my reading report

  • ■ Book Shelf

relative sites

Powered by Six Apart
Member since 07/2006

« November 2004 | Main | January 2005 »

Innocence に明けてPolarで締めた2004年

Innocence2004年、自分ではたくさん映画を見たつもりでしたが、数え直すと、その割に見ていませんでした。見たとのもほとんどメジャー作品ばかりでフツーのmovie goerでした。インディ系やクラシックの作品も見ないといけないとは思うのですが、つい目は話題作の方ばかり向いています。
さて、今年最大の収穫はなんといっても押井守の「イノセンス」と攻殻機動隊の再発見でした。
画像のディテールの凄さに驚愕し、川井憲次の音楽に驚喜し、バトーの強さと優しさ、哀しさと純粋さに涙し、ガブちゃんのかわいさを見たさに映画館に足繁く通いました。
その後は話題作の数々を見て、それなりに楽しみました。
年の瀬にもう一つ駆け込みでプレゼントをもらった気分になったのがポーラー・イクスプレス。
まず映像の美しさに感激して、ハートウォーミングな嫌みのない物語に俗の垢を落とされた気分になりました。2005年はどんな映画を目にすることになるでしょう? 映画界にとって、そして映画好きにとって実り多い年になることを心から願っています。

そろそろ年賀状

そういう時期になりました。
年中行事とはいえ・・・・・・じゃまくさいんだよね、本当のところ。
でも年の終わりは日に日に近づいてくるし、お手頃に亡くなった親族もいないし。
踏ん切りをつけて始めましたが、根っから画像いじりのへたくそが、七夕もどきに一年に一度画像ソフトをホルダーの奥から引っ張り出して、下手っぴぃ写真を四苦八苦して貼り付けましたが、出来はいまいち。
試し印刷してみると、思ったところに文字が出ない、などなど。
とうてい満足のいく出来ではありませんが、時間切れと根気切れ、はっはっは。
笑い飛ばして、今年の仕事納めとしましょう。

はあ~~疲れた

6日の菖蒲、10日の菊、25日の・・・・・・

Snowman 25日に子供が帰ってくるので、うちはイヴにではなく、クリスマス当日(笑 にロースト・チキンとケーキを食べることにしました。昨日のうちにケーキ屋さんに確認。
明日何時からですか?── はい、9時からやっております
予約なくても買えますか?──はい、20種類のケーキをご用意しておりますのでお越し下さい
けさ、さっそく買いにケーキ屋さんに行くと、え、えっ?
冷蔵ガラスケースの中に3種類のケーキが寂しく並んでいる。それも生チョコ、ロング・ミルフィーユ、森のベリー・・・・・・ってすごく高いのばっかり残ってるんだ
あ、あの、他のケーキは?──すみません、もうこれだけなんですぅ~
はい、生チョコのケーキを買ってかえりました。
教訓、25日にはケーキはもう無いのです。買うなら23日か24日にしましょう。

かなりがっくり来て、チキンを買うためにスーパーに。
もう一度、が~~~~~ん チキンが、鳥の足がな い!
パック詰めになった生のトリモモがなんと冷蔵棚に奥に2個・・・・・・もう一軒スーパーのはしごをしてやっともう2本ゲット。
教訓その2、25日にはトリの足ももう無いのです。買うならもっと前に。冷凍庫で保存しておきましょう。

確か去年、一昨年にはまだ26日でもケーキのセールをやっていたように覚えているのに今年はどうして?それだけ不況なのか、それともやっと、日本人に分別がついて、ケーキだトリだというような皮相なおバカ騒ぎに決別し始めたのか、謎です。

