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もう、春ですね

katakuri.jpg

何も変わりがない、っていうことがどれほどありがたいことを近頃身にしみて感じました。
家族の中に一人具合の悪い者が出るということは、まるで整然と動いていた機械の歯車がひとつ噛み合わなくなって急にすべての動きがぎくしゃくして、果てはバラバラになってしまうようです。
母が風邪をこじらせて長らく寝ていました。どうやら薄紙を剥がすようにこのところ日に日に回復してきてほっとしています。そんなわけで私も極力外出を控えて家に籠もっていました。
今朝、相変わらず風は寒かったものの、久々に晴れ上がったので庭を一回り。(一回りといえるほど広くもないが)
毎年忘れずに顔を出す片栗、今年も蕾をつけていました。父と母が山から採ってきて根付いたものです。
クリスマスローズの方は、動物的ともいうべき濃紫色の花がむくむくと頭をもたげて咲き出していました。黄色のラッパ水仙、白の桜草、もうすぐ早咲きの雪柳も緑の芽と白い花を同時に開きそうです。
歳歳年年じゃないけれど毎年同じようでそれで何かが決定的に違ってきています。
何か今まで手をつけなかったことをし始めようか、そんな気がする、もう春ですね。

ホミニッド──原人

hominids.jpg学生時代の人についたあだ名っていうのは、なかなか言い得て妙というものが多い。
特に高校、大学時代のあだ名はペダンティックさからいっても、時には残酷なくらい「当たってる」ものが多くて、今思い出しても思わず笑いがこみ上げてくる。
たいていどこの高校にも「ガンジー」みたいなやつがいただろう? 

さて、私の大学時代にクラブに、「ねあんちゃん」なるあだ名をちょうだいした人がいた。
「ほら、あのネアンだよ」といわれて、なるほど彼の風体は天然の縮れ毛にやや幅広い鼻梁、広いひたいにがっしりした口。
いや、申し訳ないことだが、思わず、うふふと笑ってしまった。
しかも彼は理学部で原子理論をやってたんじゃなかったっけ。
その外観と頭の中身のギャップがさらにまたおかしさに拍車をかけた。
(今にしてみれば、本当に申し訳ない、でも彼もまた大勢の人に的確なあだ名を進呈していたのだからおあいこかも)

さて、枕が長くなりすぎたけれど、ロバート・J・ソウヤーの最新作 「ホミニッド──原人」を読んだとき、まさに上記の友人を思いだしてしまった。
3部作、ネアンデルタール・パララックスの第1作目、続刊は今年中に発刊予定で、今から心待ちにしている。

私たちのこの宇宙では、ネアンでルタール人は絶滅してクロマニヨンの子孫たるホモ・サピエンスが支配的な立場にいるが、無限にある並行宇宙の一つではネアンデルタール人が進化を遂げて地球のドミナントになっている。

ネアンデルタール人、ポンターは量子物理学者、大型量子コンピューターの実験中に処理能力を超えた過剰な演算にコンピューターが並行宇宙の量子にまで接続してしまい、結果的にこちらの宇宙と一時的に門(ポータル)が開いてしまった。ポンターはこちらの宇宙のまさに同じ場所、同じ時間にニュートリノ観測所の重水の満たされてたタンクの中に出現する。

こんな風に始まった話は、突如として現れた男がネアンデルタールであることを確認する遺伝学の専門家の女性の目を通して描かれる。
大騒ぎがおこり、群がるマスコミをかわし、意思の疎通が始まり、感染症の危機を乗り越え、双方向カルチャーショックを体験し、何とか帰る方法がないか模索する、まさに山あり谷ありの奮闘。
あちらの世界では優秀な科学者で父親で壮年の男が、こちらへ来た途端に絶滅種の「原始人」と確認され、インプラントされた携帯コンピューターの助けを借りて驚異的な速さで言葉を学習してこちらの協力者たちと意思を通じさせ始めるのだが、まったく異なる社会通念、生活習慣などで、孤立感はぬぐえない。

ところがこの話のすごいところは、ポンターが消えたあちらのネアンデルタールの宇宙の時間進行も同時に描いているところ。
しかもあちらの時間単位から、社会構造、まったく異なる家族構成、生殖のシステム、果ては裁判制度まで一部の隙もなく構築してあるソウヤーの手並みこそ見事である。
ポンターの失踪で「殺人罪」で告発された研究と生活上のパートナーの苦境、父親を殺されたと信じる娘の葛藤、ところが量子コンピューターの暴走でポンターが「転送」されたのではないかという結論に達して、なんとか再度接続を試みる「被告」。法廷物サスペンスまで読ませてくれるのだ。

