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звездные войны

"ズヴョーズドニエ ヴァイニー"と読むのだそうです。

StarWarsのロシア語です。

娘の友達がおみやげに買ってきてくれた海○版DVDですが、見る機会がありました。

冒頭から"A long time ago in a galaxy far, far away...."ではない! およよっ、キリル文字がスクロールになって流れ出しました。
最初のコルサント上空のシークエンス、もろにアナキンとオビ=ワンがロシア語で喋ってます。

それにしてもよく似た感じの声の人を使ってます。オビ=ワンのちょっと高めのユアン声、下手するとオビより年輩っぽいドスの利いたアナキンの声。おわ、ドゥークーの声までリーっぽい響く声です。
残念ながらロシア語はさっぱりわかりませんが、どの単語もシラブルが長い、だからみんな早口でまくし立てています。
ヨーダ様まで例のゆっくりした話し方とはほど遠くべらべら早口です。ちなみにヨーダ様は倒置法で話してはいないそうです。なぜならロシア語は倒置した文型は当たり前なのだそうで、ちっとも特化したことにならないそうです。

さて、ここで簡単ロシア語講座です。(全くの受け売りですが)
ロシア語の格変化のすさまじさは(へたれ言語の)英語なんかの比ではないようです。
ちなみに英語はへたれもへたれ、人称変化は例の三単現しかないし、be動詞の変化もたった3種類。他のメジャーなヨーロッパ言語、たとえばドイツ語フランス語などと比べても(大まかに格変化が4つ──単複8つ、人称変化が7つ、名詞に性があるし)情けないほど簡単な言語になってしまいました。
ところがロシア語の変化はそれこそ学習者を泣かせるほどあるらしいのです。
なんと固有名詞まで格変化するんだって!

たとえば、男性名詞 オビ=ワンの12変化

主格  oби-ван кеноби     (単数) オビ=ワンは      
生格 вана オビ-ヴァナ          オビ=ワンの
与格 вану    -ヴァヌ          オビ=ワンに
体格 вана    -ヴァナ          オビ=ワンを
造格 ваном   -ヴァナム         オビ=ワンによって 
前置格 ване    -ヴァニェ         前置詞と一緒に使う 例 о ване オビ=ワンについて

主格 ваны   オビ-ヴァニイ      (複数) オビ=ワン達は (クローンじゃない限りありえないけど→オビ=ワンとその他という意味にはならないらしい、複数のオビ=ワンということらしいです)
生格 ванов -ヴァノフ
与格 ванам   -ヴァナム 
体格 ванов   -ヴァノフ
造格 ванами - ヴァナミ
前置格 ванах   -ヴァナフ

人名の発音は
oби-ван кеноби・・・・・・オビ-ヴァン ケノービ
他のメインキャラは
Дарт Мол・・・・・・ダルト モール
Дарт Вейдер ・・・・・・ダルト ヴェイデル
Анакин Скайуокер・・・・・・アナキン スカイウォーケル
Мэйс Винду・・・・・・メイス ヴィンドウ
Император Палпатин・・・・・・インペラトル パルパティン
Падме Амидала Наберрие・・・・・・パドメ アミダラ ナベリエ
йода・・・・・・ヨーダ
マスターはこうなるそうです
Квай-Гон Джинн・・・・・・グヴァイ-ゴン ジン

Ep.3の終盤、Анакинにoби-ванが「愛していた!」と叫びますが、あれは
"Я лублю тебя!(ヤー ルブリュー チェビャー!)"!!

うう、なんかイメージ違う。。。
面白い経験でしたが、わたしはやっぱり英語版のほうがいいみたい。11月23日を待つことにします。

料理バトン

リンクして頂いている さまタマさんの onionslice から料理バトンを受け取りました。料理・・・・・・わたしの苦手とする物の中の最たる物なのですが、とにかくトライです。

【Q1】次のメニューにどんな調味料をかけますか? 薬味は含みません。

・目玉焼き…絶対に醤油、でもかけすぎに注意。子供は塩かけてますが。

・冷奴…醤油。

・カレーライス…基本的に何もかけません。生卵やウスターソースがないと食べられないと言う人がいるけれど、それは邪道や!

