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おもちゃ今昔

このサイトにいつもコメントを寄せてくださるHatchさんから"Babies in a Grown-up Toyland"を読んで、昔ながらのおもちゃが廃れテレビゲーム等で遊ぶ今の子供たちは、子供時代を失っていくのか?玩具の変遷と子供の変化の問題点は?と頭を悩ませるお題目を振られました。以下、内容的には少し逸脱するかもしれませんが、私なりに考えたことです。

本来子供は自分が楽しい物で遊ぶものだ。子供が眺めて心惹かれない物、手にとって探索してみようと思わせない物は、子供にとっておもちゃたり得ない。

現在の子供は何で遊んでいるのだろう。従来の人形や機関車やレゴブロックに代わってコンピューター・ゲーム(PSPやNintendoDSなどの携帯用ゲームを含んで)が子供たちの心を捕らえている。実にゲームメーカーは3歳児からターゲットとして視野に入れているそうである。

しかし子供がゲーム(上記のコンピューターゲームのこと)で遊びたがるのはそれが魅力的であり面白いからだ。人形や木の玩具やぬいぐるみに見向きもしないのなら、それらが面白くないからなのだ。
思い出してみて欲しい、あなたが子供だったころ何で遊んだだろうか?
その当時最新のおもちゃではなかっただろうか?友人が新発売のおもちゃを持っているとそれを羨望の目で見なかっただろうか? 一時代前の古めかしいおもちゃを自分から選んだだろうか?

子供は新奇なもの、好奇心が引かれるものを欲しがる。それが子供の本性である。
ゲームの氾濫に眉を顰め、従来のおもちゃが良しとするのは大人のノスタルジーに過ぎないのである。

本来子供はcreativeである。
もしゲームなど無い環境で木や粘土や石や紙を与えられれば、いずれそれを使って遊び出すだろう。しかし、もしそういった作られた「おもちゃ」が無い状況で子供から創造性のある遊びを引き出したいのなら大人のガイダンスは必須であろう。ただ素材を与えて後は放任するのではなく、それを使ってどのようなことができるのか可能性を示唆する必要があるだろう。
しかしそれ以上の方向性を与えてはいけない。子供がどのように素材を用いどのように遊ぶかは子供に任せるしかない。

従来のおもちゃ、それは構造が単純で動いても最小限の反復動作しかしない、壊れてもその機能の幾分かは残る。形而下の性質といえる。
それを子供に与えれば考えられる反応は2つ。
一つは「ごっこ遊び」を通して子供が想像力の助けを借りて、現実にはない架空の状況を作りその一員となることで社会性を発展させる。なぜなら子供は抽象の世界に生きているわけでは無いからだ。人形や台所セットや電車模型セットは子供にとっては具体性をもった現実社会を模倣するものであるからで、現実には「子供」ということで参加できない社会を擬似的に体験するよすがになる物である。
残るもう一つの反応は、単につまらない、退屈だといったネガティブな反応。これは子供の発達がそのおもちゃを越えてしまったということであろう。

ゲームに代表される複雑な最先端のおもちゃ、それは複雑で微妙な構造を持つ。あらかじめ精妙にデザインされた機能を持つ。しかし壊れれば機能は完全に失われまったく役に立たない厄介者になる。
つまりこの手のおもちゃは形而上的な性格を持つといえよう。
それで遊ぶ子供は skill を身につける。規定された「遊びかた」の中でいかにすればより興奮が得られるか、どうすれば他人との差別化を図れるかを考え、情報を集め、試行する。
これもある種の創造性といわずしてなんというのであろうか。

どういう種類のおもちゃで遊ぼうとそれが子供の思考力を磨き、情緒を豊かにし、包容力のある心を培うなら、その新旧、素材、性質は問わない。子供の発達段階によってもどのようなおもちゃを好むかは(与えるかでは無いことに注意)異なるだろう。
子供が一番喜んで遊ぶおもちゃ、それが子供にとって最高のおもちゃであるような気がする。

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