圧巻は、現在すこしずつ明らかになりつつあるネアンデルタール人の行動や社会(?)の諸説を取り入れながら、ソウヤーが空想を縦横に駆使して構成した彼らの社会。
クロマニヨン系の人類より遙かに隆々たる体躯をもつ彼らは、一旦激情に飲まれて殴りかかれば相手を殺しかねない。
ゆえに徹底した感情統制を行って、厳罰を科することによって犯罪を未然に防いでいることとか、経済基盤が農耕社会でないだけに、これも徹底した産児制限をおこなって人口の爆発を防いでいる、その結果、少数の人口、豊かなゆとりのある社会が実現している。
しかし「すばらしい新世界」のような強権的な管理社会ではないところが、とても好感が持てる、あくまで理性的でゆとりのある、こちらから見ればいわば理想的な安全な社会なのだ。

ポンターの視点から、こちらの社会を見ると矛盾だらけで、「飢餓」に何億もの人が苦しんでいる状況が理解できないでいる。
しかし両者の社会構造の違いが、実はネアンデルタールとクロマニヨンという生物学上の相違に端を発するものだという視点は新鮮であり、とてもおもしろい。

話の展開で、いくつも、「ああ、ご都合主義だ」と思えるところはあるのだけれど、それで決して話がつまらなくなるわけではない。
元々ここまで突飛な構想であると、ご都合主義をもちださなければ話がまとまらない。むしろ、ソウヤーの手並みがいいのでご都合主義が快感ですらある。
へえ、そうきましたか、ふーん、なるほど! ってわけ。

ポンターと遺伝学者のメアリーとの心のふれあいもみずみずしいし、分かれてからの二人の前向きな生き方もとても共感できて、好感がもてる。
というわけで、久々に一気読みしたソウヤーの新作だった。
続刊の刊行を首を長くして待たないといけないな。

6冊目

hp_6.jpg

久々にアメリカ・Amazonコムを覗いたら新しい画像を見つけました。7月16日発売の"ハリー・ポッターとハーフ・ブラッド・プリンス(混血の王子)"のアメリカ版の表紙です。
個人的には、ハリーのシリーズは好きです。でも出版されたら早く読みたいという程度。最初はそれこそ楽しかったんですが、余りに世界中で喧伝されすぎて、やや食傷気味。
そのいい証拠が第5巻"ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団"、内容を先に知ってしまったので邦訳版を買ったのに結局まだ読んでいません。
第6巻も、今年出るんだよといわれて、ああ、そうだった、そういやあ予約もしてたんだ───こんな調子です。でも、次のくだりを読んでちょっと興味が再燃してきました。

The author has already said that the Half-Blood Prince is neither Harry nor Voldemort. And most importantly, the opening chapter of Harry Potter and the Half-Blood Prince has been brewing in J.K. Rowling's mind for 13 years.

...著者もすでに述べているようにハーフ・ブラッド・プリンス(直訳すれば混血の王子)とはハリーのことでもヴォルデモートを指すのでもない。さらに一番重要なことは、実はこの巻の第一章は著者のJ.K.ローリングが13年間もその発想を温め続けてきたものだということである。

まさに、へ~~状態です。タイトルからしてハリーかヴォルデだと思いこんでました。
それ以外には何も情報なし。ただローリングが2,6,14章のタイトルを明らかにしています。ちなみにChapter Two: "Spinners End" Chapter Six: "Draco's Detour" Chapter Fourteen: "Felix Felicis"
spinnerは糸紡ぎのこと、でも最後に'sがないのが気になる・・・一応「糸紡ぎの端」、6は間違いなく「ドラコの回り道」14はおそらく人名「フェリックス・フェリシス」、猫と関係のある人だと思うのですが。

気が付いてみると7月の6巻の発売を楽しみに待っている自分がいました。

EP-3 PG-13

C-3PO AND R2-D2 GO PG-13今週号TIMEの小さな記事です。
EP.3関係の情報なら他のサイトでもっと詳細に大量に仕入れられるのですが、その道のサイト以外に一般の雑誌にどういう風に取り上げられるかで、Ep.3への世間の予想と期待がどのくらいか感じられると思うのですが、どうでしょう。さて、本文ですが、(全文引用はちょいと避けます)

What would Yoda think? The next--and final--Star Wars movie will achieve a franchise first, according to George Lucas: a PG-13 rating.....
ヨーダならどう思うだろう? ルーカスが語ったところでは今回の、そして最後となるSWは初めてレイティングを設けることになりそうだ。PG-13(13歳以下の子供が観るためには親の付き添い、または許可が必要)
・・・・・・ルーカスがCBSのTV番組で語った。アメリカでは5月19日公開(日本は7月9日)。レイティング設定の主な理由はアナキンがダース・ベイダーに変身する特に暗いシーンのためという。

