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尼崎の大事故

まったくの偶然なのですが、今日は大阪へ出かけていました。

雷鳥が新大阪にさしかかる少し前、車内放送がありました──
「JR福知山線、尼崎駅付近で車と列車の衝突事故があり列車が脱線した模様です。ただいま復旧の見通しは立っておりません」
これを聞いてまず頭に浮かんだ図式は、車vs列車=踏切事故、立ち往生した車に列車がぶつかり、運が悪ければ車の運転者が命を落としたかも・・・・まあ、大阪までは何ともないから定刻に着くかな、程度でした。

新大阪で列車が止まり、また車内放送で、大阪駅へ乗り入れの列車の調整で雷鳥は当分新大阪に止まります、お急ぎの方はすぐに発車の快速に乗り換えて下さい・・・・・・
同じように新大阪に足止めになったいくつかの列車から乗客がぞろぞろ移動して、何の問題もなく後続の快速に乗り込んで大阪に到着。
駅構内の空気にも機能にも何の変化もなく、私もそのまま地下鉄に乗り換えて市内へ直行。その後はニュースを見る機会もなく用事をすませました。

帰りの列車は午後6時過ぎ大阪発。
大阪駅に着くとアナウンスがしきりにかかっています。
曰く、福知山線はまだ復旧していません、ご迷惑をおかけします云々。
まだ大事故の実態は知りませんでした。なんて復旧に時間が掛かるんだろうな、くらいにしか思いませんでした。
ホームに出てキオスクに並んだ新聞の夕刊の見出しが見えたときに、さあーっと血の気が引くような気がしました。そこには「死者50名」の文字が!
飛びつくように夕刊を買いました、知らなかった、こんな酷いことになっているなんて。
それも大阪市内にいたのに。

思わず京都の長男に安否確認のメール。しかし新聞をよく読むと当該列車は宝塚発京都行き、逆方向・・・・・・でも田辺の同志社前行きです。どんな成り行きで乗っていないとも限りません。

やきもきして返事を待っているのに、こういうときに限っていつまでも返信がありません。
とうとう追っかけメールを3通も打ってしまいました。最後なんか「生きてるならそれだけでもメールしなさい!」とまで打ちました。
数分後に「生きてるよ、今日はそっち方面に行ってないから」と何とものんびりした返事が来て一安心。

帰宅してからずっとニュースを見ています。自分たちも今日同じ大阪地方でJRに乗っていたのだと思うと人ごととは思えない、重苦しい気持ちになっています。

PC硬直

本日午前11時少し前、突然ネットに繋がらなくなりました。
エクスプローラーもメーラーも開かず。それどころかマイコンも開かない状態。
かろうじてデスクトップのメモ帳がしぶしぶ開いた程度。
そのときは出かける前で急いでいたので原因もよくわからないままに落とそうとしましたが、なんとシャットダウンすらできない状態 Σ(゚д゚;)ガーン
タスークマネージャーを開いてみたら、CPUが100%稼働!? 
これではPCが過負荷で動くわけがありません。
まったく外と切り離されて様子がわからないままに6時のニュースでマイクロトレンドのバスターが悪さをしたみたいだと報道されて、ローカルの問題でないことが判明しました。
しかし起動はしても電源を落とさないと終了できないようでは何の役にも立ちません。
折良く息子のPCはノートンを入れていたので動きに支障なかったので、そのうちマイクロトレンドから何らかのトラブルシューティングの情報が入ることを期待して、緊急避難的にそちらのPCにメールのアカウントとネットの巡回サイトを覚えている限り入れていきました。
丞相の晴耕雨読へたどり着くと、早々とトレンドマイクロからの情報がありました。
ありがたかったです、本当に。
すぐに携帯サイトからトラブルシューティング法を知って実行。

── セーフモードから起動して、ウィルスバスター2005のパターンファイル594を手動削除。
大抵、VB2005の在処は C:Program Files Trend Micro Virus Buster2005 LPT$VPN.594
これを削除して、再起動。その後手動でバスターのアップデートをすればパターン596がインストールされてPCの状態は復旧します。

作業自体は簡単でしたが、まったく外と隔絶した状態では情報を得る場がなくて(バスター自体DL版だったのでトレンドマイクロの電話番号もわからなかった状態でした)まったく手足をもがれたとはこのこと。
自覚していたつもりでしたが、いかに情報の大部分をネットから得ていたか思い知らされました。

大事に至らなくて何よりでしたが、初めはローカルの問題かと思っていたので、頭をかすめたのが再インスト。 でもCD-ROMすら読み込んでくれない状態ではそれもできない。無力でした・・・・・・
物事は好調に進んでいるときには何の瑕疵も見つけられないものですが、一旦何かが狂うと、たとえそれがどんな小さなギア、ネジ一つでも、全体が働かなくなる、その仕組みが精巧なものであるほど部分が全体に及ぼす影響が大きいのだとつくづく身をもって感じた体験でした。