写真は寂しくケーキ屋さんの入り口に立っていたスノウマン。携帯で撮ったので画像はぼけています。

クリスマスの思い出

Capote前項のポーラー・イクスプレスのエントリーにも書きましたが、クリスマス・シーズンになると読み返したくなる本いくつかあります。
でもクリスマスと言えば定番のC・ディケンズのクリスマスキャロルはちょいと古くさいし教訓調で好みではありません。
そこでお薦めは、トルーマン・カポーティの短編、「クリスマスの思い出」です。
孤児となった「ぼく」が親戚をたらい回しにされて行き着いて先が60才を越えた老嬢の従姉のところ。「ぼくの一番の友だち」と呼ばれる老嬢と7才の僕、それに犬の二人と一匹だけのひっそりとした暮らしが綴られます。身なりに頓着せず子供の様な純真さを止めた老嬢とぼくは一年中節約に節約をして小銭を貯めます。例外は土曜日に映画を見に行く小銭をもらうことだけ。老嬢は決して一緒に行こうとせず、ぼくに見てきた筋を話して貰うほうを好みます。そして倹約して貯めたお金でクリスマスシーズンになると材料を買い込んでたくさんのフルーツケーキを焼きます。人生の小道を横切った縁ある人々、そして必ず一つを大統領におくるナイーブな心の持ち主です。
二人で森へ出かけ見事な樅の木を切り出します。やっとの思いで引きずって帰ったツリーを飾るのは手製のオーナメントです。お金がないから日本製の飾りが買えない……というくだりもあります。お互いに何か素敵なものをあげたいと思いながら(お金が無く)プレゼントに手作りの凧を交換することになります。この質素でささやかな素朴なクリスマスの楽しみも長くは続きません。二人は別れてその後二度と会うことはないのです。最後のクリスマスの様子が清冽で端正な文章で綴られていきます。読む者の心まで洗われるようです。

Christmas_yamagishi2ここにあげたのは、このカポーティの小説を元に山岸涼子が漫画化した「クリスマス」。この画像はその短編が載っているコミックの表紙です。
実際この表紙が「クリスマス」の扉だったのですが、タイトルだけ短編集用に変えられて使われています。読んだのは原作よりこちらが先。それまで少女漫画といえば特定のものしかよんでなかったのに、偶然店頭で立ち読みして、引き込まれてしまったのがこの短編。その場で買いました、もちろん。
なんとしみじみとした物語だろうと思っていましたが最後のコマに"A Christmas Memory Truman Capote"と小さく入っていることで、やっと原作はあの"ティファニーで昼食を"で有名なカポーティだと知りました。
お涼さまの作品も原作に負けず劣らず素晴らしい(ある意味最高傑作ではないかと思えるほど)心に残る作品です。老嬢、ミス・スックの童女のような無垢さ、人の心の交流、生あるものへの慈しみが余すところなく書かれていて、それだけに最後の空に二つ弧凧がのぼっている澄み切った喪失感は忘れることができません。

原作、漫画ともに素直に感動を語れる二つのクリスマス物語です。

Continue reading »

Christmas is coming

Wreath_2 この時期って忙しいんだよね。
何がって、デコレーションがね。10月この方、ハロウィーン、感謝祭、クリスマスとおまけにお正月、1ヶ月いや時には2週間で模様替えをしなければいけません。
母がトールペイントの講師をしているもので飾る材料はごまんとあるし自宅で教室のある日にはそれなりの飾り付けを期待されるし。
時にクリスマスは厄日というか、12月は厄月。
実は私本人も母もクリスマス小物が大好きと来ているのでどこへ行っても「あ、かわいい!」と手軽に買ってしまう。でもってますます小物が増殖して玄関には所狭しとトールをはじめ陶器や木やガラスのデコレーションが並ぶわけです。
毎年同じデコレーションでは面白くないから何か新鮮みをと思うのだけれど、そうそう新奇なアイディアが出るわけもありません。
昨日出かけた先で偶然、電飾のセールやってまして (セールにひっかかるなよ、自分) それまで「電飾なんて・・・」とけなしていたのもどこ吹く風、あまりのきれいさに一目惚れして買ってきました。
ずっと以前に頂いた、本物の山藤の蔓をぐるぐる巻きにした特大リース、例年柊の葉っぱを挿していたのですが、今年は出番が無くてガレージに眠っていたのを引っ張り出して、電飾100球付きを、ただぐるぐる巻いてみました。
それだけでは寂しいのでありあわせのベルと出来合いのドイツトウヒの実の飾りをつけて真ん中に飾ってみました。
へたくそ写真だけど、雰囲気はわかってもらえますか?