まあ、こんなことはわざわざ取り上げなくても周知のことなんですが、TIMEの記事はエスプリが効いています。今までも何度となく、タイトルや本文である時はさりげなくある時は確信犯的にパロディや当てこすり、または機知に富んだ本歌取りをやってくれています。
さしずめ、わかる人だけにんまりしてくれー、そういう遊び心なんですが。
それで今回の記事の最後、この部分を紹介したかったわけです。

Of course, since most Star Wars fans are actually 12-year-olds trapped in the bodies of thirtysomethings, they should have no trouble getting into the theater.
...もちろん、SWファンのほとんどは実際のところ、30ン歳の身体を持つ12歳児なんだから、劇場へ行くのには何の不都合もないよね。

うまく訳せなくてスンマせん。口調に悪意が感じられたら訳のせいです。
12歳の何事にもわくわくノリノリになる子供心をそのまま残して大人になってる───それを直訳すると30ン歳の体に囚われになっている12歳、と表現しているんですが───うまくファン形態を表現するとともにほんの少し、仕方ないなあという呆れた感じもひと摘み添えてね。

SW公式サイトのトレイラーを見る限りではEp.2の雰囲気を引きずっている感じです。今回も自然に入ってくる情報以外は余り進んで予備知識を付けないで劇場へ足を運びたいと思っています。
幸い13歳はとっくに越しているので、わたしも平気で劇場へ行けますしね。

春は悲喜交々

時ならぬ大雪、目を疑った朝の光景。
後一週間で春分だというのに、なによこれ!
でも、さすがに昼からは寒さも緩んで雪も斑に解け出しました。

この季節、毎年天候は一定しないけれど、必ずあるのが合格!という喜びと・・・・・・残念な結果。
少しでも関わりのある人は全員合格してほしいのが人情だけれど、現実はそうはいかない。
今年も勝ち組と負け組ができてしまいました。
勝ち組には、はしゃいで「おめでとう」を連発できるのですが負け組には報告を聞いても声をかけ辛いものです。ある学生から、不合格だったらとにかく触れて欲しくないものだよ、と言われました。
何とか、残念な気持ちと、不合格は実力がなかったからじゃないんだよ、という気持ちを伝えようと、つい「あなたほどの実力があったら・・・・・・」とか「運不運もあるし・・・・・・」とか「試験は水物だから・・・・・・」などと余計なことを口走ることが幾度かありましたが、ずーんと反省。
それより第二志望であろうと、私大であろうと、進学が決まったことを素直に祝ってあげるのが最善なんだって。そうなんでしょうね。

先週のこと、母が仲良しの友達と4人で九州の方へ旅行しました。
娘と二人で気楽な数日を過ごし、母が帰ってくる日に何か作っておこうと殊勝な気を起こして、二人でシフォンケーキを焼きました。
かなりふんわりいい感じに仕上がって、これだったらおばあちゃん喜ぶね、などとはしゃいでおりました。
夜も8時過ぎ、母が帰ってきました。帰り道でひと騒動あったのですがその話はまた次の機会に。
それで、出してくれたおみやげの一つ。
「はい、これ神戸でシフォンケーキ買ってきたわよ、あんまり美味しそうだったから」
─────たいてい、こんなものです。

ああ、春は悲喜こもごもですね。

ダーリンの頭ン中

darling.jpg本書の前作にあたる「ダーリンは外国人1・2」は、外国人の夫と日本人の妻の共同生活での感覚のずれや思いもかけない珍事態について軽妙洒脱な漫画で描いて、ベストセラーになりました。
本作はその後、雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載した後続を単行本化したものです。連載中から何度か目にしていて、今回の内容はややペダンティック、言語フェチには楽しいけれど一般受けするかな?と多少の危惧も。
日本語以外の言語に少し足を突っ込んでいるので、わたしにはとても面白く、今まで特に確固とした根拠なしにそうだと思いこんできたことが、ちゃんと説明されていたりして、頷くところ、ぽんと膝を打つところ、へーっと感心するところ、多々ありました。言語好きには頷ける共通の興味の持ちよう、言葉についての「こだわり」がわかるのよね!

語源の拡がりなど、今までそれに関した本や新書などいくつか読みましたが一番面白く紹介してあり、しち難しい歴史的検証を述べる語源論の本よりずっと取っつきやすいものでした。語源辞典もこのノリで全部小栗+ラズロのコンビが書いてくれれば、画期的な辞典ができるのに、惜しい!

一般受けは難しいかも、といいましたが、内容の面倒くささを補って余るのが小栗左多里のあそびのある絵と独特のつっこみ。彼女の話題の料理の仕方が絶妙なので、今まで言語としての英語に興味を持っていなかった層の掘り起こしが期待されますね。
私としてはさらにこの手の続編を期待しています。
世の判定は如何に?