・生キャベツ…これも醤油。極細切りが好みです。

・トマト…塩、もしくは何もかけない。

・サラダ…ピエトロのドレッシング、これ一筋です。最近ベビーリーフを入れて手抜きサラダを作る裏技発見。

・カキフライ…大抵ウスターソース、でもタルタルソースがあったらいいなあ。

・メンチカツ…とんかつソース。

・コロッケ…ウスターソース。自作コロッケと縁遠くなってしまいました。市販のコロッケはお箸の腹で十分押さえてソースが染みやすくしてからたっぷりかけます。もともとソースはそれほど好きじゃないんですが、コロッケだけはたっぷりソースが家庭の味?

・ごはん…かけるとしたらお茶。塩コンブか梅干しで。

【Q2】周囲に意外だと驚かれる、好きな組み合わせはありますか?

鳥手羽元のコーラ煮。
最初に聞いたときに耳を疑いましたが、半信半疑でやってみると意外にこれが美味しいのです。ただ鍋の中で手羽元にコーラを注いで煮るだけ。最初悪魔のような真っ黒なアクが出るのをひたすらすくって出なくなったら入れるのは醤油だけ。圧力をかけて柔らかくなるまで煮ます。身がほろほろっとなって軟骨まで食べられますし、味もお薦めです。

【Q3】それが一般的なのだとは知っていますが、苦手な組み合わせはありますか?

キウイ全般が苦手。特に杏仁豆腐に入っているとギャー状態です。どうしてフルーツパフェみたいなすてきなレシピにキウイが入ってるんですか?!

【Q4】レパートリーの数は?

片手でも指が余るほど数少ないレパートリー。子供のお弁当は3年間ほとんど同じ内容だった──卵焼き、お浸し系野菜、キューブのクリームチーズ、冷凍食品揚げ物、ウィンナに唐揚げ。。。ごめんね!

【Q5】最後に作った料理は?

珍しく夕方暇だった一昨日、寒くなったのでカニ缶奮発して、カニとキノコのキッシュ(簡単なわりに見栄えがして家族にも好評)、里芋と油揚げのみそ汁、つまみ菜のお浸し。あ、その後に今朝お弁当に焼きおにぎりつくりました。

【Q6】最後に買った食材は?

キッシュに入れるブナシメジ、カニ缶、カロリーハーフのマヨネーズ、とろけるチーズ。パイシートは冷凍庫に眠っていたので買いませんでした。あと食パンと季節限定のきょろちゃんチョコ(食材じゃない?)
  

【Q7】思い出に残る自作料理は?三つ挙げて下さい。

1.アメリカンキッシュ
アメリカに7年いた友人から習いました。冷凍パイ生地のお陰で楽においしく作れる、材料もその辺にある物で応用が利きます。ちなみにカニとキノコ、シーチキン、またはチキンのように淡泊な食材があうみたいです。他に卵、マヨネーズ、牛乳、チーズ、それにここが大事、青ネギの微塵切り(かなりたくさん)それを混ぜて耐熱容器にパイ生地を敷き込んだ中に流し入れて、後はオーブンへ! 何より失敗がないところが大変にわたし向きです。

2.ミネストローネ 
これもごった煮風です。具だくさんのスープはどんなときでも美味しいと言い張っています。凝った料理が作れない人なのでこういう料理があってます。自分流にニンニクとベーコン炒めてスープを作り、キャベツ、人参、タマネギ、蕪(無いときは大根でok)セロリもあったらうれしい。それで仕上げにトマトを入れて、乾燥したままのスパゲッティをパキパキ折って入れます。実はこの折るところが快感で作っているのではないかと密かに思っています。