消えた日記

なにやら安物のミステリーみたいなタイトルですが。
このブログを始める前からやっているHPの日記が消えてしまいました。
こちらの方が手軽に書き込めるものだから、そちらのPHPの日記は暫く書き込みをしていませんでした。
ところが先ほど開けたら、ん? 404じゃなくってcgi Header errorだといちゃもんを付けられて表示されていません。
わたしの使っているプロバイダーさんは利用者に無料でHP用スペースを用意してくれているのですが、いくつか制限があってCGIしか使えません。それでPHPの日記だけ他の無料サイトを借りて寄り合い所帯でHPを作っていました。
日記が一体いつころ消されたのかわからないし、自宅HPの方へ戻そうかと考えてもいたので、この際新たに軽いCGIで作り直そうと、おなじみのKENTさんのサイトへ行ったのですが・・・・・・「日記」の配布CGIが消えています。
それだけ「ブログ」が普及したのでしょうか。ブログが一般的になって従来の日記はもう存在価値を失ったというかのようです。
確かにブログは手軽だしリンクやトラックバックなど有効な機能も多いけれど、時にはほんの日常の覚え書きとは違った、少し長めの雑感を書きたい折りもあります。そういった物を書くのにあの日記のスペースを取っておきたかったのに。
などなど、考えて他のサイトを探しながらやっとシンプルな日記スクリプトをDLして来ました。
制作はまた明日、そう思って念のためもう一度表示されてなかったページを開けてみる
と・・・・・・・・・・・・・・・・・・で、でてる、見えてるじゃありませんか!
結局問題は無かったわけですが、従来の日記とブログの共存か、はてまた自然淘汰が起きるのか、遠からず結果は見えるような気がします。

新しい携帯

D253iwm_closeついに4年半、満を持して、というか今まで使っていた携帯の電池消耗が激しくなってきたので、そろそろ変え時とDocomoショップへ出かけました。
ちまたではAUやVodafoneが幅を利かせていますが、わが家では私の筆頭携帯がDocomoだったためにファミ割りを使っているのでもう動きがとれないでいます。変えるなら4人が一度に変えないといけない、そ、それは痛くてできません。
行く前には、カメラ機能なんていらない、音さえよかったらいい、要らない機能全部なしで、あわよくばポイント全部使ってただみたいな値段で型落ちを探そうっと。。こんな気持ちで行ったのですが、D253iWMのかわいいボディと、手持ちのCDをメモリーに入れて聞けますよ~、このDocomoのお姉さんの甘言にころりと参って買ってしまいました。でも年末セールで3000円引き、さらにポイント8700点使って思いの外お安く買えました。
赤、黒、白、迷いに迷って、また4年も使うつもりで白にしました。かえって早速いじくり倒しました。でも4年前に比べて遙かにわかりやすいインターフェイス。以前はマニュアルと首っ引きで設定をしなければならなかったのに(キーの長押しとか短押しとかあって)今回は感覚的にすべて設定ができるようになっている。すごい。
早速付属のCD-ROMソフトをインストしてCDから携帯に好きな曲を何曲か落としました。付属のイヤホンで聞くと、なかなかどうして捨てた物じゃありません。MDウォークマンを持っていないのでかなりのお役立ちガジェットです。うれしい~☆

おもちゃ今昔

このサイトにいつもコメントを寄せてくださるHatchさんから"Babies in a Grown-up Toyland"を読んで、昔ながらのおもちゃが廃れテレビゲーム等で遊ぶ今の子供たちは、子供時代を失っていくのか?玩具の変遷と子供の変化の問題点は?と頭を悩ませるお題目を振られました。以下、内容的には少し逸脱するかもしれませんが、私なりに考えたことです。

本来子供は自分が楽しい物で遊ぶものだ。子供が眺めて心惹かれない物、手にとって探索してみようと思わせない物は、子供にとっておもちゃたり得ない。

現在の子供は何で遊んでいるのだろう。従来の人形や機関車やレゴブロックに代わってコンピューター・ゲーム(PSPやNintendoDSなどの携帯用ゲームを含んで)が子供たちの心を捕らえている。実にゲームメーカーは3歳児からターゲットとして視野に入れているそうである。

