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ガラス玉の記憶

okada_glass.jpg漫画家の岡田史子さんが亡くなりました。
新聞の物故欄にその名前があるのが目に留まり、初めてご本人の写真を見ました。
岡田史子さんといっても知ってる人の方が少ないと思いますが、私にとっては忘れられない漫画作家です。
1960年代後半に、手塚治虫さんが立ち上げた漫画専門誌"COM"の新人登竜門ぐら・こん、確か第2回に第一席で華々しくデビューを飾りました。
その折り、手塚さんが絶賛されたという「太陽と骸骨のような少年」という作品。
テーマで100点の満点を、一方ストーリーで0点を取っていたのがとても衝撃的でした。
この作品はとにかく難解、わたしもそれを鑑賞できるほどの歳ではなかったせいもありますが、それでもボードレールの詩を下敷きに人の生きるということは、死とは、希望とは・・・と真摯な態度で正面から取り組んだ深さ、ふとレイモン・ペイネを思わせるような、柔らかでいながら凄みを漂わせる絵柄、一読してこの人はすごいものを持っていると子供心にも岡田史子の名前が刻まれました。
その後、矢継ぎ早に"COM"への投稿が続き、そのうちに執筆陣に名を連ねるようになりました。
「フライハイトと白い骨」「ガラス玉」「いずみよいずみ」「サンルームの昼下がり」「胸を抱き首を傾げるヘルマプロディトス」「死んでしまった手首」「ほんのすこしのみず」など、今これだけのタイトルが思い出されることに自分で驚いています。
数年間、上記のような不思議な雰囲気の作品を上梓したあと岡田史子の名はふっつりと漫画界から消えてしまいました。
次にその名を目にしたのは単行本を偶然見つけたとき。まさに"まぼろしの一冊"と思いしっかと手に握りしめてレジに走りました。それがこの写真の「ガラス玉」です。
あとがきに萩尾望都さんが「北海道は一人の天才を秘めている」(なんだかこういう言い方でしたが)といみじくも語っているように、萩尾さんも岡田さんと同世代で多大な影響を受けたということでした。
あちらの糸とこちらの糸が思いもかけないところで繋がったという気持ちがしました。
その後続いて2冊の単行本が刊行されて──岡田史子の名は永久に漫画界から消えました。

次に名前を見たのが死亡欄だった・・・・年月の経つの速さに驚くと共に、時間がいくら経過しても色褪せない作品のすばらしさを改めて思い出しています。
明日しまってある"COM"を引っ張り出してきて、この数少なく、しかし凡百の作家が量産する何十という作品にも優るとも劣らない岡田史子作品を改めてさがしてみるつもりです。

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