3.自作ではないけれど、先日書いた「天津茶碗蒸し丼」 材料が違っても信じれば道は開けるということを実証しました。

【Q8】好きなお店を三つ挙げて下さい。
わたしの住居は本当に田舎なのでご紹介するほどこだわりのあるお店もありません。それでよく出没する京都のお店にしました。
 
マールブランシェ
京都北山にあるお菓子屋さん。ここのケーキ「燃える氷山」とスフレが忘れられません。氷山はアイスクリームベースの白いケーキにラムとブランデーを燃やしてかけて頂きます。その瞬間に部屋の照明を暗くしてくれるので青い炎がケーキの表面をなめるように覆って揺らめく様子がよく見えます。

吉兆 
京都駅グランビア店によく行きます。何せホームが見えるほど近いので電車の時間を気にしなくてすむし、いつ行ってもハズレがないから。奥ゆかしいというのか、ご飯がお茶碗に3口ほど出てくるw お代わりどうぞと言われて息子が貰ったらまた3口ほど、また貰う、また3口・・・・・・この繰り返しお代わり4回してやっと一膳分くらいもらえました。笑顔でお取り替えしてくれたお姉さん、ありがとう。

yusoshi+kodomo show
京都店、中京の市役所そばにあります。おばんざい専門というわけではないのだけれど、家庭的な料理とバリバリの洋風料理が微妙なコラボレーションをなして馴染みやすくちょっとおしゃれな料理が楽しめます。器もシンプル。ぶってなくて居心地のよい店でした。お値段も安く挙げようと思えばできるお得さが嬉しいです。

【Q9】三人にバトンを渡して下さい。

うちのブログも過疎地帯なのでバトンをもらったさまさんや丞相しかお渡しする相手がいない。。どうしよう。
それでまことに申し訳ないのですが最近リンクさせて頂いたmurokiさんにまずは第一走者をお願いしたいと思うのですが。murokiさん、ここを読まれてもしお邪魔でなかったらどうぞよろしくお願いいたします。
それでよろしかったらmurokiさんのおともだちにもお願いできませんか?

ここで止まってしまうかも知れませんが、そうなったらどうぞ平にご容赦あれ。

コープス・ブライド;知られざる事実

コープス・ブライドのスクリプトがないかWebをさまよっていたらとんでもない素ネタの一つを見つけました。

Trivia about Tim Burton's Corpse Bride:

The legend of the corpse bride began as a nighttime horror story in 19th century Russia. At the time, anti-Semitism was rampant, and Jewish girls would often be ambushed and murdered on their way to the wedding chapel in order to prevent them from bearing any future generations. Because of the Jewish tradition of being buried with the clothes one died in, these girls would invariably be laid to rest wearing their blood-splattered bridal gowns.

ざっと訳しておきます。

コープス・ブライドの伝説は19世紀のロシアの夜に語られる怪談(ホラーストーリー)に端を発します。当時は、反ユダヤ主義(ユダヤ人差別)が横行し、ユダヤ人の女性が結婚式へ行く途中に待ち伏せされて殺されるという事件が往々にして起きました。その女性達が子供を産んでユダヤ人の血統が続いていくのを阻止するためでした。
死者を亡くなったときに着ていた衣服のままで葬るというユダヤのしきたりのせいでこの女性達は例外なく自分の血染めの花嫁衣装のまま葬られたということです。

ロシアの民話が原作になっていると聞きましたが、このように凄惨な歴史的事実があったとは。(バートンがこの史実を知って脚本に盛り込んだのはほぼ間違いないでしょうね)
ロマンティック・ホラー・コメディと笑ってはいられないような気がしてきました。

