかも知れません。
劇中ではヨー・ヨー・マの奏でるチェロ、イザック・パールマンのバイオリンの流れが、しめやかに細やかな情緒を醸し、太鼓のリズムによって快活で明るいエネルギーに観客も巻き込まれ、さすがに音楽のもつ力を十分に発揮した素晴らしいものだったと感じました。

似而非なるもの

まずこの一節を読んでみてください。

ソースはこの文章を分析したケンブリッジのMatt Davis氏のページから

Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn't mttaer in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be a toatl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.

どうでした? 読み始めて、あれスペルミスしてるよと思いましたか? それとも違和感を持ちながらも何となく読んでしまいましたか?
読み出すとなるほど、そういうことかとわかります。

──つまり単語の中で最初と最後の文字が間違いなくその場にあれば残りの文字の順番はがちゃがちゃになっていてもちゃんと読めるというもの。人間が文章を読むときには逐語的に一文字一文字読んでいるのではなくて単語を全体として捉えているのだと。こういう文字組み替えを"jumble"といいます。

Matt Davis氏のサイトへ行くとスペイン語、フランス語、ドイツ語、デンマーク語、チェコ語、アイスランド語、ポルトガル語、スウェーデン語、インドネシア語、ロシア語、アラビア語、ハンガリー語、イタリア語、ゲーリック語、ポーランド語の各バージョンが報告されているとのことです。

更にDavis氏はこの文字組み替えについていくつかのルールを解明しています。
たとえば、2,3文字の短い言葉は変更しない。
機能語(the, be, and, youなど)も置換しない。そうすれば文法構造が保たれて次にくる言葉を予測しやすくなる。
文字の入れ替えを行うときには隣接の文字で行う方が読みやすい。たとえばprpblemに対してporblemは読みやすいがpborlemは読みにくい。パソコン画面でも人は外側の文字の方が内側の文字よりも認識しやすい。つまり外側の文字の方が隣接文字でも混同が少ない。
もう一つ大事な事は、組み替えた単語が他の既存の単語にならないようにすること。また、もとの言葉の音を保持していること。なぜなら音が読むという行為をサポートしているから。たとえ意味だけを取って読んでいても音に依るところが大であるから。
それに文章が理にかなっていて内容が十分予測可能であること。たとえ読む言葉からの情報が少なくても後続にどのような言葉が来るか推測できること。人の話がよく聞こえなくてもその文脈で何を話しているかわかるように書かれた文章にもこれは当てはまるということ。

その他にもいろいろ心理学的な検証などしているのですが、おおよそ面白いのはここまでです。

とある国立外語大の言語教育論の授業で学生に渡された紙には故意にミススペリングを含んだ文章が書いてありました。しかし音読するように言われた学生達は例外なくjumble語ではなくて間違いのない文章を読んだということです。
ある一定以上の水準に達している言語学習者は単語の最初と最後を瞬時に読みとって文脈に照らしてその言葉を推測して読んでいく、だから読む速度も速くなるという事を実験的に明らかにしたということですね。

わたしの経験でも、たとえばthough, through, thought, thorough をなかなか判別できない学生がいるのを知っています。
音読する段になるとそこで間違えるか、ぴたりと止まって一文字ずつ確認して読む。そんなときにはとっておきの方法を教えます。
まず全体を見て一番短いのが though
真ん中に"r"が見えたら through
最初と最後に"t"があったら thought
長くて"o"が中央に二つあったら thorough それにこれは thoroughly になって出てくることが多い

かなり微妙で感覚的だなあと思っていましたが、どうしてなかなか理に適っているでしょ? あ、もちろん意味を考えながら読まないといけないのは言うまでも無いことですが。
他にもこういう禁じ手がいくつかあるんですが、自分が効率よく読む分には構いませんよね。

さて、アルファベットを使った孤立語系の言語で作ったjumble、これを日本語で応用できないものか考えてみました。しかし日本語のような膠着語では明確に単語を区切らないので、まず同じ方法は使えません。
また、漢字はそのものを形態(ゲシュタルト)として認識してしまうので、異なった文字を使えば、たちどころに「違う」事に気が付きますし、更に違う文字は違う意味を担うので文意が変わってしまう恐れがあります。

たまに「米日関係」と書いてあっても「日米関係」と読んでしまうのはあくまでも意味を頭の中で拾って勝手に読み違いをしてしまうからでしょうか。
面白い例に「日ロ(にちろ)関係」になると「日口(にちくち)関係」とは読まないんですね。「にちくち」という言葉が存在しないからだろうと思います。