オークション三昧

kofumomen.jpg

えー、実は数日前からオークションに浸かっていました。ネットに繋がってはいたのですが、オークションの推移に常に目を光らせていたので、(他に新しいゲームに嵌っていたこともあって・・・これは余談かw)ブログの更新や掲示板の書き込み等、まったくおろそかになっていました。

さて、それほど何に入れ込んでいたかというと、写真の古布、それも木綿の絣や型染めです。
誤解のないように言っておきますが、私じゃないんですよ、これ欲しがったのは。
母がこのところ古布で服を作ることに目覚めまして、入れ込み方はそりゃもう大変な物ものです。
初めのうちこそ、今巷ではやっている"古い着物をほどいてリフォーム"程度だったんですが、病膏肓にいると申しますでしょう、あれですよ。
蔵の中のン十年も開けていないタンスを漁ってみたり、友人と一緒に車で古布の品揃えのいいという噂の隣県の骨董店にまで足を伸ばしたり、思い立ったらやってしまうあの実行力の凄さ。
古希に手が届いているというのに、このパワーには頭が下がります。

これまでも京都骨董祭に何度も足を運んでいるのに、その当時は古布にはまったく興味なしで、かえって「あのボロ切れの山」なんて憎まれ口を叩いておりましたのにね。

私にとって運の尽きは、何も骨董店で高額な古布を買わないでもヤ○オクなどを探してみたら、と振ってしまったことでした。
検索すると、古布、木綿、絣、型染め、和服、吃驚しました、あるんですね、これが山ほど。
どのキーワードで検索するかがまさにkeyなのでしょうが、木綿で絣と二重の検索で一番欲しい物にヒットしました。
目を付けたのが同一出品者からの数点の型染め古布と、別の出品者からの一連の絵絣。
どれも4,5点ずつ。母の言うところに寄れば骨董店よりも信じられないくらい安いとのこと。
"絶対落札"の密命を帯びた、かくいう私は、3日がかりで夜半10時過ぎの落札目指してimpossible missions を敢行することとなりました。

最高に大変だったのは数分おきに時間が終了予定の5点でした。
さすがに状態のいい品だけにかなりの競り相手がいる模様。エクスプローラーで時間順に別窓5個開けて、しかもそれぞれ詳細な残り時間のjava窓も開けて、すべて並列にして一目で進行がわかるように配置。
なんだか、こちらも乗ってきましたよ。いけけムードです。
でも、いくら何でもそうそう高額入札はできませんや、だから最後の5分に勝負をかけます。IDパスワードはコピーしてワンクリックで入力可の状態にしておきます。
ところが、一つ見落としがありました。久々にオークションへいった物で、以前の「駆け込み」入札ができなくなっています。入札終了5分以内に新しい高値更新があると自動的に終了時間が5分延長されるのです。いわばフェアな措置ですね。競り相手が諦めて更新が5分なかったら、やっと終了となります。

大体の予想通り欲しい物は競り落としましたが予想外に高値になってしまったあ物件もあって、完全勝利に酔い痴れる気分にはんれませんでした。

ギャンブル性のあるものをうまく御して行くためには、まずマイナス思考をしてはいけないと言われます。
たとえば高値をつける株をそろそろ上げ止まりと思って売却したら、翌日翌々日にはもっと高値になった──これを「損をした」とネガティブに考える人は株には向いていないそうです。たとえ上げ止まりでなくても、買ったときよりも高値だったら、それはすなわち「得をした」とポジティブに感じなければならないのだそうです。これができない人は株には向いていないらしい──→友人からの請け売り。

オークションでも落札できたことを喜べるか、もしかしたら他のところでもっと安値で買えたかも知れないという後ろ髪を引かれる思いを残すか、そのあたりがオークションに向いているか、オークションを娯楽の一種として楽しめるか分かれ道がありそうです。

後日談ですが、まとめて5点、絵絣を落札購入した出品者さんから商品が届いた翌日また一つゆうパックで品物が。見ると私が落札した物の下にあった落札者なしの品でした。出品者さんがおまけに送って下さった物でした。出品者さんとは、ギブ・アンド・テイクの、ともすれば殺伐としたおつきあいに終始しがちなものですが、今回は品物を仲介にして相手の方の人間味を感じられました。
なんだか一日中うれしい気分になりました。

粗大ゴミ

年に一度の粗大ゴミの収集日。
この日に備えて家中を点検、今はもう使わないのに、捨てられなくて取って置いた、子供の通学自転車、スキー板と靴、学習机、人から要らない?といわれて深く用途も考えずもらったスチール棚、車のキャリアー、古くなった整理ダンス、壊れたラジカセ・・・・・・
書けばきりがない、ああ、これはもう不要品の山の中に暮らしているようなものです。
物を取っておくスペースを土地代や家の建築費用に換算すると、いかに無駄なお金の使い方をしていることか! 物をしまっておくために家を建てたのではないのです!