Corpse Bride

Corpsebride

寒降りの雨の中を最寄りの映画館へ行って来ました。
先月のCatCFに続いてティム・バートン=ジョニー・デップのコンビは大当たりをしているようです。何が起こるかわからないといった不安感は全くなし、安心して見ていられる良い作品でした。
時間と人手と手間を惜しまずに作ったクレイのストップモーションの画面は、フルCGのそれよりも格段に温かさと実在感があるように感じられました。
死者の世界と生者の世界が重なって描かれますが、死者の国の方がカラフルで楽しく生気に満ちて(形容矛盾?)いる反面、生者の世界はモノトーンで陰鬱で冷たく皮肉たっぷりに描かれます。主人公二人の親など、本当の親?と言いたくなるほどに冷酷でした。唯一、名もない市井の人々の中に温かさを見つけることができたのは救いでしたが。
ひょんな事で青年ヴィクターは謀殺された娘エミリーと(テクニカリーに)結婚してしまうのですが、死者の深情けにほだされて彼女と添い遂げようと決心します。ヴィクターの優しさとエミリーのいじらしさ、それを隠れて見守るヴィクトリアの健気さ。
三者共に共感を覚えてどうにかしてみんなが幸せになるような解決法はないものかと気を揉ませられました。結果はどうぞご覧になってくださいね。
ほろりとさせられること請け合いです。
昔飼っていた犬が骸骨になってもすり寄って甘えてくるのはかわいかったなあ。

コープス・ブライド

Corpse

本日公開のティム・バートンのコープス・ブライド、公式HPのフラッシュサイトへ行ってみました。 日本版と、英語版
その差にちょっとびっくり。残念ながら日本版は手抜きが多すぎ。たとえばBGM、英語版はページ毎に効果音が違うし、犬の唸り声や鳴き声と凝っているのにたいして日本版は虫の音だけ──ちょっと寂しいですね。
しかもMusic Room(音楽室)では花瓶に入った枯れた花からリンクしているところがあるのですが花が執事風のキャラの後ろに配置されているなど不手際が目立ってしまいます。
その花からピアノを弾くとかなり素敵なイラストがDLできるのですが残念ながら日本版はnot foundが出てしまいます。見たい方はこちらをどうぞ。
Bride, Victor, Victoria, Zombies1, Zombies2

アメリカ版フラシュサイトを一度ご覧になることをお薦めします!

Autumn バージョン2

バナー背景を紅葉から変更。素材は Zait-X さんから頂きました。
バナーに余り派手できれいな画像を持ってくるとどうもすわりが悪く感じてしまいます。(バナー負け?)素朴に控えめにを信条に、コンテンツを充実させなきゃあ(自戒)

日頃の運動不足解消のために毎朝40分ほど歩いていましたが、くるぶしが痛くなってきたので大事を取って一旦休止です。こんなところまで運動不足が祟ってる?

消えた少年たち

消えた少年たち1 消えた少年たち2 その家族は5人家族だった。
コンピュータープログラマーの父、母には4人目の子供がもうすぐ生まれる、長男のスティーヴィは8才、次男のロビーは保育園前、長女のベッツィはまだおむつが離れない。

時は1980年代前半、父のステップはコンピューターゲームの大当たりをだしたもののその後運が向かず、負債を抱えてアメリカのノースカロライナの片田舎へ引っ越すことになった。当地の小さなIT会社に転職したのだった。

後戻りはできない。新しい嫌みな上司、行動を制限する契約、たった一つのゲームの著作権までかすめ取られそうになりながら家族のために働き続ける。よき父、よき夫。
母のディアンヌ、子供たちの世話を楽しみながら明るく家庭を切り盛りする。まだ手のかかる小さな子供の大騒ぎにもたじろがない。子供の安全については過度なほどに気を遣うが神経質ではない。

二人ともモルモン教徒である。
ただし、私たちが外から想像するほどモルモン教徒の生活は奇異なものではない。教区の人々との教会を通じての宗教心を深める活動、仲間内の助け合いの仕事など、地域のコミュニティ活動と大きく変わりはない。

新しく越した家は狭くてお世辞にもいい家とはいえないけれど、子供たちはくったくなく適応している。教区の隣人も親愛の情あふれる裏表のないざっくばらんな人たち。新しい子供が生まれて家族が増えるのは何よりも喜ばしいこと。経済的に苦しいことも慣れない環境も、家族が健康でこころが健全なら全てが喜びに変わる。