たとえば──
多くの人に入ってもらう → 大くの入に人ってもらう 

この2文は明らかに異なりしかも置換後は意味不明になってしまいます。

jumbleはちょっと考えても無理なので、意味を担わないひらがな表記のみにして、明らかにエラーの文でありながら読むことが可能で意味が了解できる文を作ってみようと試みましたが。。。

たんぼのなかにんじんがありのすはじめんふかくものすもある。
くものうえんとつからけむりのびたはらっぱふいてんどんうまいぬもあるけばんちょうさらやしき

そうそう簡単にはいきませんね(笑
大事なのがただ音で繋げるだけでなく言葉のひとかたまりの意味を保持しなければいけないこと。余り短い言葉を繋げると意味を保持できなくなることetc.

ここでで思い出したのが、学生時代に歌ったしりとり歌。

「正直じいさんポチ連れてきは幾万ありとてももから生まれたもしもしからすがかあかあ鳩ぽっぽーっぽぽっっぽと飛んで遊べらんめえでこんちくしょうでやっつけろ、皐月は鯉の吹き流し、なんて間がいいんでしょうじきじいさん・・・・・・」
こうやって循環ループに入ります。

歌の一節ずつを最後の言葉で連結して、意味のまとまりは無くさないでおいたあたりが成功の元だと思います。

日本語でのjumble文が作れるかどうか、もう少し頭を捻って考えてみたいと思います。

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冬バージョン

昨日初霰初雪が降っていよいよ12月の到来、冬の訪れを実感しました。
秋の木の葉バージョンを終了して冬バージョンに衣替えです。
タイトルバナーの背景は「しろくろねこの家」さんから頂きました。
寒々しくならないようにクリスマスカラーでにぎやかにしています(つもりだけかも?)

晩秋の欧羅巴 第三日目 3

副題 だれも知らなかったスイス

ワーレン湖

ノイシュヴァンシュタイン城を後にして昼食となり、小さなレストランに入りました。そこそこのお値段のパック旅行では食事に文句は付けられません。どんな物が出てきても、それなりに楽しめると割り切って行かなければなりませんものね。 
ところが、この昼食は思いもかけないお楽しみがありました。グリューワインが飲めたのです。
Glüwein、ホットワインとも呼ばれていますが、赤ワインにレモン、シナモン、グローブ、などのスパイス、オレンジピール、蜂蜜などを入れて温かく熱したワインです。ドイツではよくクリスマス前の夜市などで売られているようですが、添乗員のMくんが気を利かせて出してもらえるか聞いてくれたようです。
耐熱ガラスのコップに入って出てきたグリューワインの美味しかったこと!
適度にアルコールが抜けているので甘くて飲みやすくて。。。飲んだ後は体がほこほこしてきて、なるほど寒い夜に外を歩くときに一杯引っかけるのに最高なんだと深く納得。

バスは一路ドイツからスイスを目指してひた走ります。途中で道がオーストリアへ入るのですが、同じEUなので一枚の標識と簡単なモニュメントであっけなく国境通過、バスは速度を緩めもしませんでした。
そのまま今度はスイスへ入国。
ところがスイスはEUに加入していないのでここは国境を越えるのに一応形ばかりの審査があります。ドイツでたくさん買い物をした人がリファンド申請書類に判を貰うのもここ。

EU圏の実質的な凄さを一番感じるのは旅行したときだと思います。
EU圏内を飛行機で移動してもパスポート審査はなし。通貨が同じユーロ。これはそれほど驚かないのですが、国境があって無きがごとしになっていること。ドイツ/オーストリアだけではなくて、一昨年行ったオランダ/ベルギー/ルクセンブルクもそうでした。添乗員さんが「今国境を通過しました」と教えてくれて初めて、ああそうだったんだと気が付くくらい。
道にバーが渡されて兵士が物々しく警備している国境検問所という昔ながらの「国境」のイメージがEU圏では全く消えてしまっています。
そう言えば周囲を走る車のナンバープレートが同じように見えて実にさまざまな国から来ているのがわかります。プレートの左の四分の一くらいが上下に分かれていて上は青い地色の上に円形に並んだ星──EUのシンボルが描かれその下にアルファベットで国が識別されます。たとえば見かけたのはGはドイツ、Fはフランス、A=オーストリア、CZ=チェコ、NL=オランダ、SK=スロバキアなど。
どの車も一繋がりのヨーロッパ大陸をビュンビュン飛ばして走り続けていくようです。
人もまた然りです。オランダからずっとバスを運転してくれたドライバーのおじさんは5カ国語を話すといっていました。ルクセンブルクでバスに乗った現地ガイドさんとまず何語で話すか決めていました。やっとの事で英語だけなんとか、という私たちの考えも及ばないほどの文化的な交流が進んでいるというか、もう渾然と一体化への道を進んでいるといった方がいいのかも知れません。
地理的な障壁が無くなり、言語の壁が消え、通貨が統一され。。。ヨーロッパは確実に一体化して行くようです。