ボーン・スプレマシー

bourne_2.jpg

正直言って前作、"ボーン・アイデンティティ"は、印象に残る映画ではありませんでした。
記憶喪失というトリックが古めかしかったし、記憶を失った殺人マシーン云々のコピーも何を今更という気分で新鮮味が感じられませんでした。
マット・デイモンが新たな役の巾を広げたかというと、それも余りぱっとしなかった、要するに地味で小粒な作品、これは続編を作るのは難しいだろうなと思っていました。

ところが、先週のことです、この作品"ボーン・スプレマシー"を見た友人が、
「すんごく面白いから見てらっしゃい」
と曰うたので、半分以上見るつもりはなかったのを予定変更して見に行きました。
始まって十分もしないうちに、
─────このテンポ、いい!
ストーリー進展がとにかく速いだけのめまぐるしい映画ではなくて、何というか・・・・そう、やっぱりテンポがいいと言う表現がぴったり。
前作のラストで、記憶が戻らないままに自分の居所を見つけたジェイソン・ボーンが、今回いかにして再び熾烈で孤独な戦いに巻き込まれていくか、その過程が実に小気味よく展開していきます。
ストーリー的に続編は難しいと思っていた点も、前作と本作で実は一作をなすような緊密な連関を持たせることで木に竹を接いだような不器用さを見せずに済みました。
登場人物も前作からの引きずりで、同じキャラが多く出るので、話が連続しています。前作最後に作戦の失敗の引責で粛正されたと思われたボスキャラの死の真相が明らかになったり、ジェイソンたちを生み出した"トレッド・ストーン作戦"の裏にあった陰謀が暴かれて、前作と重ね合わせることによって、ストーリーに重層性が増しました。

話を元に戻しましょう。
隠れ住んでいたインドからイタリア、ドイツ、ロシアと舞台が転々としますが、個々に見せ場があって、中でも楽しかったのがジェイソンの緻密な行動様式が垣間見られるところ。
たとえば指名手配中の名前のパスポートをわざと使って出入国の際に捕まることで、相手の出方や目的を探る、倒した相手の携帯に着信盗聴器を取り付け、さらに車の電子ロックだけを抜き出す手際の良さ。
相手のホテルの部屋番号を知るためにフロントで呼び出すと同時に携帯で呼び出してナンバーをトレースしたり。
こういう一連の動作をこれ見よがしの説明なしにあっという間に見せてくれる、ストイックなほどに冷静な映画作りが嬉しい。
他にも、突き止めたキーワードの人名から、ネットカフェで、各国の新聞検索→事件の特定→ホテル名→住所の検索→ 次の行動に移る────これをほとんど数カットで処理する、うーん、やっぱりテンポがいいんだわ。
もちろん、最後の今まで見た中でも最高の部類のカーチェイスシーンもすごかったけれど、こういうど派手なシークエンスよりも、生き残りの仲間同士が、その受けた訓練故の習性で、結局どちらかが倒れるまで戦うことになってしまう、地味なのだけれど現実味のあるシークエンスが印象に残りました。

ちなみに今回の敵はロードのエオメル、初めに顔が見えたとき、
「あらエオメル、あんたこんなとこで何やってんの?」という感じでしたw
この気分は、この映画を見てからもう一度復習を兼ねて前作をレンタルしてきたときに、クライブ・オーエンが出ていたのに気づいた時と一緒。

まだ見ていない人は御一見あれ。
それもできたら前作"ボーン・アイテンティティ"を復習してから行かれるとなおよろしいかと。

西と東

Udon_3またまた、きつねうどんの話です。
といっても、今回は本物のきつねうどんです。画像はおなじみの即席きつねうどん、右は特大アゲ2枚入りですが、基本的には標準版と同じものです。
では、一体どこが違うのでしょうか? 実は右が関東バージョン、左が関西バージョンです。

Udon_w Udon_e一般的に関東のうどんは「醤油の中に麺が浮いている」といわれるように、出汁は色が濃く、関西のうどんは「だし汁の中に麺が坐っている」と称されるように出汁が薄いのが特徴。
どちらが美味しいか? それはもう好みの問題ですが。
最近の発見ですが、即席うどんにもこの関東、関西の違いがあるということを知りました。
この2枚の画像はそれぞれの麺のカップ側面に小さく記載されている"E"と"W"です。
Eは娘が東京で買ってきた物で、Wは当地で購入しました。
まだ実地に試食していません。今日あたり一緒につくって食べ比べしようと思っています。
中の見た目も違うのでしょうかね?

生まれ育った土地に育まれた味覚は一生その人の好みを作るといいますが、関西圏で育って関東へ移った人が即席麺を食べてなんだか味が違う・・・・・・と違和感を持つとしたら、これまた何とも微妙で面白い話だし、即席麺にまで東西バージョンをつくって、消費者の嗜好に合わせて販売促進を計るなんて、とても日本的な発想だなあと感心してしまいます。