でも一つ、心配なのが長男のスティーヴィ。新しい学校に慣れないか登校をいやがる。ステップとディアンヌがそれぞれゆっくり話を聞いて、真剣にスティーヴィにとって何が一番大切なのか話し合いをする。
スティーヴィは聡明で感性豊かな子供。
実は学校では筆舌に尽くせないいじめを受けているのだけれど、自分の問題は自分で解決する、そういう信念を持っているので両親にその実態を告げないでいる。

父の仕事を背中から見ているのか、スティーヴィも大のコンピューター・ゲーム好きである。家にいるときは弟妹の面倒もよく見るけれども一人でゲームに没頭することも。
そのうちに友人ができる。母に名前を教えるがディアンヌは友人の姿を見たことがない。
徐々に友人の数が増える。一緒にゲームをやっているのだ。名前を呼びながら楽しげに。
しかし父にもその友人の姿が見えない。

両親は悩む。息子の精神状態の変化の原因が見つからない。
偶然からステップは息子が学校で正当に評価されていないどころか教師ぐるみ学級ぐるみのいじめを受けていることを知り、息子のために敢然と闘う。
教師と対決して理をもって相手の非を暴く。家族を守るために命をかける開拓時代からの伝統の父親の行動である。

ステップとディアンヌの間には信頼がある。互いに本音をぶつけ合い言い争いは常の事ながら、取り決めをきちんと守る。けんかをしても根底には強い絆があるから結局は「雨降って地固まる」が続いていく。

些細な日常生活が綴られ、ゆっくりと時間が過ぎていく。
ステップは今の会社を出て新境地を開拓すべく秘密裏に努力する。ディアンヌは教会活動に精進しながらますます近づく出産に備える。
そして、相変わらずスティヴィは見えない友達と遊んでいる。

大量の家族の会話。
大変さに投げ出してしまいたくなるような事態にも、冗談で自らを救い出し、なに、こんな事よくあること、だいじょうぶと笑い飛ばしてしまう精神の健全さ。
それを胡散臭いと評する人もいるけれど、わたしにはそれがここちよかった。
家族をあだなで呼ぶ開放的なところもある反面、何事も隠さずに、たとえ子供といえど一人前の家族の一員として徹底的に話をする。こういった日本の家族関係とはやや違った姿には興味を感じる。
延々と日常生活が続いていき、物語の背景に見え隠れする複数の少年の行方不明事件が、この家族とどのように関わってくるのか、うっかりすると忘れてしまいそうなくらいである。

しかし影が差すような事態もいくつか起きる。
ステップの同僚が小児愛好癖があるらしい。彼には金輪際子供を近づけまい・・・。
家に虫が異常発生する。両親が夜中に死にものぐるいで虫退治を演じる。
新しくモルモン教徒になった青年が誇大妄想の気味があるようだ。しかもその青年の母親がスティヴィが通っているカウンセラーだ。

些細な出来事が積み重なって物語は徐々に容赦なく終盤に押し流されていく。
ぎりぎりの線まで踏みとどまったステップが会社に辞表を叩きつけてから2週間後、つまり会社の保険が利かなくなってからディアンヌが4番目の子供を出産する。
しかしその子供は普通ではなかった。原因は特定できないが何か障害を抱えていた。
長い入院の後帰ってきた赤ん坊は泣かず動くこともない。それでも一家は新しい家族ザップの帰宅を心から喜ぶ。これからはザップがこの家の中心だ。

そして・・・・・・クリスマスがやってくる。
クリスマス・イブの夜、それは起こる。

なんという家族愛だろう、世の中にこれほど信じ合い愛し合う両親、親子、兄弟姉妹があるのだろうか。
信じられないような最終章。
この章を読むために、長い長い物語が必要だったのだ。
彼らの人となり、考え方を自分のもののように感じられるようになるために多大のページを費やして来たに違いない。

世の配偶者を持っている人にこの本を読むことを勧めたい。世の子供を持っている人にこの本を薦めたい。世の親を持っている子供にこの本を薦めたい。そして最終章の感動を共有したいと真に思うのである。

※ 最後の顛末についてはネタバレになるので一言も書けません。読まれる方も絶対に後ろを途中で見られないことをお薦めします。
あくまでもわたしの個人的意見ではありますが、子供を見る目が変わるような気がしました。

ジャック、ジャック!