さて、無事にスイスに入国。ここでMくんからクイズ。
「車のナンバープレートにスイスを表すのにCHと書いてあります。SWじゃないんですね、どうしてでしょう? わかった方にはプレゼントをいたします」
あらら、これはわからないわ。。。ん?でもどこかで聞いたような気も。
この結末は最終日まで持ち越しになります。

スイスに入って高速をひた走ります。右手に高い山(というか周囲は高い山ばかりですが)
リヒテンシュタイン侯国(公国とも)が見えます。まさにミニ国家なのですがただ名前だけで知っているのと、曲がりなりにも一目でも実際に見るのとでは全く印象が違います。これからも忘れることがない場所になるでしょうね。

やがて左手に大きな湖が見えてきました。対岸はそのまま高い山肌へと繋がっています。今日の写真はそのワーレン湖と対岸の山。山肌には褶曲山脈の証である地層がはっきり見えます。
想像も付かないほどの力が大地に加わり地表を撓めてここまで持ち上がったのかと思うと、単なる美しい景色を見るのとは違った厳粛なほどの感動を覚えます。
対岸の湖岸ギリギリの所にいくつも白い集落が見えます。聞けば湖岸に沿って走る道路はあるものの、時間がかかりすぎるのでもっぱら湖を渡る交通手段には船を使うそうです。

こちら側の高速道路も湖岸に沿って曲がりくねりながらたくさんのトンネルをくぐって行きます。
そのときにまたもやMくんのクイズ。
「スイスの高速のトンネルはどれも真っ直ぐな物はありません。入り口から出口が見える物はありません、どうしてだと思いますか?」
もちろんみんなが答えた、山地がちなので真っ直ぐなトンネルは造れなかったというのは正解ではありませでした。
これはEU圏の一体化ということとも実は隠れた関係があるのでした。
スイスといえば永世中立国。
小学生でも知っている事実です。日本人には、なんだかこの言葉からスイスは平和な国、のんびりした美しいアルプスに囲まれて酪農をやっている国、アルプスの少女やサウンド・オブ・ミュージック風の国(どちらも微妙に国は違っていますがw)くらいの認識しか持っていないのが普通です。
しかし、絶対的に中立を取るということは他国との同盟も協定もなく全くのStand Aloneであることを意味しています。もしも他国から攻撃や侵略を受けても助けを求めて頼れる国がないということです。
それ故スイスは国防に多額の予算をつぎ込んでいます。国民には徴兵制が敷かれ男性には兵役の義務が課せられる他、兵役を終えた時点で銃を渡され自宅に保管、一旦事態が急を告げればその銃を持って軍隊に復帰するのだとか。また兵役を終えた後何年か経ってからリトレーニング(再訓練)に参加する義務もあることなども知りました。
トンネルが曲がっているのはたとえ片方の入り口を爆撃で破壊されても破片が直接他の口にまで届かないように意図的に曲げてあるのだとか。また幹線高速道路は非常時の滑走路となるように直線に作られているとも。
更にスイスのパンはまずいことで有名。そのわけは・・・・・・各トンネルの中程にシェルターが設けられていてそこには近在の住民が最低三ヶ月は籠もって過ごせるだけの飲料水、小麦粉などが備蓄されている。収穫された小麦はまず備蓄に回され、一年後に市場に出回るのでスイスのパンは美味しくないのだと。

これだけ順に並べられて初めてスイスという国が永世中立を実力で実現してきているのだということが初めて理解されました。その代償は国民の生活にかなりな犠牲を強いているとも思えるのですが、それを犠牲と受けとめるかどうかは残念ながらスイス国民でないものには想像もできません。

しかし、2002年には国連に加盟するか否かを問う国民投票が行われ9月に190番目の加盟国となり、将来的にはEUに加盟する準備も進んでいるということです。
時代の推移を量りながら自らを合わせていく事も生き残っていくために必要な事なのだと、旅行中とは言えいろいろ考えさせられた「曲がったトンネル」クイズでした。