昼過ぎに町内の粗大ゴミ集積場へ行くと、すでに机のような木材もの、自転車、パイプ製品のような金属もの、布団カーペットの布もの、プラスチックもの、電化製品などなど、山ができています。
何年か前、市で粗大ゴミ収集が始まった頃は、今の数倍の量が出ていたように覚えています。
不要の大物を持ってきた人が、その場に出ている机や椅子、果ては小ダンスなど、使えそうな物を反対に物色してもらって帰ることもよくありました。
集積場にはその日は一日中人が絶えず、まさに臨時の不要品交換市様子を呈していました。
時には市内に住んでいる中国からの研修生たち、ブラジルから出稼ぎに来ている日系の人たちがグループで生活用品を物色に来ている姿も見られました。
しかしこれも、回を重ねる毎にめぼしい物も出尽くして、今は本当に廃棄しなければならない物ばかり、これは再利用できるかなと思える物もなくなりました。
軽い生活、小振りの生活スタイルが人々の間に浸透し、本当に気に入った物だけを厳選して買い、長く愛用する、効率のよい生活が身に着いてきたのであれば言うことはないのですが、長引く不況の影響で経済活動が停滞、個人の購買能力が下がり、人々が守りの構えに入ったのだとすれば、先行きが見通せない混迷の度が一層深まるような気分がします。

ガラス玉の記憶

okada_glass.jpg漫画家の岡田史子さんが亡くなりました。
新聞の物故欄にその名前があるのが目に留まり、初めてご本人の写真を見ました。
岡田史子さんといっても知ってる人の方が少ないと思いますが、私にとっては忘れられない漫画作家です。
1960年代後半に、手塚治虫さんが立ち上げた漫画専門誌"COM"の新人登竜門ぐら・こん、確か第2回に第一席で華々しくデビューを飾りました。
その折り、手塚さんが絶賛されたという「太陽と骸骨のような少年」という作品。
テーマで100点の満点を、一方ストーリーで0点を取っていたのがとても衝撃的でした。
この作品はとにかく難解、わたしもそれを鑑賞できるほどの歳ではなかったせいもありますが、それでもボードレールの詩を下敷きに人の生きるということは、死とは、希望とは・・・と真摯な態度で正面から取り組んだ深さ、ふとレイモン・ペイネを思わせるような、柔らかでいながら凄みを漂わせる絵柄、一読してこの人はすごいものを持っていると子供心にも岡田史子の名前が刻まれました。
その後、矢継ぎ早に"COM"への投稿が続き、そのうちに執筆陣に名を連ねるようになりました。
「フライハイトと白い骨」「ガラス玉」「いずみよいずみ」「サンルームの昼下がり」「胸を抱き首を傾げるヘルマプロディトス」「死んでしまった手首」「ほんのすこしのみず」など、今これだけのタイトルが思い出されることに自分で驚いています。
数年間、上記のような不思議な雰囲気の作品を上梓したあと岡田史子の名はふっつりと漫画界から消えてしまいました。
次にその名を目にしたのは単行本を偶然見つけたとき。まさに"まぼろしの一冊"と思いしっかと手に握りしめてレジに走りました。それがこの写真の「ガラス玉」です。
あとがきに萩尾望都さんが「北海道は一人の天才を秘めている」(なんだかこういう言い方でしたが)といみじくも語っているように、萩尾さんも岡田さんと同世代で多大な影響を受けたということでした。
あちらの糸とこちらの糸が思いもかけないところで繋がったという気持ちがしました。
その後続いて2冊の単行本が刊行されて──岡田史子の名は永久に漫画界から消えました。

次に名前を見たのが死亡欄だった・・・・年月の経つの速さに驚くと共に、時間がいくら経過しても色褪せない作品のすばらしさを改めて思い出しています。
明日しまってある"COM"を引っ張り出してきて、この数少なく、しかし凡百の作家が量産する何十という作品にも優るとも劣らない岡田史子作品を改めてさがしてみるつもりです。