Nightmare

昨日は所用があって名古屋まで出かけました。あいにくの雨でしたが、外を歩く場所はそれほど多くなかったのが幸いでした。写真は地下街で見つけたナイトメア・ビフォア・クリスマスのマスコット。そういえばもうそんな季節でしたね。目移りして選ぶのがむずかしかったので、一応どうしてもはずせない4個をゲットしてきました。帰ってからまた、後悔。もう少し買ってくればよかった(笑

Jack Jack Attack──これMr.インクレディブルのDVD特典でしたっけ。末っ子のジャックの特殊能力ったら!

うたにまつわる遍歴 その1

学生時代に合唱をやっていました。
K大学の音楽研究会Heimatという合唱団です。
混声で団員数はそれほど多くなく50名弱。歌う曲毎に新しく目を開かれる心地で4年間ひたすら歌を歌い続けました。
さて、ハイマートは混声合唱団でしたが、男声だけ特にMannerchor(ちなみにこのaはaウムラウトです)として混声とは別の練習日をもうけて活動していました。
もちろん女声禁制というわけではなく、練習中にクラブボックスに行ったりすると冷やかすも見学するも自由でした。

そうやって聞いた男声合唱には、それはそれは記憶に残る名曲がたくさんありました。男声には混声にはない魅力がまたあったのです!)自分たちには絶対に中へ入って歌えないという制約が却って魅力的に響いたのでしょうね。
記憶に残っているものに、多田武彦作曲の草野心平の詩による「富士山」や「蛙」の歌。北原白秋詩の「柳河風物詩」、清水脩作曲・堀口大學詩の「月光とピエロ」、高村光太郎「智恵子抄」、津村信夫「父のいる庭」、他にもコダーイやバルトークとか。
メロディの潔さと歌詞、そこはかとない郷愁にめろめろになって、女声でしたがこっそりとテナーパートを歌っては一人楽しんだものでした。
富士山「作品第肆」 川面に春の光はまぶしくあふれ・・・・・・、というあれですが、これなどは今でも春の河原脇の道を通るときは知らず知らずのうちに口ずさんしまうほどです。

しかし、悲しいかな、時の流れと共にあれほどよく膾炙していたはずの歌が、ぽろりぽろりと記憶から脱落していく、サビ部分しか覚えていないというお定まりの経過をたどって行きました。

ところが先日の夜のこと、仕事を終わってひとけのない夜道を急ぎ足で帰るとき、どういう回り合わせでどのような偶然性が働いたものでしょうか、不意に歌の一節が頭に浮かんだのです。

「目路遠き 地の果て、 陸(くが)の末駆け、 いづちへと急ぐや 木がらし、木がらし」

これだけの一節。
浮かんだと同時に消えそうになるイメージをなんとか逃すまいと必死で口に出して、メロディを付けて歌ってみる──うん、だんだんおぼろげな歌詞とメロディが形をとって昔の姿に近くなってくる。
何度か繰り返すうちに、その前半部も思い出してきました。

「野山さびし 師走、  風 蕭条、 木の葉散り 草枯れ 冷たき雨降る」

これで完全です。
ユニゾンで野山さびし・・・・・・から始まって、木がらし木がらしで終わる。同じ歌詞とメロディの変奏でフーガのように各パートが互いに追いかけるように繰り返しながら消えていきます。
疾走していく秋の風、飛来する氷雨。暗い空に時折遠山が不思議に明るく映じる。短いながら印象的な曲です。

不思議な体験です。
一体何年、歌うどころかその曲自体を思い出しもしなかったのに、たった一言の「目路」という、あまり日常的でない言葉から封印を解かれて、再生して音楽を奏で出すとは!