しかし子供がゲーム(上記のコンピューターゲームのこと)で遊びたがるのはそれが魅力的であり面白いからだ。人形や木の玩具やぬいぐるみに見向きもしないのなら、それらが面白くないからなのだ。
思い出してみて欲しい、あなたが子供だったころ何で遊んだだろうか?
その当時最新のおもちゃではなかっただろうか?友人が新発売のおもちゃを持っているとそれを羨望の目で見なかっただろうか? 一時代前の古めかしいおもちゃを自分から選んだだろうか?

子供は新奇なもの、好奇心が引かれるものを欲しがる。それが子供の本性である。
ゲームの氾濫に眉を顰め、従来のおもちゃが良しとするのは大人のノスタルジーに過ぎないのである。

本来子供はcreativeである。
もしゲームなど無い環境で木や粘土や石や紙を与えられれば、いずれそれを使って遊び出すだろう。しかし、もしそういった作られた「おもちゃ」が無い状況で子供から創造性のある遊びを引き出したいのなら大人のガイダンスは必須であろう。ただ素材を与えて後は放任するのではなく、それを使ってどのようなことができるのか可能性を示唆する必要があるだろう。
しかしそれ以上の方向性を与えてはいけない。子供がどのように素材を用いどのように遊ぶかは子供に任せるしかない。

従来のおもちゃ、それは構造が単純で動いても最小限の反復動作しかしない、壊れてもその機能の幾分かは残る。形而下の性質といえる。
それを子供に与えれば考えられる反応は2つ。
一つは「ごっこ遊び」を通して子供が想像力の助けを借りて、現実にはない架空の状況を作りその一員となることで社会性を発展させる。なぜなら子供は抽象の世界に生きているわけでは無いからだ。人形や台所セットや電車模型セットは子供にとっては具体性をもった現実社会を模倣するものであるからで、現実には「子供」ということで参加できない社会を擬似的に体験するよすがになる物である。
残るもう一つの反応は、単につまらない、退屈だといったネガティブな反応。これは子供の発達がそのおもちゃを越えてしまったということであろう。

ゲームに代表される複雑な最先端のおもちゃ、それは複雑で微妙な構造を持つ。あらかじめ精妙にデザインされた機能を持つ。しかし壊れれば機能は完全に失われまったく役に立たない厄介者になる。
つまりこの手のおもちゃは形而上的な性格を持つといえよう。
それで遊ぶ子供は skill を身につける。規定された「遊びかた」の中でいかにすればより興奮が得られるか、どうすれば他人との差別化を図れるかを考え、情報を集め、試行する。
これもある種の創造性といわずしてなんというのであろうか。

どういう種類のおもちゃで遊ぼうとそれが子供の思考力を磨き、情緒を豊かにし、包容力のある心を培うなら、その新旧、素材、性質は問わない。子供の発達段階によってもどのようなおもちゃを好むかは(与えるかでは無いことに注意)異なるだろう。
子供が一番喜んで遊ぶおもちゃ、それが子供にとって最高のおもちゃであるような気がする。

ポーラー・エクスプレス

Polarクリスマスシーズンには、この時期にしか見られない時期限定のクリスマス映画というジャンルがあります。"サンタクロース"、"プランサー"、"34丁目の奇蹟"、"グリンチ"etc.
この21世紀というすれた時代に生きている私たちは、口を開けばつい批判がましい口調になって、何かをストレートに賞賛したり賛同することができず、照れ隠しにやぶにらみをしてしまう、それが当前になってしまっています。
ところがクリスマスシーズンには、いつもなら面はゆくてとても公言できないような価値観を賞賛して、すべての虚飾を捨てて、諸手をあげて歓迎しても誰からも笑われません。
信頼、友情、善意、そういった「完き善き意志」への信望が一気に高まる季節なのです。
本家の表現を借りれば、クリスマス・スピリット。