夕食はインターラーケンで。 やっぱりパンはまずかったです。

ハリー・ポッターと炎のゴブレット

副題  No Dragons Were Harmed

「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を見てきました。先行に行かないかわりに初日初回に行きましたが、なかなかレビューを書けなくて、やっと今頃遅まきながらの報告です。

第一印象は、なかなかうまくトリミングしてあるなというものでした。
原作も特に4あたりから大部になってきて、2時間前後の映画一本にとても収めきれない事は明らかでしたし、かといって熱狂的ファンの多いこの作品、いい加減に辻褄を合わせて原作を作り替える事は許されない。実際制作側も今回は2部作かと悩んだようですね。
大幅にカットして重要エピソードだけ詰め込んだ3が、今一求心力に欠けなにやら忙しくめまぐるしい印象を残したのに対して今回の4はそれぞれのエピソードをある意味丹念に描きつつ大胆にカットすべきはカットして、必要な情報は丁寧に与えてあるので、後に起きる事件も、唐突な感はなく、全て納得のいく展開となりました。
たとえば、QWC開催地へ行くのに用いた古靴のポート・キー、これは最後にTWCがポート・キーになっていてハリー達が飛ばされるのを全く違和感なく受け入れさせました。
また、バーティ・クラウチがハリーに家族を失うという痛手は癒えることがないと語りマッド・アイの顔をまじまじ見つめて、何かはっとした表情を浮かべる──後にやむを得ず息子をデス・イーターとしてアズカバンへ送ったことが明らかになると、このシーンのバーティの心情がわかるような気がして来ます。

うまく原作の関連部分を抜き出して緊張感が途切れないまとまりのある作品を作り上げているように思います。
もちろんそこに、多くの方が言及している3人の主役の成長ぶりとか、成長に伴う親愛、誤解、嫉妬、当てつけなどの微妙な心の揺れも描いています。この辺りは、子供の成長をバックにした連続物としては当たり前という気がして、特筆することもないけど、というのはわたしの意見ですが。

特筆したいのは監督が替わったせいか、レギュラー陣に見られる微妙な差異です。(と、私が思い込んでるだけかも知れませんが)
スネイプ先生の嫌みさが消えてあっさりタイプになりました。おしゃべりをするハリーとロンの頭を小突く辺りは見ていて楽しい、それ今やるぞと思っているとその通りに。ハンガリアン・ホーン・テイルにぶっ飛ばされてひっくり返る姿もかわいらしいぞ。最後のムーディーを急襲して押さえるあたりは頼もしいし。。。
マクゴナガル先生も、3では失礼ながらかなりのお年に見えました(実際そうですが)。必要以上にやつれたお顔に見えたのですが、今回はお年ながら颯爽と毅然として見えました。ロンとのダンスのパフォーマンスではかわいらしくさえ見えました。
お二人とも共に3では老けたイメージだったのに4では若々しく見えます。これは衣装、撮影そして監督のキャラの造形の違いから生じた差だと思うのですが。
フリットウィック先生に至っては初期の白髪のもしゃもしゃ頭から黒髪七三分け刈り上げとかなりファンキーになってお茶目になりました。
子役は成長して青年に。レギュラーは引き締めて若返って壮年に。
舞台の学校は構造がつかめない不気味なアンバランスな建物から壮大で質実剛健ではあってもミステリアスな雰囲気は全く影を潜めた城に変わりました。
ダーズリー一家との軋轢やウィズリー一家との団欒、学校の授業風景といった、ほっとするけれど弛みがちな家庭劇的部分はなくなり、一直線に本意ならずもハリーが参加したTWCTの進展とその全てがヴォルデモートの復活のために仕組まれたことだというクライマックスにむけて進んでいくストーリー展開は大変わかりやすく集中しやすい物でした。

音楽はジョン爺ちゃんが担当から外れたので、あからさまなジョン・ウィリアムズ節は聞かれませんでしたがパトリック・ドイルも控えめながらなかなかよかったです。トーンダウンしたハリー・ポッターのテーマ、わざとらしい大時代的なワルツも、不気味に明るいブラスバンドもエンドクレジットの曲も前3作と違和感なく繋がりますし、大人の雰囲気を持たせたという点でも成功だったと思います。

エンドクレジットの最後尾に NO DRAGONS WERE HARMED IN MAKIMG THIS MOVIE と出たのにみなさん気が付いたでしょうか?最後にちょっとおどけてみました☆

ちゃんとその3,4行下に No animals were harmed ...というお約束のお断りも出ていましたからご心配なく!