しかし思い出した後がまたジレンマでした。
曲名、作曲者、作詩者名が思い出せないのです。
確かに男声合唱曲には違いないのですが、思い出した歌詞でググってみてもヒットなし。
もしやと思って昔の楽譜を(何と青焼きコピーまで!)ひっくり返してみましたが見つかりません。
そうなると今度は四六時中この歌が頭に鳴り響き続けます。しかもちゃんと男声合唱で。気になって、曲名を突き止めるまで落ち着きません。

多分、堀口大學、萩原朔太郎その辺りの作詩、多分多田武彦の作曲とあたりをつけて、検索方法を変えてみたところ、あった、見つけた! 
慶応ワグネル・ソサエティ(こちらも有名な男声合唱団)のデータベースに、多田武彦作曲、堀口大學作詩「人間の歌」──「縫ひつける」「涙の塩」「浜の足跡」「また一つ」「木がらし」「年の別れ」6曲の記載がありました。
不思議はまだ続きます。これらのタイトルを見た途端に「海と母とを縫いつける・・・・・・かたきと祖先を縫いつける」とか「いく年は女であるか、さかり(離ち)ゆく影がさびしい、女なら嘆きもしよう、いく年は音にさえたてず」などのフレーズが次から次へと口をついて出て来るのです。

音と言葉が分かちがたく組み合わさった「歌」のもつ人の記憶の中の生命の長さに驚かされます。
本当に心酔して歌い続けて来た歌を覚えているのには何の不思議もありませんが、ここに書いた歌の数々は、全くの忘却の彼方に押しやられていたものばかりでした。その存在さえ忘れていたのですから。

言葉が音を呼び覚まし、音がそれに続く言葉の封印を解いていく。
こういう感動をあと何度くらい感じることができるのでしょうか。
秋日好天。

White Christmas のご褒美

Polar_magic

疑問といえないくらいの小さな疑問がふと心に湧くことがあります。
是が非でも解決しなければならないというほど切実でもなく、心をよぎっただけで時間の経過と共に消えていくものが多い中で、忘れ去られたような顔をしながら心の隅に身を潜めていて、思いもかけない折りに何かのきっかけで意識の表面に浮上してくるものがあります。
そして大抵そういうときには、疑問とその答えが共に手を携えて一気に浮上してくることが多いのです。すると疑問のままに未解決で心に潜めていた年月の圧縮された思い出までが一時に開放されて、その喜びの感覚に、わたしはたじろぎ圧倒されてしまいます。

やけに仰々しい始まり方ですが、先日久しぶりにこういうを体験しました。
事の起こりはCDの整理からでした。
CDの中に一度しか聞いていなかった"ポーラー・エクスプレス"のサントラが目に留まりました。
この際季節外れとは言いますまい、懐かしくなって再生しました。
前半分はOST、ジョシュ・グローバンの甘い声やトム・ハンクスのコミカルな声、子供の素朴な声が流れます。
後半は往年のクリスマス・ソング・ナンバー。そして聞こえてきたビング・クロスビーの"ホワイト・クリスマス"。刻々と「その時」が近づいてきました。

I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten
and children listen to hear sleigh bells in the snow

I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
and may all your Christmases be white

中学生の時クロスビーならぬアンディ・ウィリアムズの歌で覚えました。とても易しくポピュラーな歌詞なので一度覚えてからは口に浮かんで来るままに歌い続けてきました。
ただ、一箇所、最初に書いた「小さな疑問」が浮かんだことを除いては。

それは第一連の最後の2行。

Where the treetops glisten and children listen to hear sleigh bells in the snow

今までに自分がおくってきたクリスマスをしみじみと思い出しているところです。
「木々の梢がきらきら光り、子供達は橇の鈴の音に耳を澄ます・・・・・・」そう解釈していましたし、まさにその通りなのですが、ほんの小さな、ほとんど意識もしないような疑問が昔からありました。

中学校で習う動詞 listen は自動詞、だから listen to の形で使うんですよ、そう習いましたね。
たとえば、I listened to CDs yesterday. なんてね。