クリスマスの季節は日頃諍いを続けている人々も「鉾を収めて握手する」(Bury the hachet and have peace)のです──たとえ当座のことであっても。
そして家庭へ戻り、旧交を温め、家族の絆を強める時期でもあるのです。
だからこそ、クリスマス映画はクリスマス・スピリットを高らかに歌い上げるのです。
さまざまな障害、困難、あるいは疑念、失望を乗り越えたかなたに、暖かく明るく輝く"サンタワールド"に象徴される国にたどり着けるのだと。
現実にはサンタクロースも幽霊もその存在を証明するものは何も無いけれど、信じることはできると説きます。言い換えれば人間は「善き存在」だと信じられるということ。
信じるも信じないも自由だけれど、信じられる方が信じられないよりも何倍も世界を明るくするということじゃないかな。

映画「ポーラー・エクスプレス」はこのクリスマス・スピリットを謳いあげた作品。
サンタクロースの存在を信じられなくなった少年がイヴの夜、11時55分に家の前に停車したポーラー・エクスプレスに乗り込んで、友達になった子供たちと大冒険の末、北極のサンタクロースが全世界に旅立つセレモニーに参加して生涯忘れられない贈り物をもらう、それが「信じる心」なんですね。
この映画のに対する海外のレビューを見ると、CGによる人物造形やCGの色彩が冷たい印象を与える、従来の暖かく楽しいクリスマス映画の主流から外れる、などという批判もありましたが、この映画の醍醐味はその冷たさにあるように思います。
雪明りでぼんやり明るい夜の中、凍てつく雪原を驀進する機関車。
林の中には雪を蹴立てて音も無く走る狼の群れ、空には舞い落ちる雪を風切り羽で巻き上げながら飛来する大鷲。このシークエンスには感動を覚えました。実写にはない詩情を感じてしまいました。

実写で俳優を使わなかったこと、アニメーション化して単純な線と色彩の漫画絵が動くようにしなかったこと、原作絵本のテイストをそのまま保ったこと、子供にはできない微妙な演技を大人の手練の俳優が演じたこと、ダイナミックなローラーコースター・アクションをふんだんに取り入れてスリリングな冒険物語の醍醐味を味わせてくれたこと。
車内でのウェイターたちのタップダンスの超絶技巧、汽車の屋根にいながら別の空間に入ったようなホーボーとのシーン、逸るトナカイをエルフたちが抑えながら引き出す様子、数え切れないエルフの群衆がウェストポイントの卒業さながら帽子を投げあげるさま、スティーブン・タイラーのエルフの妙技。
トム・ハンクスの生き霊みたいなコンダクターの絶妙の鋏使いなどなど。

"Seeing is believing"といいながら、目に見えなくても大切なものが存在する───100年も昔にサン紙の記者チャーチが一人の少女の質問に答えて書いたのと同じ真理が語られます。

宗教色抜きにして、クリスマススピリットを素直によろこび、素直に感動できるのはこの季節にしかできないことなのかもしれませんね。

TVよさらば

ヘミングウェイを気取ったわけではありません。
11年長らくおつとめしてくれたTVが今日逝きました。
昨年平たいくせにやけに顔の大きいプラズマの登場で居間のあるじの座を明け渡し
ダイニングで余生を送っていた、初めて出たころの「大型TV」29インチ。
1インチ1万円とやらで、震えながら買ったのが昨日のことのようです。
2,3ヶ月前から画面が上下に縮まってきて、その都度スイッチを入れ直すやら、
気の短いのがたたいたりして、なんとか頑張ってきましたが、ついに力尽きました。
師走の大型家電量販店、たくさんの人、人で溢れんばかり。
息子が急に小さくなるのは淋しいと主張。結局ソニーのVEGA25型(平面ブラウン管)。
52,000円也。画面、音共に先代に遜色なく11年の間に6分の1に安価になったということなんだなと、またまた感慨に浸っておりました。
リサイクル料3000円なにがしかの身代金を払って重い不格好なTVは店員さんの押す台車に乗って夕闇の中に消えていきました。
後でデジカメで写真撮っておけばよかった!と思いましたが、後の祭りでした。