Spring Clean_Up

毎年、必ず言い出すんですよね。
春の大掃除──いや、ご町内の一斉清掃じゃなくってさ。
自発的にうちの中かたづけようってえの。

そもそも、狭い家でスペースが限られているんだから、
空いている空間に右のものを左へやって、はい終了、そんな器用なまねはできません。

現実は、つまり玉突き。
企画中なのは、二階にある予備の食器棚を階下に下ろし、
その上にTVを載っけること。
予備の食器棚の中の食器はなるべく始末して、不要なものはもらってくれる人に譲る、
お嫁にもらってくれるところがない物は、この際涙を呑んで始末する。
そして残った食器は、いまTVが載っている小振りのタンスを二階に上げてそちらへ収納。
TVの下へ来る棚の中にタンスの中身を入れ替え。

──こう書いてみると、要するに台を入れ替えるだけで、
どうしてそんなに労力を使って何無意味なことやってんの? 
と突っ込まれそうだが、そもそも話は棚の方が容量、強度ともにかなり大きいから、
入れ替えようということになったわけ。

こんな具合に、わが家では、春先に大騒ぎして家の中を引っかき回すのが恒例になっている。

進学なんかで家族が家を出る分には、ものが減るのだから問題はないのだが、
今回のような、「玉突き」は、大変な思いをして、大型家具を階上階下と移動させ、
しかも内容物の整理、廃棄・・・・・ときには、廃棄した物をまた戻したり・・・・
結局、疲ればかりがどっと溜まり、それに見合うだけの効果は大いに疑問視されるような、
「骨折り損のくたびれもうけ~」 になる危険性が多大にあります。

大抵、毎年家具の入れ替えをするときには、きまってこういう会話があります。
「これできっと良くなるわ」
「今までになく便利」
「もうこれで、絶対に動かさなくてよくなるから」
何回そんな言葉を交わしながらやったことか。

大体、わたしは性格もずぼら、勤勉の正反対を地でいく人間です。
こういう企画は母が出してくる。
頭の中で、あっちの和箪笥を3畳間に入れて壁に沿わせて全部置くと、
こっちの押入が空くからあそこの服をこっちへ吊れるし・・・・・
そういう100%の希望的観測に、ついうかうか乗ってしまうわたしも悪いんだけど、
妙に説得力があって、いかにも生活が効率よくなりそうな気になってしまいます。

今までの何度もの挑戦と敗退から学んだ教訓は
その1 すべてを一日で片づけようとすると失敗する
その2 民族の大移動は避ける
その3 移動させるだけでは根本的解決にならず
その4 思い切った廃棄、それが最大最良の解決策

「玉突き」の最大の欠点は、とにかく片づけてしまわないと足の踏み場もなくなり寝る所もなくなる
しかも、どちらを見ても雑然混沌として片づかないうちに夕食の準備とかの時間になってしまって、
もう後はパニックになるか、ど~~んと気分的に落ち込んで厭世的になるかのどちらか。

絶対量を減らすこと、まずはこれが第一かと。
今年は食器を減らすぞと決めた。
6客揃いだから、何かの折りに役に立つとっておいたコーヒーカップ、半端な数になったガラスのコップ、
やけに大きな盛り皿、うう、数え上げるだけでも頭が痛い。

世の中には、捨て上手な人がたくさんいる。
整理の方法や、いかに不要なものを見定めるか、そのノウハウを読んだり聞いたりするが、
そのときはなるほどと思うものの、いざ実行の段になると、自分には越えられない一線がある。

どうやら春の大掃除とは、ものの整理整頓ではなく、
自分の脳内の整理整頓、不要物の廃棄というのが本当に意味するものであるらしい。

エイプリル・フール狂想曲

xrose.jpg

「ダンナとけんかした、もう我慢の限界。家を出るわ」

昨日、こんな書き込みが舞い込んで来ました。
彼女、よくできた人間で、結婚以来舅姑との同居も厭わず、ご主人とは相思相愛、
家業もまめに手伝うしそれ以外にも地区のおつきあいや各種の会にも顔を出す、いわば良妻の鑑みたいな人。
その彼女に曲がりなりにも家を出る決心をさせたものって・・・・・・
上記の書き込みがあって暫くして、次の書き込みが。
「○○ホテルに宿泊予約したから、家から問い合わせがあっても言わないでね」
おお、これは本格的だ。
原則として夫婦げんかは犬も喰わない主義のわたしなのでな~~んも言いませんけど、これでいいんか?
私以外にも彼女からメールをもらった人もいたらしい。
メールを見てびっくりして、「ホテルに行ってあげようか?」とレスした人もいたし、
「ダンナとけんかなんて。うちのダンナは脳出血で入院中や!」と切り返した人もいたらしい。

本気にした人も、いっしょに乗って浮かれた人も、半信半疑で口出しを控えた人も・・・・・・
かくして四月一日のラプソディは終わりを告げたのでした。

写真は庭のクリスマスローズ、本文とはな~んも関係ありませんw