だからこの歌詞を最初に聴いて読んだときに何の抵抗もなく listen toの形でインプットされてしまったのです。でもその後に hear という動詞が続いているのに、当時は気が付かなかったんですね。
とにかく初めに抵抗なく覚えてしまったので、ああ、子供が耳をすましているんだなあと無反省的に素直に思い込んでいました。

その後何回この歌を歌ったかわかりませんが、自然に口に出てくる歌詞が、この部分を歌うたびにいつも、何か釈然としない思いが小さな疑問詞を残していくのです。それと意識しないほどに小さな疑問詞を。

そして、先日ポーラー・エクスプレスを聴いていて、まさに晴天の霹靂、疑問と答えが一度に押し寄せて来ました。ひらめいたとか思いついたなどいう生やさしい程度の言葉では収まりきれないほどの感激!
そうか、そうだったんだという充足感は周囲に充ち満ちました、もしこの感激が目に見えるならば、きっとわたしの周囲がばらいろに光っていたのではないかと思うほどでした。

あの子供達は 雪の中を走っているかもしれない橇の鈴音を聴こうと耳をすませていたのです。

こういうわけです。
hear は「聞こえてくる」という意味です。聞こうと意識しなくても音が耳に届いてくる「聞こえる」です。だから鳥のさえずりがきこえるのはこちらを使います。
一方 listen は「聞こえるはずの音を注意して聞こうと耳をすませる」意味。だから音楽や先生の話を聞くときにはこちらを使うのです。

Children listen to hear sleigh bells in the snow.
この情景、子供たちはもしかしたら雪の中を彼方で走っているかもしれない橇の鈴の音を、耳をすませたら聞こえるかも知れない鈴の音を、聞こえるかなあと耳をそばだてているのです。
その橇は何か素晴らしい物を携えて来るかもしれない、たとえ自分たちのところを目指しているのでなくても、そこにははじけるような期待と憧れが詰まっています。

この短い一節から、12月という雪の季節、クリスマス前の遠い橇の鈴の音。まだ暖房にはマントルピースに薪、香ばしい焼き栗、白い息を吐きながら表をやってくる客人、一枚一枚違った手書きのクリスマス・カードの束、そういったローテクの時代のクリスマスを彷彿とさせる心象風景が浮かんできます。
子供達は鈴の音にうきうきと心を躍らせます。橇が通っているのを知っていて音を聞こうとするのではなく、もしかしたら走っているかも知れない、想像が本当になるかも知れない、そう思いながら、一面の白い世界に繋がる窓辺で、きっとかわいらしく首を傾げて遠くの鈴の音を聞こうと耳をすませているのでしょう。

こうしてわたしの小さな疑問は圧倒的な感動を伴って一気に解決されたのでした。
多分真剣に考えればこの答えはずっとずっと以前に明らかになっていたのでしょうが疑問は忘れられて眠っていました。
その期間があまりに長かったために、歌声に触発されて一気に氷解するプロセスが反動的に大きかったのでしょう。

宗教的変節はよく一瞬にしてなされると誤解されるが、実は転向にいたる過程は長い時間をかけて徐々に徐々に心の中に橋頭堡を築いて行くのだと教わったのを覚えています。意識しない状態での転向の機が熟したとき、まさにそのときに外から何らかの働きかけが行われると、碎啄同時という状態で宗教的転向が行われたように見えるのだと。

大げさかも知れませんが、小さな疑問が一度に氷解するのは案外この碎啄が同じくして起きる状態なのかもしれません。意識の下で疑問は障りとなって固まりつづける、それに対する答えを求めて意識のほんの一部は常に休まずに考え続けている。そして解答を導き出し続ける。
そして、何かがきっかけになってそれらが一度に浮上して意識を支配する。心は長い時間をかけて疑問を抱きそして解き明かしたプロセスを記憶しているから、圧倒されるほどの喜び、感動という形でご褒美をくれるのかも知れませんね。